第45話


 ……四番街の空き家で怒号が飛ぶ。


「ったくお前らに幾ら払ってると思ってるんだカス共が!!」


 怒号の主は、自警団の手配書に描かれている似顔絵によく似た顔をしている。その人物は奴隷商として懸賞金まで掛けられていた。奴隷商として活動するときはウバライ・ゴーンという名前があるが、それは偽名の一つに過ぎず実名など忘れて久しかった。

 加齢によって色素の落ちた髪と、目立つ傷がある顔。無駄のない鍛えられた筋肉のついた体、それを隠す黒と白を基調とした外套。恐らくはそれらのせいで、一般の世に紛れて生きることは困難だろう。手配書のせいもあり、日光の下で活動するのは恐らく無理だ。だからこんな空き家に潜伏しているのだが。

 空き家には、怒号の主含めて六人ほどの人影。どれも真っ当な生き方をしていない人相をしている。


「今日が一番狙い目だったろうに、今日失敗していつ成功すんだよ! 聞けば女共に大分蹴散らされてんじゃねぇかよ!! 恥ずかしくねぇのか女にやられて!!」

「ですがボス、女って言っても相手は元騎士って話ですぜ」

「それがどうした、引退した隠居ババアだろうが! 日和ったこと言ってんじゃねぇぞコラァ!!」

「ババア!? とんでもねぇ、アレはババアじゃなかったっす!」


 叱責に必死に弁解しているのは、今日の襲撃の残党らしい。それなり手傷を負っているのは、今日の襲撃の結果か。その弁解も、怒号の主の更なる怒りを買うだけなのだが。


「ババアだろうがババアじゃなかろうが騎士を辞めた酒場の女だろう! ただの一般人に何負けてんだ!!」


 破壊音。怒りに任せて蹴飛ばしたテーブルの脚が折れる。その音は激しく、外にも聞こえるほどだ。


「いいか、もうこんな街にゃ居られねぇ! 今からでももう一回襲ってアイツだけでも―――」

「―――アイツってのは」


 その時、空き家の扉が開いた。


「この子の事かい、オッサンよ」


 扉の側に立つ姿は二人。

 マスター・アルギンとスカイだ。


「……!! お前」

「ババアで悪かったな。生憎騎士を辞めたのは、年齢のせいじゃ無いんだがな」

「……俺の『商品』をわざわざ運んでくれるなんてな。外にいた奴等はどうした」

「外ぉ? それって」


 アルギンが地面から大きなものを拾い上げるようにして、建物内の床に投げる。その足元に転がるのは、簀巻きにされた男。

 室内の男共がざわついた。


「コイツのこと?」


 室内の蝋燭の僅かな光が、口許で弧を描くアルギンの顔を照らす。同時、室内の全員が手に武器を構えた。

 剣呑な雰囲気に、スカイが身を竦める。その肩をアルギンが抱いて、笑顔で室内の人間たちに吐き捨てた。


「じょーーーーだん!! アタシらの可愛いスカイを、汚ぇオッサン共にくれてやる訳ねぇだろ!!」

「―――テメェ」

「欲しけりゃ力尽くで来な! アタシらに勝てるつもりならな!!」


 アルギンが大声でそう言うと、頭に血が上った下っ端らしい二人がアルギンに向かって走り出した。


「女だからって手加減すると思うな!」

「お前も『商品』にしてやんよ!!」


 それを見越していたアルギンが、スカイを連れて扉から離れ外に出る。その下っ端が扉を潜り抜けた瞬間


「そぉ」

「れっ!」


 声を合わせたのは、オルキデとマゼンタの姉妹だった。

 扉の側に潜んでいた二人が、用意していた長物の鈍器で下っ端の背後から殴りかかる。頭は狙わず、肩と足。一撃では仕留められないので、振り抜きざまに更に二人がもう一撃。それはとても素人とは思えない動きで。


「っぎ、いっ!!」

「がはっ……!?」


 下っ端二人が、それで地に沈んだ。即座に姉妹とユイルアルト、ジャスミンが捕縛にかかる。ユイルアルトとジャスミンが何かの薬品を布に付けて嗅がせると、男二人はそれから動かなくなった。それから用意していた縄で、腕と足と首を適当に、しかし強めに結んで転がす。

 空き家内部の人員が減った喜びを声に出さず笑みにだけ浮かばせながら、再度アルギンが建物内に近付いた。その後ろには、スカイとアクエリアやカリオン、ゾデルが続く。

 

