第62話


 次の日も、その次の日も、またその次の日もソルビットは来なかった。

 ずっと執務室にいた訳じゃない。けれど、何処に行っても彼女の姿は無かったし、書類が手元に戻る事も無かった。

 持って行かれた休暇申請は手続きを終えているので急ぎの書類ではない。けれど確実に仕事には必要なもので。他の部下にソルビットの行方を聞いてみても、これといった答えは返ってこなかった。

 もしかするとソルビットは、アルギンから仕事を奪って無理矢理隊長の座を奪おうとしているのかもしれない。……そんな考えが浮かぶが、そんなめんどくさい方法で彼女が隊長になりたいと思う訳が無い。アルギンはこれまでの付き合いからそう勝手に結論付けた。


 二日に一回は、アルギンとカリオンの元に書類が届くようになった。国境沿いからの報告書だ。

 帝国はどういう布陣を敷いて、見える範囲でどういう行動をして、見えない範囲を諜報する限りどういう動きをしていて。

 それを読む限り、状況は極めて悪い。特に、『見えない範囲』の報告書だ。

 それまで近隣諸国へも小競り合いを続けていた帝国が、そちらの戦線を畳んできているらしい。そして、その戦力をどうやらこちらの国境沿いへ持ってきている、と。


 アルギンへの報告書の中に、他の隊にはない一通の手紙が毎回入っていた。

 それは『月』隊長から―――恋人からの手紙だ。進軍中も国境布陣中も手紙を書いてくれているらしい。


 ……元気そうで安心した。アルギンが心からそう思う。離れてまだ数日しか経っていないのに。

 ほんの数行の短い手紙だ。文章は報告書と然程買わない味気の無い内容で、でもそれが嬉しかった。

 彼の自筆は走り書きではあれど、読めない程悪筆でもない。忙しい中でも連絡をくれる、その行為がアルギンにはとても安心できるものだった。


 彼らが発ってから一週間が経とうとしていた。




「アルギンさん」


 ある日、廊下を歩いているとカリオンに呼び止められた。彼もアルギンも側に誰も連れていないのは珍しい事だった。その上で、彼は更に手ぶらだ。忙しい彼にしては滅多にない事で。 


「ん? 何だカリオンか」

「何だ、は無いでしょう。……お話があるのですが」

「話? ここじゃ出来ない奴?」

「出来れば人払いしてもらった方が良いですね。私の執務室で良いですか」

「……んー、アタシの部屋の方が近いぞ。そっちで良いか?」

「ええ」


 前線に行かず、城に残った隊長二人が並んで廊下を歩く。擦れ違う兵や騎士は皆自主的に二人の前を空けた。そこまで畏まられなくても良いのだが、悪い気はしないのでそのまま歩く。


「あっちからの報告書、見たぞ。状況結構ヤバいみたいじゃねぇか」

「みたい、ではなく実際そうらしいです」

「もう年明けも近いってのに、お祝いしてる気分じゃねえってのかな。あちらさんはよ」

「……さあ。向こうの考えは分かりません」


 カリオンも素っ気ない口調だ。これ以上人目に付く場所での話はしない方が得策だと判断したアルギンは、さっさと自分の執務室に向かう事にした。扉前まで辿り着いて、開く。

 中にはやはり誰もいない。ここまでソルビットがアルギンの側にいないのは、彼女を副隊長に任命して以来初めての事かも知れない。


「温かい茶でも持って来させようか?」

「……いいえ、悠長に飲んでいられる話ではありませんから」


 そう、とアルギンが短く返すと、扉は閉まった。来客用のソファを示すと、カリオンはそこに座る。


「んで、話って何」

「まずは一つ目。……ソルビットをお借りしています」

「へぇ」


 短い返事の後、アルギンが自分の執務机の側まで歩く。そこから冷たい茶が入ったティーポットとカップを二つ持ってソファまで戻った。テーブルにそれを置くと、二人分の茶を注ぐ。

 悠長に飲んでいる暇など無いのは確かだが、話題が話題だ。


「……貸出希望期間と用途は聞こうか」


 短く返したアルギンの声には驚きなんてものは無かった。しかし、声がどこか冷たい。


「帝国と戦争していた公国の、彼女が個人的に交流があった貴族へ」

「……『個人的』ねぇ」

「追撃を王へ進言するよう働きかけています。……帰城には、時間が掛かるかと」

「アタシへの報告が後回しになった理由、聞いてもいいかい」


 茶を差し出してきたアルギンの声色に怯む様子も無く、カリオンが続ける。


「彼女の意思です」

「……。」

「彼女が、王と王妃に直接進言しました。私も、話を聞いたのは昨日が初めてです」

「そうかい」


 アルギンが自分の茶を一息で飲み干した。まるでジョッキに入った酒を飲み干すかのような大胆な飲み方。それを見たカリオンは、優雅とはいかないまでも普通の仕草でカップを空にする。


