第52話

 噂話というものはどんな時代、どんな環境でもいい加減なものだ。


「アルギン様が意中のあの方に担がれて帰ってきたぞ!」


 が


「アルギン様が意中のあの方と一緒に帰ってきたらしいぞ!」


 になり


「アルギン様があの方と仲睦まじく帰ってきたそうだぞ!」


 から


「アルギン様とあの方が朝帰り!!?」


 になった。


 人の口に戸は立てられないとはよく言うが、アルギンは軽い口の部下全員、他の隊の噂好きも含めて纏めて伸して干して乾物にでもしたい気分だった。

 非番だというのに、何処にいても居心地が悪い。結局今日は休みなのに、私服のまま隊舎から城の中に与えられた『花』の執務室に向かってしまった。その途中、すれ違う兵や騎士全員から生暖かい視線を送られた気がする。執務室には先に執務室に入っていたソルビットがいて


「よっ、処女喪失おめでとう!!」


 と、悪趣味な冗談をかましてきたので、手に持っていた書類の束を纏めて丸めて遠慮なく殴った。

 殴られたソルビットも底意地の悪い笑顔を浮かべている。その笑みへ向けるアルギンの瞳がとても冷たい。


「アタシはまだ純潔だ」

「およ? 据え膳食らわなかったのあの男? ホモ?」

「貴様は本当にその副隊長の座ァ誰かに譲る気なのか」


 どっかりと自分の執務机の椅子に座る。殉職した前任の『花』隊長からそのまま使っている机と椅子は、アルギンの背丈には少し大きい。

 形だけはそれっぽく、机の側に控えて副隊長然とした空気を醸し出しているソルビット。

 机の上には各所から回ってきた書類がもう置いてあった。持参した書類もその上に置いて、仕事をする体裁が出来上がった。……しかし気分が乗る訳でもなく。


「いやん、あたしなりに気を遣ってるの。折角『わたしをた・べ・て』状態のたいちょーが、綺麗なカラダのまま帰って来たとか……ちょっと……ねぇ………」

「化けの皮剥がれかけてんぞ。マジ声やめろ。……別に、兄さんとこの酒場で、入る時間がズレたが隣同士で飲んできただけだ。誰かが期待しているような事も一切無い。あんまり失礼な事をあの人に言うんじゃない」

「……期待、っつーか……。人の恋路の行方なんてものは期待してもバチ当たらねぇっすからね。言っときますが、たいちょーってあの人の前じゃ態度違うからバレバレっすよ」

「うるせぇ!!! 人が気にしていること言うんじゃねぇ!!!」


 結局仕事なんて出来る訳がない。アルギンは直ぐ机に突っ伏して、書類なんて目も通さないで、そのまま目を瞑る。寝る気はないようだが、低い声で呻き続けて。


「ま、でも、たいちょー。もうちょっと焦ったほうがいいと思いますよ」

「……うるさい。歳の話ならアタシだって分かってるよ」

「違います違います。アールキリア姫の話っすよ」


 ソルビットの口から出たその名前に、アルギンが薄く目を開いた。

 アールキリア。それはアールヴァリンの妹にして第一王女の名前だ。まだ成人はしていないが、気品もあり賢く誇り高い―――悪く言うものは『女狐』という程の智謀の持ち主。


「王様、アールヴァリンの成人祝いにかこつけて、姫の結婚相手も探してるらしいっす」

「……結婚相手? まぁ、そうか。そういう年齢だもんな。今年で十七歳か?」

「そんな悠長に構えてていいのかなー。王様は、各国から呼んだ招待客の他に、『月』隊長も候補に入れてるそうっすよ」


 途端、アルギンが立ち上がる。


「―――嘘だろ」

「あたしを何だと思ってんすか、たいちょ? あなた専用の諜報員っすよ」

「……嘘、だろ?」

「信じてないっすね、たいちょ。アールヴァリンにでも聞いてごらんなさい。苦い顔して教えてくれるでしょうよ」


 同僚の王子の名前を出す辺り、嘘や出任せでもなさそうだ。と、なると―――。アルギンの顔から血の気が引く。

 第一王女のものになる? 彼を想っていても、自分の口からはっきりと伝えたことは無かった。……姫の婿に、なんて、それはきっと、この国ではこれ以上を望めないほどの出世。王国の姫とその国の騎士の婚姻なんて、吟遊詩人はこぞって曲を書きたがるだろう。

