第55話

「見られたぁ……。見られたよぉ………」


 『花』執務室、この世の終わりのような顔で泣きはらしているのはこの部屋の主であるアルギン。

 想い人とその配下に下着姿をばっちり見られてしまった彼女は、もう一時間ほど泣き続けていた。原因は想い人の配下、『月』副隊長のフュンフ・ツェーンが原因なのだが、肝心のフュンフといえば。


「何が悪い」


 と、自分の非を認めず憮然としている。

 それがまたアルギンを怒らせる原因となり、ソルビットが二人の仲介に入る事となった。


「兄貴、たいちょーはまだ処女なんだよ。それにいっつも色気も露出もない服ばっか来てるんだから、兄貴みたいなどぉーでもいい男に肌を見られるのが嫌なの。分かる?」

「それは私の責任かね、ソル。私とて、『花』の下着など肌に張り付いてるように見えるどうでもいいものだ。何なら下着が枯葉だろうと、枯葉と同じ程度には興味ない」


 アルギンに対するフュンフの関心は一切ない。ここまで言われることに若干の苛立ちさえ感じているようだ。

 先ほどの仕立て屋とメイドは『月』隊長と一緒に彼の執務室で採寸中だ。だから、この場所での口喧嘩は最早無法地帯。


「枯葉だぁ!? お前さん、人のあんな姿見といてよく言ってくれるじゃねぇか!」

「見たくて見た訳ではないのですがな。仕立て屋が時間に遅れるのが悪い」

「テメェ他隊の隊長執務室に入室許可の返事待たずに開けて、問題起こって悪びれもしねぇのか!?」

「問題と思っているのは、アルギン様。貴方だけですよ」


 フュンフの言葉にアルギンの言葉が詰まる。

 確かに、これで下着姿になっていたのがソルビットだったら、例えどんな際どい下着を纏っていてもソルビットはきっと何も気にせずいつもの態度だ。『月』隊長も、フュンフも、本人が気にしていないのだからと言うだろう。

 もしこれが他の女騎士でも女兵でも、恐らくはアルギン程気にしない。

 アルギンは『下着姿を見られた』ことは……、まぁ、多少気にしているとしても、重きをそこに置いていない。戦闘の只中なら気にも留めない事だろう。

 重要なのは、『下着姿を想い人に見られた』事なのだから。


「……あの人、アタシが下着姿でも全っ然いつもと態度変わらなかった………」

「たいちょー……、あの下着、正直室内鍛錬中の女兵士の格好とあんまり変わらないっす……」

「色気無いって言いたいんだろ解ってるよ!!」


 何より、『月』隊長が何も気にせず、いつもの態度でアルギンを見ていたのが心底悲しかったようだった。……それで態度が変わったら変わったで酷く動揺しただろうが。


「……下らぬ」


 そんなアルギンの悩みと悲しみを一言で切り捨てたのは、フュンフだった。


「隊長格ともあろう者が、色恋で剣先が鈍るんではなかろうな。そのように飯事からの色惚けに陥るなら、我が妹にその座を明け渡してはどうでしょうかね、アルギン様」

「……。」


 流石に、それには返す言葉が無かった。弱点そのものを言い当てられた気分だ。

 こんな状態で、隊長として部下の命を預かるのだ。彼に対して全然平気で居られない自分に、腹が立つ。


 それでも。


 自分に期待をかけてくれた、自分を隊長に推してくれた者達への期待が、重荷でなかったとは言えない。


 恋さえ知らなければ良かったのだと、アルギンは心の底で考えた。

 ―――そしたら自分は、妃候補に選ばれた名誉を野心に変える事も、何事にも無関心に隊長として振舞うこともできたのではないか、と。




 ……一か月はあっという間に過ぎ去った。


 夢であれ、ソルビットの思い違いであれと思っていたが、御披露目パーティーへの参加を、王妃直々に一週間前に命令された。

 そして明日が御披露目という事もあり、城は城下ごとどこか騒がしくなった。寒いと思っていたら雪は降り出し、明日は雪景色の中パーティーだろう。

 アルギンの所にも、朝一でドレスが運ばれてきていた。仕立て屋はそれをアルギンに着せて、最終調整をしている。


「……」


 この一か月、仕事は一応こなしていたがずっと浮かない顔のアルギン。

 考え事も、悩み事も、アルギンの手には一杯一杯だった。仕事上での失敗自体はしなかったが、勤務態度をちくりとカリオンに言われたりした。曰く、「話を聞いているか聞いていないのか分からない」と。

