第26話

「ま……、まだあるとは?」


 ユイルアルトの頭に浮かんでいるのは一人の男の影だった。何故ここまでその男に執着するのか自分でも分からない。

 母の顔を覚えていないと言ったあの寂し気な表情が忘れられなかった。自分でも、リエラでも覚えている母の顔。目の前の女性がそれを息子に与えなかった理由は一体何なのか。


「……お子さん、いらっしゃるんでしょう」


 そう言った瞬間、リエラの表情が一変した。ハッとした表情で、ユイルアルトを振り返って立ち止まる。


「何故、ご存じなのですか」


 ユイルアルトは答えなかった。やがて、答えないという選択肢を諦めたのか、ゆっくりと歩きながら話し始めた。


「……夫が、子どもが生まれてすぐに亡くなったのです。その時は母も亡くなったばかりで……人の勧めで、施設にお願いすることになりました」

「……人の勧めで、って……どういうことですか?」

「私も宮廷医師という立場上、いつでも息子の側にいられる訳ではありません。私も施設で育った身、環境が整っているのは知っていましたから」


 だからと、ずっと逢わないままなのか。言葉に出しかけた言葉は、すぐに飲み込んだ。

 フィヴィエルに肩入れしすぎている自分のことを、ユイルアルトはずっと不思議に思っていた。あんな、この数日間しか知り合ってない男の事を。


「……十番街の施設ってですね。『人質』なんですよ」


 ユイルアルトが不自然に黙ったのに気づいてか、リエラが続ける。その不穏な単語にはユイルアルトも眉を顰めた。


「私が国家に背く行為をすれば、罰は私でなくあの子に行く。……そうやって、城仕えの者の子供を預かっていくんです。実際、環境も教育も行き届いていますし、悪い話ではないのですが」

「……背信行為をした訳でもないでしょうに、人質とは物々しい言い方ですね」

「そう思います? ……私は昔に『魔女』の疑いを掛けられたことがありますから」


 リエラが急に、背の高い茂みの間に入っていった。それが予想外の動きで、ユイルアルトがその後ろを急いで追う。


「―――もう、大切な人を失うのは嫌だった。……自分の手を離れても、生きていて欲しかった」


 ―――景色が、変わった。


「………っ、は」


 その茂みの中は、広く開けていた。外からは緑の壁で見えず、中はまるで異世界のような色とりどりの植物が生えている。ユイルアルトには、そのほとんどが毒を持つ薬草だと分かる。ユイルアルトとジャスミンの部屋の植物を遥か凌駕する植物の数。それは、色の洪水のようだった。


「……人の手を離れても、育つことが出来ていたようで。私たちが派遣されてから、ここに帰ってきて……少しだけ手を加えたんです」

「……こんな場所があるなんて、思いませんでした」

「私がこの植物を扱う処方箋も、殆ど忘れてしまいました。……ユイルアルトさん、この子たちを任せられますか?」


 根本を見れば、昔育てていた頃の名残か植木鉢の残骸がある。昔、リシューがこの村にいた頃、ここで薬草を育てていたのだろう。

 尊敬する師の、生きていた証。


「―――任せてください」


 この場所があるなら、村人全員に薬を作って配ったって足りる。ユイルアルトが拳を握った。




 鞄にも入りきらず、両手にわんさと植物を抱えて、ユイルアルトが小屋に戻って来た。

 その時にもまだフィヴィエルは薬草を擂り潰していた。肌理の細かい良い粉末が出来ていて、ユイルアルトが感心したほどだ。しかしフィヴィエルが擂り潰した薬草と、準備が終わっている薬。合わせても隔離先の全員にはまだ行き渡らない。足りない分をまだ作らねばならない。それはリエラと、数人の元気な村人が手伝いに名乗りを上げてくれた。

 フィヴィエルとリエラが顔を合わせても、リエラは特にこれといった表情の変化が無い。フィヴィエルは傍から見ていても分かるほどに動揺しているのだが。そんなフィヴィエルは、リエラの指示に従ってまた他の作業を始めている。ユイルアルトは、完成に足りなかった薬草、ニーイックスの葉を刻んで煎じていた。そうして作った薬草茶を携え、隔離先まで走った。


「ジャス!!」


 ユイルアルトが急いで隔離先の扉を開いた。また誰のものか分からない新しい鮮血が、床に広がっている。


「……イル……?」

「薬、もう少しで出来上がります! 待っててください!!」


 ジャスミンは目に見えて衰弱している。逸る気持ちを抑えて、ユイルアルトは扉を閉めないうちから隔離先の他の患者に薬を配る。一番症状がひどく衰弱している順から薬を渡し、茶でそれを飲み込ませる。薬のないものにも茶だけは飲ませて、一番最後はジャスミン。側に座り込み、両手で茶を渡した。

 側で見るとジャスミンの口の覆いに血が滲んでいるのが見えた。しかしそれは他の患者も同じで。ジャスミンが茶を飲むのを見守りながら、その手に触れる。


「……薬草、採ってこれたのね」

「はい。……だから、まだ、もう少し待っててください」

「私は、まだ、大丈夫」


 話すその息が荒い。二人がそうやって話をしていると、這ってくるものがいた。


「……早く、私に、薬を持ってこないか……!」


 そう言って近付いてきたのは、もう一人の宮廷医師だ。名前など、聞いた覚えがないし聞く気も起きない。ジャスミンは憐れむような瞳を向け、ユイルアルトは腐ったゴミでも見るような視線を向けた。