「……一人じゃねえのは分かっていたが、そこまでゾロゾロ引き連れてるとは思わなかったぜ」

「そう? アタシみたいなか弱い女が、わざわざこんな四番街くんだりまで足を運ぶんだぜ? そりゃ味方も連れてくるってもんだろ」

「か弱い? 元騎士なんだろ、寝言言って貰っちゃ困るな」

「そこまで知ってんなら、アタシを敵に回すとどうなるかも知ってて欲しかったところだなぁ?」


 スカイを一番後ろに位置付けながら、狭いが遮蔽物の少ない建物内に五人が入っていく。

 敵は四人。建物内の戦力差は左程変わらない。しかし外にまだいる酒場陣営の数を考えれば、奴隷商達の不利は確定していた。


「……この狭い中、一戦やろうってか?」

「狭くても広くても、お前達がしょっ引かれるのは変わらねぇよ。今のうちに故郷の母親にでも手紙書いたらどうだい」

「……俺達をおちょくるのも大概にして貰おうか」

「んだと? こっちは大事な酒場壊されてんだよカス!!」


 アルギンの怒りが爆発した。その怒声に吊られたのか、角材を持った男がこちらに向けて殴りかかって来る。狙いはアルギン。


「アルギンさん!!」


 それを庇うように前に出たのはカリオンだった。服の下に仕込んでいた両腕の手甲で、角材が振り下ろされるのを受け止める。鈍い音がしたが、ダメージは殆ど無い。

 次に走ったのはゾデルだった。所持していた短剣で相手へ逆袈裟に振り上げる。服が破れ赤い血が舞った。怯んだ相手の腹部を蹴り飛ばすと、その体は後ろ向きに倒れる。


「大丈夫ですか、隊長」


 ゾデルがカリオンに向き直る。


「……ああ、大事無い」


 その隊長呼びに、二人の『騎士』という立場以外を知らないアクエリアが二人の様子を少しだけ気にしている。アルギンとの知己だ、只者ではないのだろうと知っていても、話されていない背景が引っかかる。

 しかし今は聞いている暇がない。今度は向こう側の二人が襲い掛かってきた。しかも手には刃物を持っている。狙いはアルギンとゾデルのようだ。


「下がれ」


 カリオンの言葉がゾデルに掛けられた。一瞬の後に、抜刀。

 アクエリアもアルギンを狙っているらしい相手に掌を向ける。この距離だと、決着は一瞬だ。


「『落とせ』!」

「破っ!!」


 声は同時だった。

 アクエリアが狙った男には雷が。

 カリオンは一閃を。

 二つの光が閃いて、ほぼ同時に二人の男が床に沈んだ。


「……まだやるか? 今降伏するならまだ罪は軽くなるかもよ?」

「とんだ女狐がいたもんだ。この状態からそんな事よく言えたもんだな」


 向こうは残り二人。もう勝負はついたようなものだ。それでも、まだ抵抗するつもりのような男の様子にアルギンの眉が寄る。


「女狐結構、言われ慣れてるモンでな。それより、自分の身を心配したほうがいいんじゃ―――」


 アルギンが一歩を踏み出した瞬間だった。


「きゃあぁっ!!」


 外から、誰かの声がした。


「イル!?」


 アルギンには、それがユイルアルトの声だと分かった。外が何やら騒がしい。すぐさま外へ向かったのはカリオンとゾデルだった。空き家を飛び出して、外の四人の元へ向かう。


「俺達に他に仲間がいないとでも思ったか? 女狐さんよ」

「……思ってない訳は無いだろ、他の所に詰めさせてるって話は聞いてたぜ」


 男二人がじりじりと距離を詰めてきた。スカイが更に後ろに下がろうとするが、アクエリアがその手を引いて留まらせた。それ以上後ろに行ってしまえば、建物の外だ。外に出るのは今は危ない。

 アルギンが黙って男を睨む。この暗がりの中、その視線が意味を持って届いているかは分からないが。


「人数も減ったことだ、決着付けようぜ」

「上等だ、女狐。そこのガキと一緒に檻で飼ってやろうか、買い手が見つかるまでな!」


 その言葉と同時、二人が走ってくる。それを見越していたアルギンが、彫りが豪奢な短刀を鞘から抜いた。美しい銀色の光が、その短刀から発されているようだ。

 アクエリアも先程と同じように、掌を男たちに向けて開く。一撃、雷が落ちたが―――


「効くか!」


 その雷は男に当たらずに逸れて行った。男が距離を詰めるのが早く、アクエリアはスカイを引き寄せながら躱すので精一杯で二撃目に繋げなかった。

 アルギンは首魁と斬り合っている。男の武器は、アルギンの物より少しだけ長い細剣。狭い室内だ、切るより突く動きでアルギンの体を狙っている。それを短剣を使って狙いを逸らす様に避けているアルギン。

 

