騎士の誓いは(上)

 かすれゆく自我の中で、その声に意識を向ける。


 この声なき声……既視感があるな。いや、それとも既感と言うべきか。

 そう言えば、前回こんな声を聞いたのも、レヴィオール王国でだったな。


 ただ、あの時の無邪気な子供っぽい声たちとは違い――それは、男の声だった。


 ――ヤット、見ツケタ。燃エ尽キルコトノナイ命ヲ。


 なんだ、今度は炎の精霊か?

 次はお前が力を貸してくれるのか?


 ――アア、ソウダ。チカラヲクレテヤル。ダカラ、連レテイケ。


 冬の王の俺に、炎の精霊かよ。

 まあ、どうせこのままじゃ、黒騎士に勝てない。他に選択肢はない。

 それに、現状でも雪や氷の精霊を連れているし、属性が増えたところで今さらだな。


 いいさ。連れて行ってやるよ。

 ここまで来て、迷いなんてしない。


 だから、俺にチカラを、今すぐ寄越よこせ!


 ――ソシテ殺セ。偽物ノ女神ヲ殺セ。


 炎の声は最後にそう言い残し、俺の全身は黒い炎に包まれた。






 ……これは、遥か昔の出来事。千年以上前のお話です。

 かつて、この世界で、とても大きな戦いがありました。


 邪神と呼ばれる異界の化け物たちと、異世界から召喚された英雄たち。

 その激しい戦いのすえ、英雄と呼ばれた子供たちはついに邪神の封印をやり遂げたのです。


 しかし、平和を取り戻した世界に、英雄こどもたちの姿は無くて。

 決戦の地から帰って来たのは、たった一人の騎士でした。


 彼は異世界から招かれた英雄ではありませんでした。

 ただ、人一倍正義感の強かった彼は、異界の子供たちに戦わせて自分が何もしないなんて、そんな不義理に耐えられなかったのです。


 それなのに、結局彼の命は子供たちに救われました。

 邪神を封じるために犠牲になったのも、異世界から来た子供たちでした。


 彼は沈んだ気持ちで、勝利の報告に向かいます。

 そのたった一人で歩む姿は、凱旋がいせんと表現するには、あまりにも悲しいものでした。


 そんな彼を出迎えたのは、英雄を召還した神官や魔術師たち。

 そして、一人の少女でした。



「お帰りなさい、ニブルバーグさん!」



 予想外の出迎えに、騎士は驚愕きょうがくして目を見開きます。

「シノノメ、嬢……?」

 騎士に名前を呼ばれた少女は嬉しそうに、にっこりと笑いました。

「はい、そうですよ。生きて帰ってきてくれて、本当に良かったです!」


 騎士の胸に飛び込んで、ぎゅっと抱き着く彼女の名前は“東雲しののめアリス”。

 召喚された英雄の一人にして、世界を構成する精霊たちと対話することが可能だった少女です。


 騎士は目の前に少女が居る事実を、まだ信じることができません。

「どうしたんですか? もしかして、迷惑でした?」

「いや、それ以前に……なぜ、君が、ここに……?」

「ニブルバーグさん。そんなこと、

 その屈託のない笑顔は、以前の彼女と全く同じものに見えます。


 黒い髪に、濃い茶色の瞳。

 ベージュと茶色の制服――甘い焼き菓子のような色合いで、独特な形状をした大きなえりが特徴の水兵セーラー服なる衣装です。

 そして年齢の割に幼い外見。そう言えば、彼女はいつも、身長が小さいことを気にしていました。

 さらに、最初に会った時と変わらない、天真爛漫てんしんらんまんな振る舞いに、人懐ひとなつっこい性格……。


 何もかもが、記憶に残る彼女そのものです。


「…………違う」


 、騎士は言いました。


 東雲しののめアリスは、召喚された英雄の一人にして、世界を構成する精霊たちと対話することが可能だった少女。

 そして、その能力ゆえ邪神に目を付けられ――もてあそばれて、無残に殺された少女でもありました。


 騎士が驚いたのも、無理はありません。

 だってその少女は――とっくの昔に死んでいるはずだったのですから。


 騎士は少女を突き放します。


「貴様は、だ?」

「え? なにを言っているのです? アリスのこと、忘れちゃいましたか?」


 彼女がそう言ったのを聞いて、騎士はますます確信しました。

 なぜなら、彼女は自分の名前を『子供っぽい』だとか『きらきらねーむ』だとか言って、とても恥ずかしがっていたからです。

 だからこそ彼は、親しくなっても『シノノメ嬢』と呼んでいたのですから。


「彼女の一人称は『わたし』だ。それ以上に、あの子が自分のことを、名前で呼ぶなど有り得ない」


 騎士には『きらきらねーむ』とやらの意味が分かりませんでした。