「……貴方、自分で治せるって言ってませんでした?」

「ざい、りょうが、無いんだ……! それさえあれば、私だって薬を作れる……!」

「無いんでしょ。じゃあ駄目ですね」


 ユイルアルトがバッサリと切り捨て、残った薬湯を持って立ち上がる。大人しく薬草茶を飲んでいた、そこまでは良かったものの、その宮廷医師は文句を垂れるだけだ。

 しっしっ、と羽虫を追い払うような手つきをその宮廷医師に見せるユイルアルト。その行為が障ったのか、宮廷医師の目つきが変わる。


「……誰に向かってその態度を取っているんだ、小娘……!!」

「え……きゃっ!?」


 宮廷医師はどこにその体力が残っていたのか、起き上がってジャスミンの側に寄った。白衣の下に隠し持っていたらしい小型の刃物をジャスミンの首元に当て、鼻息荒く息巻いている。

 ユイルアルトから血の気が引いた。まさかまだここまで動けるとは思わなかった。同時に、医療器具の管理はこの男がしているというリエラの言葉を思い出す。


「早く私に薬を持ってこないか! でないとこの娘は―――」

「ちょっ、と、待ってください! そんなことしても、すぐに薬なんて持って来れませんよ!!」

「私を誰だと思っている! 宮廷医師だと知っての事か!? 私を愚弄するのも大概にしろ!!」


 これだから権力の犬は! ユイルアルトが言葉に出さずに思った。ただの病人なら放っておくところだが、凶器を持った気位ばかり高い輩は面倒だ。それに、今はジャスミンが危険だ。


「……わかりました、お持ちします。少し待っていてください」

「……それだけか?」

「それだけ……とは?」

「謝罪だ!」


 折れて、急ぎで薬を準備しようと思ったユイルアルトに、更に言葉が投げられる。


「この私に、無礼なことばかりを言っていただろう! 特に貴様だ!!」

「……あぁ」


 ユイルアルト自身、言った端から忘れて行っていた言葉だった。この宮廷医師に投げた言葉は全て本音で、実際何の役にも立っていないこの男の価値は、ユイルアルトの中では最早村人達以下だった。それについての謝罪と言われて、ユイルアルトの胸の中に更に不快感が巡る。

 しかし男は本気なようだ。ユイルアルトが無言でいる間、刃物とジャスミンの首が更に近付いて行く。


「……それとジャスミンは関係ないでしょう。放してください」

「関係ない? 良く言えるな、お前たちの仲が良いのは見ていれば分かる」

「放してください。仲が良いから何なんです。脅迫ですか」


 他の患者も心配するような目でこちらを見ている。しかし、その誰もが動けそうにない。動けたとしても、今の体調では奴の刃物を取り上げることは出来ないだろう。

 ユイルアルトは納得していない。何より、ジャスミンが人質に取られることが許せなかった。


「……ジャスミンを放してください」

「謝罪が先だ」

「ジャス」


 ユイルアルトがジャスミンに呼び掛けた。ジャスミンの瞳には怯えが見える。その怯えの原因になってしまったことが、ユイルアルトには我慢ならなかった。

 ユイルアルトがその場に膝をつく。瞳はまだ反抗心むき出しのままで、手を床に付いた。


「ジャス、―――ごめんね」

「イル、そんな事」


 本音では、謝罪なんてする気はこれっぽっちもない。それでも、ユイルアルトにとってのジャスミンは自分のプライドを投げ出せる存在だった。

 悔しさで、ユイルアルトの瞳に涙が浮かぶ。それを見られたくなくて、顔を俯かせた瞬間だった。


「お待たせしましたぁ!!!」


 大声、それが背中から聞こえた。何、と思う間もなく、前方から凄い音がする。

 急いで顔を上げた。すると目の前には、フィヴィエルが立っていた。


「お薬一回分、お届けに上がりましたよ」


 見ると、宮廷医師の男は床に沈んでいた。ジャスミンも座ったまま、何が起きたか分からない様子でそこにいる。

 フィヴィエルは


「仕上げです」


 と言うなり、良い笑顔で薬のような包みの中身を宮廷医師の胸倉を掴み、口の中に流し入れている。

 その言葉で、ユイルアルトはフィヴィエルが宮廷医師を伸したのだと分かった。宮廷医師の顎付近に、蹴り上げられたような泥の跡が見えた。


「……フィ………」

「すみません、遅れてしまって。大丈夫でしたか、お二人とも?」


 穏やかな笑顔を向けられて、ジャスミンは泣きだしていた。フィヴィエルが慌てたように、その涙に自前のハンカチを押し当てている。

 その光景を見て、何やら少しだけ痛むユイルアルトの胸。


「……?」


 何か分からないその痛みを今は取り敢えず無視して、ジャスミンの側に駆け寄った。



 


 

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