第30話 疑念
さらに2年が過ぎた頃、リキの元を訪れたボルゴ・ディ・コーディ卿が、王都で不穏な噂が流れている――と言ってきた。
ボルゴ卿は30歳半ばの貴族で、リキとは馬が合い、親しい間柄であり、中央から離れ気味なリキに色々と情報を教えてくれる人物の1人であった。その彼が言うのには、国王が、自身や王弟ジュリアーノの地位や権力の簒奪をリキが企てている――と考えているとのことだった。
どうやら、国王に近しい者の讒言があったらしい。
「今のところ、あくまで噂だがな」
そう言い残してボルゴ卿は帰って行った。
リキが呆れたようにぽつりと呟いた。
「これがイヤで、中央から遠ざかってたんだが、それでもこれかぁ……」
政権に近い者から見れば、中央から距離を取って自領の経営に専念していても、リキの存在は疎ましいらしい。
「これで中央に留まってたら、どうなってたことか。う~ん、考えるだに恐ろしい……」
やれやれ、と嘆息するリキに、
「ですが、姫様がそんな讒言を鵜呑みに……」
と、クレアが信じられない――と声を上げた。
「国王陛下な」
「あ、はい……」
動揺しているのか、つい、『姫様』と言ったクレアを、リキが優しく訂正した。
「陛下が讒言を鵜呑みにして、リキ様を疑うなど……」
「さてな。権力を持つと人は変わる――ってのが、殿下であった頃の陛下の言葉だがな」
椅子に深々と沈み込んで、リキが言った。5年も前にアンジェラが言ったことを、今もしっかりと覚えているらしい。
「長い人生だ。生きてりゃ、人それぞれに、色々あるだろうさ。さて、ボルゴ卿はあくまでも噂だと言ってたし、もっと信頼出来る情報が欲しいな。もう少し確証が欲しい。クレア。コジモとドナートに言って、情報を集めさせてくれ」
「わかりました」
連絡のため、クレアは客間を出て行った。部屋を出て行くクレアの、落胆し、寂しげなその背を眺めながら、リキは1人、呟いた。
「ことの真偽は別にして、最悪の場合もあるし、幾つか手を打っておかなきゃならんか」
その後、リキは王都に多数の斥候を送り込み、国王周辺の情報を集める一方で、信頼出来る貴族や領主たちと内密に連絡を取り合って、中央政権の情勢に注視した。リキは情報こそが重要であると知悉していたからだ。この行動はともすれば諸刃の剣で、国王に、リキに二心あり、との疑念を誘発する可能性もあったが、日頃から仲の良い貴族たちはリキのことをよく知っており、また、その人柄を好んでいたので国王側に情報が漏れることはなかった。
もっとも、こちらの情勢を漏洩させてしまいそうな迂闊な貴族とは、情報のやり取りは控えたが。
集めた様々な情報を精査してみると、リキが参画しなくなった、ここ2年ほどの間に行われた戦では、国王軍はちょくちょく負けており、どうやら国王はリキの軍才を恐れ始めている節が見受けられた。
「俺が王位を簒奪するかも知れん……と思ったんだろうなぁ」
「しかし、そのようなことをリキ様がするはずが……」
「する……と思っちゃうんだよ。権力とかを手にするとね」
「でも……」
「護るモノが出来たりすると、疑心暗鬼になったりもするんだよ」
まだ国王を信じているクレアは噂を否定したが、リキはあり得る話だと見ていた。
「あの
「殿下を護るため……ですか?」
「信頼出来る家臣が傍にいないんだろう」
「陛下……」
アンジェラを慮って、クレアが小さく呟いた。
「だからと言って、討たれてやるわけにもいかんけどね。冤罪で殺されては適わん」
「はい……」
「すまんな。クレアには辛いだろうが……」
「いえ。リキ様こそ……」
アンジェラの信頼に応えるべく今まで東奔西走、力を尽くしてきたのに、謀反を疑われていると聞かされてはやりきれないだろう。リキの心情を思い、クレアは口をつぐんだ。
挙がってくる情報によると、側近のユリウスが予想以上に重用されており、特にリキのことを色々と吹聴しているらしい。アンジェラの遠縁の血族のユリウスは、5、6年前から側近として侍っていた。リキはその頃、アンジェラと行動を共にすることが多かったが、直接彼に会ったのは数回だけだった。
