第28話
「監修……!? 私たちがですか!?」
「うむ、勿論全てではないぞ。主な部分は我が宮廷医師達に任せよう。順調に事が進めば、医師を登録、あるいは免許制にして現在毒草登録されているものの使用も幾らかは認める。勿論そこな両名も医師として無条件で登録しよう」
これから制度が変わる。その話を目の前でされているというのに、全く現実感は湧いてこなかった。
ユイルアルトが息を吸い込む。現実感はないものの、もし『願い』を伝えるなら今しかない。
「……一つ、陳情したく思います」
「陳情、とな? 良い、聞こうではないか」
「教科書に、私の師の名前を入れて欲しいのです」
「……師?」
「我が師は、リシューと申します」
その瞬間、フィヴィエルとリエラが勢いよく振り向いた。
「私が学んでいた薬学の、更にその先を身に着けていた女性です。今は故人となっておりますが、私に多大な知識を与えてくれた方です」
「……リシュー、で、医師……。ああ、成程な」
王妃が何かを理解したかのように声を漏らす。その視線は、リエラとフィヴィエルとを見比べていた。
承知、と短く声を漏らすと、王妃の指がリエラに向く。
「リエラよ、此度の件で其方にも褒美が必要だろう?」
「い、いえ、滅相もございません。私などにそのような……」
「欲の無い奴よの。……であれば、フィヴィエルよ」
「……はっ」
「其方から先に褒美を授けよう。何を望むか?」
「………。」
フィヴィエルは逡巡し、迷い、悩み、躊躇い、拳を握って黙っていた。
「……―――母を。」
その願いは、きっとずっと抱いていたのだろう。
「母を、母と……呼ばせて欲しいのです」
フィヴィエルの瞳が、リエラに向いた。
「……え………?」
リエラは呆然としている。
「ふむ、お主も欲が無いの。休暇か財か地位を願うかとおもっていたのだが」
「そんなもの、私の身には余る事です。私は……今まで、母の影を追っていましたから」
「……フィ……ヴィエル……さん?」
「……リエラさん、僕は、施設に入ると同時に名前が変わったのです。貴女がくれた名前ではありませんが、僕は、本当は……」
照れたように笑うフィヴィエル。ジャスミンとユイルアルトはその顔をずっと見つめていた。
嬉しそうに、照れくさそうに、リエラに向き合うフィヴィエル。
「……さて、親子の感動の再開に水を差すわけにも行かぬであろ。ジャスミン、ユイルアルト、また後日此処に来ると良い。それまでに私が言った事、考えておけ」
「はい」
「分かりました。……さ、イル」
王妃はもう、お付きの者と共に下がり始めている
ジャスミンとユイルアルトも、側仕えの案内でその場を後にする。
残されたのは、リエラとフィヴィエルのみ。
「お帰りなさい」
住み慣れた酒場の貸し部屋にユイルアルトが戻ると、リシューが居た。
リシューをこの部屋で見ることはあまり無かった。菜園の様子を見せる為に招かないと来ない人だったから。
「只今戻りました。……アルギン、水やりしてなかったんですか?」
「いいえ、あの子は毎日お水を上げていましたよ。……量が少なかったですが」
リシューは手に如雨露を持っていた。前から知ってはいたが、物を動かしたり持ち上げたりという事は出来るらしい。
「大変だったでしょう」
「リエラさんに会いました」
リエラの名前を聞いたリシューは、「そう」と短く呟いて、その件についてはそれ以上を聞かずに植物たちに目を向けた。
「……村は、どうだった?」
「長閑な所でした。農村で、大きな森がとても綺麗でした」
「……そう。森は残っていたのね」
「菜園も残っていましたよ。野生化が進んでいましたが」
「そう」
穏やかな笑顔に、少し陰りが見える。
「先生の『許せない人』って、誰だったんです?」
「……。」
「村では老人は大体死んでいて、生き残りはまだそこそこ若い人たちばかり。話を聞くと、リシュー先生が居たのはだいぶ昔の話らしいですし……」
「一人は、夫よ」
声に、僅かながらの怒りが混じる。今でも忘れることのできない彼女の怒り。
「……リシュー先生の?」
「あの人は私を売ったのよ。命からがら逃げてきたわ。一人娘を連れてね」
「リエラさんの事ですか……」
「魔女を殺すには火刑しかない、って。夫の扇動で殺されるところだった。あの人は私より年上だったから、老衰にせよ疫病にせよ、もう死んでいるでしょうけれど」
生育状態の良いユイルアルトとジャスミンが育てた植物の半分以上は、リシューから貰ったものだった。
それらを眺めながら溜息を吐くリシュー。
「もう一人は、……先代マスターを殺した人間」
その声は、怨嗟の色が混じっていた。これまで一度もその口から聞いたことのない程の怒りの色も。
「先代マスター……?」
「アルギンの育ての親で、この街に逃げてきた私を守ってくれた人なの。とっても優しい……エルフだったわ」
「先代もエルフだったんですか? 何故殺されたんです?」
「……わからないの。私も、その時『見ていなかった』から」
リシューがユイルアルトに振り返る。
その人の好い老婆然とした姿は、自分が知り尊敬しているリシューそのもの。過ごしてきた季節と共に刻まれた顔の皺も、ユイルアルトはそのすべてを好ましく思っていた。
「私が、この酒場を離れられないのは、先代マスターの死の原因を知らない後悔があるからなのかしら」
