第27話

 隔離先全員に薬が行き渡って二晩が経った。

 念の為、健康と思われている村人全員にも薬が渡された。今の所、まだ効果は分からない。

 薬が行き渡って三日目の夜。その日、健康体の全員と、歩けるまで体調が回復した患者の数名が誰もいない村に戻ってきていた。全員を見守るように、ユイルアルトとリエラが遠くからその様子を見ている。


 この日が来たか、と、歩けるようになった患者が溜息を吐いた。

 全員がその場で黙りこくり、見つめる先は死体塚。涙を流している者もいたが、誰もそれには触れない。

 松明を持ったフィヴィエルが、村人を見渡していた。


 まるで宗教の儀式のようだった。死体塚を燃やすと村人全員に話した時、殆どから拒否は出なかった。しかし村人達の妻が、夫が、子どもが、親がそこに居た。拒否は出ないが抵抗はあった。しかし、焼かねばならなかった。

 焼かないと、この村は本当に死んでしまう。村人全員が、それを分かっていた。


「……今から、油を流し入れます」


 フィヴィエルが穴に落ちないよう気を付けながら、村のあちこちからかき集められた油を流し込む。夜を過ごすための灯りの為の油から、料理に使うものまで色々だ。

 その様子を、静かに見つめている村人たち。やがて、すべての油が流し入れられた。


「―――誰か」


 フィヴィエルが村人達の顔を見渡しながら、声を掛ける。


「誰か、この松明で『送りたい』と思う人はいませんか」


 最期を任される者。フィヴィエルは、それは自分ではないと判断したらしい。

 一人の男が手を上げた。死体塚の中に、子どもがいるといった男だ。

 フィヴィエルはその男に松明を渡して、そして、その男がそれを投げ込んだ。


 火の勢いは、油だけのせいではないほどに激しく燃え盛る。

 煌々とした灯りは、何日経っても消えることが無かった。




「お世話になりました」


 それから三日経った日、三人と宮廷医師二人が帰る時が来た。村の端まで、村人たちが見送りに来た。

 宮廷医師の男は、結局名前を知ることもなく腕を拘束されて馬車の端に乗っていた。まるで犯罪者の護送だ。

 村人全員が元の生活に戻ることが出来るようになった。しかし元居た村は今だ害虫や害獣が多く、暫くは森の中での生活になるだろう。それでも、病気に苦しんでいた時よりは遥かに楽だ。


「何かありましたら、また連絡を。今度は私たちが来るとは限りませんが」


 ユイルアルトとジャスミンが最後まで村人たちに囲まれていた。リエラは、馬車に乗ったまま顔を出しているだけだ。

 そろそろ、とフィヴィエルに急かされて、二人も馬車に乗り込む。


「お元気で!」

「それはこちらの言葉です!!」


 村人から掛けられた声に、笑いながらユイルアルトが返す。同時、フィヴィエルが馬を走らせた。

 遠くなっていく村を見ていると、いつまでも村人は手を振っていた。ユイルアルトとジャスミンは、それが見えなくなるまでずっと見ていた。この先、あの村はどうなっていくのだろう。このままひっそりと生き続けるのだろうか。それとも。

 ユイルアルトが考えるのを止めた。そして、いつも側で笑ってくれる筈のジャスミンの手を握った。




 帰還には四日掛かった。それまでの疲労が祟って全員がくたくただった。

 これまでにないほどの外出期間で部屋の植物を心配していたユイルアルトとジャスミンだったが、馬車は酒場の前では止まらない。

 そのまま馬車は五番街を突っ切り、王侯貴族が住む十番街まで進み、王城の門さえ潜って大扉の前で止まった。


「……え?」


 何が何だか分かっていないユイルアルト。なんとなくその気はしていたジャスミン。

 リエラは極自然な振る舞いをしながら大扉の先まで進んでいき、フィヴィエルは未だに名も知らぬ宮廷医師の男を引っ立てるようにしながら先へ進む。


「騙しましたね」


 フィヴィエルの背中に声を投げる。

 このまま城の中に行かせるという事は―――まさか謁見か。


「何の事でしょう?」


 フィヴィエルから返る言葉はそんなものだ。諦めた様子でジャスミンも歩いていく。

 ユイルアルトは暫くそこから動かずに立っていたが、見かねた衛兵が先に進むよう促してきたので観念した。

 入り口からして何やら洗練されている気がする。清廉な白と青で統一された壁と、飾り気のあまりない廊下。先に進んだ面々の背中についていくように進むと、先に進んでいた全員が一か所で止まっていた。

