太陽を背に北風は(下)

 俺はソフィアたちに背を向けて、徐々に雪が激しくなり始めた街中を駆け抜ける。

 魔獣の脚力なら、先行する冒険者たちに追いつくのも困難ではない。


 眼前に広がる凍った広大な湖。

 両軍の戦闘はその手前の市街地にて行なわれているようだ。

 このまま真っ直ぐ行けば、到着先は……黒騎士はおそらく、あそこに合流したのだろう。

 戦場の気配を追って、俺は石畳で舗装ほそうされたゆるい傾斜の坂道をくだって行く。


 全てに決着をつけるために。

 そして、この物語を終わらせるために。


 ――しかし、その先で目にした光景は……あまりにも、理解不能だった。


 いや、正確に言うなら、脳が理解を拒絶していた。


 言葉で表現するなら、其処そこは、冒涜的ぼうとくてき火葬場かそうば

 石畳が見えないほどに、地面を埋め尽くしていたのは、兵士の死体。


 死体。死体。死体。


 死体には黒い炎が燃え移っていて、じわじわと“燃焼”させていく。

 たとえるなら、休日の繁華街に隙間なく焼夷弾しょういだんをばら撒いたかのような、そんな残酷で壮絶な光景。


 そのしかばねれの中央に立つのは、もはや見飽きた黒騎士の姿。

 火力の増した黒い炎が、まるで吸引されているかのように、黒騎士の元へと集っていく。


 奴の鎧姿はまるで……鬼火か霊魂を回収する死神のようでもあった。


なんなんだ、これは!? いったい何がどうしてこうなった!?」


 俺は到着するなり、叫ぶように冒険者組へと問いかける。

 すると、その現場から遠巻きに突っ立って眺めていたジーノが、口にする言葉を一つひとつ選ぶように声に出した。


「……『命を対価に燃える』黒い炎でしたっけ。どうやらそれは、自身の命限定ではなかった……ということでしょうか?」

 できれば理解したくなかったが、俺は理解してしまった。

「おい、まさか……!」

「ええ。ある種これも、広義の意味における“魂喰たまぐい”と呼べるのですかねえ?」

 だから、俺にくなって。分かるわけないだろうが!

 そもそも魂喰いとやらの意味すらもよく分からないんだ。もっとも、そっちはニュアンスからなんとなく把握できたが。


 ジーノの隣に立っているグランツや、その他のバフォメット族や連合軍の兵士も、動くに動けないといった様子だ。

 近付きたくない気持ちはわかる。

 それでも警戒は解かず、彼らは黒騎士に武器を向けていた。

 彼らは恐怖しているというより、訳が分からないと戦慄せんりつしている表情だった。


 ……待て。バフォメット族や連合国の兵士?

 ならば、今燃やされている兵士は、どこの兵士なんだ?