「魔除けでも持ってるんですかね……!」


 アクエリアはアクエリアで、魔法を避けられたのは想定外だったようだ。それでも敵からの攻撃はスカイを連れているとはいえ何とか躱していられる状態だ。スカイは回避のための不規則なアクエリアの動きに付いていくだけで精一杯だが、何回かアクエリアの動きを真似するうちに動き方を習得しているようだった。

 その内にアクエリアが、倒れた敵の懐から武器を回収する。手に出来たのはアルギンの物と同じくらいの長さの短剣。鞘を引き抜いて、スカイを背中で庇いながら構える。


「スカイ、指示したら俺から離れてください」

「え、アクエリアさん、何を」

「巻き込むかも知れませんから。今更聞くのは野暮ですよ、スカイ」


 アクエリアが唇に指をあてて、『しー』のポーズを取る。そのすぐ後、アクエリアは顔の前で両手を打ち付けた。同時、髪の色も長さも、肌の色さえも変わる。濃い灰色の長い髪がさらりと流れる。

 アクエリアのその口から流れるのは、やはりスカイには聞き取れない言語。それは精霊にのみ理解できる言葉なのかもしれない。薄い唇から発せられる、彼の声。

 スカイが個として好いたアクエリア。例え見た目が変わろうが気持ちは変わらない。しかし今の姿のアクエリアには、畏怖に似たような何かを感じるのも確かだ。


「―――雷で避けられるなら、こっちは如何ですか」


 その顔が笑っているように見えたのも、きっと気のせい。

 スカイはそう、心の中で自分に言い聞かせた。そしてアクエリアが手を軽く上に挙げた時、スカイが部屋の隅に避難した。


 スカイの目の前で風が舞う。それは男に向けてのものではあったが、部屋中に吹き荒れる暴風。アルギンと首魁の動きも止まるほどの風に、アルギンが思わず首魁の隙をついて部屋の隅に退避する。

 数少ない家具も動くほど。その家具は部屋中を風の動きに任せて動き回り


「なっ、う、うわああああああぁあ!!?」


 それは中心に集約する。

 家具が一斉に男に襲い掛かった。鈍い音が連続して聞こえる。痛々しさに顔を覆いたくなるような光景がスカイの眼前に広がっている。やがて男は力なく倒れた。その光景を、首魁の男も見ていた。


「……そ、んな………。ダークエルフまで居やがるのかよ、この国は……!」

「珍しいですか。俺達を乱獲する国までありますもんね。アルセン王家様々ですよ、こっちとしては」

「アクエリア、いいのか? 今元に戻って」

「構いませんよ、どうせいつかは皆に知れる話です」


 スカイも過去の事を思い出していた。ダークエルフが邪悪の象徴と言うのは、前の『主人』が言っていた。

 部屋中に飾られた悪趣味な飾り。その中で、まるで生きているかのような精巧な彫像があった。それがダークエルフの像だと聞かされたあれは、いつの話だっただろうか?


「―――。」


 アクエリアの孤独をこれまで聞いてきたスカイには複雑な気分だ。理解者はアクエリアの側にいる。今も、ギルドマスターという形でこの場所にいる。二人が過ごした時間の長さは、今のスカイでは勝てはしない。

 小さな嫉妬だった。今、こうして何の力にもなれない自分をスカイは恨んでいた。誰よりアクエリアの力になりたいのに、誰より足手まといだった。

 そうして溜息を吐きながらスカイが部屋の中を見渡すと、二人が首魁ににじり寄る、その背後に影を見つけた。ゾデルが倒したはずの敵だ。今更起きだしてくる程度には忠義に溢れているらしい。その男は手に角材を持って、アルギンとアクエリアを狙っていた。


「アク、」


 名を呼ぼうとした。でも出来なかった。それは自分の中にある負い目。

 力になりたい。守りたい。自分を救ってくれた大切なアクエリア。

 こんな時でも、自分に出来ることは彼の名を呼ぶだけ。きっと、彼はそれでいいと笑っていってくれるだろうけど。


 咄嗟に胸元を開いた。

 服の下に隠れていたのは、首から下がった小さな巾着袋。

 これは、孤児院を発つときに施設長のフュンフから、こっそりと渡されていたものだった。アクエリアとフュンフが剣呑なやり取りをしたあの時だ。

 中にあったのは、空色をした種。思わず言葉を失いそうになる色をしていたが、見るのは二回目だ。これはあの日アクエリアと闘った後、フュンフがあの部屋へ訪れた時、新しい種子が床に散らばっていたらしい。


 ―――『ここへ戻る時、君の世界がより広がっていることを願っている』


 フュンフの言葉を思い出す。


 ええ、少しは広がっていると思います。

 でも僕は、広がった世界を感じながら生きるより、側にいたい人の力になって生きていきたい。


 種を口の中に入れて、がりりと噛んだ。

 それを飲み下した途端、スカイの体が熱くなってくるのを感じていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る