何者にも為れなかった俺は

 ところ変わって、その頃のレヴィオール王都。

 噴水広場のそばにある空き家の一つ。


 戦時下で長年放置されていたため、ほこりっぽくボロボロな部屋。

 盗難にったのか家具もほとんどなくなっているその場所を、四人は緊急の避難場所として使わせてもらっている。


 とはいえ、すでに戦闘は収束に向かっていた。

 少しずつ、殺気立っていた空気が落ち着きを取り戻し始めており、敵味方問わず誰もが終戦の気配を感じ取っている。


 そんな中、太陽の国の王子、アレックスは目を覚ました。


「ここは……?」

 介抱されていた少年が目を開く。少年の目には自分を見つめる二人の少女――ソフィア姫とリップの顔が映った。


「あっ、アルくん! ねえ、アルくんが気付いたよ!」

 赤毛のネコしっぽを嬉しそうに立ててリップが告げる。それを聞いたソフィア姫もほっとした様子だ。


「姉ちゃんに……リップ……?」

 ソフィア姫の膝枕ひざまくらは心地よかったが、寝ている場合じゃない気がする。

「だめだよ、まだ寝てなきゃ」

 心配そうな表情でソフィア姫は言うが、少年は気怠けだるさに気付かないふりをして身を起こした。

「いや、もう大丈夫だって……えっと、オレは……」

 まだ意識がぼんやりとする王子が周囲を見回す。すると、窓辺には外を警戒している老人――武闘家のような恰好をしたディオン司祭が居た。


 彼が着ている道着のような服は、袖から肩、そして背中にかけて広く黒焦くろこげている。まるで、燃える何かを背負い投げたかのような……。


 そこまで考えた頭の中に弾けるような感覚。

 アレックスは、自分たちの状況を完全に思い出す。


「そ……そうだ! あいつは? 黒騎士は――」

 よろめく少年。肉体は霊薬エリクシルによってすでに完治しているが、黒騎士から負わされた致命傷は見えざる部分にも大きなダメージを与えていた。

「ソフィア姫の言う通りです、アレックス君。きみはまだ休んでいなさい。あの薬が修復できるのは肉体だけ。精神はまた別なのですから」

 ディオン司祭が無理に立ち上がろうとする少年をいさめるように言った。


「でも、そんな場合じゃっ……!」

 老人の忠告を無視して少年は立ち上がる。しかしその結果、少年はよろめいて、ソフィア姫とリップに支えられることになった。


「無茶しないで、アルくん。もう大丈夫だから……」

「そんなこと言ったって――!」

「落ち着いて。ほら、あっち。まずは、湖を見て?」

 ソフィア姫がなだめるも、興奮気味のアレックスは納得しない。だから、ソフィア姫は窓の外を見るようにうながした。


「あれは……?」

 アレックスの目に入ったのは、氷の張った広大な湖――そして、その中央にそびえる、見慣れない氷の闘技場ドーム

 いったい、何だろう。

 声には出さなかったが、ソフィア姫はその疑問に答えてくれる。

「あれは、魔獣さんが作った、氷のおりです……あそこに今、黒騎士が。そして、魔獣さんが――」

 流石にそこまで説明されれば、最後まで言われなくても理解できた。

 そして、ここでようやくアレックスは、街中の戦闘音がほとんど聞こえなくなっていることに気が付いた。


「そうか……魔獣さんが……」

 アレックスはよろよろと窓辺に向かい、氷の決戦場をながめる。


 少年は理解した。

 もはや自分から遠く離れた場所で、これからの世界の命運を決める戦いが始まっていたことを。


「結局、最後まで頼りきりだったなー……」

 その表情は穏やかに笑っていたが、どこか悔しそうにも見えた。

「そうですね……どれだけ感謝しても、足りないくらい……」

 ソフィア姫が、アレックスの体が冷えないよう、肩に上着を掛けてあげながら言った。


 ……この気持ちを、なんと表現すればいいのだろう。言葉にできない複雑な感情だ。

 それでも、一番割合を占めているのは、間違いなく感謝だった。


 だから、アレックスは思い立ったように、大声で叫んだ。


「がんばれー!」


 見えないし、聞こえないし、気のいた言葉も思いつかないけれど。

 それでもアレックスは、のどが張り裂けるくらい、大きな声で応援した。


 それだけが、少年にできる精一杯のことだった。