 そう思ってよくよく観察してみれば、黒騎士が喰らっているほとんどは、メアリス教国の兵士たちであった。


「まさか、あいつ、で火力を回復しているのか……?」

 人肉を直接咀嚼そしゃくしているわけではないので共食ともぐいと言うのもおかしな気がするが、この凶行を表現するのにそれ以上の言葉が思いつかなかった。


 生き残りのメアリス兵たちが往生おうじょうしているのは、黒騎士を挟んだ対面側たいめんがわ

 彼らにとって黒騎士は、最強の味方だったはずなのに……目の前で仲間たちが黒い炎の海に沈む、その惨劇にはさすがの彼らも動揺が隠せない。


 鎧に吸収された黒い炎は勢いを増す。

 それは最初に会った時よりも力強く、メラメラと不穏なオーラのように燃え上がっている。


「今までやらなかった以上、あれには相当の危険リスクがあると見るのが妥当でしょう。あるいは、単に理性が……」

 黒騎士の雄叫びがジーノの言葉をかき消す。

 炎を喰らいながら咆哮を上げる黒騎士は、俺なんかよりもよっぽど化け物をしていた。


「……完全に狂っただけだろ。早くどうにかしないと、文字通り皆殺しにされるぞ」

 勢いを取り戻した黒い炎。

 あれをさっきと同じように、ソフィアが防げる保証はない。

 俺は奴が炎を吸収しきる前に突撃しようと身をかがめ、あしに力を入れる。


「……ですが、ソフィア姫の結界を避けて、味方から先に喰らう知性は残っているようです」

 ジーノの冷静な反論に、俺は舌打ちした。

 確かにそうだ。むしろあの状態ならソフィアの結界を突破可能だと判断できたからこそ、黒騎士は戦略的撤退を決めた――そう考えるのが自然だろう。

 理性を失っていない黒騎士相手に、正面から愚直にぶつかるのは無謀でしかない。


 しかし、そう手をこまねいている間にも、黒騎士は他人の命を燃料に再始動する。

 消える直前だった命の灯は、魂喰らいという外法げほうによって勢いを取り戻した。

 そして、ある程度味方を喰ってソフィアの結界を抜けるようになったら――今度はこっちに奴の矛先が向くはずだ。


 下手すれば、敵味方問わず最後の一人まで焼き尽くされる結末もあり得る。

 もはや何度目か分からない形勢逆転。


 毎回奴が新しい何かを見せるたびに、これ以上は酷くならないだろうと願ってしまうが……にもかかわらず黒騎士はあっさりと最悪の想像を超えていく。

 そして今回、さらに状況は絶望を極まった。


「クソッ、また沼に沈めるか? いや、でも炎だけで動けるのか。じゃあ、どうすれば……」

 とはいえ、炎だけで完全な単独行動を始めないのがせめてもの救いだ。おそらく鎧が核となっているのは間違いないだろう。


 だが、だからと言って打つ手が思いつかない。

 ついさっきソフィアに『俺が終わらせる』と宣言したばかりなのに……俺が格好をつけると、何時いつもこうだ。


 せめて黒騎士をどこかに隔離かくりできれば……そう考えた俺の目に入ったのは、黒騎士の背後に広がる凍った湖だった。


 ――けわしい霊峰のふもとにして、広大な湖のほとりに位置するレヴィオール王国の王都。

 その町を守護する日月状とも言うべき城壁は、湖の風景を開放的にのぞんでいる。


 その広大な景色は、俺にひらめきをもたらした。


 なんだ……泥沼より、ずっと良い場所があるじゃねえか!