 むしろ、彼女の名前はこちらの世界でも耳慣れた響きでしたし、小柄な彼女にぴったりの愛らしい名前だと思っていました。

 ただ、騎士にその名前を呼ばれると、少女はいつも不機嫌になってほおを膨らませたのです。


 しかし、少女は言いました。


「そんなことないよ! そっか、ニブルバーグさんは知らないんだね。アリスが名前で呼ばれるのを嫌がった本当の理由!」


 彼女はなぜか楽しげに、そして勝ち誇ったような表情を見せます。


「普段からアリスはね、自分のことをアリスって呼んでいたの。でも、ニブルバーグさんの前では、できるだけ大人っぽく振る舞ってたんだよ」


 少女は自分の気持ちを語っているはずなのに、その口調はどこか他人のことを話しているようでした。


「それなのに、私をアリスと呼ぶ貴方は、いっつも子ども扱い。気遣ってくれるのは嬉しかったし、頭を撫でてくれるのも嫌じゃなかったけど……アリスはもっと大人のレディとして扱ってほしかったの」


 一瞬だけしょんぼりとした仕草を見せたあと、パッと笑顔に戻ります。


「だから、次から気を付けてね! というわけで、正解は『アリスはニブルバーグさんが好きだから』、でした! なんかこういうのって、胸がキュンキュンしちゃう!」


 最後まで他人事のような口調で明かされた恋心。何が何だか分からない騎士は、ただただ唖然あぜんとしてしまいました。


「大人として扱ってほしい――そう思うのがすでに子供っぽい気もしちゃうけど。でも、それを含めてこそ、この子の魅力だと思わない? ただ、せっかく可愛い名前なんだから、この子は自分のことを名前で呼ぶほうが可愛いと思うの」


「……だから、貴様は、何者だ」

 黒騎士が再度たずねると、少女は自信満々に答えます。


「アリスは、アリスだよ。東雲しののめアリス。何度かれたって、答えは変わらないってば」


 彼女なのに、彼女ではない。

 その不気味な存在はさらに続けます。


「この体はちゃんと、この子のものだし、魂も、記憶も、能力も、感情も、無意識だって、全部引き継いでるんだから――」


 不意にあふれ出した気配は、今日まで戦ってきた宿敵たちと同質のものでした。


いて言えば、、別の『わたし』が混じった……だよ」

「貴様! やはり……!!」

 騎士は剣の柄に手を当てます。しかし、彼の行動をさえぎるものがありました。


「正義に浮かれるのは、そこまでにすることですな。騎士団長殿」

 発言したのは、その場でひと際年老いた神官でした。


「それとも、女神様に剣を向ける心算つもりか?」

 騎士の首筋に当てられる、冷たい金属の感触。聖銀ミスリルのナイフに、つーっと、血が流れます。

 いつのまにか彼の背後には、魔術師の一人が立っていました。


「女神? どういうことですか!? こいつの正体は――!」

「邪神――だったらなんだと言うのだ?」

 騎士には、神官が何を言っているのか、その意味が理解できません。


「まあ、考えてもみたまえ。仮に邪神が存在しない世界が始まったとして……はたして、その支配者となるべきは、何者であるのかを」


 別の神官が口を開きます。


「次に始まるのは、人間同士でゆたかな農地を、資源を、領土を、そして奴隷を奪い合う世界だろう」


 また別の神官が口を開きました。


「さらには亜人のようなまがい物まで出てくる始末。混乱は必至。ならば、民衆を導くは、これまで通り我らであるべきだ」


「しかし、愚民どもが崇めるは英雄ばかり。実に闇弱あんじゃくなことよ」


「上に立つべきは、戦うしか能のない餓鬼ガキどもではなく、奴らを召喚し、従える私たちだというのに」


「そう、この新たなる時代。我らこそ、その支配者に相応しい。世界は我らを中心に動くべきなのだ。そして、彼女の存在は、我らの覇権を盤石なものにしてくれる」


「全ての人民は教会にひれ伏すのが正しい姿。ゆえに、我々は彼女を新たな女神として信仰することを決定したのだよ」


 最初の神官が締めくくりました。


 世界という牢獄に捕らわれた囚人たちは、手を取り合えば助かるのに。

 しかし、世界の仕組みがそれを許しません。


 全ての生き物は、騙し合い、奪い合い、殺し合って、喰らい合うことを前提に成立しているからです。


 誰かが犠牲になって守った世界。

 なのに、そこで幅をかせるのは、いつだって戦わなかった人間たち。


 身をけずって弱者のために戦う者と、弱者から奪う者。同程度の能力なら、はたしてどちらが生き残るでしょう?