 ……そしてもし、それが現実のものとなったら。

 騎士隊長を務めるアルギンはそれを祝わなければならない。自分が一番想う人の隣で、一番綺麗な姿をしている姫の婚姻を。


「それでぇ、もう一つ面白い話を聞いてきたっすけど……たいちょ? たーいちょー?」

「悪ぃ」


 頭の中が真っ白だ。別にあの二人が今すぐ結婚する訳でないのに、世界の半分が滅んでしまったかのような感覚。書類も仕事も放っておいて、アルギンが扉に向かう。

 そんなアルギンを、ソルビットが引き留める。青い顔をしているアルギンの腕に抱き着き、けれどその表情はいつものような意地の悪いものでは無かった。


「……ソルビット、本当に悪い。アタシは今日は駄目だ、非番だ」

「そんな事言って。……あと一個の方が重要な話なんすよ」

「……重要?」


 扉に掛けた、アルギンの手がその言葉で止まる。


「……アールヴァリンのお披露目っすから、次期国王の妃探しも兼ねてるっす。―――その候補に、たいちょーも含まれてるそうっすよ」

「―――……は?」

「勿論、候補が何人もいる中での一人っす。たいちょーが選ばれる可能性なんて皆無に等しいっすけど……当日は警備じゃなくて、妃候補として会場にいなきゃいけないっす」


 少し苦い顔をしているソルビットからの言葉に、再度思考が凍り付く。

 アルギンにとって、アールヴァリンは『他部隊の副隊長』という認識しかなく、最近に至っては王子であるという事そのものを忘れかけていた。それ程に、彼は騎士として立派な男だったからだ。しかし年齢はアルギンを上にしてそこそこ離れている。お世辞にも似合いの二人、とは言えない程に。

 妃候補に選ばれたことは名誉に感じている。しかし、それ以上の感情は湧いてこない。嬉しくはあるが、同じくらい厄介だと思った。華やかな場所に未だ慣れていないのだ。その上、先代の『花』隊長が殉職してからは式典などは殆ど無かった。


「……アタシが候補だなんて、何かの間違いだろ」

「そう思うんならアールヴァリンに聞いてみるといいっすよ」

「妃候補だなんてそんなの、アタシの柄じゃない」

「柄だろうが柄じゃなかろうが、拒否権は無いっす」


 それが、一番の問題だった。

 騎士である以上、それが望もうが望まざろうが国の決定に逆らえはしない。多少意は汲んでくれるだろうが、それが国の根幹に関わる事なら拒否も出来はしない。


 想い人の顔が、瞼にちらついた。


「……嫌だ」

「たいちょ」

「アタシは、……あの人が結婚なんて、嫌だ」


 自分はアールヴァリンにとっては恐らく候補止まりで、彼には他に相応しい相手が見つかると信じている。

 けれど『月』隊長はお似合いで、美男美女で、地位も確立出来て。そんな二人を、これから先どんな時でも見なければならない。式典の最中で。城の中で。そして本当にそうなったら自分は、この恋心をいつまで待てば消し去ることが出来るのだろう。


「今までそれらしい態度も取って来なかったのに、何今更言ってんすか」


 ソルビットの尤もな指摘に、更に心に痛手を食らうアルギン。


「男なんてものは目の前ですっぽんぽんになって寝床に誘えば大体は落ちるんっすから、あの鉄面皮の前で服脱げばいいんすyゴフぅ!!」

「あの人を侮辱すんなって何回言えばわかるんだゴラァ!!」


 アルギンの華麗な左拳がソルビットに炸裂。ソルビットは回転しながら床に倒れた。

 しかしそれにもめげないソルビット。急に立ち上がったと思いきや、アルギンの手を引いて扉を開いた。突然の事で、つんのめりながら付いていくアルギン。


「ちょ!?」

「たいちょーって、いつもそうっすよね! 普段はあたしと同じかそれ以上に大雑把なのに、あの『月』にだけそんな大人しくて意気地なくて!!」

「そ、そんな事ないぞ!?」

「どこがっすか! いちいち見てたら苛々するんすよこっちも!!」


 ソルビットの怒号がこだまする。あれよあれよという間にソルビットはずんずん先に進んで、いつの間にか『月』執務室前まで来てしまった。

 この周辺に来るのにも、普段のアルギンは緊張して一時間くらいは調子を整えないと足を運べない場所だ。今頑張って深呼吸しているアルギンだが、もうするだけ無駄だろう。


「今から告って来ると良いっす、たいちょ」

「……はぁ!!?」

「あなたがすきなのーめろめろきゅん! とか適当にそれっぽい事言ってれば通じるっすよ」

「頭の病気だって思われるだけだって馬鹿!!」


 ガンガンガン!!

