第25話

 クロベニヨンの根、乾燥させたオーツガイの実、レイアンガとトリエルベショの葉。

 自分にも自慢の菜園があったことは、ユイルアルトには話していない。


 村では医者の家系だった。父が医者で、その手伝いに母が菜園を作っていた。

 そのほぼすべてが毒草として表では出回っていない事と、処方した薬を患者が「飲み忘れたから」と三日分を一度に飲んで昏睡状態に陥ったのが原因。

 菜園は騎士たちの手によって炎に包まれ、私たちは『魔女』の烙印を捺された。


 私たちの何がいけなかったのか、未だに考えている。




 ジャスミンが目を覚ますと、心配そうに顔を覗き込んでいるユイルアルトと目が合った。

 思考に靄の掛かったまま、ぼんやりと目を擦った。窓から見える景色は、宵闇より少し明るい。


「……もしかして私、寝ちゃってた?」


 壁に凭れたまま、調合道具も片付けずに、一息入れるつもりでそのまま寝落ちていたようだ。ユイルアルトもこくりと頷くと、それまで感じていなかった疲労感に襲われるのが分かる。鉛でも括り付けたかのように体が重い。


「休憩だけは取らないと。もう少し寝ていても大丈夫です」


 夜遅くまで、調合の為の蒸留や粉砕・撹拌の手元作業に努めていた。長い距離の移動や小屋の掃除、薬品の支度に疲労が溜まっていた。でもそれは、ユイルアルトだって同じだった。

 ユイルアルトは今でも薬剤の調合と撹拌をしている。眠い目を擦りながら、ジャスミンが座りなおした。続きをしなくちゃ、そう思うが頭が働かない。


「そういう訳にはいかないんでしょ、一秒だって本当は無駄に出来ないのに」

「三人分くらいならほぼ出来上がっているんですよ、まだリエラさんもあの薬草採りに出発していませんし―――ジャス?」


 ユイルアルトの声がジャスミンの頭の中で響く。


「ジャス、貴女」


 心配そうな声に、ジャスミンが立ち上がった。そのまま扉まで駆け出していく。その後ろをユイルアルトが追うと、ジャスミンは木の陰で咳き込んでいた。


「ジャス」

「来ないで……!!」


 咳き込んだジャスの口の覆いは、真っ赤に染まっていた。


「参ったわね、症状早すぎない?」


 来るなと言われたユイルアルトだが、何が起きたか遠目からでも分かったらしい。予備の覆いを渡そうと近寄るが、まだ寄るなとジャスミンから手で制された。

 やがて咳も調子も落ち着いたジャスミンが、呼吸を止めてユイルアルトに近付く。口の覆いを受け取ると、それを着け直して溜息を一回。


「ジャス、貴女顔色が真っ青よ」

「でしょうね、さっき血ぃ吐いたから」

「………ジャス、私、貴女にこんな事言いたくないけど」

「わかってる、向こうに移るわ」


 それは医療に従事しているなら、必要なことだと分かっている。

 大丈夫。道具と材料があるならどこでも薬は作れるのだから。ユイルアルトとジャスミン、どちらかが欠けたとしても。


「イルも気を付けて。道具は置いていく。向こうで他の患者のこと見てるから、薬草が揃ったら教えて」

「わかっ、」


 けほん、とユイルアルトも咳をする。それは咳だけではあったが、互いに顔を見合わせ、これっぽっちも笑いたくもないのに笑い合った。

 もう時間が無い。その思いが、二人が向かう方向を別々にさせていた。ユイルアルトは薬の作成に、ジャスミンは隔離先に。

 迷っていられなかった。材料が足りないとはいえ、用意してある薬は遊びで作ったものじゃない。ユイルアルトは調合場所に戻ると直ぐに薬を手に取った。今ならまだ、これを飲んだらジャスミンの症状が良くなるかもしれない。自分もまだ症状が出ずに済むかもしれない。

 逡巡している時間も惜しい。しかし、もう既に血を吐いている。この薬は、今のままでは酷く胃を痛めてしまう。『吐血が更に酷くなる』可能性もあって、『この薬ではこの病気が治らない』可能性だってある。

 さらに迷っていると、リエラがこちらに戻ってきた。寝起きらしいフィヴィエルも先程リエラに起こされたらしく、眠い目を擦りながら小屋の中に入ってきている。


「―――ジャスミンが、罹患しました」


 短くそれだけ伝えると、二人も顔を見合わせた。あまりに早すぎるジャスミンの脱落は大きな痛手に他ならない。


「―――行ってきます」


 リエラが即座に宣言する。その目つきは覚悟を決めた顔だったが、すぐさま薬草採りに飛び出していきそうだったのでユイルアルトが制止した。


「薬草、どのくらいで採って帰ってこれます?」

「えっと……す、すぐ。日が昇りきる前までには」

「フィヴィエルさん、今から渡す薬草、私が帰ってくるまで擂っててください。私も行ってきます」

「え」

「……えええ……? あ、はい、承知しました」


 リエラはユイルアルトの言葉に驚いた顔をしてみせる。フィヴィエルは一度顔に不満を出したものの、すぐに物分かりの良い返事を返した。きっと、フィヴィエルの素がその反応なのだろう。

