第24話


「貴女にだけは話してもいいと思ったの。昔々のお話を。私がまだ、自分から医者になろうと願っていた頃の話です」


 その昔話がそこまで昔でないのは、まだ若い女性であるユイルアルトの外見を見れば誰にでも分かる。声に出さず一度だけ深く頷いたジャスミン。彼女の服の中の、背中にある傷まで知っている仲だが、どんな出来事が起きてのあの傷が出来たのか、未だ知らなかった。

 小屋間の移動の最中、誰もいない筈の場所を歩く。ジャスミンが松明を持っているので、歩ける程度には暗くない。聞かれたくない話をするのには絶好の機会だ。


「本当は、家賃を払う資金に困ったときに……アルギンに笑い話として、家賃代わりに収めて頂くつもりの話でもありましたが」

「……辛い事だったんでしょ?じゃあ、笑い話になんてしてくれないわ、あのマスターは」

「貴女がそう言ってくれる人で、本当に良かった」


 進みながら、ユイルアルトの瞳は道以外の何かを見ていた。遠い遠い、自分の記憶の欠片を。


「……昔々、ある村に医者の一家がおりました。その一家はとても腕が良く、夫婦と母方の祖父、そして孫娘が二人おりました。孫娘のどちらとも優秀な医者の卵として、祖父と両親から教わる医学を懸命に勉強していたのです」


 昔話を語るように、子どもに聞かせるようなゆっくりした声で語るユイルアルト。

 ジャスミンは話を挟まず、道を進みながらその話を聞いていた。


「何不自由ない生活でした。祖父も両親も、村の外で医学を身につけたので、いつか子ども二人にも外の世界で医学を勉強して欲しい、と―――そう考えていました。

 いつしか両親は早世してしまい、祖父と姉妹が残されました。

 姉は外の世界に憧れを抱いていましたが、妹は引っ込み思案で人見知りで、いつでも姉の側を離れません。困った子ね、と姉はいつも口にしていました。とても仲の良い姉妹でした。

 ―――ある日、国から派遣されたという騎士団が来るまでは」


 澱みのない、落ち着いた声。


「その一団は、村にお触れを出しました。『魔女を探している。見つけたものには報奨金』と。姉妹は嫌な予感がしました。このご時世、魔女狩りですって。姉妹を心配した祖父は、村の人たちにも言い含めて、騎士団が居なくなるまでと言ってそっと姉妹を地下室に隠してしまいます。

 ―――しかし姉妹は、魔女の首に懸けられた破格の報奨金に目が眩んだ村の人間から、魔女として差し出されてしまいました」


 松明の灯りがその一瞬、大きく揺らいだ。


「祖父も、魔女の仲間として処刑。家にも火をつけられ、燃え盛る火の中から逃げ出した姉妹は騎士団を名乗る集団の前に引きずり出されました。今でも、言われた言葉が忘れられないんです」


 燃える家、裏切られた世界で、赤く染まる世界と、必死の思いで這い出してきた先の出来事。


「『魔女は人間ではないから人間との子どもは出来ない筈、本当に魔女であるか子どもが出来るか試してみよう』―――」

「イル」


 ジャスミンが、ユイルアルトの手を引いた。ユイルアルトの独白はそれで終わる。ユイルアルトの表情より、ジャスミンのそれの方がよほど辛そうに見える。ジャスミンはそのまま、松明を持つのとは逆の手で彼女を抱きしめた。


「……それからは覚えてません。私は気付いたらアルギンに拾われて、傷は痛んで、でも何も覚えてなくて。医者として、調合師として生きていく以外の道も知らず、私はそうして……今に至ります」


 声は震えて、でも涙は出なかった。


「私達を騎士団に差し出したのは、最近薬を出したお婆さんの息子でした。お婆さんが、飲み方を誤って、それで体調を崩した、だからって」

「……いいの。それでいいの。覚えてなくていいの。私は、やっぱり貴女の昔を知っても貴女が好きよ」


 好き、と。そう言われた瞬間、ユイルアルトの瞳から涙が溢れた。魔女狩りのあの日から、自分の全てを否定された気分だった。そのまま生きていた。斜に構えた態度も、すべてが自分を守るためのものだった。

