太陽を背に北風は(中)

 ああ、このシチュエーションには既視感がある。

 俺の記憶が正しければ、これで三度目だったはずだ。

 しかもそのうち一回は、まさに今と同じように……彼女は黒騎士の前に、その身を投げ出した。


 無力である悔しさを噛み締めた、苦々しい記憶。

 みすみす彼女が殺されそうになった――まさに、あの日と同じじゃないか。


 なぜソフィアは、こんな危険な場所に来てしまったんだ? その理由を考えた結果、自分が黒騎士を倒せなかったせいだと思い至る。

 俺たちを助けるために、彼女が危ない目に合うなんて、本末転倒だ。


 ……だが、何もできない悲しみを知っている俺が、どうしてソフィアの無謀な行いをとがめることができるだろうか。

 俺は不甲斐ふがいない自分自身に嫌気が差した。


 黒騎士が怨霊のような声でえる。抹殺対象であるレヴィオールの姫君を見つけて興奮しているのだろうか。

 すると、その隙をうように、ネコミミ少女のリップが駆け出した。

 目指す先は……アレックスか?


 しかし、初めからネコミミ少女など黒騎士の眼中にはない。リップは易々と、黒騎士の横をすり抜けてディオン司祭と合流する。

 そうしている間に、黒騎士はターゲットをソフィアに定めた。


 黒騎士は前傾姿勢をとり、彼女に斬りかかろうとする……つまり、俺たちから意識をらしたわけだ。


 もちろん、そんな隙を逃すわけがない。

 それ以上に、それ以上にソフィアをこれ以上傷付けることは許さない!


 今この場で一番素早く行動できるのは魔獣の俺だ。

 俺は誰よりも速く黒騎士の背後から急接近し――そのがら空きな背中を目掛けて、オオカミかトラのように、牙をいて跳びかかった。


 しかし、俺が黒騎士の鎧に噛み付いた刹那せつな、鎧から噴き出した炎が騎士の姿の幻影となってソフィアに斬りかかる。

 俺が体をひねって鎧のほうを地面に引きずり倒しても、炎の影は止まらない。


「ソフィア!!」

 俺は地面に転がった鎧を払いのけ、騎士の幻影を止めるべくソフィアの元へ向かう。

 だが、まるで追いつけそうにない。


 ダメだ、このままじゃ……!



 ――だいじょうぶです。



 声は聞こえなかったが、少女の可憐なくちびるがそう言ったような気がした。


 ソフィアは向かって来る黒騎士ぜつぼうから逃げ出すそぶりも見せないで、静かに手を前方へかかげた。


 その手の先に現れたのは、魔力によって構成された壁。

 しかし、俺が知っているものとは明らかに違う。


 なぜなら、その壁に衝突した騎士の幻影が、ただの黒い炎に戻り、壁の表面を燃え広がるように霧散したからだ。


「……さきほど魔女様に、このチカラの使い方を教えていただきました。今の弱り切った貴方では、わたしの守りをくことは不可能でしょう」


 本当は少し怖かったのだろう。

 ソフィアは声を強張こわばらせながら、しかし堂々と言い切った。


 驚くべき光景だった。俺が知る限り、以前なら彼女の結界魔術は黒い炎に太刀打ちできず、かき消され続けていたはずだ。

 だが今回の結界は、たくみに炎を受け流しているように見えた。


 なんだ、『これ以上は手を貸せない』って言っていたくせに。しっかりサポートしてくれているじゃないか。

 いや、それとも星詠みのほうか?

