第61話

「それで無事処女喪失はグボッ!!!」


 ……『風』『月』の二隊は、日の出と共に選出した人員達と共に城下を発った。国境沿いの状況に合わせ、更に人員が送られることになっている。

 城内の空気も緊迫している。そんな中の『花』執務室で、アルギンの側にいたソルビットが口を滑らせた瞬間、彼女の背中に向けてハイキックが炸裂。ソルビットも防具は纏っているものの、その衝撃で思わずよろけた。


「そこまでお互い浮かれてねぇよ」

「信じらんない!! 出陣前ってそんなおあつらえ向きの状況で!! なんであの男は手を出さないの!!!」


 結局、アルギンと件の彼は夜明けまで二人で過ごした。しかし、二人の間ではそれで特別なことが他に起こる事もなく。

 執務室内の来客用ソファにどっかりと腰を下ろしたソルビットは、しまいには顔を覆って泣き始めた。嘘泣きであることはアルギンにだって分かっている。


「たいちょーに色気無いのは知ってるけど、いざ戦地にってなってる男が恋人目の前にして何もしないってどういう事っすかあああああ」

「うるせ。お前黙れ」

「分かってないっすね。それで手を出されていないんなら、あの人やっぱホモなんすよ」

「黙れって言ってるだろ」


 アルギンも自分の執務机に座る。今日は少なめの書類に目を通し、署名が必要な所はサインをする。こんな情勢になると数日の休暇申請も届いていて、その書類に書かれている名前を見ると、この部下には家族がいたな、と思い出す。

 覚悟が必要なんだろう。本当にこのまま戦争が始まるとして、家族で過ごす時間が欲しいのだ。

 アルギンも初めて戦場に立つ前は、不安で怖くて、エイスの所に帰った。エイスと、アルカネットと、それからギルドメンバー。皆何も言わず迎えてくれて、出陣直前まで一緒にいてくれた。


 ……昨日の夜、彼はどこにも行っていない。自分と一緒にいた。


 彼にとっての帰りたい場所になりたい。

 なれているといい、とアルギンは思った。


「ま、残念なたいちょーの胸の更地はいいとして」

「誰が更地だコラ」

「物悲しいって言った方がいいっすか。……まぁ、とにかく」


 ソファの前にあるテーブルに、追加とばかりにどっさりと書類を置くソルビット。

 アルギンは自分の作業の手を止め、その書類の量に目を丸くした。


「……なに、これ」

「今からが忙しくなるっすよ。出陣命令が下された時、どの隊出すか今のうち決めろって言われてるっす」

「……そういやカリオンそんなん言ってたっけ」

「長弓、魔法、医療、短弓……ああ、まだ短弓からは一部来てないっすけど、それぞれの部隊の一番隊から十番隊まで情報纏めた書類をそれぞれから提出させてるっす」

「……ソルビット、お前さん本当なんでアタシの部下してんの? お前さんが隊長で良くない?」

「だからさっさと明け渡してくれねっすか」


 アルギンが来客用のそこで、ソルビットの向かいに座り、ぱらぱらと書類の中を見てみた。

 隊員、配置、備蓄の武器や魔法石その他、簡単な身辺調査書まである。身辺、とは言っても家族との同居や婚姻の有無だ。


「……あー、魔法部隊の五番隊の奴からは休暇申請来てたな。あ、それとこっちも」

「そっちの書類もあたしにください。今ここでちゃちゃっと纏めます」

「お前さんが副隊長で助かるよ本当。いつもその調子だったらアタシ嬉しい」


 書類に並んだ名前を見るだけで、それぞれの名前の主の顔がぼんやりと思い浮かぶ。

 これだけ多くの者の命を預かっている。それを思うと、僅かに手が震えた気がした。


「思ったより、多いっすね休暇申請」

「いざとなったら、もう休みなんて取れないからな。ソルビットだって、たまには休暇取って良いんだぞ」

「……あたしは、家族なんて兄貴しかいませんから」

「………。そうか」


 今更になって、アルギンはソルビットの事を殆ど知らない事を思い出す。ソルビットとの付き合いは短くはなく、副隊長に任命したのもアルギンだ。元は『風』の諜報部隊の一人だったソルビットを、その腕を見込んで副隊長の座に据えた。

