第46話
―――破壊音。
それは建物内のみならず、外にいた者さえその音に驚いただろう。
アルギンとアクエリア、そして敵の首魁さえも目を疑う光景。
半壊した空き家から、伸びる無数の蔦。それは触手のように、建物内の半分を占めていた。
「―――。」
人の形をしたものの背中から、腕から、数えきれない程の蔦が伸びて蠢いている。それはグロテスクな光景だったが、アクエリアとアルギンはその姿を知っていた。
蠢く蔦のその根元、スカイが座り込んでいた。
「――――――――!」
スカイの口から出る音、それはもう人の声じゃない。敢えて言うなら、暴風の夜に騒めく森の葉擦れの音。蠢いていた蔦が、意思を持っているかのように、突然ある方向へとその先端を向ける。
その姿こそが『エスプラス』と呼ばれる所以。
見目麗しく、しかし戦闘力はヒューマンを遥かに上回る。そんな存在から牙を奪い取り、愛玩奴隷として飼う事を至高としている者もいる。
ただ、闘う為の牙を再び手に入れたプロフェス・ヒュムネが存在しない訳は無く。
「ひ、っ」
引き攣った声は、その先端を向けられた男と首魁。逃げようと男が足を一歩引いた瞬間、その蔦が勢いよく襲い掛かった。
その状態になって、もう一人男が起き上がってきていたのだとアルギンとアクエリアが気付く。気付いても、もうどうしようもない。助ける道理もなければ、助ける方法も無かったからだ。
「ひ、っぎ、ぎゃああああああああああああああ!!!」
それらは四肢に絡みつき、動きを封じる。編んだように十数本が纏まったものが何本か現れたかと思いきや、それが男たちに次々と振り下ろされていた。それはもう鞭などというものではなく、最早鈍器と言うべき打撃音が聞こえる。
鈍い音が何回も何十回も。叫び声が二人分。暴れ狂う蔦を目の前に、アルギンも動けないでいた。少しでもスカイの視界に入れば、ターゲットがこちらに移りかねないと思ったからだ。
「おいおい……、冗談だろう」
その声はアルギンのもの。以前アルギンが見た時よりも、敵と見做した相手への攻撃がえげつない。何故こうなっているのか、アルギンには見当もつかなかった。
アルギンは動けなかった。しかし、その状況に於いても動ける人物が一人だけいた。
「スカイ」
その人物は、その名を優しく呼んだ。
「スカイ」
名を呼んでも、スカイの蔦は動きを止めない。例え、捕らえた二人の男を最早抵抗の意思もなく、意識、いやそれどころか命があるのかさえ分からない程の滅多打ちにしていても。
アクエリアにも何故こんな状況になっているのかが分からない。スカイが『種』を持っているとは知らないからだ。でも、ひとつだけ分かっていることがある。
スカイは望んでこの姿になった。それはきっと、アクエリアの為に。
「もう、止めなさい」
「―――――。」
やはり、スカイの声は葉擦れのような音だった。何を言っているのかは分からないが、アクエリアにはそれが何度も聞いた、スカイの不満そうな声に聞こえた。
アクエリアが敵二人を捕縛した間を通ってスカイの側まで行く。アクエリアに敵意は無く、スカイもまたアクエリアを攻撃することは無かった。
「スカイ、これ以上はやる必要がありません」
「――――。―――。」
まるで会話をするような、葉擦れの音とアクエリアの声。アクエリアにはやはり不満を伝えようとしているように聞こえた。
何を言われているかは正確には分からないものの、アクエリアは首を横に振る。
「殺してはいけません。貴方の恨みがあるのも分かります。しかし、捕縛しさえすれば、以降の裁きは国が代わりに行ってくれるものなのです」
「―――……。」
「俺と一緒に、『彼女』を探してくれるのでしょう? ……罪人といえど誰かを殺めた手で、俺と長い旅をするんですか。そんなの」
―――嫌ですよ。俺は。
小声で言った言葉は、スカイの耳に届いただろう。蔦は男二人を解放し床に放り、蔦はその全てがスカイの体の中に入っていく。