 アルギンの隊である『花』は、今日の持ち場は来賓棟になっている。……しかし、指定されたその持ち場に、アルギンの警護順番は回ってこない。


「―――どうです? どうぞ鏡でご覧になってください」


 仕立て屋の言葉に我に返り、目の前に立てられた鏡を見た。


 ―――薄青のドレス。

 何層にも重ねられたオーガンジーは、裾をふわりと膨らませ、清楚な雰囲気を醸し出している。上半身も肌の露出は少なく、しかしアルギンの細い体の線をしっかりと描いていた。濃い青色でされた胸元と裾の刺繍はとても華やかで、製作期間が短かったとは到底思えない。


「……き、れい」

「お喜びいただけて嬉しいです。いよいよ明日になりましたね」


 明日。

 その言葉は、仕立て屋がアルギンの気持ちを奮い立たせようとして言ったのかもしれないが、今のアルギンには逆効果だった。

 明日、姫と並ぶ彼を見なければならない。それはまだ自分も見たことない、新調した服を着た、恐らくは今まで見たことないほどの美麗な姿で。

 そんな場所で、自分はどんな顔をしていればいい。何を言えばいい。笑顔で似合いだと褒めればいいのか。……そんな事、出来る訳がない。


「……アタシ雪になりたい。明日は会場の外から皆を見守ってるから……」

「何を馬鹿な事言ってんすか」


 呟いた独り言は、仕立て屋の最終確認を見守っていたソルビットが馬鹿にした。実際馬鹿だったのだが、アルギンはむっとした表情でソルビットを睨む。

 そんなアルギンを見て、ソルビットが大きなため息を漏らした。馬鹿なのに扱いにくい、なんて面倒な隊長だ。


「……あたしと交代できるならして欲しいところっす。なんだってあたしがつまんない警邏任務なんて受けなきゃいけないっすか」

「アタシも同じ気持ちだ。警邏してて良いならしてたい所だよ……って、あー、やっぱ駄目だ」


 同調しながら言っていたアルギンだが、突然自分の発言を翻す。

 それを不審がるソルビット。


「……何でっすか」

「お前さんが会場に入ったら、姫の婿候補で良いの居たら食っちゃいそうだからな」

「失礼っすねー! ちゃんと候補外になりそうな奴を選別するくらいしますよー!!」

「結局食ってんじゃねぇか」


 そんな漫才のような会話を繰り返しながら、仕立て屋の縫い針がアルギンのドレスを縫い終えた。最後の糸を切る鋏の音がして、仕立て屋が体を離す。


「―――出来ました」


 完成したそのドレスは、アルギンにとてもよく似合っている。差し色のおかげで全体的に纏まって見え、アルギンの持ち前の美貌に映える。

 んー、と唸ったのはソルビットだ。唇を尖らせて、何やら考えていたらしいが、突然それまで結んでいたアルギンの後ろ髪を解いた。そして、それを器用な手でざっくりと編み上げていく。


「髪は編んだ方がいいっすね。後は髪飾りを大振りなものにしましょっか」

「幾つかご用意していますよ。ご覧になりますか」

「お、準備良いっすね。やっぱりこのドレスだと青色あたりが良くないっすか?」


 何が何だか分かっていない様子のアルギンだが、やはりここでもちゃっちゃとソルビットが話を進めていく。

 アルギンはそれを頼もしく思う反面、自分が着せ替え人形として遊ばれているのではないかという一抹の不安が襲った。

 けれど、それでソルビットに対して不満を抱ける訳は無く。面倒臭い隊長のお守りをしているのだ、こういう所が数少ないソルビットに感謝の念を抱く時だ。


 ……その結果、髪に添えられた飾りもドレスも、アルギンが予算としていたものの倍額の請求が来たが。




 降り出した雪は止むことなく、街を白銀に染めてもまだ飽き足りないらしい。

 御披露目当日の昼になり、続々と賓客が到着する。城下も城も浮き足立っていた。

 ソルビットに急かされて朝から準備をするアルギンの顔は昨日のそれより更に浮かないものになっている。


 昼過ぎから成人祝いの式典が始まる。昨日まで顔を合わせたアールヴァリンは、今日が来たからと何が変わる訳でもないのに。

 夕暮れからパーティーだ。それまでに、ドレスに着替えればいい。それまでは隊服で、式典の参加と警邏が主な仕事。……日が傾き始めたら、もう、観念するしかない。本当だったら式典時の警邏もアルギンには参加する必要なかった。


