第44話
「夜襲、って……」
「そのままの意味。襲撃かけるの」
「いつ」
「今から」
「はぁ!?」
暁が素っ頓狂な声を上げる。自分の所の親玉がここまで無鉄砲なことを言い出すとは思っていなかったらしい。
アクエリアは無言で食事を続けている。アルギンの無鉄砲は初めてではなかったからだ。恐らくアルカネットがこの場にいたとしても、アクエリアと同じように食事の手を止めることはしなかっただろう。
スカイは床に落としたサンドイッチを拾って、それはオルキデによって回収された。
「オーナー、ちょっと考え直してくださいよ!」
「考え直せだぁ? こんなに店ボロボロにされて黙ってろってのか!」
「まだ向こうの拠点も割れてないですよ!?」
「それを探すのがお前さんの仕事だろ!? あのお人形は呼び名通り『お人形』って訳か暁!!」
「……ウチの可愛い人形を愚弄するのはいくらオーナーでも許しませんけどねぇ……」
アルギンの言葉に少なからず苛ついた様子の暁。地雷と分かっててアルギンが踏み抜いた様子だ。アルギンが不敵な笑みを浮かべて暁を指差す。
「今から一時間以内に人形総動員して拠点見つけてこい。大体の目星は付いてんだろ」
「……言われなくても、もう調べに出してます」
「お、流石アタシの参謀は優秀だねぇ」
「……今だけは褒めても何も出しませんよ」
不満そうにしながらも、誉め言葉には満更でもない様子。暁は不貞腐れた顔を繕いながら、自分の分の食事だけを手にして自室に引いていった。
残った全員が暁の背中を見ながら、恐らくは同じ疑問を胸に抱いていた。
「……あの」
「ん? 何だジャス」
「暁さんって、一体何をしている人なんです?」
その疑問を声に出したのはジャスミンしかいなかった。アルギンが数回ゆっくり頷いてから、「そうだね気になるね」と言った。それは『知っている』側の者の言い方だった。
「暁は、人形師だよ」
「それは、知ってます……。スピルリナと、ラドンナの制作者」
「それだけ知っていたら今は充分じゃないかな。知りすぎると面倒事に巻き込まれるぜ。アタシじゃ庇いきれない程度の面倒事にな」
その脅しにはジャスミンも黙った。アルギンの脅しは時折洒落にならない時があって、以前ジャスミンはそれで酷い目に遭った事がある。依頼されて用意した薬の使い道が気になった時のことだった。
当時の嫌な記憶を振り払うようにジャスミンが頭を振る。そんなジャスミンを無視して、アルギンは言葉を重ねた。
「暁は、一応このギルドの一員だ。それだけは確実なんだし、今不明な奴らの拠点を探してくれてるのも本当だ。今は待とう」
「もう討ち入り掛けるのは決定したような口振りなんですね」
「捕まえてふんじばってケツの毛毟り取るまでアタシは奴らを許さない」
「ケツ……」
こうなったアルギンはもう誰も止められない。理解している全員が溜息と同時に覚悟を決めた。
しかし同時に不安が過ぎる。このギルドが今抱える、武闘派の二人が欠員状態でそう上手く夜襲が成功するのか? と。特に不安が顔に出ているのはジャスミンだ。その心中が分かっているユイルアルトが、そっとジャスミンの掌を両手で握った。
「不安ですか、ジャス」
「……イルは、怖くないの?」
「ええ、怖いです。不安ですよ、貴女と同じで」
二人ともが抱いている不安は、酒場の店内を見れば誰もが思っただろう。椅子もテーブルもボロボロに壊されて、見るも無残で、それなのにそんな状況にした者達に武力で報復する。
しかしジャスミンとユイルアルトだって怒りは覚えていた。二人の部屋の植物も、半数が植木鉢を叩き割られていた。なんとか植え替えをして、殆どの植物は無事で済んだのだが。
ジャスミンの心を見透かしたようなユイルアルトの言葉に、ジャスミンは気恥ずかしそうに俯いた。
「でも、私の大事な子たちが殺されてしまった」
ユイルアルトが、静かな怒りを湛えて呟く。
無事じゃなかった植物があった。小さな芽が出たばかりの植木鉢を割られ、根を踏みつけられた植物は手の施しようがなかった。それはユイルアルトがリシューから貰ったばかりだという種から出た芽だった。
大事に大切に育てていたものを駄目にされる、その怒りは今は何よりユイルアルトが分かっている。ユイルアルトはジャスミンと違い、夜襲に大賛成だ。
「リシュー先生から折角頂いたものなのに……。新しい薬があの子で作れたのに……」