「……何故、そんなことを思うのです? 私はまだ、先生に教えを乞いたい。離れて欲しくないです」
「教えられてばかりじゃなくて、貴女もそろそろ教える側にならなきゃいけないわ」
声は、優しく。
言葉は、温かく。
「……貴方はもう充分、私が居なくてもやっていけるのに」
「……そんなことありません。私は、まだ未熟です」
「大丈夫よ、私が居ない時期があっても貴女は立派な医者だった。これからも医者として、人の為に働けるでしょう」
それはまるで別れの言葉のようだった。
「……先生、いなくなるようなことを言わないでください」
「いやね、私がいなくなるわけないじゃない。でも、貴女が独り立ちできるのは本当よ?」
「……それは素直に嬉しいです……。」
よしよし、とまるで幼子にするようにリシューから頭を撫でられながら、ユイルアルトは泣いていた。
そしてその光景をジャスミンが見ていた。
誰もいないように見える空間に話しかけているユイルアルトを。
しかし、そのユイルアルトの目の前では、誰も持っていない如雨露が宙に浮いているのを。
教科書監修の話は受けることにした。リシューの名前が教科書に記載されるのは確定したらしく、ユイルアルトはひっそり喜んでいた。
ヨタ村はその後、疫病のことを碑にするらしいと噂で聞いた。この件で、ユイルアルトとジャスミン、リエラの名前もそこに刻まれると聞いてユイルアルトがげんなりとした顔をする。
本当は、ユイルアルトは村で遥か昔に起きた魔女狩り事件で、リシューに掛けられた嫌疑と汚名を取り除きたかった。けれどもう、その事件さえ知らない人間ばかりになっていたので、これはもうそっとしておくことにした。
医学校からは、ユイルアルトとジャスミンに教員にならないかと打診が来たが、これは即座に二人とも断っている。
「私はJ'A DOREの医者ですので。教員に相応しい方なら他にいらっしゃいますでしょう」
本音は、人を引っ張って育てていく自信がないだけなのだ。
リシューからは「素敵なお話だと思うわよ」と言われたが。
教科書監修の話が決まり、村から帰還して暫くして、酒場にフィヴィエルがやって来た事がある。
「お二人とも、お元気そうで」
「フィヴィエルさんこそ」
「……お久しぶりです」
その時はユイルアルトもジャスミンも、一階で夕食にしていた時だった。
ジャスミンが硬直する。ぎこちない声と動きで、再会の挨拶だけは出来たようだ。
「リエラさんはお元気ですか?」
「はい、母は元気でやっています。僕の事をまだ昔の名前で呼んではくれないのですが」
「そういや言ってましたね。名前が二つあるみたいで、こう、何かしら独特の格好良さがありますね」
ユイルアルトが感慨深げにそう言いながら数回頷くと、横からジャスミンが咳払いを数回。そしてフィヴィエルがさも当然のように同じ卓についた。ジャスミンの挙動不審が更に顕著になる。
「さて、酒場ですので何か注文しないといけませんね……。」
フィヴィエルは擦り切れそうにぼろぼろな酒臭いメニュー一覧を手にし中を眺めた後、自然な仕草で店員を呼ぶ。店員と言ってもユイルアルトとジャスミンには顔なじみな酒場の一員であるマゼンタだったのだが。
マゼンタは営業スマイル全開の笑顔で対応する。ちらりとジャスミンを見て、その挙動不審さに何かを感じ取ったのか、一瞬だけ営業スマイルがにやついた笑顔に変わる。
「貝とカイの炒め物と、ラム酒をお願いします」
「畏まりました」
マゼンタが去っていく背中を三人が見ていたが、それから最初に声を出したのはジャスミンだ。
「……あのっ」
「はい?」
意を決したような声は震えていて、その顔は赤かった。
「……貴方と、貴方のお母様を侮辱するような事を言って、本当にごめんなさい」
ずっとジャスミンの胸に棘として引っかかっていたのだろう。『いつか謝ろう』と、彼女はずっと思っていたはずだった。
「ああ……、あの事ですか。謝るような事ではないですよ、事情がどうあれ本当の事ですので」
フィヴィエルはあっさりと許していた。しかしその表情は曇っている。本当の事だろうが、ジャスミンがいつか言った『宮廷医師が聞いて呆れます。自分の子の衛生管理教育も出来ないんですか』。
その言葉は確かにフィヴィエルを傷つけて、今だってその眉に憂いを持たせている。許したとしても、傷つけた事実は変わらない。
「……傷ついた、とまでは言いませんけれど。でも、僕を気にかけてくれていた気持ちは本当に嬉しい」
「………!!」
「ありがとうございます、ジャスミンさん」
ジャスミンの顔が見る間に赤くなる。
ああ。ユイルアルトが吐息を漏らした。やっぱり。やっぱり、『そう』なのか。
ジャスミンの春を素直に応援できない自分をユイルアルトは感じていた。でも、それを表に出すことも出来ない。そしてその理由も分からない。胸の痛みの理由を知りたいとも思わない。知ってしまえば、今までの自分ではいられないだろうから。
「これからも宜しくお願いしますね、お二人とも」
一絡げにされてこれからを宜しくされる、それだけに安心を抱く。
少なくとも今は、この男に関わっていていいらしい。
春が終わろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます