第3話

 

 この国には王室直属の『王立騎士団』と、市民が仕切る『自警団』の二つが治安維持機関として存在しており、自警団は形式的に王立騎士団の下に属する。

 しかし騎士団が直接その力を振るうのは、王侯貴族が住まう『十番街』以下数地区のみで、あとの残りは自警団の役割である。

 地区は割り振られたその数が小さくなるにつれて治安が悪くなり、一番街までなると自警団そのものが存在していない。自由を謳う国の暗部がそのまま数字に表れているのだ。

 暗部には暗部で対抗することを思いついたのは、何代目の国王なのか、それを知ることはもう誰にも出来ない。

 アルカネットはただ従うしか道は残ってないのだから。


「来たか」


 一階に下り、厨房奥の食材保管場所に通される。表の客は警鐘のおかげで帰ったのか呼び出されたのか、はたまた野次馬に行ったのか半数程度に減っており、飛び交う注文も一段落ついていたようだ。明るい内部には幾らかの明かりが置いてある。壁掛けの燭台でも明かりとしては充分だ。

 厨房に居るのはマスター・アルギンと、店員の少女と、それから暁とアルカネットのみ。中には小さなテーブルがあり、マスターが座れば、アルカネットも席に着かざるを得なくなって。


「客に自警団のヤツがいたから、お前さんは今日用で行けないって言づけておいた」

「余計なことを……」

「余計? 馬鹿言うなよ、どっちの仕事の方が稼ぎいいか解ってんだろ? 大体、依頼はまだ途中だぜ。このままじゃ金なんてお前さんには支払えない」


 いつからか、王室直属にもうひとつ組織が出来ていた。

 他国からの批判を受けないように、秘密裏に。いつでも解体できるように小さく、それでも信頼が置ける者に舵を任せて。

 自警団もその存在を知らされていない。耳聡い者は存在を嗅ぎ付けてはいるが、露見させることは王国を敵に回すだけで、得なことなど何も無い。

 重犯罪を犯したもの、王室の尊厳を汚すもの、国民の生活を著しく脅かすもの。

 その全てを秘密裏に始末するための、裏ギルド。

 酒場『J'A DORE』の裏の顔―――ギルド『j'a dore』。血の制裁を以て、王国の秩序を保つもの。二代目オーナーとして君臨する、現マスター・アルギン。


「殺しは……疲れる」

「んな事ぁ知っている。だが、あちらさんは待ってはくれないんだよ。こないだの『仕事』、お前さん失敗しやがったから余計に」

「あれはっ……」

「言い訳は要らん、と始めに言ったよな?」


 ばさり、テーブルに新聞が放り投げられる。

 それは朝、マスターが見ていたものだ。殺人事件の記事を表に向けて、マスターが溜息を吐く。


 この記事にある死体は、アルカネットが殺害の依頼を受けていた『仕事』のひとつだった。


「早く、行って来い」


 珍しく言い訳がましいアルカネットの表情に、マスターの表情が酷薄な笑みを浮かべた。アルカネットが知っているマスターの笑顔は、接客の時の笑みとこれだけだ。

 どちらがマスターの本性かを、アルカネットは知らない。だから余計怖い。どちらが作られた顔なのか、知ることが出来ないから。


「今度の標的はまた三番街だ、コレの頭領になるな。部下が首無しで見つかったんで三日くらい引きこもりしてたようだが……暁」


 新聞の記事を拳で叩きながら普段の気安さで、扉側に立っている暁に話を振った。暁は笑顔を崩すことなく、まるで台本を読み上げるかのように言葉を紡ぐ。


「ターゲットはまるまる太った小汚い中年です。前の『お仕事』の時にも伝えてますが、数人の仲間と幼女・少年を囲って二番街でやらしいお店経営してますねぇ。

 ……『道具』とか呼ばれてるその子たちはどうやら誘拐されたり売られたりして『道具』になったようです。調べたんですが、今日は拠点のF地区には近寄ってすらいないようですね。その代わり、物色に四番街や……この地区にも顔を見せているみたいですよ」


 暁の言葉には、店員の少女がまず反応した。肩を一回だけ震わせ、不快そうに眉根を寄せる。マスターがその姿を見遣り溜息を吐き、アルカネットを真っ直ぐ見据える。


「でな。物色場所にあの孤児院も入ってんだ。どうする? クソみてぇな変態趣味野郎御用達、廓の『道具』の物色だ」

「……!?」


 アルカネットの脳裏に、今日の事が蘇った。穏やかな空気は昔のままの孤児院。自分が行った場所のその周りをそんな男が見て回ったのだとマスターが言った。子供たちをそんな目で見ていったと。