スカイの服は蔦を発現させた影響で、襤褸切れ同然なまでにビリビリに破れていた。その体を包みこむように、そっと抱き寄せたアクエリア。
「寒いでしょう」
自分が羽織っていた上着をそっと掛けてやる。スカイは、何も言葉にしない。
「よく我慢しましたね。……我慢してくれたんですよね、俺の為に」
「――――。」
葉擦れの音はしない。それでも、何かを言いたそうなスカイの吐息がその口から漏れる。
「お帰りなさい。よく帰ってきましたね、俺の所に」
スカイは泣いていた。それを分かっていて、アクエリアがスカイの頭を胸に抱きしめた。
半壊した空き家からアルギンとアクエリア、そしてスカイが出てくると、外での悶着も終わっていたことに気付く。
ユイルアルトとジャスミンは二人で身を寄せ合っていた。自警団と思われる集団と、縛られて連行されていく集団。自警団を纏め上げているらしいのはアルカネットだった。そして、その側にカリオンとゾデルがいる。
カリオンと話をしているアルカネットの顔は嫌そうだった。そんな三人の側にアルギンが寄っていった。
「……マゼンタさんと、オルキデさんは……」
スカイが二人の名を口にした。確かにその場に姿が見えない。スカイがきょろきょろと不安げに辺りを見渡していると、その姿に気付いたのはゾデルが近くへ寄って来た。
「あのお二人なら、先に酒場へ戻られています」
「酒場へ?」
「少しお怪我をされているようです。……大したものじゃないから、と。それに、酒場にはフィヴィエルさんが残っていらっしゃるので」
「成程、分かりました。……ゾデルさんは、これからどうされるのです?」
「僕は、隊長―――カリオンさんと一緒に、自警団の詰め所へ。あの者達を自警団のところで一時勾留しますが、事態が事態なだけに、奴等の処分は騎士預かりになるでしょう」
「………。」
スカイが若干放心した顔でゾデルの話を聞いていた。自分が今まで翻弄されてきたものが、こんな形で終わる。勿論、これからもその身を狙われるかも知れない。しかし、当面の危機は去ったのだ。
スカイはゾデルに何も聞かなかった。これからあの男達がどうなるのか、処罰はどれくらい重いものなのか。知りたいことは色々あっただろうに、今は頭が働いていないらしい。
「……じゃあ、俺達も酒場に戻りますか。スカイ」
「はい……」
アクエリアがスカイの手を引く。今のスカイは無気力になってしまったようだった。本当に無気力な訳では無いだろうが、あれだけの事があって何も考えられていないようだ。
帰ろうとした二人に、アルギンが走って近寄って来た。
「アクエリア、スカイ! もう戻るのか?」
話を中断しているらしく、カリオンもアルカネットもアルギンを見ている。そちらから感じる圧にアクエリアの腰が引ける。
「スカイは疲れてしまったようですし。後始末は俺達がいなくたって終わるでしょう?」
「そりゃそうだがな。……戻るなら、ユイルアルトとジャスミンも連れて帰ってくれねぇか。女だけでこの時間の街を歩かせるのは不安だ」
アルギンの提案に、アクエリアがユイルアルトとジャスミンの二人を見た。二人はまだ身を寄せ合っていて、何か怖いものを見た風な怯え方をしている。こうしていたら、二人は一般の世で生きている感じのする、普通の女性のように見えた。
―――あんな血の匂いがする、ギルドのメンバーとしてではなく。
「構いませんが……、俺達より自警団に護衛させた方が良くないですか」
「自警団も今はてんてこ舞いだ。別に詰めてたゴロツキどもの大取物があってるからな」
「……解りました、連れて帰りましょう」
「待ってろ、今二人を呼んでくる」
アルギンの声掛けによって、二人がアクエリアの側まで来た。二人とも表情がいつもより暗い。
帰路は少々長かった。四番街の川沿いから五番街の酒場まで、灯りの少ない徒歩の道。行きより暗くなっている道の途中で、ユイルアルトがぽつりと口を開いた。
「私は、酒場に来て少し経ちますが……、知らない事ばかりでした」