「んなら、良い」

「怒らないんですね」

「ソルビットを怒らせたのはアタシだからな。……下手な事してないんならそれでいい」

「……それから、本題ですが」


 二人のカップに二杯目を準備する。必要の有無も聞かない。

 カリオンも注がれる茶を見ながら、二杯目には手を出さない。


「開戦と同時、国境から全隊を引きます」

「……ふん? あの土地は前の諍いの時に向こうからぶん取った土地だったか」

「あの場所は守りが難しい。下手に取っておくよりは明け渡して、下がって布陣したほうが安全でしょう」

「……そりゃ、決定事項か?」

「『風』と『月』の意見が一致したようです。恐らく、その意見に従った方が良いかと」


 その二人の意見に『鳥』隊長が賛成するなら、それに異を唱える気はない。二杯目を飲みながら一回だけ頷いた。

 カリオンは、二杯目に手を付けず、そのまま立ち上がる。


「それから」


 アルギンのカップが空になった。


「ソルビットが帰城次第、『花』も隊の半分を選出して出陣してください」


 まるでついでのように、その重大な要件を伝えたカリオンは部屋を出ていく。

 アルギンは言われた言葉が最初は分からず―――後からその重大さに気付くと、カップを扉に投げつけた。

 閉まった後の扉にぶつかったカップは、ただ割れるだけ。




 その日からアルギンは一人で人員選出に配下集めての会議に書類作成に大忙しだった。

 これまでソルビットが裏から手を回してくれていた雑務も、自分でこなしながらの執務だ。他の部下に指示しても良かったのだが、ソルビット並みの仕事を任せられるかと考えたら疑問符が頭に浮かんだので、結局は自分で行う事にした。

 出陣間近の方を受けた『花』所属の者達は、それから結構な人数が休暇の申請を持って来た。なんとかそれを一人で処理しながら、他の事に考える時間が無くなっていた。それは良い事だったのかもしれない。手紙が届く以外の時は『月』の事を考えなくて済むから。


 それから忙殺された一週間が過ぎて、ソルビットが帰って来た。




「ただいまーっす」


 その日もアルギンは朝から執務に追われていた。配下に交代で休暇を取らせていたのも、出陣する人員も、全部を自分でそれぞれの小隊長や中隊長と話し合いリスト化して日程を決めて、それを全部他の執務の合間にやっていた。

 ソルビットが帰って来たのは昼を過ぎてからだった。彼女にしては珍しく、露出を控えた服を着ている。……確かに、『仕事帰り』なのだろう。


「……お疲れっすね、たいちょ」

「おう、お疲れソルビット」

「どーです、あたしの有難みがよく分かったでしょ」

「よく分かった。分かったからアタシに無言で出て行った理由を聞かせて貰おうか」


 そのリスト化した書類を執務机に叩きつけながら、ソルビットに向かって冷たく言い放つ。そんなアルギンを見ても、ソルビットは笑っていた。底意地の悪い笑顔で。


「あたしがいなくて寂しかったんすかぁ? 副隊長がいないと一人でねんねも出来ないんでちゅかぁ?」

「そんなお前は他所のお貴族様と『おねんね』ってか。大層なお勤めご苦労、さて本職の仕事が残ってるぞ。始めろ」

「やーん、あたし肉体労働でくたくたっす。本来全部隊長の仕事なんでたいちょー自身でお願いします」

「お前も『副隊長』だろうが。いいから四の五の言わずにやるんだよ」


 アルギンは睨む。ソルビットは蔑む。

 そんな二人の視線のやり取りは、暫くの後に解かれた。


「……何やりゃいいっすか」

「こっちの書類の奴らはもう休暇入ってる。こっちは出陣無しで明日から休暇の奴等だ。城内配置と警邏順と、あと」

「はぁ? 何でそんなん隊長がやってるっすか。こんなん中隊長に丸投げしとけば良かったでしょうに」

「…………だもん」

「へ?」


 アルギンが視線を逸らした。


「……解んなかったんだもん。これまでは気が付けばどっかの有能な副隊長が全部終わらせてくれてたし」

「………………たいちょ」


 ソルビットががばっとアルギンに抱き着いた。その勢いに押されてよろめくアルギン。


「わ!?」

「すき。だいすきっす、たいちょ。ごめんなさい黙って出て行って」

「…………もうこんなことはすんなよ、ソルビット」

「はぁい」


 そこで漸く素直な返事をしたソルビット。二人の視線にはもう悪いものは無くなっていた。

 顔を近づけて笑い合う二人。しかし


「………本当にもうすんなよ?」

「わーってるっすよ、疑り深いなぁたいちょー。そんなんだからまだ処女なんすよ」

「うるせぇ」

「本当の事でしょ」

「何だと」

「ふふん」


 どんどん二人の会話に棘が出てくる。アルギンからは笑みが消えた。


「……ちょっともう一回話しようや、ソルビット」

「退屈な話なら結構っすよ。あたしは忙しいんっすからね」


 ………本質的に二人の仲は良くはないのだった。



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