第66話

「暁? どうし―――」


 アルギンとソルビットが二人して騒ぎの元に近付いた。その二人が次に見たものは


「―――ひっ」


 女性のものと思われる四肢と胴体が転がる廊下と


「……汝等か」


 剣を引っ提げて立っている『月』隊長。

 そして、不穏な様子に集まって来ていた野次馬達。

 暁はアルギンが来た事に驚いたようだった。


「っ……、アルギン様」

「ちょっと……これ、どういう事……?」

「どういう事もっ……!」


 激昂している様子の暁。怒り心頭、といった手振りで、暁の指は『月』隊長である彼を指差した。


「隊長が! ウチの『娘』を!!」

「―――娘」


 娘、と言われてアルギンの思考が更にぐるぐると巡り出す。

 何もないのに誰かを手に掛ける彼ではないと知っている。

 先日知り合ったばかりの暁に娘?

 そんな思考状態に気付いて、ソルビットが肘でアルギンを小突いた。


「たいちょ」


 ソルビットが転がる肢体を指差した。


「あれ、人形っすよ」

「え………」


 言われて気付いた。バラバラにされたそれからは血が一滴も出ていない。

 それどころか、切断面と思わしき場所を見ても血や肉といった物は一切感じない。

 ただ、木の断面らしいものが見えるだけだ。


「―――人形?」

「先程、獣とは違う影を見付けた。逃げる素振りをしたので追い掛けたが、手加減を間違えた」

「そう、なんだ」

「……『風』の言っていた、敵とも判断つかぬ影。これであろう。……汝の仕業か」

「……先に行かせて国境の偵察をさせていたんです。簡単には捕まらないとは思っていましたが、だからってこんな事……」


 手加減して四肢切断なら、手加減しなかった場合どうなっていたんだろう。

 アルギンが不安に思っていると、怒り心頭の暁が床に転がる胴体を抱き起こした。


「スピルリナ、スピルリナ。返事をなさい」

「………」


 声を掛けられたその人形は、それまで目を閉じた顔をしていた筈だった。

 暁の声に応じるように、その瞼がゆっくりと開いていく。

 不思議な光景だった。生き物であるならほぼ有り得ない光景に、アルギンの理解が追い付いてこない。

 アルギンは今まで、『人形』を見た事が無かったからだ。


「……マイ、マスター」


 少女のようなか細い声で、暁に向かって発せられた言葉。かた、と身動ぎしたような音が鳴るが、その人形には手足が無い。

 かたかた、床面と接した彼女の体が音を出す。それはとても奇妙で、恐ろしい光景のように思えた。


「見つかるなんて、ドジな真似をしましたね。動けますか、部屋で修理をしましょうね」


 暁は一度彼女を床に横たえると、持っていた紐らしいもので器用に四肢を拾い上げ、繋いで結んでいく。一人でも持って動けるようになってから、それら全てを抱えて暁が立ち上がった。

 人の波が勝手に分かれていく。まるで、暁の為に空けているかのように。

 一歩を踏み出して、暁が振り返る。


「隊長、後でお話させて頂きますからね」

「………。」


 その声は毒々しいまでに敵意を帯びていて。暁が去っていくのを、その場にいた全員が見ていた。


「―――ほら、関係の無い者は撤収! 何を油を売っている!!」


 その空気を変えるように、アルギンがその場で手を叩いた。野次馬はそれぞれの場所へと戻っていく。

 今いる場所に残ったのは、アルギンとソルビット、そして『月』だけだ。

 一気に広くなった気のする廊下で、三人が立ち尽くす。


「……何だったんだ、今の」

「『あれ』が、人形師っすよ」


 アルギンの疑問に一番に答えたのはソルビットだった。


「人形師は、自分の人形を実の子のように見てる。……先に自分の『娘』とやらを送って自分は後から……なんて、独断専行も良い所っす」

「知り合いかえ、アルギン」

「う、うん。丁度こっち来る前に顔と名前と所属は知ったくらいなものだけど……」

「そうか」

「……あ、人形師ってことは」


 と、そこまで言いかけてアルギンが口を閉じる。

 『他言無用』と言われた、彼の足の事だ。『腕のいい人形師が作った』の言葉と共に思い出す、あの黒曜。ソルビットも彼もアルギンを見たが、それ以上を言う事は止めておいた。


