第56話


 会場の中は、『華やか』という言葉では片付けられないものだった。


 豪奢な飾り付け。楽団の音楽が、歓談の邪魔をしない音量で密やかに聞こえる。

 立食形式で食事が並べられている一角には、他国からの賓客が揃っていた。その間を縫うように、粗相のないようにメイドが飲み物を渡して回っている。

 美しいドレスで着飾ったのは他国の王女や貴族令嬢か。多少華美とも思える礼服に身を包んだのは他国の王族か。若いその人物たちが、本当にこの国の王子や王女と結婚するのか。……それについてはアルギンにしてみれば異論はない。逆に、その結婚が帝国への牽制になって戦争への抑止力になってくれないかとも思っている。

 アルギンはメイドを控えさせ、自分の身一つでその中へと入っていった。

 目標としていたアールヴァリンは、予想済みだったが結婚候補らしい女性たちに囲まれている。


「アルギン」


 近付いてくる『花』隊長を見たアールヴァリンは、軽率にその名を呼んだ。

 ―――その瞬間、氷の矢のような何かが襲ってきたような感覚を感じる。その悪寒に負けず、アルギンが軽くドレスの裾を持ち上げた。


「アールヴァリン様、ご機嫌麗しゅう。この度は私にもお声を掛けていただき、身に余る光栄を感じております。これからも王子の行く末が明るいものでありますよう」

「……ありがとう。今日はささやかなものだが楽しんでくれ」


 アールヴァリンとしても、アルギンがこの場で楽しむことなど出来ないと知っている。二人にとって、その言葉は社交辞令でしかない。……しかし、周りがそう思っているかは、アルギンに向けられた氷の矢……の、ような視線が物語る。

 アールヴァリンを囲んでいた女性たちの、アルギンを見る瞳が冷たい。それもそうだ、目の前で『王子が公の場で気易く女の名前を呼んだ』のだから。

 しまった、という顔をアールヴァリンがする。それに気付かない振りで、アルギンがにこやかな笑顔を向ける。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、少しゆっくりさせていただきます」


 ゆっくりしたいというのも社交辞令だ。これから王と王妃にお目通りして、そのまま帰りたい気分だった。

 もう一度、アルギンが礼をする。氷の矢がアルギンを射殺さないうちに、早々に逃げるしか選択肢は無かった。




「大儀であったな、アルギン」

「は……」


 そして、会場の少し離れた場所で、椅子に座ってまるでアルギンが来るのを待っていたかのように、その姿が近付いてくると声を掛けた姿があった。

 メイドや警備を少し離し、「寄れ」と短く言うその人こそ、この国の国王であるガレイス・R・アルセンだった。そろそろ老齢と言われる年齢で、若い頃から大層な女好きで知られた人物だ。

 そして、顔をヴェールで隠し、その隣に添うように座っているのが、国王の後妻である王妃ミリアルテア。若くして亡くなった前王妃には現王との間に生まれた四人の王子・王女がいるが、それらにとって腹違いになる一番下の姫を産んでいる。


 ミリアルテアは謎が多い王妃だった。

 アルギンとしても記憶が朧げな十数年前のある日突然、王が「妃に迎える」と宣言した。何処の国の出身かも分からず、国民への御披露目の際にも頭髪ごと顔をヴェールで隠していた。ヴェールの中を見た者は、国王を含め僅かしかいない。

 年齢は国王より若いのだろう。声に張りがあり、国政にも無駄な口出しはしない。婚姻から十数年ともなれば、臣民にも信頼を抱くものが増えたようにアルギンは感じていた。


「ヴァリンへの挨拶が済んだなら、会場内でなら好きなように過ごして構わん。周りへの牽制の意味があったのでな」

「……牽制、と、申されますと」

「あの者に、他に女の影があると知ると候補者は競ってあの者の寵愛を欲するだろう? 競わせるだけの魅力がある男、としておきたいのだよ」

「……はぁ」


 失礼と分かっていながら、国王に生返事をする。女を焦りと嫉妬で炙って競わせるなんて、良い趣味をしているものだ。良い噛ませ犬にされたな、とアルギンが口に出さず思う。アルギンにとっても失礼な物言いだったが、国王は気にせず続けた。