 同じ気持ちで、ソフィア姫たちも凍る闘技場の行くすえを眺めていた。


 しかし、突然として空の果てが光り、何も見えなくなる。

 かみなりを何倍も大きくしたような音が王国中に響き渡った。


 誰も何が起こったか理解できない。そんな中、ソフィア姫だけが、その光景に見覚えがあることを思い出した。




 ――その日の出来事は、歴史書にこう記されている。


 世界の覇権をけて人々が争うなか、巨大な光の柱が、凍ったレヴィオールの湖をつらぬいた。

 霊峰に落ちた破壊の光は、南部平原の戦場から、そして遥か遠くの国々からも見ることができた、と。




 その光の正体は、メアリス教国が開発した大規模破壊魔術だ。

 八年前、レヴィオール侵略の際も使用されたそれは、貴重な高純度の魔石――悪魔バフォメッの瞳ト・アイをダース単位で消費してやっと発動することができる。


 黒騎士と合流した兵士たちが山道を必死になってかついできた新兵器。

 だが、今となってはバフォメット族のひたいの宝石は数が限られており、さらに参戦してくるであろう魔獣を死に至らしめることができないことも予測できた。

 そして、戦場では新たにソフィア姫が展開する障壁を突破できないという問題も生じた。

 以上、三点の理由から、黒騎士はその使用禁止を命じていた……はずだった。


「テメェっ! 何をしやがった!?」

 戦士のグランツが怒髪天どはつてんいた表情で一人の兵士に詰め寄る。

 その後ろでは、魔術師のジーノが別の兵士に銃口をくわえさせていた。


 二人が居る場所は城壁の外。

 そこに居る理由は、ジーノ何か大規模な魔術が発動する兆候を感じ取ったからだ。


 しかし、二人が駆けつけた時にはもう遅かった。

 ちょうどそのタイミングでくだんの魔術は完成し、湖に巨大な光の柱を形成したのである。


「まだこんな隠しだまを……往生際おうじょうぎわが悪いですね!!」

 ジーノが不機嫌な気持ちを隠すことすらなく、引き鉄トリガーに指をかける。すると、どこからか不愉快な笑い声が聞こえてきた。

 その笑い声は、グランツがおどしている兵士の口から漏れていた。


「何が可笑おかしいんだ。あぁん?」

 グランツが凶悪な顔面ですごむが、兵士は笑うことを止めない。

「いや、悪い。ただな……なにも理解していないあんたらが、滑稽こっけいに思えてなあ」

 その兵士は黒騎士に色々と報告していた副官の男――黒騎士のも兼ねていた、あの兵士だった。


「ハァ? 何を言ってんだ、テメェ?」

「ああ。むしろ感謝してほしいぐらいだねえ。なにせ、あの化け物をぶっ殺してやったんだからさ!」

 兵士は本気でそう言っている様子だった。


 何一つ悪びれない態度――それがグランツの逆鱗げきりんに触れる。

 思わずグランツは大剣の腹で、その兵士をなぐった。

「このクソ野郎め! あいつは確かに魔獣だが、おめえらなんかより、よっぽど人の心を持っているぞ!」

「グランツさん!」

 冷静さを欠いた戦士を、ジーノが止める。しかし、兵士は言葉を止めない。

 むしろ逆に、何か吹っ切れたように、彼はますます大きな笑い声をあげた。

ちげえよ、じゃねえって! ほんっと、知らないってのは幸せだよなあ!」

 その意味深な言葉に、ジーノは疑問を持つ。

「それはいったい、どういう意味ですか……?」



 ――その時、湖の中央で変化が起こった。



 具体的に何が起こったのかは分からない。

 ただ……光の柱の中で、何か恐ろしい存在の、嫌な気配が解き放たれたのだ。


 即座に氷の大剣を構えるグランツ。しかし、何も起こらない。

 なのに、目覚めた何かに対する不安と恐怖が消えることは無かった。


「マジかよ……」

 一転して絶望した表情となる兵士。

「あれで死なねえって……あれ? じゃあ、これ、ヤベえぞ…………」

「何が起こったのか、貴方にはわかっているのですか!?」

 ジーノが問いただす。しかし、それ以降における彼の言動は、要領を得ないものだけだった。




 ――実は、その兵士には、とある密命が課せられていた。

 内容は黒騎士の監視……および、いざという場合のである。


 かせを失った黒き騎士ニブルバーグの炎は非常に危険だ。