 ソルビットが不躾なまでに大きな音を立てて扉を叩く。焦げ茶色の扉は、中の者の返答を待たずしてソルビットの手により開かれた。

 中にいたのはフュンフ・ツェーンと『月』隊長。若干驚いたような顔をしていたのは、二人が来るのが予想外だったからか。


「……ソル、お前はどうしてこうも騒がしいのだ」

「よう兄貴。ちょっと面貸せ」


 ソルビットがフュンフを兄と呼んだ。二人は血の繋がった兄妹だ。―――半分は。

 フュンフがソルビットの側に来た時、ソルビットは躊躇わずアルギンの手を引き、投げるように床に転がした。


「痛っ……! おい、ソルビット!! 何のつもりで」

「ちょっと今からここ密室にするんで!!」

「は!!?」


 そう言うや否や、ソルビットはフュンフを連れて外に出た。すかさずアルギンがそれを追うも、惜しい事にアルギンの目の前で扉は閉まってしまった。


「ソルビット!! 冗談にしても限度があるぞ!」


 扉を何度殴っても、そこが開く気配がない。執務室の外では、騒ぎを聞きつけた者達が集まってきている声がする。

 部屋の中の空気が気まずい。恐る恐るアルギンが振り返ると、『彼』は何をするでもなく、ただいつも通りの表情を浮かべたままアルギンと扉を見ていた。

 やがて『月』が立ち上がる。足音もしない程に静かに歩いた彼は、閉じられたままの扉に触れた。


「―――汝等、何か要望でもあるのかえ」


 それは扉向こうに投げられた声。隣に並んでいるアルギンは、『隣にいる』というだけで顔が熱くなるのを止められなかった。例え戦場では平気でも、こんな平時に感じる相手の気配は、とても苦手で、とても心地良い。


「ちょっとうちの意気地無しなたいちょーの話を聞いてやってくださいよ、『月』隊長」


 『月』の声に、ソルビットの声で返答が来た。しかし。


「それか、ウチのたいちょーと一発ヤってくれたらココ開けますよ!!」


 そんな不埒な声が聞こえて、アルギンが激しく扉を鳴らす。顔は既に真っ赤だ。

 壊れるのは、扉よりもアルギンの拳の方が先だろう。込め過ぎた力のせいで、アルギンの拳には既に血の赤色が散見出来た。『月』隊長はそんなアルギンの拳を、横から掠め取るように握る。


「っ―――」

「もう、止めておけ」


 体温が直に伝わる。昨日担がれた時とは違い、直に手の温度を感じることになったアルギン。

 自分の掌より大きいそれに包み込まれるように握られ、全身の力が抜けていく。へなへなとその場に座り込んで、アルギンが真っ赤なまま動けなくなった。


「このような巫山戯た真似、後から軍法会議に掛けねばならぬであろうな」

「……ご、ごめん……アタシの、部下が」

「何故謝る? この騒ぎは汝のせいであるのか?」

「違う、……けど……こんな、迷惑掛けて」


 途切れ途切れのアルギンの言葉は、こんな状態でも彼に反応して緊張してしまうせい。あまりに心臓が跳ねすぎて痛くて、そっと彼の手から手を離してしまう。

 内出血が出来たその手は痛くて、でも彼の体温を覚えている。受け取った仄かな熱が、痛みとは別に甘く疼いている気さえして。


「……我は執務中にして。フュンフが戻らぬと執務が進まん」

「私ならこちらに控えております」


 扉向こうでフュンフの声がする。こんな状態でも平然とした声だ。


「我が愚妹が申し訳ありません。―――ただ、隊長。貴方にも暫し付き合って頂きたい」

「何故だ?」

「貴方とて分かっておられるでしょう。『貴方の気持ち』を」

「………」


 彼は、それ以上何も言わなかった。

 無言のまま目が合う『花』と『月』の隊長。

 目線を合わせるため、『月』が『花』の側で膝まづいた。


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