「キリアへの同じような役目を『月』隊長にも言いつけたがな、まだこちらに顔を出していない。……出せ、と言った訳ではないが」

「……アールキリア様への婿殿候補に彼を推したのは、陛下の御考えでしたか」

「今すぐに嫁がせようとは思っていないが、熱心な候補は多い方が良いだろう?」


 良いけどその方法が良くねぇよ。

 国王に毒づくことも出来ず、無言でアルギンが頭を垂れる。


「『花』」


 踵を返そうと思ったその時、王妃から声を掛けられた。戻ることも出来なくなり、その場に立ち尽くすアルギン。


「『月』は、出ているか」

「は……?」


 その言葉に、視線が行ったのは窓の先だ。空は曇天、雪が降っている。月なんて見えそうになかった。

 訝し気なアルギンの様子に、まるで鈴を転がすような音色で王妃が笑う。


「そちらの『月』ではない。隊長の方の『月』である」

「あ……、は、はぁ」


 今度は恥ずかしさと動揺の混じった生返事。そんな事、お付きの誰かに確認させろ。そう思っていてもそれを直接言う事は出来ない。

 会場を振り返ったアルギンは、よく目を凝らしても彼の姿を見つけることが出来なかった。……決して地味ではない筈の彼の姿を見つけられず、アルギンは首を捻る。


「……私の見える範囲では、姿がありません」

「そうか」


 王妃は短く返した。しかし、間を置いてから、王妃が自分の指を組む。長く白い指には、二つだけ指輪が嵌められていた。一つは豪奢な、真紅の宝石が光る指輪。そしてもう一つは金色で細い、王妃がするには簡素過ぎるもの。


「乗り気でなかったやも知れぬな」

「……彼が、ですか?」

「あ奴は色恋に……いや、寧ろ『感情』というものに疎い。故に、今回の事についても参加を要請したが……、成程、あ奴にも『嫌がる』という事が出来ると見える」

「……あの、それは、どういう」


 王妃の遠回しな言い方に、アルギンが恐る恐る聞き返した。結局、彼はここに来ていないという事か。―――直々の命の筈なのに?

 どう聞いたらいいものか迷っている様子のアルギンに、王妃はヴェール下の笑った口を隠すように、手をヴェールの中に入れた。ちらりと見えた顔の肌は、とても白い。


「ふふ。……『花』。お主も、嫌だと思ったら断っても良かったのだが」

「……いえ、滅相もございません」

「まったく、お主が忠義者で嬉しいぞ。『月』は、そうさな。初めての職務怠慢なら許そう」

「………。」


 王と王妃に一礼した。そのまま、踵を返しその場を離れる。

 断る、なんてそんなことがアルギンに出来る訳が無かった。王妃だって、それを分かっている筈だった。

 アルギンの失敗はあの酒場、そしてエイスに咎めが行く。

 エイスの失敗はアルギンに咎めが向かう。……エイスはそんな失敗、今までしたことが無いけれど。

 互いが互いにとっての『人質』になっていた。だから、アルギンは王や王妃からの勅命を断ることが出来ない。……エイスはアルギンにとっての『帰る場所』だから。

 

 でも。

 アルギンの思考に一人の姿が浮かぶ。

 『帰りたい場所』が出来てしまった今、アルギンの心は揺らいでいた。

 彼を探しに行こうと決めた。アールヴァリンに断りを入れ、……ようとした。


「『花』……どうした」


 再びアールヴァリンの側に行ったとき、周囲の空気はアールヴァリンも勘づけるほどにギスギスしていた。恐らくは、周囲の賓客たちによって。

 アールヴァリンは次期国王だ。それにアルセン国自体は財政が困窮している訳でもなく、帝国と戦争状態にあるという事さえ除けば優良物件だ。帝国自体は近隣国どこにでも戦争を吹っ掛けるので、それに困っている国の王女や貴族が来ているという所もあるが。


「アールヴァリン様、私はそろそろ失礼させて頂きます」

「もう、か?」


 アールヴァリンの声には残念な色が混じっていた。その声に気付かない妃候補たちではない。アルギンを一斉に見ると凄い顔で睨み付けてくる。その勢いにアルギンが僅か気圧された。

 アルギンがする程度の会話でも、見る者が見たら不快感を覚えるらしい。結婚相手を探している売り出し中の優良物件に手垢さえつけたくないのだろう。


「……いや、すまない。まだ用があるのだな」

「はい、ですので、これで―――」


 裾を摘まんで一礼、その時。

 アルギンのドレスに何かの液体が勢いよく掛かる。

 その瞬間に冷たさを感じて眉を顰めた。アルコール臭が一拍遅れで鼻腔に届く。


「……あら、御免あそばせ」


 声の方を見てみると、不快を顔全体で表現したような、滑稽ささえ感じさせるような表情で、空のグラスをアルギンに向けている一人の女が立っていた。それは、帝国と現在進行中で戦争をしている王国の貴族子女ではなかったか。彼女が着ている薄青のドレスは、アルギンの物と違いどこかくすんだ色。その国の経済状況を思い出し、アルギンが心中で納得する。