「……そっちも、暁と知り合いなの?」

「正しくは暁の親を知っている」

「ああ……」


 それで納得がいった。彼の足を作ったのは暁の親か。

 話についていけず蚊帳の外なソルビットは、何か言いたそうにはしていたが話には加わってこなかった。

 そんなソルビットの事も考えて、アルギンが話を変えた。


「そういえば、獣って見つかった?」

「猪が二頭。今運ばせている」

「二頭!? もうそんな仕留めたっすか!」

「今夜は肉料理だろうな。干し肉も作れるよう、もう一頭仕留めるつもりが―――あの件で、逃がしてしまった」

「充分だと思うよ、ありがとう。お疲れ様」


 短時間での成果に、手放しで喜ぶアルギンとソルビット。

 執務に費やしていた二人の時間は特別短くはなかったが、彼の狩猟時間としては短い方だった。それで二頭仕留めたというのなら、喜ばしい成果だ。


 会議室をそのままに、二人は狩猟結果を楽し気に見に行った。




 ………そんな暮らしが一か月経った頃。


「やーっと帰れるっすねぇ」

「一時的なもんだ、すぐまた戻って来なきゃなんねぇ」


 二人が話している場所も、やはり共用の会議室兼執務室だ。

 アルギンとソルビットの一時帰城が決まった。『風』隊長のエンダと『鳥』副隊長のベルベグが代わりにこちらに来るらしい。

 今日がその日だが、まだ二人が到着しない。

 口では冷静を努めているアルギンだが、アルギンもまた朝からソワソワしている。

 今日の帰城は二人だけだが、実は少し前から一般兵の帰城は始まっていた。代わりの人員を送ってもらう事で、なんとか国境の人員は確保できているといった状態だ。


「そんなこと言って。お兄さんに会いたくないんっすか」

「んな訳無えだろ。……でも、アタシ達だけ帰っていいのかな、とは思う」


 今回、『月』隊長の帰城はない。彼が辞退したのもあるが、他の人員に余裕が無かったのだ。


「良いんじゃないっすかね。本人が戻らないって言ってんだし……」

「あの人に負担が掛かりすぎてる気もするけど……。まぁ、アタシが早くこっちに戻ってくれば済むこと、かな」

「そんな事言ってー。離れるのが寂しいんでしょ。もー、たいちょーってば乙女なんだから」

「うるさいよ」


 二人が少し浮いた調子で話している時、扉がノックされた。


「アルギン様、ソルビット様」


 『花』隊の兵が顔を覗かせた。


「エンダ様、ベルベグ様が到着されました」


 その言葉と共に、兵の後ろから待ちに待った二人の姿が現れた。座っていた二人も立ち上がって、エンダとベルベグを迎える。


「お疲れ、エンダ。ベルベグ」

「待ちくたびれたっすよー!」

「ははは、二人とも。元気そうだな」

「お疲れ様です。お元気そうで安心しました」


 和やかな空気もそのままに、アルギンが引き継ぎを始める。

 兵の数、食料の残り、起こった問題と、現在状況。

 そんな話をして、エンダとベルベグからも城の様子を聞いて。そこで漸く、哨戒から戻って来た『月』隊長が会議室に戻って来た。


「……来たか」


 彼の口から出て来たのはそれだけだった。


「おー、来たぜ。お疲れさん」

「お疲れ様です」

「―――ふん。疲れてはおらぬ。……だが」


 彼が、入って来るなり立ち位置をアルギンの隣に定めた。


「……行くのだな」


 その言葉が彼の口から出て来た瞬間、空気が静まり返る。


「……うん。でも、すぐ戻ってくるから」

「………そうか」


 アルギンと彼の様子を、全員が見ていた。それに気付いてないのは二人だけ。

 暫く二人が見つめ合って、やっと気付いたらしいアルギンが顔を真っ赤にした。


「な、なんだよ皆!! っ、も、もうアタシらは行くから!」