 ユイルアルトがその場所に到着して、そこにあった大振りの扉が開く。


 開かれた扉の向こうは、色々な意味で別世界だった。

 赤い絨毯が引かれた広間、絨毯の両側を騎士が二列に並んで向かい合っている。話にしか聞いたことのない近衛兵だ。全身を銀色の鎧で覆っており、ヘルムで顔も見えない。

 絨毯の向こうは階段があり、その先に豪奢な椅子が二つ並び、向かって左側は空席、右側は女性が座っていた。

 今までのユイルアルトの語彙力では表現できない空間。煌びやかでもあり、豪奢でもあり、けれど嫌味ではなく、どこか親しみやすささえ感じられる場所だった。……それが例え、謁見の間という事が理解できていたとしても。

 リエラとフィヴィエル、そして引っ立てられた宮廷医師が先に進む。その後ろをユイルアルトとジャスミンが歩いた。暫く歩いたのちに、先導する三人が片膝を付く。それを真似して、二人が膝を付いた。


「―――――。大儀であった」


 ジャスミンとユイルアルトの背中を、大きな何かが一舐めしたような感覚が襲った。聞こえたのは女性の静かで張りのある声だったが、その声が聞こえた瞬間背筋を何かが駆け上がる感覚がした。

 思わずフィヴィエルとリエラを見たが、二人とも素知らぬ顔で頭を垂れているだけだ。


「良い、面を上げることを許す。ご苦労であったな」


 ユイルアルトが見上げた階段の向こうの女性は、頭にも藍色のヴェールを掛けていて顔が見えづらい。話には聞いていたから、あれが誰だかは分かっている。


 現王妃、ミリアルテアだ。


 現王の後妻であり、王女を一人産んでいる。若くして亡くなった前王妃と現王の間に生まれた四人の王子・王女の一番下の妹。王妃も評判が良く、品もあり王宮内の活動にも精力的だと言われていた。空席であるのは本来国王が座っていたはずだが、その王は最近体調を崩しているという噂が流れている。

 初めて目通りが叶ったユイルアルトとジャスミンは、噂だけでなく王妃のその姿を初めて見ることになった。


「フィヴィエル・トナー。此度の任務、よくやった。早馬からの連絡が届いている」

「はっ。王妃殿下、発言をお許しくださいませ」

「良かろう、発言せよ」

「……私はただ、ユイルアルト・ジャスミンの両名を送り届け、その任を手伝ったのみであります」


 ユイルアルトとジャスミンが、今まで一度も無かった呼び捨てに思わず身構えた。それに早馬なんて、宮廷医師の男が逃げ出さないように見張っていたフィヴィエルがそんな連絡を出していた様子も無かった。なのに、誰が出してどこから見られていたのか。騎士団含む王家の権力を感じてゾッとした。


「リエラ、大儀であった。して、その方―――デナスと言ったか?」


 次に王妃はリエラに声を掛け、そしてそれからもう一人の宮廷医師に声を掛ける。前で手を縛られ、罪人のようにしている男の名前を、今更知ることになった。


「そのような醜態を晒して何とした。意見することを許す」

「は、はっ!! 王妃殿下、私は嵌められたのです!!」


 その言葉に、近衛の兵の雰囲気が一瞬変わった。王妃の御前での大声に、排除しようとする動きがあった。しかしそれも本当に一瞬。また、ただ立っているだけになった。

 デナスはその空気に気付いただろうか。気付いていても一緒だろう。言い募る事を止めない。


「この者どもは、私に仔細を語らず、この病が何かも言わず、私を出し抜くことしか考えておりません!! 私は民の事を考え、熟考し、懸命な治療にあたっておりました!!」


 それを聞いて、今まで聞いたことのないほど深い溜息をフィヴィエルが漏らしていた。リエラは性分なのか、それとも本気でこの男の発言を信じられてしまうと焦っているのか、相変わらずオロオロしている。