 大人しく調合器具の前に座るフィヴィエルに、あれとそれとこれとと色々な薬草を渡すユイルアルト。『混ぜたら危険』と言い残し、リエラの側に戻って来た。


「行きましょう、リエラさん。」

「は、はい」




 深い森の中を進む。もう何度目かの休憩を挟みつつ、ユイルアルト一人では出られないほど奥まで来てしまった。

 リエラは大きい医療バッグを担いでいた。中身を問うと空だった。隔離先にいるもう一人の宮廷医師が中身を管理しているらしい。何の役にも立たないそれを、薬草入れに使うという。

 リエラはよく見れば見るほど、フィヴィエルに似ていた。雰囲気は全く似てないのだが、フィヴィエルの性格を臆病にするとこんな表情をするのではないかと思った。あまりまじまじ見過ぎて、リエラのおどおどが更に酷くなる。


「……あの……、何か?」

「あ、いいえ」


 この場所にいる限り、この宮廷医師達をきちんと王城まで返すという仕事に努めなければならない。宮廷医師達は、村人を治さなければいけない。ユイルアルトにとってはジャスミン以外がどうなっても構わなかったのだが、自分以外の者と深く関わるのは案外面白い事だと知った。


「リエラさんのこと、知りたいなと」

「私の……?」


 自分の『仕事』の対象にして、自分の師の子供。そして、自分を護衛してくれているものの母親。

 誰かを知りたいと思って自然浮かんだのは、ジャスミンとフィヴィエル、そしてリシューの事だった。その中で関係性が強いのがリエラ。他に誰もいないし丁度いいタイミング、と思って聞いてみたのだが。


「ええ、リエラさんの。……この村の出身と言われてましたが、それが何故宮廷医師になったのか、とか」

「……私の事なんて、若い人には面白くないですよ」


 柔らかな拒否の色。それは完全な拒絶ではなく、相手への念押しの為の拒否だ。それを知っていて、ユイルアルトが更に言う。


「面白くなくても、実際にあったことなんでしょう? ならそんな事気にしません。聞かせて欲しいです」

「………。」

「お願いします。」

 

 リエラは一度視線を彷徨わせた。あまり思い出したくない事なのかもしれない。無理を言っていることは分かっている、ユイルアルトだって過去の事を話そうとは思わなかった。ジャスミンと話すまで。

 やがて考え事の最中ゆっくりだったリエラの歩幅は、完全に止まってしまった。


「面白く、ないですよ?」


 再度の言葉は問いかけのようになっている。最後の念押しだ。ユイルアルトは大きく頷いた。


「……私が、小さい頃。母と共に暮らしていたんです」


 歩みが再開した。先ほど止まっていた分を取り返すかのような早歩き。その後ろについていくユイルアルトは、一言一句聞き逃さないよう必死で付いていきながら聞き耳を立てている。


「母もこの村出身の医者でした。腕は確かで、村の人にも優しくて、私の自慢の母でした。……母は魔女としてあらぬ疑いをかけられ、命からがらこの村を逃げ出したんです。大切な薬草も、医療道具も、全部投げ出して、私だけを連れて」


 そこまでは予想できた内容だ。誰も彼も、『魔女』とされた生き残りはそうして住み慣れた土地を後にしている。ただ、予想出来てようがいまいが、それは一人ひとりに用意された『地獄』だ。何があっても、それだけは変わらない。

 リエラは昔を思い出しているのか、歩きながらも言葉を詰まらせていた。


「……私たちが辿り着いたのはアルセンの城下でした。そこで優しい人に出会ったのです」

「優しい人?」

「酒場『J'A DORE』マスターです」

「マスター!?」

「……今はお亡くなりになったと聞いています。私が知っているのは、男性の先代マスターです」


 ユイルアルトは驚いていた。確かに、あの酒場についてはほとんど知らない事ばかりだ。先代マスターが存在していたことは、話しに聞いてうっすら知っているだけだ。今リエラの口から聞くまでさっぱり忘れていた。

 

「ほとぼりが冷めるまで、そして私に過ごし易い環境を、ということで、私は十番街の施設に預けられました。母は、そのまま酒場の貸し宿に住むことになったのです。……施設はとても環境が良く、時折母と会っては医者として必要な知識を教えて貰っていたのです。そしてそれを目にかけて貰い、私は宮廷に仕える医師になれた」

「……離れて暮らしていたんですか。……お母様と」

「また魔女として追われてしまえば、二人して逃げることが出来なくなるかも知れませんからね。お陰様で、母はそれから私に教えてくれる植物は禁止されていないものばかりになってしまいました。でも不思議ですね、遥か昔に教わった禁止薬物で作る薬を、私はまだ覚えています」


 リエラの表情が少し明るい。思い出したくないものの、母との記憶は彼女にとって大切なものなのだろう。

 ユイルアルトも真剣に話を聞いている。誰かの口から語られるリシューの存在は、自分が知らないものばかりだ。


「私は宮廷医師になった頃、母は亡くなりました。……私の話は、そんなものです」


 その言葉で締め括られたリエラの話だが、ユイルアルトは目を見開いて驚いた。

 それで終わらない筈なのだ、リエラの話は。


「それで終わりですか!?」

「え……」

「まだあるでしょう!?」


 ユイルアルトは自分で驚いていた。何故その先の話を聞きたがるのか、自分で分からなかった。

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