第35話

 ……スカイの事で言い訳ばかりを並べる自分が嫌になった、のかもしれない。

 無駄に長い時間を生きているだけで、自分の生活を客観的に見過ぎてしまう。確かに少年一人引き取って育てるくらい、特段の無理をするほど生活に困っている訳でもない。

 あの少年の―――スカイの生に責任が持てないだけだ。これからの未来を生きていく少年の、大人になるまでの短い時間を自分の側で生きていて良い訳はなかった。この場所が教育に悪いというのも確かにあるが、それ以外の理由でも。

 五年、アルギンの酒場にいる。けれどいつこの街を離れてもおかしくはない。自分には目的があって旅を進めていたのだから。


「ほらよ」


 アルギンの声で目を覚まし、顔を起こした。やはりというか何というか、臥せってそのまま少し寝入っていたらしい。顔を起こすと、皿の上に乗せられたトーストが、その上にハムステーキと野菜を乗せて運ばれてきていた。胡椒が適量振りかけられたそれは、施設では絶対に出てこない肉類だった。


「いただきます。……お幾らですか」

「今回はアタシの奢りで良いよ。こないだ想定外の戦闘あったしな」


 戦闘。アクエリアが思い出す。スカイとの邂逅の時の話か、と思い至り取ったトーストを頬張ろうとした手が止まった。今言う事でもなかったか、とアルギンが気まずそうな顔をするが言ってしまった言葉をアクエリアの耳と脳から回収することは出来ない。

 気を取り直したアクエリアが大口を開けてトーストを頬張る。半ば自棄食いが混ざったようなその食事の仕方に、アルギンが苦笑を浮かべていた。


「……考えても無かった女から告白されて、どう返事して良いか分からないマセガキみたいな顔すんのな」

「ゴホッ」


 勢いよく食べ進めていたアクエリアが思い切り噎せた。すかさずアルギンが水を差し出す。


「………、……アルギン、俺の事おちょくってません?」

「そんな後から面倒になるような事するかよ。……まぁ、相手の将来を考えなきゃいけねぇ辺り、ただの告白より厄介だわな」


 空になったコップをカウンターに叩きつけながら睨むアクエリアに、手を振って否定するアルギン。空のコップはすぐ回収して、新しい水を入れてまたアクエリアの側に。その二杯目の水も、一気にアクエリアが飲み干した。

 再び空のコップがカウンターに置かれる。


「……ですが、先程の言い草はスカイにも失礼なので止めてくださいね」

「そういう所が面倒事を引き連れてくるんだぞアクエリア」

「それでも、貴女は子供を持つ親としてですね、誰かに対しての礼節というものを」

「こんな面倒な所の頭役しといて礼節とかいちいち気にしてたらアタシ今頃ハゲてる」

「遠慮せずハゲてなさい」

「ゲフッ」


 今度はキッチン奥から咳が聞こえた。そちらにいるオルキデが会話内容に反応したようだ。


「……コホン」


 漫才を聞かれたような妙な気分になるのを咳払いで振り払いつつ、アクエリアがトーストを食べ切る。その食器もコップと一緒にアルギンが直ぐに引いて裏に持って行った。

 置いてきただけらしいアルギンは直ぐに戻ってくる。手にはまた新しく火を付けた煙草を持ってきていた。


「……吸う?」

「遠慮しときます」

「そ」


 食後の一服を勧めたアルギンだったが、アクエリアはほぼ即答で断った。気にせずアルギンは自分の煙草を吸い始める。紫煙燻る空気でも、アクエリアは特に気にするでもなく無言だった。


「ミュゼも言ってたが、疲れてんな」

「……疲れない仕事を回したつもりなら、俺は今すぐ中指立てますよ」

「いちいちトゲトゲしなくてもいいだろ、素直に頷いときゃ良いだけなのによ」


 アクエリアの無意識の苛立ちを指摘して、紫煙をゆっくり吐き出すアルギン。その指摘に罰が悪そうに顔を逸らして、眠気が残り落ちかける瞼を指で擦った。漏れる欠伸を噛み殺せもせず、少し間抜けな顔を晒す。


「……そろそろ戻ります」

「ん、お疲れ。何かあったら連絡してくれ」

「………。」


 いつもの調子のままのマスター・アルギン。最近はあの施設以外でこの調子が狂う所を見たことが無い。

 ……泣き叫んだ所を見たのは、一度きり。


「アルギン」

「あん?」


 この国に。

 この街に。

 この酒場に来て、このギルドのメンバーになって、すぐのことだった。

 アルギンの夫が戦死したのは。


「俺は、もうこれ以上『大切な存在』を作るのが怖いのかも知れません」


 アルギンが愛する人を永遠に失う様を見て、アクエリアも恐怖を感じた。

 自分の愛する人は、まだ見つかっていない。

 もうこの世にいないかもしれない。このまま、あの人にもう一度逢えることも無いまま、いつ終わるか分からない生を生き続けることが堪らなく恐ろしくなって、旅を続けることを躊躇っていた。だから、もう、この酒場に来てから旅は五年間休止している。

 