少し間をおいて、ジャスミンも口を開く。
「……私なんて、もっと知らなかった。マスターが元騎士だったことも」
ジャスミンの声には若干の恨みが混じっていた。ユイルアルトが知っていてジャスミンが知らない事があったことに不満を感じているのだろう。ユイルアルトがあからさまに視線を逸らす。
「知らない事って、何を知ったんですか」
それはアクエリアが世間話のように軽い気持ちで聞いただけだった。
途端、ジャスミンとユイルアルトの足が止まる。止まって、二人が顔を見合わせる。
「……ユイルアルトさん? ジャスミンさん?」
「あれは、見ちゃいけないものだったかも知れないんです」
「だから、何を」
「オルキデさんと、マゼンタさんの……本気」
「本気?」
二人はそれだけ言って、歩みを再開した。スカイとアクエリアの前を過ぎて、二人が先頭を歩き出す。
「二人がプロフェス・ヒュムネだというのは知っていましたが、プロフェス・ヒュムネがどう戦うのかまでは知りませんでした」
「……一度滅びかけた種族と聞いてたから、そこまで戦えないんじゃないかって……思ってたんです」
「お二人は、あの二人が戦う所を見たと?」
その言葉に、ジャスミンが一度だけ頷いた。アクエリアの脳裏に、スカイの戦闘時の姿が浮かぶ。あれと同じ姿を、オルキデとマゼンタの二人が取ったとしたら、その戦闘力は如何なるものか。
「……見た、けど、言えません」
「言えない?」
「口止めされたから……。あの二人に」
「それはそれは……。同じギルド内で隠し事というのは面倒な話ですね」
その話自体にはさして興味も無かったアクエリアは早々に話を切ろうとした。しかし、二人の話に興味があるのはスカイだった。
「……絶対言えないんですか?」
同じプロフェス・ヒュムネの話だ。気になるのは仕方ないと思いつつ、スカイの言葉と二人の出方に耳を傾けるアクエリア。
二人は顔を見合わせ、悩む表情をして、それから。
「……気になるなら、直接聞いた方が早いわ」
「私達から言えることはありません。……でも、そうですね」
ユイルアルトが言葉を切る。そして溜息を一回。
「あれだけ強い種族の国が、何故滅ぼされてしまったのか」
二十年前の話。
プロフェス・ヒュムネが多く住んでいた国『ファルビィティス』。アルセン国との親交もあったが、他国の侵攻を受けて滅んだ美しい国。
オルキデとマゼンタはその王家の血筋で、今はアルセン国の保護の元暮らしている。その事情から、多少なりとも戦闘を仕込まれてはいたのだが。
「……プロフェス・ヒュムネの戦闘を初めて見ました」
「あれは種族としての力が凄いです。プロフェス・ヒュムネの一人一人があれだけ強かったら、何故他国の侵攻に負けたのか」
「………。」
ユイルアルトとジャスミンは、それから何も言わず歩いた。スカイの手前、プロフェス・ヒュムネの事をあまり話したくないようだった。その話の内容がどういったものにしろ、スカイに悪く取られるのを恐れての事だ。
女性二人の後ろを歩きながら、スカイが言った。
「僕は……、プロフェス・ヒュムネの歴史も殆ど知りません」
その声は、どこか乾いた感情が含まれているような、事実を淡々と述べているようなものだった。
「僕は、どれだけ学べばアクエリアさんと一緒にいられるでしょう」
「……。」
これまで学ぶ機会が与えられなかったスカイの声が、秋風に溶けた。引いていたスカイの手をアクエリアが少しだけ強く握る。
「大丈夫ですよ。―――あの孤児院は、教育に熱心ですから」
何が大丈夫なのか、アクエリアにもよく分かっていない。けれど、スカイの不安はどうにかして取り払ってあげたかった。
アクエリアの言葉をどうスカイが受け入れたかは不明だが、アクエリアの手を一際強く握ったスカイ。
無言で酒場に帰る四人。
帰宅の道程は、思っていたよりも短く感じた。
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