 そのままポンポンと背中を叩かれ、少し落ち着いたころを見計らい、ジャスミンが体を離す。


「……次は私の話を、とも思ったけど、今は急ぎたい所ね。大丈夫?」

「はい」

「イルも休憩してないから、少し疲れちゃったね。でも、調薬には貴女の医者としての勘が必要に―――」

「待って」


 離れた体。しかしそれを惜しむようにユイルアルトが手を伸ばす。辛うじて捕まえることが出来たのは、ジャスミンの掌だった。温かいその掌は、ユイルアルトを受け入れて包んだもの。今のユイルアルトにとって、自分に一番『近しい』もの。


「わたし、もうひとつ、あなたに、しっていてほしいことがあります」


 涙でしゃくりあげながら、ユイルアルトが話を続ける。ジャスミンも、その言葉の続きを待った。


「わたしは、……あなたのことが、ジャスミンが、大好きです」


 それはまるで愛の告白のようで、けれど二人にとってはそれとはまったく違うもの。

 二人が寄せ合っているのは『絶対の信頼』。仕事仲間だからとか、寝食を共にしているだとか、そんなものをすべて関係なしにしての、人間としての敬愛だった。

 ジャスミンがそれを分かって頷いた。改めて言われなくても、ジャスミンは元から同じ気持ちだった。


「改めて言われると照れちゃう。……さ、行きましょ」

「改めて言わないと駄目な気がしたので。……ええ、忙しくなりますね」


 繋いだ手を握り合い、二人がまた道を進む。互いの激務は互いが分かっている。出張までして任せられた仕事だ、病根絶までやる気でいる。

 小屋まで帰ると、外ではフィヴィエルが相変わらず湯を沸かしていた。全員に茶は行き渡ったようで、フィヴィエルが休憩の為か自分で茶を沸かして飲んでいた。肉体労働が多いのに不満は一言も言わないが、疲労は溜まっているようだった。


「お疲れ様です、お二人とも」


 出迎えた声に精彩が足りない。疲れ切っているのは分かっていた。でも、休憩させてやれるほど、人手が足りているわけではなかった。今までは。


「お疲れ様です、フィヴィエルさん」

「お疲れ様。戻ったから少し寝ていて構いませんよ、フィヴィエルさん」

「そうですか? それでは、何かありましたら起こしてください」


 言うなり飲みかけの茶を一気飲みし、近場の木の幹に体を預けるように横になった。瞬間、目を閉じて規則的に寝息を立て始める。その様子を見ていたユイルアルトが目を疑った。


「……寝たの……です?」

「騎士の訓練で、すぐに眠れるようになったんですって。でも呼べばすぐ起きるわよ、これまでの火の見張り交代の時に知ったんだけど」

「……ジャス、もしかして思ってたよりフィヴィエルさんと仲縮まってます?」

「ば」


 ……『っかじゃないの?』恐らく、その言葉を次ごうとしたのだろう。しかしそれは叶わず、ジャスミンが口を震わせる。その様子を見て、ユイルアルトが笑みを浮かべて言葉を投げる。

 フィヴィエルは聞いているだろうか。聞いていてもいい。寧ろ、起きて聞かれていた方がまだ楽しい事になるかもしれない。


「……応援したほうがいいですか?」

「!!!」


 一体何の応援だ! ……と言いたいのは、声が出ない唇の動きで分かった。それを笑って見ながら小屋の中に入るユイルアルト。


「イル!!!」

「うふふふふふ!!」


 修羅場は、薬の調合前から始まっていた。

 一度振り返って、ユイルアルトが口を開く。


「―――そう、ジャス」


 思い出したように、一言。


「私たちに報奨金を掛けたのは、騎士でなくただの狼藉者の狂信者でした―――と、言ったら、貴女信じます?」

「―――それって、どういうこと?」

「騎士じゃなかったんです。それを知ったのは、私がいた村が疫病で全滅したと知った時でした」


 ユイルアルトの言葉にジャスミンが蒼白になった。

 そしてユイルアルトは調合の為に部屋に入る。ジャスミンはその背中を追うので精一杯だった。

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