「そか。……アタシはアクエリアの選択を否定したりはしないよ」

「そう言ってくれますか」

「安心して行ってきな。一人でも二人でも、帰ってくるのはどっちでもいいからさ」


 安心しろと言われても。……アクエリアは無言で頭だけ下げて、また来た道を戻っていく。

 あの少年の必死の言葉に、覚悟が出来ていると言えば嘘になる。

 彼の言葉に返せる了の返事が、まだ出来そうにない。


 アルギンがこれまで掛けてくれた優しい筈の言葉が、アクエリアの心に棘のように引っかかっていた。




 施設に戻ったアクエリアは、施設内がいつもより静かなのを感じた。忙しそうにそこらを移動しているシスター達の姿もない。

 時間が時間だからか、と思い直す。今はまだ午前中、施設は今は年齢に分かれて授業中の筈だ。


 各街にも一応教育機関は点在しているが、この施設の教育機関としての面も優れていた。孤児院という、子供たちの生活の拠点である事も最大限に生かし、起きて食事を済ませたらすぐ勉強だ。遊んでいる時間より自己研鑽の時間の方が長い。

 少しだけ気になるから、という言い訳を自分の胸の中で繰り返しながら、アクエリアが低年齢クラスに向かう。……今までまともに教育を受ける機会が無かったスカイはそこにいた。低年齢クラスとはいえ、似たような境遇で年齢のそこそこ高い子供の姿もある。ウィスタリアとコバルトも同じ教室にいて、その近くでスカイが座って読み書きの授業を受けていた。


「皆さん、上手です。練習すればもっと文字が上手になりますし、色々な本を読むことが出来るようになります。これからも一緒に練習していきましょうね?」

「「「はーい!」」」


 低年齢の子は無邪気に手を挙げて返事をしているが、スカイや他の年齢が少し高めな子は恥ずかしそうにしていた。もう今している授業は一旦終わったようで、外から鐘の音が鳴った。休憩の為に子供たちが立ち上がりわらわらと教室を出ていく。


「………あ」

「……。」


 低年齢の子たちに手を引かれるようにして教室を出るスカイと、アクエリアの目が合った。どうしてここに、という顔をするスカイに、軽く手を挙げて言葉の代わりにする。


「あ、おじちゃんだ!」

「おじちゃん!」


 スカイを囲んでいた子供の一部がアクエリアに流れてきた。


「おじちゃんじゃないです、『お兄さん』か『先生』じゃないと遊んであげませんよ」

「おじちゃん先生!」

「ウィスタリア、それは許されません」


 笑顔でアクエリアを呼んだウィスタリアに即時ツッコミ。

 その間も、スカイは下を向いてもじもじしていた。


「スカイ、遊びに行くんでしょう」

「………アクエリアさん、その、僕」

「……行きますよ」


 群がる子供たちを引き連れて、中庭に向かおうとする。先に行っている子供たちから、皆を呼ぶ声が聞こえていた。


「……アクエリアさん」

「話は、夜でも良いですか?」

「………。」


 早く中庭へ向かおうとしている子供たちはひとり、またひとりと二人の側を離れていく。無言で俯くスカイの様子を伺っているうちに、他の子供たちは全員中庭に先に行ってしまった。


「……今なら、誰もいませんよスカイ」

「……昨日、僕が言った事」

「昨日」


 言い辛そうにしているスカイに、『さて、何の話でしたっけ』とはぐらかすのは簡単だった。寝ぼけていた、とでも言えばいい。

 スカイはまだ口ごもっている。何を言えばいいか、自分でも分かっていないのか。それとも言いたいことは固まっていて、でも言葉を選ばないといけないものなのか。


「……僕は」


 言葉が、出てこない。

 スカイの歯がゆさが肌から伝わってくる。けれど、それを茶化したりはしない。


「……僕は、アクエリアさんにとって邪魔ですか」


 少年独特の声がか細い音で、その心を伝えてきた。


「僕は、アクエリアさんのそばにいない方がいいですか」


 心情をそのままダイレクトにぶつけてきたような言葉は、アクエリアの耳に届いて頭に響く。

 どれだけ深刻に考えていたんだろう。

 どれだけ深刻に考えさせたんだろう。

 まだ幼さが勝っているこの少年の心に、アクエリアは不安と孤独を再び抱かせていた。


「スカイ」

「僕は、今までずっと、誰にも聞かれたくないような扱いを受けてきました。親の顔なんて覚えてないし、ずっと寂しかったし、文字なんて読めなくて、何のために生きてるのかわからなくて」


 スカイの言葉が、アクエリアに届く。アクエリアしか聞いていないその呟きは、これまでスカイが抱えていた孤独。


「それでも、ここに来て、僕はまだここにいていいのか分からなくて、いつまたあんな生活に戻るかって思ったら怖くて、だから」

「……」

「僕は卑怯です。独りになりたくなくて、あんな毎日に戻りたくなくて、あなたと一緒にいたかった。僕を助けてくれたあなただったら、僕を独りにしないと思ったから」


 その孤独は誰もがどうすることも出来ない、スカイのトラウマだった。


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