 しかもこれなら、奴の黒炎攻撃だって封じることができるはずだ。


 きっと偶然ではなく必然――いや、運命か。まるで俺のために用意されたステージである。

 まさに圧倒的な天啓てんけいだった。


「おい、ジーノ」

 はやる気持ちを抑えて、俺は魔術師の青年に声をかける。

「お前ならあいつを、とにかく遠くまで吹っ飛ばすことはできないか?」

「はあ、意味は分かりませんが……今なら可能です。ただ本気でやるなら、私はまともに動けなくなるので一発限りですけどね」

 よし。とりあえず、前提条件はクリアだ。


「しかし、落下死は期待できませんよ。何か策があるのですか?」

 いぶかしんだような口調のジーノに俺は答える。


「策ってほどでもないが……あいつは空を飛べない。そのうえ、攻撃手段が炎ばかりだ。それなら、凍った湖の上だとさぞ戦いにくいだろうと思ってな」

 ジーノはメガネの奥の目を見開いて俺へと振り返った。

「……なるほど。それは盲点でしたね」

「まっ、戦いにくいのはお前らも同じだろうがな――だが、俺は違う。雪と氷は、俺の配下だ」

 もう、これ以外はない。俺はそう思った。


 するとそのタイミングで、黒騎士が炎を放ち、グランツが氷の大剣で防ぐ。


 そろそろ時間切れらしい。

 これ以上誰かが喰われる前に、作戦を実行したほうがよさそうである。


「なら、黒騎士は任せましたよ――偉大なるディ・エルダ大地よっ・ボーデン!!」

 黒騎士が攻撃の反動で硬直した隙を見逃さなかったジーノは、さっそく行動に移した。


 ドゴンッと大砲のような音を立てながら、地面が突然隆起りゅうきし、黒騎士の鎧はまるでピンボールの玉のように弾き飛ばされる。


 初速は上々じょうじょう。これなら飛距離にも期待できるだろう。

 割とシュールでコミカルな光景だが、俺たちは大真面目だ。失敗は絶対に許されない……だって失敗すれば、次はないのだから。

 俺もすかさず龍のドラゴン・言霊ヴォイスで援護する。


 ――【吹雪よ】【我が敵を】【運べ】――


 宙に射出された黒騎士は、凍えるような突風にさらわれるかのごとく、湖の方角へと連れ去られる。

 気をふるわせて黒騎士と対峙たいじしていたグランツは、突然の展開に若干じゃっかんぽかんとしながら、雪の向こうに姿を消す黒騎士を見送った。


 即興で考えた作戦だが、ここまでは上手く行った。

 あとは――。


「……じゃあ、お前たちとの共闘は、一旦いったんここまでだな」

 一時はどうなるかと思ったが、あと俺がすべきことは、黒騎士を倒すことだけだ。

 もはやこの場に不死身の怪物が居る必要はないだろう。

 俺は別れの挨拶あいさつを切り出す。

「今からあの氷の舞台で、俺は黒騎士と決着をつける。それ以外の人間たちは、任せたぞ」

 そう言いながら魔術師の青年を見やれば、黒騎士を吹っ飛ばすのにチカラを使い果たした彼は片膝をついていた。


「やれやれ……やはり、こうなりましたか」

 ジーノが皮肉気にも見える笑みに口元をゆがめながら、思わせぶりな言葉を口にする。

「……やはり?」

 俺がたずね返す。すると、ジーノはメガネの位置を直した。

「いえ、以前私なりに星詠みの魔女様の予言を考察したのですが……最終的には貴方が黒騎士を相手取るだろうという予想が的中しただけですよ」

「そうか……」

 まあ、俺も……なんとなく、こうなる気はしていたよ。

 運命を受け入れていた俺は、ふっと笑った。


「グランツ」

 次に俺は、メアリス兵の残党に威嚇いかくしている戦士の男に呼び掛けた。

「おう。こっちは任せろ! 負けんじゃねえぞ!!」

 グランツは振り返ることもなく、連合軍と共に生き残ったメアリス兵を包囲する。


 飾り気のない激励げきれいの言葉。しかしそれは、しっかりと俺の胸に届いた。

 意外にも、それ以上の言葉は俺に必要なかった。


「お前らもな」

 俺もグランツに一言だけを返した。


 彼らの様子を見る限り、黒騎士さえ俺がどうにかできれば、レヴィオールの勝利は揺るがないだろう。

 ならば冬の魔獣は、しっかりと北風の役を果たすだけ。


 人間を辞めてしまった化け物同士で、決着をつけるのだ。


 俺は足に力をめると、凍りついた湖を目指して地面を蹴った。






 ……――城壁を抜けて、黒騎士が落下した地点は湖のほぼ中央。

 分厚い氷は割れることなく、降ってきた黒騎士を受け止めていた。


 奴に追いついた俺は、レヴィオールの王都を背に、氷の防壁を作り上げる。


 さらにそのまま背後のみならず、俺たちの周囲を囲むように――たちまち凍りついていく半球ドームは、まるで鳥籠とりかごのように俺と黒騎士を捕らえた。


 見上げれば、せまくもり空。

 空でも飛べない限り、この簡易的な鼠返ねずみがえしとなっているコロシアムから逃げ出すことは不可能だろう。


 つまり、黒騎士が脱出するには、必然的に俺を殺さなくてはならない。

 そして、俺はこいつを生きたまま逃がしてやるつもりは無い。


 すなわち、一騎打ちである。


「……思えば、お前に殺されかけたのが、いろんな意味で始まりだったな」

 そう考えると、少し感慨深い。

 聞こえているかは分からないが、俺は一方的な口調で奴に語りかける。


「まあ、これを言ったら台無しかもしれないけどさ……」


 周囲には黒騎士以外の誰も存在しない。

 俺は気兼きがねなく吹雪の結界をまとい、宙に舞う氷柱つららつるぎを展開する。


「……やっぱり、俺は、ひとりのほうが強い」


 今まではたてとして利用していた孤独。

 大切な人たちを助けるため、一度は捨てたそれを拾い直して、今度はつるぎとして構え直した。


 周囲の気温が下がる。

 空気が、風が、水が、世界の全てが凍り始める。

 視界を奪い、感覚を惑わせ、触れた全てを凍らせる死の濃霧が立ち込める。


 ここは、聖域。

 環境に適応できた限られし種族以外は、生きることすら許されない。


 加護を与えるソフィアの聖域とは真逆の、おれに認められた存在以外が全て死に絶える極寒の世界。


 まとしもと氷の鎧は、より冷たく、硬く、そして刺々しく――。



『最後の選択肢は、バラを取り戻し、しかし人間に戻らず、この冬の世界で獣として永遠を生きる未来……最も辛く、そして救いの無い選択です』



 ――だが、その選択のおかげで、こうして戦える。

 これ以上、自分を嫌いにならないで済む。


 水晶のバラを取り戻したことに、後悔は無い。

 人間に戻らないと決めたことにも、後悔は無いさ。


 望まれずに生まれ、吹雪の世界で生きてきた。

 そんな暗く冷たい俺の世界を照らしてくれた太陽を――彼女たちを守るため、北風おれは思い出に背を向けて吹きすさぶ。


 そして行き着いた先の、氷の壁に閉ざされた孤高の舞台。

 凍った湖面の闘技場。はたして此処ここは誰の墓場となるのか。


「――さあ、この決戦のバトルフィールドで、決着を付けようじゃないか!!」


 他人の正義つごうではない。

 俺が守護まもりたい誰かのために、俺は戦うのだ。


 俺は冬の世界におのれの意志を示すため、ひときわ大きな咆哮を上げた。



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