その怒りに気付いたジャスミンは、これはもう引き留められないと察した。武器を扱ったことのないユイルアルトなのに、夜襲を掛けた先はどうするんだろうと全員が思ってはいたが。
そんな時、スカイが誰もいない後方を向いて目を瞬かせている。
「……どうかしましたか、スカイ」
「い、いえ」
その様子が気になったアクエリアが問い掛けるが、スカイは首を振る。スカイは一点を見ていたようだった。アクエリアはそれを特に気にするでもなく、また前を見た。
「アタシは一人でも夜襲掛けるけど! 誰か一緒に行く奴居ないの?」
アルギンが声を上げると、一番に手を挙げたのはユイルアルトだった。それからオルキデ、マゼンタが順に挙手していく。
おずおずと手を挙げたのはジャスミンだ。その後、スカイが手を挙げる。
「スカイ!?」
アクエリアは驚いた。
「……僕が一緒に行けば、向こうは僕に気を取られて隙が出来る気がします」
「駄目です、そんなの!」
アクエリアよりも先に声を荒げたのはユイルアルトだった。自分が怒っていても理性は働いているらしい。ユイルアルトはスカイの側に来てまで、その決心を止めさせようとしていた。
「貴方が行っても、危険が増すだけです」
「でも、僕だけ大人しくしているなんて出来ません! アクエリアさんも行ってしまうんでしょう!?」
「え」
ここでアクエリアの隠れた本音が出た。少なくとも一人は酒場に残らねばならないだろうから、その役は自分が……と思っていた気持ちが僅か一文字の声として漏れる。
「そりゃ、アクエリアも戦闘に加わって貰わないと勝ち目はかなり厳しいしな」
「え」
勝手に戦闘員に加えられていたことにまた声が漏れる。確かに戦えるが。いやその前にこのマスター勝つ気だ。
「だったら、僕はアクエリアさんの側にいたいです。僕だって、守って貰ってばかりは嫌です!」
「……って言ってもなぁ。どうする?」
「連れて行っても大丈夫でしょう、私たちがいます」
「え」
オルキデがあっさりゴーサインを出したことにアクエリアが一番驚いた。
「私達もプロフェス・ヒュムネです。どちらにせよ、プロフェス・ヒュムネとして生きるなら『相応』の生き方を学ばねばいけません。いつまた狙われてもおかしくないのですから」
「誰かと生きようとするなら、特に、です」
「……お二人がそう仰るなら、仕方ないですね」
オルキデとマゼンタが賛成の意思を示した。ジャスミンは折れた様子だ。種族の話をされると、ヒューマンとして生きてきたジャスミンには言う言葉がないらしい。
「で、でも酒場には誰か残らないといけないのでは? また襲撃が来ないとも限りませんし、何なら物盗りが来るかも」
「ああ、そこは騎士連中に頼んでる。もうすぐ何人か来るから、そいつらの中からも夜襲に引っ張っていこう」
「……えー………」
アクエリアが、戦闘に駆り出されることが決定して憂いを隠しきれずにいると、スカイがまた後ろを向いた。
「本当ですか?」
「……?」
スカイが誰かと話している。とても自然な様子で不自然に空気に向かって会話を続けていた。さっきも向いていた後方だ。アクエリアが少し血の気を引かせたが、意を決して聞いてみる。
「……スカイ? 何を言っているんです?」
「え?」
スカイが疑問符を最大に押し出した表情でアクエリアを見た。数名を除いたメンバーが不思議そうにしている中、特に気まずそうにしているのはユイルアルトだ。
「………この人が、『私は残ってるから大丈夫よ』……と」
何もない宙を指さして、スカイが言った。
途端、『見えていない』全員の肌が粟立つ。
「だ、大丈夫です! そこにいるのはリシュー先生です!!」
「何が大丈夫だ! びっくりすんだろ婆ちゃん急に話に話に入ってくんなよ!! いや話は婆ちゃんがした訳じゃないか!!」
「……プロフェス・ヒュムネは霊感が高い者が多いそうですから」
「ってことはオルキデもマゼンタも見えてんの!?」
「ええ!? それならそうと言ってくださいオルキデさんマゼンタさん!!」
またも酒場内が喧々囂々とし始めたが、スカイは何のことかさっぱり分かっていない様子だ。スカイの視線の先にいる老婆は、申し訳なさそうに笑いながらスカイに手を振っていた。
「と、とにかく、今は暁だ! 暁が場所特定しない事には」
「もう終わりましたよ」
「暁!!」
