第23話
リエラは隔離先に戻る道の途中で、背の高い雑草を十本ほど取っていた。
「……何してるんです?」
「これが必要になるかと思って」
片手に茶の入った鍋を持ったままでは雑草も取りにくそうだったが、ユイルアルトは手を貸さない。何をしているか分からなかったから。やがて無理だと諦めたのか、その十本を大事そうに握りしめて歩き出す。隔離先に到着したのは、もう日が落ちてからだった。
隔離先に戻ると、掃除したはずの床に新しい血溜まりが出来ていた。リエラが息を飲むが、すぐに床に荷物を下ろして血を吐いたらしい患者の元へと歩み寄る。
「大丈夫ですか」
「っう……」
患者は小さく呻きながら、やせ細った手を伸ばす。リエラはその手を取った。
「今お茶を飲ませますからね、無理せずゆっくり飲んでください」
側でその様子を見ていたユイルアルトは、コップに茶を注ぎ入れていた。声掛けしているリエラの邪魔は出来なかったからだ。
リエラが茶の側まで戻ると、ユイルアルトがコップに注いだ茶の中に、自分が取ってきた雑草の茎を一本ずつ入れた。
「リエラさん、これは?」
「この茎は、中が空洞になっているんです。寝ながらでも飲みやすいうえ、この植物自体にも殺菌効果もあるんですよ」
「―――へぇ。」
それは初めて知った。リシューからも教わっていないし自分の知識にも無かった。この植物自体を見たことが無い。
リエラが病人に茶を飲ませ始めたのを見て、自分も他の病人に飲ませようと準備する。水以外のものを久し振りに摂取したらしいものもいて、涙を流すものさえいた。
茶が飲めるなら、あとは食事について考えねばならない。体力回復の基本は食事からだ。最後の一人に飲ませ終えたユイルアルトが頭を悩ませていると
「ユイルアルトさん」
リエラが声を掛けてきた。
「はい」
「皆様に食事も必要でしょうし、火を分けて貰いに行きたいのですが構いませんか?」
「火を……? こちらでも調理するという事ですか?」
こくり、リエラが頷く。
確かに火があれば向こうまで歩いていく必要はない。沢を目印に歩いて行けば道に迷うことはないが、何分今からは暗くなる。危険なことは全てフィヴィエルに任せるつもりだったが、リエラがその役を買って出てくれるとなれば。
「私としてはありがたいですが、危険です」
「危険なことは分かっています」
リエラの医師は固いようだった。止める必要もない、と考えて了承のサインを出す。リエラはそのまま出て行った。
隔離先の小屋は、既に申し訳程度しかない外からの月灯りでなんとか姿が分かるような状態だ。壁に掛かっていた蝋燭は、とうの昔に溶け切っているようだった。
「……姉ちゃん」
またも声を掛けてくる人影があった。
「はい」
あの中年だ。まだ、名前も聞いてない。
「……死体、もう燃やしたか」
まだ聞いてくるという事は、相当に心に引っかかっているのだろう。当然だ、自分の子どものことなら。
どんな子だったかも、どんな家族だったのかも聞けないでいる。心を傾けるのは、今の状況ではあまりよくない。
「いいえ」
茶の効能か、衛生状態の向上の結果か、その男の様子は最初見た時より少しは良くなっていたようだった。
「まだ、です」
「……そうか」
その気持ちはわかる、気がしている。自分だって燃やされるのは嫌だ。だから自分も『逃げ出した』んだ―――。
ユイルアルトが思考を止めた。思い出さなくていいことまで思い出そうとしていた。
「……この病が治ったら、何したいですか?」
「治っ……たら、か」
「なんでもいいので、目標決めといてください。決めたら、私に聞かせてくださいね」
穏やかに話している間でもユイルアルトは次の手を考えていた。リエラが戻ってきたら、次はジャスミンと薬の調合の話をしなければならない。おおよその目星はついている、その時にはリエラの力も借りねばならないのだろう。
夜が更けていく。帰ってきたリエラは松明を持ってジャスミンを連れてきた。二人は先に外で火を焚いたのか、明り取りの窓から光が見える。
灯りがあるとないのとでは、気分もまるで違っていた。少しだけ、この先に未来があるような気がする優しい光だった。