 親に捨てられた子供が、それでなくとも、親の愛を純粋に受け止めるべき年齢の子供が。愛情より先に、汚らわしい欲望を小さな体に受け止めさせようとする男になんて。

 一瞬嫌悪と憎悪が頭に駆け巡ったが、その感情もマスターの瞳を見れば徐々に萎れてしまう。


「……俺が行かなくてもいいんじゃないのか」

「おや消極的」


 言えばやる気になると思っていたのか、マスターが目を丸くした。しかしそう返されることも考えの内にはあったのか、露骨に表情を変えることはなかった。


「俺以外にしてくれ。首無し死体だって、他殺に断定されて騒がれて、新聞にあんなデカく載ったのが悪かったんだろう? 自殺にさせやすい毒殺でも、首吊り工作でも、得意な奴はうちにいるじゃないか」

「……そう」


 息を吐き出しながらのマスターの呟き。諦めてくれたか。そんな有り得ない期待をしてアルカネットがマスターを見返した。しかしマスターは少女に酒を言いつけただけで笑みを変えていない。

 嫌な予感がアルカネットの背筋を駆け抜ける。鳥肌が立っていることにも気づかず、その酷薄な微笑から瞳を逸らせずにいた。


「悪いけど、アルカネット」


 その切り出しで、アルカネットが息を呑む。


「あの殺り方なぁ、あちらさんは大層気に入ったみたいなんだ。暫くは馬鹿な連中もナリ潜めるだろうってな。お前さんがやった失敗ってのは、扉一枚分向こうにいた頭領を取り逃がしたことだけだよ」


 すぐにマスターへ出された酒は、ウォッカのロック。薄めてもいない、氷を浮かべただけのグラス一杯の原液。それを傍らに、マスターが満面の笑みを浮かべた。


「いやー、気に入られて良かったなぁ」


 話す相手の心情を知っていての言葉。その表情こそがアルカネットが恐れる最たるもの。

 人の怒りや恐れを逆撫ですることさえ解っていて、それでも見せる最悪な表情。相手がこのマスターでさえなければ、アルカネットの刃の錆になっていたのは笑顔の主かも知れなかった。

 殺すべき標的は、マスターではない。悔しそうに一回舌打ちをして、苦し紛れに近い言葉を返す。


「……だからあんな細工を?」


 嫌な汗が額に滲む。自分ですら聞きたくないのに聞いてしまう。アルカネットにとっては当て付けにしか思えなかった、あの温情。


「細工?」

「俺は現場に足がつくものはなにも置いていってない。身元が分かるようなものも。それなのに、凶器が残されていたとかで自警団は躍起だ。オーナーの命令か? それとも暁、お前か?」

「……全く身に覚えの無いことを言われても、どうしようもないんですけどぉ」


 自警団は今、偽の証拠を手に駆けずり回っている。ただ、珍しく騎士団が動いているらしく、もしかすればこの事件は騎士団預かりになるかもしれないという噂が内部でも流れていた。

 アルカネットの得物は部屋に置いてある。人を斬るのは初めてではない、何人かの血液が染み付いた刀剣。現場に凶器が落ちているとするならば、それは工作でしかないのだから。


「アルカネット」


 ウォッカで口を湿らせたマスターが、アルカネットの名前を呼んだ。マスターからは笑みが消えている。


「よく覚えておけ、『j'a dore』は尻拭いなんてしない。お前さんも素人じゃないんだ、これまで誰かの手伝いなんざしたことあるか?」

「……ない」

「下手な小細工は逆効果だ、そんな事絶対にしないはずなのに……。おい、聞きたかなかったが……何があったんだ」


 マスターが立ち上がる。言い訳と切って捨てた筈のものを拾い上げるなんて、このマスターにあるまじき事だ。その姿に驚き、アルカネットが話すことも忘れてマスターを見つめている。殆ど初めて見る、どこか苛立ちと焦りを備えた表情。切れ長の瞳が機嫌悪そうにアルカネットを見た。


「聞こえてるか、アルカネット。おい!」

「……あ、あぁ」


 数えて十二年ほどになる付き合いだが、マスターがこんな表情をアルカネットに見せたことなんて無い。いつもは不遜で、店主として店に誇りをもつ、時折恐ろしささえ感じる、そんな―――。