 当然、奪う側に決まっています。


 そして世界は蠱毒こどくのように、より濃縮された悪意を深めていくのです。


 騎士はナイフを突きつけられたまま、怒りを抑えきれず肩を震わせます。


「……初めから、その予定だったのか?」

「左様。すでにあまねく世界に蔓延まんえんする邪神。それらを全てほふることなど、初めから不可能だったのだよ」


 神官が言うと、目の前の少女――の姿をした邪神が補足します。


「だからこその封印。世界丸ごと結界の中。でも実は、肉の体があれば、完全な封印はまぬがれる」


 邪神東雲しののめアリスは、得意げに制服のスカートをひるがえしました。


「それでね、アリスは『この子が欲しい』ってお願いしたんだ。だって、どうせなら可愛いほうが、いろいろたのしめるでしょ?」


 騎士は全てを理解してしまいました。

 アリスという少女はただ邪神にもてあそばれて死んだのではなく――初めから、生贄として捧げられる段取りだったという真実を。


「――下衆ゲスどもが!!」

「青いな。これは正当な取引だよ、ニブルバーグ殿」


 異界から拉致しょうかんした子供たちを、死地へと送り続けた神官が言いました。

 そもそも邪神を相手に対等だと勘違いしているその態度は、まさしく傲慢ごうまんと言えるでしょう。


「口をつつしみたまえ。お前はしょせん、剣を振るしか能がない一介の騎士にすぎないのだ」


 異界の子供たちを拉致しょうかんし続け、自分は邪神に立ち向かうことすらしなかった魔術師が言いました。

 てして、奪うことしか能がない人間は、なぜか自分を賢いと思っているのです。


「まったく……何故なぜこんな物分かりの悪い男に、我らと同等の立場を与えねばならないのか……」

 不快そうに騎士を見下す偉そうな魔術師。騎士にはその言葉の意味が、また分かりませんでした。

「何を言っている!?」

 魔術師の代わりに、邪神の少女が答えます。

「アリスが頼んだの。だって、アリスはニブルバーグさんが大好きだからね」


 その瞬間、どこからともなく何か細長いものが姿を現し、騎士を拘束しました。


 長いムカデの胴体みたいな触手は、騎士に絡みついて離れません。

 それは植物のように枝分かれし、葉の代わりにムカデの脚のようにうごめとげが生えそろっています。


「それに、そろそろアリスも眷属けんぞく作りたいなーって思っていたし、人間の繁殖はんしょくはキモチイイらしいから、前から興味があったんだ」


 無邪気に――彼女は邪神なのだから、絶対にそんなことは有り得ないのだが――とにかく無邪気な笑顔でそう言いながら、彼女はチェック柄のスカートをたくし上げました。


 スカートの陰から姿を現したのは、やわららかそうな太腿ふとももと、濡れた白いショーツ……そして、隠されていた、人間にしては余分な足でした。


 短いスカートの何処どこに入っていたのか、その追加された四本の足はひざのあたりまで、少女のものと同じ見た目です。

 しかし、そこから先は赤黒い甲殻に覆われており、光沢のある細長い足には硬質な毛がくしのように生えそろっています。

 石の床にこすれてカリカリと音を立てるそれは、まるで不快な昆虫の脚のようです。


 そのあまりのおぞましさに、騎士はもがきます。

 しかし、彼を拘束する触手は鎧の内側にも入り込み、ムカデの脚が騎士の全身に食い込み始めました。


 騎士が必死に逃げ出そうとする一方で、邪神アリスは自分の足よりも、濡れたショーツと、その中身のほうが気になる様子です。


「うわあっ。本気の女の子って、こんなになっちゃうんだ……」

 不自然に多くあふれ出た粘液を指でまみながら、邪神は興味津々に見つめます。

「アリスは年齢の割に小っちゃいから、ちゃんとできるか心配だったけど……これなら大丈夫そうね」

「放せ! なぜ邪神が、こんな回りくどいことを!?」

 指の先で糸を引くそれをぺろりと舐めてから、邪神アリスは答えます。


「なぜって……面白いし、キモチイイから?」


 そう答えると、アリスは絡みつく触手で騎士を無理やりひざまずかせ、その唇を奪いました。


 何かが無理やり騎士の口をこじ開け、ぬめった何かが舌に絡みつきます。

 それは邪神アリスの舌ではなく、もっとおぞましい呪いでした。


 口の中を、ヌルヌルしたヤスデのような、とにかく無数の蟲に凌辱される感覚。

 さらにそれが爪を立てながらのどの奥へと滑り込み、そこから全身に広がっていく感覚。


 騎士は必至で口を閉ざそうとしましたが、抵抗虚しく呪いを受け入れてしまいました。


 やっと解放される口。二人の間に唾液が糸を引きます。

 騎士は視線だけでも殺せそうな形相で邪神アリスをにらみました。


「そんな目で見たって、人間が邪神アリスたちにかなうわけがないんだよ?」


 だから、英雄こどもたちの犠牲は無駄だった。彼女はそう言いたかったのでしょうか。


「だからニブルバーグさんも、くだらないこと考えてないで――キモチイイこと、しましょ?」


 今度はかつての少女のものとは違う、おぞましくも妖艶ようえんな笑みをアリスは浮かべました。



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