 ユイルアルトとジャスミンは―――、一刻も早く帰りたい、といった顔をしている。


「結果として、村民は全員治癒、しかし私はこうしてまるで罪人のような扱いを受けています! 何卒」

「―――もう良い」


 更に言い募ろうとしているデナスの言葉を遮り、王妃が発言を止めさせる。

 は、と一回言葉を切ったデナスだが、制止に従わず尚も言葉を重ねようとした。


「私は! 善良なる市民を救おうと!!」

「もう良い、と言っている。貴殿の犯した罪は届いておるぞ。そこなジャスミンに刃を向けたそうだな?」

「―――。」

「リエラにした仕打ちも聞いている。ユイルアルトに発した言葉も知っておる。私はなんでもお見通しだぞ、デナス」


 ぱんぱん、王妃が手を叩く音が謁見の間に響いた。それと同時に、近衛兵が二人ほど列から離れ、デナスの両腕を掴んで連れて行く。


「早うその痴れ者を連れて行け。我が目と耳を侮った罰よ」

「で、殿下!! 王妃殿下!!!」

「汚らわしい声も、もう聞きとうないわ」


 王妃の言う『汚らわしい声』が、使用人通路らしき小さめの扉の向こうに消える。扉は思ったより大きな音をさせて閉じられた。


「―――さて」


 その声は、変わらず張りのある声だ。ユイルアルトが女性権力者の声を考えた時、これまではアルギンの声を思い出していただろうが、今日からはこの王妃の声を思い出すだろう。


「改めて。大儀であった。特にユイルアルトとジャスミン―――」


 二人が改めて頭を下げる。そうせざるを得ない『何か』が、この声にはあった。

 褒められるのか。それも吝かではないと思っていた。次の言葉が聞こえるまでは。


「我が国では禁忌と知っての毒草を使用したそうだな?」


 二人の顔から血の気が引いた。少しだけ顔を上げ視線をフィヴィエルに向けると、彼も同じ青い顔をしていた。二人は、それでフィヴィエルが伝えたのではないと分かったけれど。


「発言をお許しください、殿下」


 次に声を上げたのはリエラだった。


「……ふむ。良い、許そう。何か申し開きがあるのか?」

「畏れながら殿下。同じ薬草を持ち、同じ状況に立っていたとしたなら、私とて同じ薬草を使用したでしょう」

「禁忌と知っていても、か」

「……咎めは私に背負わせてください。人命を救うべき私が、あの場にいて出来なかったことを、この二人は行えたのです。罰があるとすれば、私が背負わねばなりません」


 そのリエラの言葉に、王妃から喉奥で笑うような音が聞こえた。顔は相変わらず見えず、何の笑いかが分からない。


「リエラよ」

「……はっ」

「お主は、二人が選んだ毒草の有用性を知っていたか?」

「………浅学の身ながら、医術を身に着けていますもので。全てを理解している訳ではありませんでしたが、存じておりました」

「ふむ」


 王妃は何やら悩むかのような姿勢。暫く無言が続き、それから王妃が口を開く。


「禁忌、というのは昔のしきたり。過去にそれを食らい床に臥せったり死した愚か者がいるからこその禁忌よ。私は嫁いだ身故に、『過去』の偉大さは分かっておれど、『過去』が足枷になっている事例も見ておるでな」

「……と、申されますと……?」

「そう急くな。確かに忌まわしき毒草なれど、使うものが使えば確かに薬にもなろう。良い事ではないか」


 王妃が玉座を立った。その姿に、全員が頭を垂れる。列を組んでいた近衛兵さえも。


「新しき勅命を課そうと思う。受けてくれるか、リエラ、ユイルアルト、ジャスミン」

「は、」


 返事をしたのはリエラだけだった。それでも話は続けられる。


「私は現在、王代理でもあってな。多少なりとも権限がある。これから暫くの後、学校を作ろうと思っているのだ。医師のな」

「……医師の為の学校を?」

「今、医師は名乗ったもの勝ちの側面がある。それ故、あのような痴れ者も出てくるのだが……あの痴れ者は親が宮廷医師だったでな、親から譲り受けた地位という訳だが……あの者の噂を聞くに、とんと医術に疎いという話であった」


 ジャスミンとユイルアルトが顔を見合わせた。配下にも目を配る王妃という事は分かった。しかし、この期に及んで勅命とは一体何だろう? ジャスミンの表情から不安は消えず、ユイルアルトは面倒事に巻き込まれたという不満顔を崩さない。


「学校には学ぶ書が必要だ。それを教科書という。

 ―――ジャスミン、ユイルアルト。毒草の項目を監修せよ」


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