「……いやあ、思った以上に仲良さそうで安心したぜ」


 揶揄するような口調はエンダのものだ。感慨深そうに頷いているのはソルビットとベルベグ。

 真っ赤になったアルギンは、怒ってそのまま部屋を出て行った。


「いやー、最初は何の冗談かと思ったけどよ。あのお嬢ちゃんもお前さんも、この様子なら安心だな」

「……安心、とは?」

「守るものがある方が強くなるってこった。……ほら、見送り行って来いよ」


 エンダに言われて何のことか解らないような彼だったが、言葉に背を押されるように彼も部屋を出て行った。

 部屋に残ったソルビットは、二人を溜息を吐きながら見送る。


「ソルビット、お前は行かないのか? 帰るんだろ?」

「帰ります帰ります。……引継ぎ必要っしょ、あたし『風』預かってたんだから」

「そういやそうか」

「もーちょい、二人っきりにさせたげましょ」




「アルギン」


 廊下の途中で、彼がアルギンを呼び止めた。振り返るアルギンの顔はまだ真っ赤だ。

 彼が側まで来るのを待って、アルギンが彼に予告なく抱き着いた。


「……誰か見ているかも知れないぞ」

「構うもんか。……少しだけ、少しだけなんだから」


 抱き着かれるままに、彼がその場に立ち尽くす。二人きりになれる事も、暫くお預けになる。

 アルギンの心情を解ってか、彼の手が胸に顔を埋めるその頭を撫でた。この感触も、短い期間と言えど味わえなくなる。


「ねぇ」

「何だ」

「また二人で、兄さんの所に行こうね」


 それはいつになるか解らない先の話。また二人で城に戻ることが出来たら。


「―――ああ」

「約束」


 そんな子供じみた口約束を交わして、アルギンが背伸びをした。

 背伸びをしたところで届かない。そこは彼が少し屈むことで届いた。


 誰が居ても居なくても構わなかった。

 触れるだけの口付けを交わして、アルギンが離れる。


「またね」


 ひらりと手を振って、アルギンが歩き出す。

 残った彼は、その背中が廊下の向こうに消えるまで、暫くの間見送っていた。




 アルギンとソルビットが馬を連れて帰城し、謁見の後は引継ぎの連続。

 隊長副隊長共に国境に行っていた事で仕事は溜まりに溜まっていた。それらの内から最重要なものだけを選んで捌いて、ソルビットがざっくり仕分けする。

 アルギンは急ぎのものだけをして、初日はそれで早めに仕事を切り上げた。


 こんな事なら、出発前に店に寄っとくべきだった。


 アルギンは懐かしい酒場の喧騒と料理、酒の味を思い出していた。


 兄さん、元気にしてるかな。


 城を後にするアルギンの心は酒場にあった。

 帰城早速一日の休みを取って、『家』に帰ろうとしていた。ソルビットもそれは止めなかった。


 足取りが軽い。けれど、酒場までの距離が遠く感じた。

 歩いて、時々走って、酒場まで、あと少し。もう少し。


「―――――ただいま!!」


 酒場の扉を開いた。時刻は今夕方。夕日が沈む時間、酒場の中はまだ灯りが付いていなかった。

 一歩中に入る。アルギンの足音が静かな建物内に聞こえた。


「……兄さん? 誰かいないの?」


 いつもなら酒場の準備でカウンターに兄がいるはずだった。

 店内を見渡しながらアルギンが中に入る。


「兄さ、――――――」


 カウンターの中を覗いてみた。

 兄がいた。

 カウンターの中、数々の仕事道具が並ぶその場所に、血溜まりを作って。


 その瞳は開かれることは無かった。

 狂乱するアルギンの叫びが聞こえていたかもわからない。


 指ひとつ動かない、彼はそこにいた。


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