「見られていた」

「っ……、はぁ!?」


 アルカネットの言葉に、一番驚いたのは暁だった。普段から見せる、人をさりげなく見下すような態度ではなく、ただ自然に全力で驚いている。


「誰が見たのかは知らない。追う暇も無かった。人の影と、足音を間違いなく確認した。死体から服だけ回収して、立ち去るので精一杯だった」

「そんな筈は……。あの時間、誰もF地区のあの場所には」


 アルカネットがちらりと暁を見る。暁は情報収集・操作と見張り役を得意としている。といっても、暁自身は『仕事』らしい仕事はしない。

 あの時も、暁か、暁の関係者である他の誰かが見張りをしていたはずだ。それなのに、誰かに見られてしまったという仕事上の汚点。

 暁は仕事に関する矜持を傷つけられたかのように、表情を怒りで歪ませている。元の顔が端正なだけに、その歪み具合で怒りが測れそうな程だ。


「……言ったって始まらないだろ」


 マスターの意見は、無関心さえ感じさせる合理的なもの。立ち上がったままウォッカを呷り、顔は僅かに赤みが差しているものの判断力までは鈍っていないようだ。

 暁に首を振り、咎めは無しだと暗に言う。それだけでマスターから暁への信頼の深さを窺い知れるのだが、暁は気まずそうな顔を崩さない。


「見られたってのにどっかへのチクリの様子が無いのは、よほどの阿呆か……それか、お前さんを後から探して見つけて脅迫、って手もあるだろうからな。ま、出てきてくれるんならさっさと処分できるからいいんだが」


 相変わらずの傲慢な言葉を吐きながら、マスターが銀色の髪をかき上げた。何故こんな方針で裏ギルドが成り立っていっているのかが解らない。

 一番解らないのは、このマスターの存在だということは変わらない。一体何が良くてこんなギルドの二代目を勤めているのか。マスターはグラスを置くと、懐から煙草を出して咥える。どこからともなく火が出てきた。火がついたマッチ、持っているのは少女だ。


「……悪いな、マゼンタ」

「いいえ」


 一瞬、その火に躊躇ったようなマスター。何を躊躇っているのかはアルカネットには解らなかったが、煙草を咥えたまま火に近づく。

 普段は明るくよく喋る少女――マゼンタだが、『業務中』は口数が減る。それは、この空気の重さに耐えるためか。マゼンタと呼ばれた少女は煙草に火がついたのを確認すると、マッチの火をすぐに消した。紫がかった瞳がアルカネットを一瞬捉え、そして逸らされる。


「姉様に任せっぱなしですからそろそろ私、ホールに出ます。アルカネット様、お食事はもうお済みですか?」

「……いや、まだだ」


 アルカネットを見ることなく、マゼンタが問いかける。穏やかな声色は、普段のそれと同じ。

 返事をしたアルカネットにマゼンタが笑顔を向けた。その笑顔はとても優しく、マスターの笑顔とは比べられないほどに安心感を与えて。


「では、何かお持ちしますね。暫く待っていてください」


 その場の面々へと頭を下げ、退室するマゼンタ。去っていく足音を聞きながら、遠くなるのを確認してアルカネットが口を開く。


「……オーナーとは大違いだな、マゼンタは」

「あ? ……何、喧嘩売ってる?」

「どっちも不憫だとは思う。オーナーも、黙っていれば」

「飯抜いて一人で行って来い。今回誰のサポートも欲しくないんだろ? そんなにお仕事大好きなら誰も止めない」


 言葉を最後まで言わせることなく、マスターが噛み付きそうな顔をしてアルカネットへと毒を吐いた。吐かれた毒を受け止めることなく、アルカネットが立ち上がる。それから裏口からでなく、再び店内に戻る扉に向かうアルカネットを見てマスターが声を掛けた。


「アルカネットさん、どちらへ」

「……部屋だ。得物が必要だろう?」


 暁の問いに、面倒くさそうに答えるのは実際面倒だから。マスターの、より素に近い表情を見られて安心したのかもしれない。得体の知れない恐怖はだいぶ薄れて、大人しく使われてやる気になった。

 毒を食らわば皿までも、だ。


「場所聞いたら飯食ってすぐ行く、俺の支援役はもう要らないから、その分報酬割り増ししてくれ」

「……ほう? なるほどなるほど、……つまり、今回も自警団の給料は孤児院につぎ込んだ訳だね?」


 ズバリ言い当てたマスターに、返す言葉が無くなった。

 アルカネットの視界から外れた場所で、暁が肩を揺らして笑っている。


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