 なぜなら、新たなる宿主ねんりょうを求めて周囲の生物を無差別に焼き払い始めるからである。


 だから本来はそうなる前に殺しておくのが常であり、その役目を任されている暗部がメアリス教国内に存在するのだ。


 メアリス教国大聖堂の地下深く、初代黒騎士の遺体を収める封印鉄オリハルコンひつぎ

 熱であかく輝くそれは、黒い炎の火種ひだね


 メアリス教国はそれを徹底的に管理することで、黒騎士ニブルバーグの呪いを支配下に置いていた。


 ……だが、今回の事例はなかなか特殊だった。

 まだ半分以上の余裕があったはずなのに、たった今日半日の戦いで肉体が燃え尽きるほど――そして、他人の命を喰らい始めるレベルに達するのは想定外だったのである。


 本来なら毒殺が主な方法なのだが、当然そんな手段は現状不可能。

 だから、彼は応急的な手段として、この光の柱に頼った。


 禁じられた兵器を勝手に使用する責任と、もはや炎の化け物と化していた黒騎士を放置する危険リスク

 この二つを天秤に乗せて比べれば、彼の判断は決して誤りではなかったはずだ。


 しかし、唯一の誤算は……。


 * * *


 ――空から落ちてきた光に押さえつけられて、俺は動けなくなっていた。


 光が、熱い。

 物理的な熱さもあるだろうが、それ以上に魂が押さえつけられ、かれるような感覚。

 いや、よく見ると周囲の氷があまり融けていない。這いつくばる俺の頬に当たる氷の床は冷たいままだ。だから、感じている熱さは錯覚なのかもしれない。


 真っ白な世界。しかしそんな中でも、正面で膝をつく黒騎士と黒い炎の姿だけははっきりと見えた。

 俺たちの距離は一メートルも離れていない。

 互いの攻撃が交差した瞬間に、二人まとめて光の柱の餌食えじきである。あれは絶妙なタイミングだったと言えよう。


 確証はないが、これはメアリス教国側の援護だ。

 実際、黒騎士は落ちてくる光を黒い炎で焼いて、少しずつ体勢を立て直しつつあった。


 一方で俺は、湖に張った氷の上にい付けられたかのようだ。立ち上がることはおろか、まともに動くことすらできない。

 単純な圧力ではない。おそらく魂が直接押し潰されているのだ。だから、魔獣の怪力をってしても、立ち上がることは難しい。

 そしてこの状況に適応しようにも……どう進化すればいいのか、どんな風に自分の体を作り変えればよいのか、全く想像ができなかった。


 とはいえ、この光の柱がいつまでも続くとは思えない。

 しかも動きは拘束されるが、黒い炎とは違ってダメージは常時修復可能だ。こいつのせいで死ぬことは、まずないだろう。


 こうなったら、黒騎士が動くのが先か、この攻撃が消えるのが先か。

 耐え切れば勝機は俺にある……そう思った矢先だった。


 たとえるなら、卵からヒナかえるような……いや、そんな可愛らしいものではない。


 俺の目の前で、何かおぞましい存在がからを破る。

 そして、憤怒と憎悪に染まった何かが誕生した。


 別に鎧を突き破って出てきたわけではないが――黒騎士の背中から、完全な形を持った黒い腕が、まるで羽化する昆虫がごとく生えてきたのだ。


 生えてきた二本の腕は仮にも炎であるはずなのに、見た目は明らかに質量をもっている。

 さっきまでの『腕の形になった炎』とはえらい違いだ。

 そして俺にはその姿が、巨大な腕が生えた悪魔か――不謹慎かもしれないが、黒い翼をもつ堕天使のようにも見えてしまった。


 鎧の隙間から、瘴気のように黒い炎が噴き出す。

 燃える腕が凍る足場をつかみ、黒騎士の体を支える。


 そして黒騎士は雄叫びのような産声うぶごえを上げた。


 その混沌の中で狂気に苦しむような咆哮は、明らかに人間ののどから発せられた音ではなかった。


「さっきから卑怯だろ、そういうの……」

 戦いの中で成長するのは少年漫画の世界だけであってほしい。

 だが、俺がうめいたところで、その行為に意味は無い。


 巨大な黒い炎の手が、俺をくびり殺そうとつかみかかってくる。

 のどが締め付けられて、口から情けない音が漏れた。

 まるで、絞殺される子犬の気分だ。


 辛うじて首を動かせば、視線の先には黒い金剛鉄アダマンタイトの鎧。