 書類を扱っているソルビットの視線はアルギンに無い。そんなソルビットの顔を見ながら、アルギンが呟いた。


「……ソルビットって、今は恋人もいないんだっけか」


 その呟きは、彼女に届いたらしい。考えるような唸り声を上げるが、今している書類仕事自体は考える事なんて何もない筈だ。


「いないっすよ。同衾する間柄はいくらでもいますが」

「……じゃあ、ソルビットは出陣するってなったら、最後に会っときたい人とかいねぇの」

「んー……。」


 考えるような声。ソルビットの視線はまだアルギンに向かない。


「……あたしが出陣ってなったら、どうせ兄貴も出陣するだろうしなぁ……。たいちょーとも戦場で近くにいるだろうし……。別にいないっす」

「そっか。……ほら、先代が殉死したじゃないか。アレは……事故みたいなものだったけど」

「そっすね」


 先代『花』は、前回停戦直前の戦場で、部下を庇って殉死している。

 敵側の攻撃中止・撤退命令が出てからの掃討作戦。それに加わっていた『花』前隊長は、追撃中に敵からの落石攻撃で危ない位置にいた部下を突き飛ばし、守り、代わりに落石に遭った。

 それから、二国間はまた停戦。向こうも相当に痛手だったろうが、こちらは四隊長のうちの一人を亡くした。

 そしてその空いた地位に立ったのが、『花』副隊長だったアルギンだ。


「先代にも家族がいて、帰りたいところがあって。……アタシがもし同じ状況になったら、先代と同じことができるのかって……思う」

「……」

「家族がいて、好きな人がいて、アタシは帰りたい場所があって。それでも部下を守れるか……アタシには分かんなくなってる。……アタシみたいなのが、隊長やってて良いのかなって」

「―――隊長、失礼します」


 一瞬だけの、冷たいソルビットの声。

 次の瞬間、アルギンの左頬が叩かれていた。乾いた、破裂音に似たような平手打ちの音。

 ソファから軽く腰を上げたまま、振り抜いた右手をそのままに、ソルビットはアルギンを睨み付けている。


「気合が足りなかったようですので、注入しておきました」

「……ソル、」

「守ってどうするんです。死ぬんですか。先代みたいに」


 ふざけている様子が一切無い、ソルビットの様子。

 アルギンは頬を押さえてソルビットを見ていた。こんなソルビット、アルギンは今までで何回しか見たことが無い。……これこそ、ソルビットの『素』だった。

 普段の態度は、諜報部隊にいた時からの癖。素は貞淑とは言わないが、普段装っているそれより不真面目ではない。


「二度と言わないでくださいね。あたしを、貴女みたいな『隊長を死なせた副隊長』にしないでください」

「……。」

「失礼します。これ、終わったら持ってきますからそれまでに頭冷やしておいて欲しいです」


 ソルビットが書類を手元で纏めて小脇に抱える。そのまま執務室を出て行った。

 彼女の怒りは相当だ。アルギンの発した言葉のどれかが、ソルビットにとっての地雷だったのだろう。

 どれが地雷かは分からなかった。けれど、彼女が普段絶対見せない素を晒してまで、アルギンの頬を張った。それは、アルギンにとっては痛い事実で。


「……甘えすぎてたかもな、ソルビットに」


 決してそこまで仲が良い訳ではない。酷く悪い訳でもない。隊長と副隊長という関係を時折踏み越えて来られども、それで彼女に向けた信頼が変わるでもなかったし、またアルギンも踏み越えた。

 ソルビットは、また戻ってくると言った。それまでに、この頬の痛みは消えるのか。


「……痛いなぁ………」


 ソファに体を投げ出して、天井を仰ぐ。

 こんな事では先代にも怒られてしまうな。アルギンがそう思いながら目を閉じた。少しだけ、休んでいたかった。


 待っていたけれど、その日ソルビットが戻ることは無かった。




「……何だ、今日は帰って来たのか」


 開店前の酒場に帰ると、その日は珍しくアルカネットがいた。

 アルカネットはアルギンが兵として徴用されてから暫くして、気紛れにエイスが孤児院から引き取ったヒューマンだ。妹がいたらしいが、その妹は幼くてエイスでは扱いが分からないという事で、ある程度の年齢になったら改めて引き取るという。

 アルカネットは数年で大きく成長し、今は新米自警団員として働いている。その仕事が忙しくて、最近は顔を合わせる回数もめっきり減っていた。それに、アルカネットは何故かアルギンを苦手としている。


