case3 記憶の中の香りを探して

第29話


   ごめんなさい


   ごめんなさい。

   本当に、ごめんなさい。


   私を忘れてください。

   どうか幸せになって。そして、私を探さないで。


   愛してる。




 そんな愛の告白があってたまるものか。

 紙切れ一枚に認められた言葉は、俺のその先20年を縛ることになる。

 たったそれだけ認められた手紙のせいで、俺はその先を結婚詐欺師呼ばわりされることになる。


 愛しい人。


 俺は今でも、貴女を忘れられていない。




 アクエリアがこの街に来たのは本当に偶然だった。住み慣れた街を出て行ってからもう何年経ったのかも忘れそうになっている。

 酒場『J'A DORE』で部屋を借りて暮らし始め、もうすぐ五年にはなるだろう。最初は何もなかった部屋も、多少は生活感が出てくる程度に荷物が増えた。

 五年という期間はそんなに長くない、と思うのはアクエリアが人間ではないからか。

 アクエリアは、エルフである。しかも、ただのエルフではない。


「お早う」

「おはようございます」


 朝、食事の為に酒場のある一階に降りると、もう既に食事をしている貸し部屋のメンバーが殆ど揃っていた。こんな時間に珍しい、と思いながら階段を降り切り、席に向かう。

 一番端にユイルアルトとジャスミン。カウンターには暁。中央寄りにアルカネットがいた。今日はメンバーの中でも一番の新参のミュゼがいないようで、ミュゼが最近いつも座っているカウンター端に姿が無い。アクエリアにも朝食の指定席があるので、そのテーブル席に一人で座る。

 アクエリアが貸し部屋メンバーに向ける感情はそこまで深いものではないが、一人ひとり、誰と言わず個室で二人きりにさせられたところで、会話に困る事はない程度にはそこそこ円滑なコミュニケーションが可能だった。なので、アクエリアが食事に降りてきても何かしら(相手の機嫌次第ではあるが)アクションを起こしてくれる。

 ユイルアルトは手を軽く振り、ジャスミンは軽く会釈。アルカネットも姿を見ると手を上げ、暁は同じテーブルまで自身の朝食を持って来た。


「おはようございます、アクエリアさん」

「……おはようございます」


 今日は暁は『人形』を一体連れていた。暁の隣に、肌の白い水色の髪の少女が座る。少女はレースが多く露出が少ないワンピースドレスを纏っている。時折噂にもなる『暁の女』だ。


「今日、それも一緒だったのですね。あまり同席して欲しくはないのですが」

「そんな無体な。ウチの娘みたいなもんですよぉ」

「食事も必要としない存在が娘? ……笑えますねその冗談」


 マゼンタがアクエリアに食事を運んで来た。今日の朝食はスクランブルエッグにグリーンサラダ、ジャムを塗ったパンだ。暁も同じものだったらしいが、皿にはサラダ以外もう残っていない。

 パンを手にしたアクエリアが、遠慮なしに頬張る。パンを咀嚼する軽い音をさせながらアクエリアが食事を開始しているその目の前で、暁が勝手に話をし始めた。


「ねぇ、アクエリアさん」

「……何ですか」


 最初の一口目を飲み込んだアクエリアが、指に付いたパン屑を舐め取りながら返事をする。暁は相変わらず『人形』を侍らせたままで笑顔だ。


「マイマスター」


 人形が喋る。それだけでさえ、アクエリアは眉間に皺を寄せて不快を伝えた。人形もそれに気付いているのだろう。


「ピィは、席を外すです」


 そう言う人形に、暁が頷く。


「そうですか、では部屋に戻っていなさい」

「はい」


 ピィ、というのはその人形の一人称だ。喋る、話す、動く、意思疎通が出来る人形。

 階段を上がって、暁の部屋に戻っていくのだろう。


 暁は人形師だ。『魔力』というものがあるこの世界、魔力を行使できるものは限られており、エルフやそれに類する種族であり素質があれば魔法が使える。それ以外の種族であれば『物に宿った魔力』を行使することで魔法が使えるようになる。

 暁は、後者の類のヒューマンだ。物に宿った魔力と、門外不出らしい色々なものを使って人形を作る。それは動き、話し、人と似た行動をとる『人形』になる。本人曰く「こんなん作れるのウチくらいですよぉ」らしいが。

 暁は、この貸し宿集団の何でも屋―――ギルド『j'a dore』の参謀役だ。笑顔で良くないものを見聞きする。その底の知れなさからか、アクエリアは暁の事をあまり信用していない。本能的に、『こいつには何かある』と思ってしまうのだ。


「お、アクエリアじゃん」


 奥から出てきたマスター・アルギンがアクエリアの姿を見つけて手を振った。ああ、とそれに気づいて手を振り返す。それはただの挨拶であったが、暁が意味深な目でアクエリアを見ている。


「……アクエリアさん、新しいお仕事の話聞きましたかぁ?」

「……あー、ミュゼさんが関わってるってアレですか」

「そう。アレ、今立て込んでいるらしいですよぉ。それで、オーナーがミュゼさん用に受けていた、別の新しい依頼にアクエリアさんはどうかって」

「新しい依頼?」

「暁、情報の先出しは感心しねぇな」


 アクエリアの背後からマスターが近付いていた。座るアクエリアの頭の上から顔を出す。

 長い銀髪、ハーフエルフとして整った顔、黙っていると美人。アクエリアの長い生にとってここ最近見慣れた顔が自分の顔の上にある。


「アクエリアには計画練ってから伝える予定だったろ。まだ早すぎんぞ」

「そうでしたっけ? でも良いじゃないですか、遅かれ早かれアクエリアさんしか適任はいませんよ」


 その言葉に今居るギルドメンバー全員が暁を見る。話し声はしっかり全員に聞こえているらしい。暁の先程の発言の意図が『他の人物を軽んじている』のなら、二人ほど黙っていない。