アルギンには見えないものの話でプチパニックになっていたアルギンの言葉に重ねるように、暁が肩を解しながら二階から降りてきた。暁は騒動にさほど興味も無さそうに、カウンターの開いている場所に地図を広げる。
「四番街の、ここでした」
「ここって……、ああ、川沿いの。今は空き家になってるトコだな」
「結構狭めの家じゃなかったですか? 今日の襲撃の時みたいな人数は入らないと思うんですけど……」
「ゴロツキは三番街や二番街から拾って来て、また別の所に詰めさせているようです」
「かー、めんどくせぇ。そっちの情報は割れてる? 割れてたら話を自警団に回して」
「ラドンナに行かせました。伝え次第合流するよう言ってますんで、ウチはスピルリナと一緒に出られます」
暁も一緒に行くらしい。行く意思を唯一見せていないアクエリアが駆り出される無常を感じていると、半壊した酒場の扉を叩くような音が聞こえてきた。
話し中のアルギンと暁含め、全員がそちらの方を向く。
「悪ぃな、今日は酒場は休みだ!」
扉向こうの客にアルギンがそう叫ぶが、ノックの音は止まない。そして、客が声を出す。
「アルギンさん、私です!!」
男の声だった。その声に、アルギンがカウンターから出て扉に向かう。扉を開けないまま、破損した扉から相手の姿を認めたらしい。
「……遅かったじゃねぇか。お陰で店はこの有様だぞ」
「そんな事を言わないでくださいよ、約束の時間は今だったでしょう」
「本当……一日早く約束しとくべきだったかもなぁ? なあ」
開けるのもやっとな扉が、年月の経ち過ぎたような軋む音を立てながら開いた。
外から入って来たのは、男性が三人。その中の一人はまだ少年とも言える、年齢もスカイとそう変わらなさそうな人物だった。三人とも、至って普通の秋服を着ている。
「皆に紹介するぞ、三人とも騎士だ。この一番デカイ黒髪がカリオン」
礼儀正しく物腰柔らかな、カリオンと呼ばれた彼はアルギンの言葉に軽く頭を下げた。
「んで、あー、こっちはジャスとイルは知ってるな。フィヴィエルだ」
フィヴィエルは人当たりのいい笑顔を浮かべて頭を下げる。ユイルアルトとジャスミンが落ち着かない素振りを見せていて、何となく察したアクエリアだが何も言わずにおいた。
「んで、カリオン。そっちは? 誰? 新入り?」
「そうなんです。有望なので、将来を見据えて早めにご挨拶させておきたくて」
「……ほーん。自己紹介してくれる?」
アルギンに促されて赤に近い茶色の頭を下げた少年。彼は良く通る声で自己紹介をした。
「ゾデルと言います。所属は―――」
「所属までは言うな、ゾデル」
「……はっ。承知しました」
自己紹介を、優しい声と強い言葉で途中で止めさせたのはカリオンだ。アルギンがその言葉に何かしらの裏を感じながら、敢えて追求しない。
ゾデルとスカイの目が合った。ゾデルが軽く頭を下げるものの、スカイは少し戸惑ったようで何も出来ずにいる。
「んで、カリオン。アタシら夜襲掛けることにしたから」
「……アルギンさん、またそんな無茶なこと言って」
「三人のうち二人は付いてきて欲しいんだけど? その場でとっ捕まえて連行してくれたらアタシらは仕事が楽だなーって思って感謝も吝かではないですけどねー騎士様?」
「元がついてもいいなら貴女だってそうだったでしょうに……」
「え!? マスターって騎士だったんですか!?」
「……え、知らなかったんですかジャスミンさん」
「そういえば、ジャスには言ってませんでしたね」
ジャスミンから声が上がった。収拾のつかない時間になる前に、とアルギンが両手を叩く。
「はいはい皆! 役者は揃ったんだ、今から行くよ!!」
アルギンは逸る気持ちを抑えながら、全員の顔を見渡した。騎士の三人はもとより、ギルドメンバーももう覚悟が決まっている。
「目指すは四番街、川沿いの空き家。取り敢えず何も考えず一人も逃がすな」
無茶とも思えるその指示を、全員が真剣な顔で聞いていた。アクエリアも、もう俎上の鯉の気分で覚悟はできている。
「『j'a dore』の面子に賭けて、奴らに地獄を見せてやるぞ!!」
「……どっちが悪役か分かったもんじゃないですね……」
小声のアクエリアの言葉に反応する者はいなかった。
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