「いーだろ、たまには。どう、自警団には慣れたか?」

「……お陰様で、自警団は大忙しだ。十番街辺りしか巡回しない騎士団と違ってな」

「含みのある言い方するようになったじゃん。騎士嫌いの団員に毒されてきたんじゃないか?」


 けらけら笑うと、アルカネットはあからさまに不機嫌な顔をして二階に上がっていく。それと入れ違いになるようにしてカウンター奥から出てきたのはエイスだ。


「弟を苛めるんじゃないよ」

「弟って……。一緒に育ってないし血も繋がってないんだから、アイツ絶対アタシを姉だなんて思ってないよ」

「そんな事は無い。私が育ててるんだから姉弟だ。その内妹も増えるぞ」

「ああ……、アルカネットが出た孤児院にいる妹っての? いいの、そんなポンポン引き取って?」

「その孤児院、経営が危ういらしくてね。アルカネットが今給料寄付してるくらいなんだ、縁があった場所だし気になるだろう?」

「はー……。そういう所、昔話に聞くダークエルフっぽくないよね」

「ダークエルフは基本、理性的な種族と違って自分勝手なだけだよ。私の実の親も兄弟もそうだった」


 カウンター席に、カップに注いだスープを出す。その席にアルギンが座ると、エイスは笑顔で迎えてくれた。

 手にしたカップから良い香りがする。もうすぐ夕食時だった。それまで食欲がなかったアルギンだが、やはり慣れ親しんだ味には勝手に胃袋が食事を要求し始める。


「……兄さん」

「うん?」

「戦争、また始まるかもって。国境沿いに、あの人が行っちゃった」

「……昨日二人で来たのは、その為?」

「ん」


 熱いスープを啜りながら、ぽつりぽつりと胸の内を吐き出す。


「行かないで、って言ったら、あの人は残ってくれたかな」

「……私もこの店に来てくれた時しか話さないけど、多分無理じゃないかな」

「やっぱり?」

「彼は清廉潔白な人だ。頑固でもあるだろう。多分、アルギンが縋っても無理だよ」

「だよねぇ」


 アルギンだって分かっている。だから言わなかった。その代わりに駄々を捏ねた。『自分が行く』と。

 その駄々さえ、彼等は理解してくれなかった。……いや、もしかしたら彼以外には筒抜けなのかも知れないが。

 スープが減る。半分程度になったところで、カウンターに置いた。


「アタシは、縋ったら行くのを止めるようなあの人はきっと好きじゃない」

「乙女心だねぇ」

「だってそうでしょ。あの人がそんな人だったら、好きにはならなかった」


 にやついたような顔を隠そうともせず、エイスが酒場のグラスを拭いている。曇りなど見えないそれを並べて、磨いて、開店の準備。

 アルギンはそう長居するつもりもなかったので、再びスープカップを手に取る。


「いつアルギンの花嫁姿が見られるかと思っていたけど……、これは期待しても良さそうだね」

「き、期待する? 期待に添えない可能性もいっぱいあるんだよ?」

「期待くらいさせて欲しいな。早く二人の子どもが見てみたいんだ」

「子どっ……!?」


 まだ想像もしていなかったような未来を話されて、アルギンが慌てたようにスープを口に含む。飲める程度とはいえ熱かったようで、悶えながらカップをカウンターに置いた。


「っひぇ、しょ、そんな先の話まで知らないよ!!」

「……あれ」


 その初心丸出しの反応は、エイスにも意外だったようだ。自分の妹が純情でまだ初物だとは考えもしていなかったらしい。しかし、真っ赤になったアルギンの顔色でそれを悟ってしまう。


「もういい! もう帰る!」

「アルギン、ご飯は食べて行かないのかい?」

「帰って食べるからいい! じゃあね!!」


 まるで子供が拗ねた時のような態度でアルギンが酒場を後にする。グラスを磨きながらその背中を見送ったエイスは苦笑を禁じ得ない。

 時間はまだ夕方。今から酒場を開けなければならない。それはエイスがこの国に、街にやってきてからずっと行っていた毎日の儀式。

 外に出て、営業中の看板を立てる。するとすぐふらふらと、何人かが客として入ってくる。


 店内は日が姿を消すにつれ人が多くなる。

 その日も、J'A DOREは繁盛していた。

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