 しかし次の暁の言葉で、全員が視線を逸らすことになる。


「オーナーと一緒に聖職者の格好をして孤児院の子供たちの相手をするって仕事ですけど……、あれ? もしかして他にやってくれる人いるんですかねぇ?」


 そう言いながら暁が周囲を見渡す頃には全員が食事を再開したり各々の会話に戻ったりしていた。お世辞にも、子どもの相手が得意と胸を張って言える人物はいない。ミュゼは孤児院のシスターをしているのでその辺りは得意なのだが。寧ろこの仕事の事を話したら、今の仕事を放り投げてでもこちらの仕事を受けるだろう。

 でも意外だ。そこにマスター・アルギンの名前が付いてくるとは思わなかった。ギルドマスター直々に出る仕事など、ここ最近は皆無だったからだ。


「孤児院の子供の相手?」

「それ、本当だったらミュゼの仕事と繋がってんだがな……、人手が足りねぇんだよ」


 ―――アルギンからの話はこうだ。

 暁の『人形』――先程のスピルリナもその一体――は種族を判断できる能力がある。この国にいる者のほぼ全員は、その人形が見るだけで判断できる。

 しかし今回の依頼の孤児院、そこに新しく入ることになった子供が、その人形では種族を判断できなかった。人形で判断できない種族は今の所『プロフェス・ヒュムネ』と呼ばれている種族しかない。若しくは、この国に住んだことがない新しい種族か、だ。種族の特定が出来るまで、『その子供を丁重に扱え』が今回の仕事だ。

 因みに、その子供は今ミュゼが請け負っている仕事『奴隷・子供の裏取引をぶっ潰せ』で身柄を保護した子供である。


「……プロフェス・ヒュムネの子供ですか……。」


 プロフェス・ヒュムネというのは半植物のヒューマン型生命体だ。基本的には体の何処かに『葉緑斑』という緑色の痣が浮き上がる。この酒場で働いているマゼンタとオルキデの姉妹もその一族だ。

 二十年前にプロフェス・ヒュムネが住まう国が滅ぼされてからは、奴隷市で『エスプラス』というランク名で呼ばれ、法外な金額でその身を取引されている。王家の一族は種族としての『能力』が激しく強く、体にでる葉緑斑はとても少ない。

 ―――二十年、という年数にアクエリアが瞳を細める。


「……どうしたんですか?」

「いえ」


 その年数に別の想いを抱いているのは、自分とプロフェス・ヒュムネだけかも知れないな。そう思いながらその仕事を引き受けることにした。

 面倒ではありそうだが、マスター・アルギンと一緒なら最悪面倒な仕事は全部押し付けよう。

 そう思ったから引き受けただけなのだが。






「ご機嫌よう、皆様」


 それから三日して、アルギンとアクエリアが孤児院に派遣された。二人とも、この孤児院のシスターや神父が着ているものとは少し型が違うものの、それらしい聖職服を纏っている。

 アルギンの悪名は城下中には余すことなく響き渡っているので、しおらしく挨拶したアルギンの聖職者姿に孤児院のシスター達は若干慄いている。

 元孤児・元騎士・元既婚者・現子持ち。アルギンの話は半分聞いて、半分を目の当たりにした。アクエリアの耳で聞いても、目で見ても、壮絶な過去だとは思った。


「……現場、この孤児院だったんですね」

「知らねぇのか? 最終的に国が預かる面倒事は、全部国王の膝元で行われるんだよ。プロフェス・ヒュムネの身柄となれば、国が関わるのは間違い無ぇからな」


 そこは十番街――王侯貴族が住まう土地の一角にある孤児院だった。この孤児院も教会が併設されており、教育にしても品性にしても清潔さにしても国随一だ。

 そしてそこは、アルギンに深い縁がある。


「まま!!」

「ままー!!」


 聞こえた幼子の声に、アクエリアが目を向けアルギンが振り向いた。


「バルト! ウィリア!!」


 そこにいたのは、アルギンと同じ髪と瞳の色。普段のアルギンには似ても似つかない愛らしい笑顔。 

 それが二人もいる。年の頃は五歳といったところか。その子供たちは一斉にアルギンに抱き着いた。揃いの灰色の服はこの孤児院にいる子供共通の服。


「逢いたかったよー!!」


 そんな言葉が出てきたのはマスターの口からだ。その光景は、この事情を知らない貸し宿の他の面々が見たら一人残らず発狂するだろう。今のメンバーだとアルカネットは唯一平然としているだろうが。


「バルト、ウィリア、すみませんね。貴女達のお母様はお仕事なんですよ」

「えー!?」

「なぁんだ、遊んでもらえるって思ったのに」

「ごめんね。時間が出来たらアタシかこのおじちゃんが遊ぶから」

「誰がおじちゃんですか」


 マスター・アルギンが唯一絶対的に甘い顔を見せる相手は、かつて四人いたという。

 その中の二人は鬼籍で、もう二人が目の前にいる『天使』。


 二人は、アルギンの娘だった。

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