 体は俺のほうが大きいはずなのに、氷の床に組み伏せられて、黒騎士を見上げるような形となる。


 触れられたところから炭化していく肉。ミシミシときしんで悲鳴を上げる骨。

 逆方向に曲がる背骨。

 ブチッと音がして、すじがねじ切られる。

 しぼられる雑巾のように、俺の全身がねじ潰されていく。


 抵抗は一切できない。

 空から落ちてくる光の圧力と、黒騎士の怪力。それらを前に、俺はすべがなかった。


 そして、黒騎士は腕をかかげる。

 背中から生えたほうではない、騎士剣を持った本物の腕だ。


 奴は剣を突き立てるように持ち替えると――そのまま迷うことなく、思いっ切り振り下ろした。


 ――脳が破壊され、思考が一瞬跳ぶ。


 黒い炎で焼かれて、しばらく修復できない。俺は今、どうやってものを考えているんだ?


 ぐりぐりと、剣で中身をかき回される感覚。


 修復が追い付かず、炭化した肉の下から骨があらわになる感覚。


 そして、とうとう……魂に黒い炎が届いた感覚。


 こんなこと、流石に初めてだ。


 魂が消滅すれば、いかに不死身の魔獣であろうと、二度と復活できないだろう。


 俺は今、確実に殺されている。それが理解できた。



 だんだんと、視界がブレて、ぼやけてくる。


 意識が、薄れてくる。



 死が、近付いてくる。




 そうか。俺は、負け……たのか……。






 そうか………………。












 ……――ふざけるなよ。



 最期さいごに俺は奮起ふんきする。


 こんな、何者にもれないままじゃ、終焉おわれない!



 炭化した体の何処どこにそんな力が残っていたのか分からないが、俺は黒い腕につかまれたまま跳ね起きる。

 そして、黒騎士の鎧に噛み付いてやった。


 いくら魔獣の牙といえども、金剛鉄アダマンタイトの鎧はつらぬけない。

 しかし、それでも必死で食らいつく。


 息を精一杯に吸い込むと、炭化した胸部が崩れ、開いた穴から空気が漏れた。すでに肺まで損傷しているらしい。

 それでも無理やり魔力を込めて、噛み付いたまま息吹ブレスを吐き出した。


 だが、吐き出せたのはただの冷気だ。黒い炎そのものと化している黒騎士に、大した効果は期待できない。

 それでも、この魔力の柱、光の雨の中、体外で氷を作ることはできないし、そんな余裕もなかった。


 だから俺は、何かの奇跡を信じて、幸運にすがりつくように息吹ブレスを放ち続ける。


 毛皮と鱗の隙間から、青い光が漏れる。

 白い光に呑まれた世界の中、闇の炎と冷気がぶつかり合う。


 頼む。このままじゃ終われないんだ。


 恥だらけの、みじめな生涯を送ってきた。


 この無意味で、無価値で、ゴミみたいだった人生。

 それに意味を与えてくれたのは、ソフィアだった。


 ソフィアは俺に、幸せの在り方を教えてくれた少女だった。

 そして、最初で最後、幸せになってほしいと、俺が願った少女だった。


 勝利は自分のためじゃない。

 だから、せめて最期さいごぐらい、花を持たせてくれ。


 ソフィアが俺にくれた感情あいを、無駄にさせないでくれ。


 あのの未来に、むくいさせてくれよ――!



 使。だから、せめて、こいつだけは――。




『お主の不死は、罪に対するじゃ。英雄ごときに、なんて、都合の良いことは考えんことじゃな』




 ……なぜか、放浪の魔女の言葉を思い出した。

 俺は忘れていたのだ。かつて死を望んでいたからこそ、俺は死を奪われたのだという事実を。


 俺が死を受け入れるほど、逆に俺の命は死から遠ざかって行く。


 そう言えば、昔にもこんなことがあった。


 たとえるなら、まるで腹の奥から命そのものが湧き上がるような、そんな錯覚を覚えるほどに。


 死に近づけば近づくほど、『生きる』ための力がふくれ上がっていく。


 そうしている間にとうとう、黒い炎が完全に俺の魂へ燃え移り、だが湧き上がる命が燃え尽きることは無く……。



 ―― ミ ツ ケ タ。



 そしてついに、その声が聞こえてしまった。



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