「ジャスミン、お疲れ様です。向こうの様子は?」
「今の所、文句を言う人はいても発症者はいないわ。面倒な仕事は全部フィヴィエルがしてくれる」
「それは本当に助かりますね。欲を言えば男手はいくらあったって足りない所ですけど」
小屋の中で話をするのは、患者に障ると思って三人が外に出る。やはり、火が焚いてあった。
この日を絶やさないようにしないと、と言うと、初日はジャスミンがその役をすると言ってきた。
「そろそろ薬を調合しないと、と思って」
「……そうですね、出来るならお願いします」
三人がその場で話し合う。あの薬草はない、この薬草はある、と荷の中をほぼ完全に暗記しているユイルアルトが話の中心に来る。
最初に聞いていた症状を、患者の様子と照らし合わせ、それから必要そうな薬草を挙げていく。リエラが考えている必要な薬草は禁忌薬物ばかりだったが、ユイルアルトとジャスミンの所持しているものとほぼ相違なかった。……ただ一つを除いて。
「……ニーイックスの葉は、今度貰うことになっていた薬草で、手持ちにはありません」
リエラの口から出たのは、ユイルアルトが次回リシューから教えてもらえるという話になっていた薬草だった。
使用を誤れば毒になるニーイックスの葉は火傷や貧血、気付けに使われる薬草だが、粘膜保護の効能もあるのだとリエラが言った。しかしそれはユイルアルトの手元にはない。
これまでリシューから教わってきた薬草は、すべて株分けをして貰っていた。だからジャスミンも、リシューの存在をユイルアルトの幻覚だと言えずにいたのだが。
「……いえ、ニーイックスの葉は、この森にあるはずです」
「村に?」
「私は昔この村に住んでいたので、場所は分かります」
この村の住人だったという事は分かっていた。ユイルアルトもジャスミンも、フィヴィエルから聞いている。だからと、今でもその葉があるのかという心配があった。二人が顔を見合わせていると、リエラが微笑んだ。
「そんな顔をされなくても大丈夫ですよ。私が採ってきますので、お二人は今のまま患者の皆の事をして下さってていいんです」
「採ってくるって、場所は分かるんですか?」
「はい。まだ生育条件は覚えていますので、どんな所に生えているかも記憶しています。私に採りに行かせて下さい」
頑として引かなそうなリエラの雰囲気に、渋々ながら承諾したユイルアルト。しかし、採取への出発は日の出を見てからという条件を出した。それまで、リエラは隔離先で火の番を務め待機する。リエラはそれで了承した。
ジャスミンは、ニーイックスの葉を除いた材料で薬を作成することになり、それで患者の様子を見ようということになった。ユイルアルトは、その薬が出来次第患者に服用させる。……粘膜保護の葉がない以上、胃に負担が掛かる可能性が強く、またそれで吐血を誘発することになりかねないのだが、今は状況が状況だった。生死がかかっているこの状況で、もう迷ってはいられない。
……急に不安がユイルアルトの胸に押し寄せた。その不安は、過去に体験したもののひとつ。
「ジャス」
気付けば、ジャスミンの手を握っていた。
「……イル? どうしたの」
「私は……」
ただの不安。そう言いきれたらどんなに楽か。
思い出してしまう。自分の身に起きたことを。あの街に来る前の出来事を。自分の世界が一変してしまった悪夢を。
「ジャス、あの……。その」
切り出しあぐねているユイルアルトに、優しく肩へ手を添えたジャスミン。その温もりに、ユイルアルトが目を細める。
「私の調合が終わるまで、少し話をしない?」
そう切り出したユイルアルトは思い出した。この村に来る途中、ジャスミンと交わした『また今度』を。
「じゃあ、一度向こうの小屋まで戻りましょうか」
いつか教えて欲しいといった『色々』を、今日は聞きたいし、話したいと思った。
話す覚悟はできた。それはユイルアルトにとってのトラウマだったが、聞いてほしいと思える人が出来た幸せなことでもあった。
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