第3話 来てはみたものの
この山間の田舎町の外れに城がある。
二十年前ぐらいに町のシンボルとしてできた天守閣なのだが、何故かその中にはプラネタリウムが設置されている。
都会にない星空があり、と言うか、星空ぐらいしか他に威張れるものがなく、城の中のプラネタリウムという物珍しさを売りに町おこしをしようと考えたようだが、あまり成功したとは言えないらしい。
都会には何だってある。
もちろんプラネタリウムも。
わざわざ車に乗ってこんなへんぴな場所の小さなプラネタリウムにやってくる人は滅多にいないのだ。
そして、地元の人間もあまり来ない。
プラネタリウムに入らなくたって、この田舎町では夜になればいくらでも星空を見ることができるから。
今日も空席ばかりだろう。
しとしと雨が降っている。
壊れかけのビニール傘を差して、俺は城の入り口の脇にたたずんでいた。
琴美は星が好きで天文部に在籍している。
このプラネタリウムも好きで、俺も誘われて何回も一緒に来た。
琴美と初めてキスをしたのもこの城の中の星空の下でだった。
その思い出の場所に呼び出して、好きな星空を見た後、琴美は俺に何を告げようというのか。
嫌な予感しかない。
だからこそ、どうにも中に入る勇気が出てこない。
「入らないのかい?」
入り口の前でずっと雨の中、立ち尽くしている男子高校生に興味を持ったのか、スタッフジャンパーを着た受付のおじさんが扉を開いて訊ねてきた。
「いや、どうしよっかなと思って」
「ここまで来たのに?」
確かに、雨の中ここまで来てしまった。
これで入らないのも馬鹿みたいだ。
「でも、もう始まっちゃいましたよね?」
「まあね。でも、今、始まったとこだから。今日はちょっと面白い趣向もあるし、できたら観ていってほしいんだけど」
俺はおじさんに促され、気乗りのしないまま入場料の三百円を払った。
「何です?面白い趣向って」
「そんな野暮なこと訊きなさんなって」
おじさんはどこか楽しそうに奥のプラネタリウムに向かって俺の背中を押す。
扉に手を掛けると、「扉は二重になってるから。薄暗いから扉にぶつからないように気を付けて」とおじさんの的確なアドバイス。
俺はおじさんに礼を言って少し重い扉を開いた。
アドバイスどおり薄暗い空間のすぐ向こうに、もう一枚の扉がある。
それを開くと中は真っ暗だった。
と思うと、天井に東西南北の文字が現れ「今の季節、まず最初に姿を現すのは宵の明星と呼ばれる金星です」と受付とは別のおじさんの優しい声の解説が聞こえてきた。
「西」という文字のすぐそばに赤い星が輝き出す。
琴美はどこか。
瞬一や恵里は?
探そうかと思ったが、まさに星明りしかないプラネタリウムの中では見つけようがない。
他に客がいるかもしれず、うろうろと歩き回っては迷惑になる。
俺は近くの椅子に腰を下ろした。
「金星のすぐそばに土星も見えます。土星は御存知の通り、輪っかがありますね。この輪っかは無数の氷の粒でできています」
解説を聞きながら、中を見渡すが、やはり琴美はどこにいるか分からない。
仕方ない。
終われば会える。
俺は探すことを諦めて、椅子に体を委ねた。
天空が見やすいようにリクライニングが利いて仰向けに近い状態に体が傾く。
何だ、これ。
この椅子、こんなにふかふかだったっけ。
まるで空中を浮遊しているような感覚だ。
「北の空には北極星が輝いています。北極星は英語でポラリス。夜空の星々はこの北極星を中心にするようにして回転しています。まるでポラリスが王様で、それ以外の星々が王様に仕えているようですね。しかし、実際には星が動いているのではなく、地球が……」
おじさんの声が耳に心地良い。
そう言えば、ここのところあまり寝ていないんだった。
「西の空にはまだ夏の大三角が見えます。こと座のヴェガ、白鳥座のデネブ、そしてわし座のアルタイルを結ぶと……」
ありきたりの星の説明が続く。
何が面白い趣向なんだか。
まんまと営業文句に騙されたかな。
目を閉じれば眠ってしまうことは分かっている。
分かってはいるが、瞼の重さに耐えられない。
こりゃ、寝ちゃうな、俺。
「真ん中に流れている星々の連なりが天の川。天の川を挟んでヴェガとアルタイルが輝いています。この二つの星は日本では織姫と彦星として有名ですよね。しかし、中世ヨーロッパでは別の古代の物語が………」
一瞬、本当に一瞬、見上げる天球に巨大な流れ星が飛んで客席まで明るくなった。
そしてその明るさに俺から離れた客席にいた琴美の顔が浮かび上がった気がした。
琴美は微笑んでいる。
だけど、悲しげな目をしている。
もしかしたら泣いているのか?
さがして。
琴美の唇がそう動いた気がした。
俺の記憶があるのは、そこまでだった。
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