 アルギンの薄青のドレスに、赤い色をしたワインが掛かっていた。酒好きのアルギンさえも滅多に飲むことがない高いワインに、勿体なさを先に感じる。


「……お構いなく」


 どうせ二度と着る事もない衣装だ。アルギンはその子女に平静を装った落ち着いた声で言い、そちらにも一礼。

 アルギンにも分かっていた。彼女がこんな暴挙に出たのは、恐らく嫉妬だ。狙う男に対して親し気に話す女がいるのは、誰だって嫌だろう。―――恐らくそれは、アルギン自身も。

 子女は動じないアルギンに怯んだ様子で、それでも謝罪など改めて口にはしなかった。

 アールヴァリンに、視線で『この女は止めとけ』と送ると、彼も理解したかのように頷いた。




 会場から白ワインが入ったグラスを拝借し、控えさせていたメイドに上着を取りに行かせ、一枚羽織った状態で城内を歩いた。濡れたドレスは冷たいが、これを着るのが最後だと思うと少しだけ名残惜しかった。高かったし。

 メイド二人はアルギン以上に憤慨している。


「本当、何なんですかあの女!!」

「小国の貴族程度がアルギン様のお召し物を汚すなんて!!」

「おいおい、それ言ったらアタシ孤児出身だから。……ま、いい夢は見れたから良いよ」


 赤ワインの染みは肩から腰までしっかりついている。それを隠すように毛皮を着ているのだが、こんなものアタシ持ってたかな……と、アルギンが首を傾げる。しかしそれのおかげで温かかった。後から知ったのだが、その毛皮はソルビットから渡された物だったらしい。後日、礼と称してソルビットからまた酒場で奢れと言われた。

 グラスの中の白ワインを歩きながらゆっくり飲み、濡れた寒さを忘れるように、長い廊下を歩く。

 警邏している兵と擦れ違っても良いものだが、丁度時間が合わないのか誰とも出くわさずテラス前の廊下まで来た。硝子張りのその場所から、雪によって白く染まったテラスが見える。


「……まだ、雪止まねぇんだな」

「積もりましたね」


 テラスにも雪が積もっていた。明日は雪かきと来賓の帰還準備で忙しいかもしれない。……尤も、アルギンはそれをする立場にない。それを指示する立場だ。


「ちょっと雪だるま作りたいな」


 もう、このドレスでは誰の所へも行けない。

 さっきまでいた会場に戻る事も、……会場に姿を見せない彼を探すことも。


「え、今からですか?」

「どうせアタシはもう帰って寝るだけだから。良いだろ?」

「で、ですが私達はまだ会場の片づけなどがありますし……」


 そう言われて気付いた。メイドの二人は今、仕事中だ。

 ちぇー、とアルギンは唇を尖らせて、テラスに続く扉を開く。


「アタシはちょっと遊んで帰るから、二人はもう戻って良いぞ」

「アルギン様!? そんな、お酒飲んで外にだなんて!」

「お風邪を召されます! そうでなくとも、凍死もあり得るんですよ!?」

「こんな酒一杯で凍死するような駄目騎士に見える? ……ああ頷くな悲しくなる。アタシが大丈夫か一時間後くらいに見に来ればいいだろ」


 二人が引き留めるのを聞かず、テラスの扉から体を滑り込ませた。扉の向こうで困った様子の二人が見えたが、やがて諦めたのか二人は仕事に戻っていった。


「さ、む!」


 ……二人を見送ってから、その寒さに体が震える。二人がいる間だと、寒い素振りを見せれば連れ戻されそうだったからだ。

 雪の降る気温だ。とても寒い。ワインで濡れた箇所から冷えが入り込んでくる感覚になって、思わず毛皮を着込みなおす。

 足元も多少防寒が出来る……程度の厚さの布地で出来たヒールだったので、雪を踏むそこから冷えてくる。思わず持っている白ワインを一気飲みして、アルコールの力を借りて体に熱を持たせてみるも、その白ワインがもう冷たくて、飲み終わると同時体が震えた。思わずグラスを落とすが、それは雪がクッションのようになり、割れたりはしなかった。


「て、て、てぶくろ……、欲しい……。クソ、寒いな本当!」


 既に断念しかけている雪だるま作りへの未練。雪に手を差し込むだけで無理だった。

 自分の肩を抱くようにして、その寒さに震えている。毛皮だけでは耐えるのも難しい。


 アルギンは震えて気付かなかったが、その時廊下には人影があった。

 その人影がテラスへの扉を開いてから、漸くアルギンが気付くことになる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る