しかし、王弟ジュリアーノと親しい間柄のユリウスは、同じくアンジェラに思慕の情を抱いており、それゆえに、いきなり現れてアンジェラと親しくしていたリキを敵視したのだろう、とリキは推測した。クレアも同意見だった。
「まったく……。どこで人の恨みを買うか、分かったもんじゃないねぇ」
と、リキは溜め息混じりに、しみじみと言ったものだ。
「ただ、彼に色々と吹き込まれたにせよ、俺を疑ってるのも事実だろう。このまま黙って、手をこまねいているわけにもいかんしな。陛下が軍を起こすこともあり得るからな」
「そこまで……リキ様に対して、陛下がなさいますでしょうか?」
「あり得るさ。疑い出したら、人なんてそんなもんだ。同じ立場なら、俺だって分からんよ」
「いえ、リキ様なら、そんな……」
「いやいや、分からんよ」
「ですが、陛下はリキ様のことが……」
そこまで言いかけたクレアは、リキが唇に立てた人差し指を当てているのを見て、言葉を止めた。リキはそれ以上言ってはいけない――と伝えているのだ。
「それらを含めた全てを棄てて、あの
遠い過去に思いを馳せて、リキが呟いた。その言葉に少し物憂げな響きがあるのは、失望からか。
「リキ様……」
「いや、人の心は難しい。慮ることは出来ても、理解するってことは到底出来ないのかも知れないね」
自分を納得させるためか、誰に語りかけるでもないようにリキが言う。
「でもまあ、まだ実際に、陛下が動いたわけでもないし……、うん。念には念を――だ。今まで以上に、警戒を怠らんようにな」
「分かりました」
「それから、兵糧・武具の備蓄、砦の増強に修復とやっておくことは山ほどあるが、少しずつでいい。あまり表だってやって、かえって警戒されんようにな」
「はい」
後半はいつもの様子に戻ったリキの言動に、クレアは少し安心して、返事を返した。
そんなやり取りがあった後、リキは領地内での軍備の増強を秘かに開始した。そういった行為は疑念を生みかねず、慎重に行われた。
もっとも、リキの領地は少なく、軍備の増強と言っても大層な物ではなかった。国王側のリキを敵視する者たちから見ても、リキの保持する兵力は危惧するほどには思えなかったのである。お蔭でリキは、そのもしもの時のために、存分に備えることが出来た。
そして――。
国王による、リキ討伐軍が起こされた。
「ん……」
「お目覚めですか」
「うん?」
リキが目を覚ますと、クレアが声を掛けてきた。ゆったりとした楽な服を着たクレアが近くの椅子に腰かけていた。その手には指を挟んで閉じた本があった。リキが眠っている間、傍で読んでいたのだろう。クレアは改めて、本に栞を挟んで閉じて置いた。もう読まないと判断したようだ。
「夢を見た。ずっと昔の」
「そうですか」
椅子で眠り込んでいた姿勢のまま、ぼんやりと呟くリキに、クレアが静かに受けて答えた。リキがわざわざ口に出して言うということは、あの頃のことを夢に見たのだろう――とクレアはすぐに察した。
ただ、楽しかった、あの頃――。
「これは君が?」
リキは肩まで掛けられていた毛布の端を手に摘まみ、クレアに問うた。クレアは優しく微笑み、
「この部屋は冷えますから」
とだけ、言った。見れば、暖炉の火は小さくなっていた。どれくらい眠っていたのか。
「ずっと?」
クレアは黙って頷く。
「ずっと、お傍におります」
「うん」
「私だけは、どんなことがあっても、ずっと、お傍におりますから」
「うん」
クレアのその言葉に、リキが嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう。君がいてくれて良かった」
リキが万感の思いを込めて、そう言った。
「本当に良かった」
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