「ソルビット」


 窓際で、外の様子を眺めながら副隊長の名を呼んだ。


「水を、くれ」


 緊張で、上手く声が出ない。けれどソルビットはそれを茶化すこともなく、アルギンに一杯の水を差し出した。

 ソルビットから受け取った水を、アルギンは一気飲みしてコップを空にする。そのコップは、ソルビットが掌から取っていった。


 アルギンの顔が青い。それはただの緊張かも知れないし、そうでないかも知れない。

 ソルビットは今日が来るまで散々パーティー参加についての愚痴を聞かされ続けていてもううんざりしていたけれど、今日が来てしまえばアルギンは逆に静かになってしまった。

 今もどこかで『逃げ出したい』と思っているかもしれない。その願いは、自分の地位が足枷となってしまっている。

 アルギンは騎士だ。

 だから、どこへも行けない。


「……警邏止めて、ここでゆっくりしとくといいっす」

「………ありがと」

「今日は夕方に備えるといいっす。その代わり、早いとこあたしに『花』隊長の座を譲ってくださいね」


 いつもなら喧嘩腰の応酬があるはずだった軽口も、神妙に受け取った顔をするアルギン。調子が狂ってしまう、と顔を顰めたソルビット。

 ソルビットは部屋を出ていく。アルギンは、動けずにいた。


 乞われて譲れる地位ではない。

 それが、例えあの酒場との関係を持続させる為の人柱のような役でも。自分の能力に不相応な地位だとしても。

 ソルビットだって、それは分かっていた。彼女は善意も悪意も全部混ぜ込んで、あんな事を言う。

 その悪意の部分だけは、アルギンの胸を刺して抉って、これまでに何個も傷を作っていっていた。




「おい、正気か」


 ……結局警邏についてはソルビットに任せたアルギン。夕暮れ時になり、ドレスに着替えてお付きとしてメイドを二人引き連れ、会場に入った。

 会場入り口では『風』隊長のエンダが暗い緑を基調とした正装で扉の側に控えていたのだが、アルギンの姿を見るなりそんな声を漏らす。

 それもそのはず、アルギンはこの日この時の為に用意されたドレスと髪飾り―――は、良いとしても、腰には短剣と長剣を一本ずつ下げ、背中には弓を掛けている。顔はしっかりと、それでいて元の顔立ちが映えるよう化粧されていて、ドレスはエンダから見てもよく似合っているというのに、武器で清楚感が台無しだ。華々しい格好でも武器を忘れないとか、どこの戦闘民族だ。


「……正気だったらアタシは多分こんなとこに来ない」

「王家嫡男成人祝いが『こんなとこ』なんてよく言えたな」

「わかってるだろ、エンダ。アタシにはこんなん似合わない」

「会場は警備以外武器所持禁止だぜ。ほら、こっちで預からせろ」


 エンダの言葉に渋々ながら武器を渡すアルギン。武装が解除され、漸く混じりけの無い美しい華のような姿になる。


「ありがとうございます、エンダ様」

「私達もお止めしたのですが……」


 そうエンダに言うのはアルギンの後ろに控えているメイド二人だ。


「良い。どうせ言っても聞かない奴だ。俺が言って聞いただけ、今日は物分かりの良い日だぜ」


 エンダにとっての自分像がこんな所で垣間見えて、アルギンが紅を塗った口をへの字に曲げる。


「でも、ま、似合ってるぜ嬢ちゃん。外見が良いだけの野生児は、今日はお休みしときな」

「……誰が野生児だ」

「その口の悪さも抑えねぇとな? 今日くらいはお貴族様の子女くらいの口調で頼むぜ」

「あーはいはい、任せとけ」

「言った側から不安を煽るな。他の賓客から不審者扱いされる前にそれらしくしろ」


 エンダがいつも笑顔を張り付かせている表情を歪めて不安を伝える。そんなエンダに視線を向けると、アルギンは不満そうにしつつも。


「仕方ねぇな」


 と、そこまではいつもの口調で。


「……今日の私をご覧になって、『偽物だ』と騒ぎ立てないでくださいませね」


 その場で一回転してお辞儀をするアルギン。直後のその声は、いつもとは全然違う澄んだ作り声。

 エンダが目を瞠る。その声と姿『だけ』は、深窓の令嬢と言っても過言では無かったからだ。


「……おーおー、お前みたいな野生児の偽物がいるなら是非お目にかかりたいものだぜ」

「まぁ、エンダ様ったら。それ以上仰るなら私、野生児らしくそのお召し物を剥いで換金してそのお金でお酒を頂きたいものですわよ?」

「それは野生児じゃない。追い剥ぎだアルギン」


 エンダのツッコミに「うふふ」と笑うアルギン。いつものアルギンを知っているエンダの腕に鳥肌が立った。しかし、なにぶん顔だけは良い。その性格さえ知らないままでいられたなら、もしかしたらエンダとしても一夜の過ちの候補に入れていたかも知れない。

 勿論エンダもアルギンの気持ちについては知っている。だから、そんな考えは無いけれど。


「でも、ま、文句言わず来てくれたのは正直有難い話だよ。さ、行ってきな御嬢様」


 エンダが深窓の令嬢にウインクを一回。それを淑女の微笑みを浮かべたアルギンが振り払う手の動きをする。

 『気が強い』を通り越したその孤児出身の令嬢は、自分がこんな格好をして華やかな場にいるという居心地の悪さを感じる心を落ち着かせながら、会場中心へと歩みを進めた。

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