 とにかく俺は、ソフィアを助けてくれた誰かもわからない魔女に感謝する。


 しかし、それは同時に、彼女を守る不死身の魔獣は必要ないという事実も意味していた。

 ……考えすぎかもしれないが、少なくとも俺にはそう思えてしまったのだ。


「さあ、降伏してください。貴方たちに勝ち目は、もうありません」


 ソフィアが黒騎士に降伏勧告を下す。

 炎の騎士が完全に消滅し、地に伏した鎧の黒騎士は感情の読めないうめき声を上げた。


 ……さて。

 これでこの戦闘も、そろそろだな。


 俺はほっと安堵あんどすると同時に、不謹慎にも淋しさのようなものを感じた。


 偶然とはいえ、グランツが持つ氷の大剣は黒騎士の炎をもろともせず、金剛鉄アダマンタイトの鎧を切り裂く。

 ソフィアの結界は、魔術を焼くはずの黒い炎すら防ぐ。


 そして此処ここに、滅多なことでは死なない不死身の怪物が存在する。


 おまけに黒い炎の出力も、かなり弱ってきていると来た。

 この状況をチェックメイトと看做みなさないのは、明らかに無理筋だろう。


 ――ところがそう思った矢先、奴が思いもよらない行動に出る。

 圧倒的な不利を悟った黒騎士がとった次の一手は……まさかの逃亡だった。


「あっ、テメェ、待ちやがれ!!」

 即座に反応するグランツとジーノ。

 冒険者たちは逃げる黒騎士を追って、噴水広場から出て行ってしまった。


 なお、一番奴の近くにいたのは俺だったが、呆気あっけに取られていたせいで逃亡者をみすみす見送ってしまう。

 まさか黒騎士が逃げるなんて、あまりにも予想外。

 こんな状況など想像すらしていなかったのだから、流石に反応するのは無理だったと言い訳させてもらいたい。


 逃げ出した黒騎士の姿を見て、ソフィアが憐憫れんびんの情をにじませながら小さくつぶやく。


「そうですか。もはや貴方は…………ごめんなさい。わたしが貴方を、救ってあげられなかったばかりに……」


 偶然にも聞こえた、彼女のささやくようなその後悔。

 その言い方から察するに、もしかしてソフィアは、あの黒騎士すら救済しようとした時期があったのだろうか。


 俺は彼女の優しさを再確認すると同時に、その優しさが向けられる相手に黒騎士すら含まれていることを複雑に思った。




 本当なら俺も黒騎士を追うべきだと思う。

 だが俺は、真っ先にソフィアの元へと駆け寄った。そうした理由は特に無かった。


「ソフィア!」

 俺が少女の名を呼ぶと、彼女は俺に振り返ってくれた。


「魔獣さん! その……えっと……」

 再会に言葉に詰まるソフィア。だが無理もない。俺だって彼女に何を言っていいのか分からないのだから。


「いや、挨拶は別にいい。それより、怪我はないか?」

 俺はソフィアの無事を確認する。


「はい。おかげさまで、わたしには傷一つありません。それより、皆様のほうが……」

「――そ、そうだった、アレックスが!」

 ソフィアがそう言ってくれたおかげで、もっと重症な少年がいたことを思い出せた。


 別にないがしろにしたわけじゃないが、なぜか申し訳ない気持ちになる。

 せめてその罪滅ぼしに……というわけではないが、今度はソフィアを引き連れて大至急アレックスの元へと駆け寄った。


「アレックスの様子はどうだ?」

 ディオン司祭とリップにたずねる。すると、その二人には挟まれるようにして、少年が眠っていた。

 ただし、さっきとは異なり、痛々しい胸の焼き印は消えている。


「リップさんが秘薬エリクシルを持って来てくださったおかげで、容態は安定しました。もう、心配はいらないでしょう」

 ディオン司祭が答えた。それを聞いて俺は安心した。


 確かに、ジーノは全員に小瓶をもたせていたみたいだから、斥候の少女が同じものを持っていても不思議ではない。

 俺はネコミミ少女とディオン司祭に礼を言う……そう言えば、この老人からすれば俺は初対面のはずだが、彼は自然に俺を受け入れてくれているな。

 まあ今は、改めて自己紹介している場合ではないか。


「アルくん……」

 かたわらでソフィアが眠る少年のひたいをそっと撫でる。その仕草からは、少年に対する少女の深い愛情が読み取れた。


 そのうれいを帯びた表情も美しかったが、見ているといろんな意味で胸が苦しくなる。

 例えば、ソフィアに対する感情とか、彼女の視線の先に居るのが自分じゃないこととか、彼女が愛する少年を危険な目にわせた罪悪感とか……。

 なので、つい視線をらしたところ、ふと目に入ったアレックスの寝顔に違和感を持った。


 もっとよく見てみる。だが、違和感はぬぐえない。

 その整い過ぎた容姿も相まって、少年なのにまるで、王子様のキスを待つ眠り姫にも見えるが……むしろ彼はれっきとした王子様だ。

 唯一、頬に残った傷痕きずあとだけが――ここで、少年の頬にあった古傷も一緒に消えていることに気が付いた。


「……ああ、そうか。秘薬エリクシルか」

 一瞬だけ驚いたが、すぐに納得する。

 どうやら再生の秘薬は、少年の顔に残った消えない傷も一緒に治してしまったらしい。


 ――いや、違う。

 これこそが、本来あるべき姿なのだろう。

 もしここが地球だったら、アレックスは去年か一昨年までランドセルを背負っていたはずの年齢なのである。


 そんな子供が、戦場なんかに居ていい理由はない。

 ましてや大切な人を救うために、一生消えない傷痕を残すなんて……そもそも、そんな必要があること自体がおかしいのだ。


 それに気が付いてしまった瞬間、俺には急にアレックスが小さく見えてきた。


 いや、実際に、小柄なのだ。

 だって少年はまだ、成長期も終わっていない子供なのだから。


「……ソフィア」

 俺は少女に呼び掛ける。


 ――あとになって思えば、俺はこの時、本当の意味で覚悟ができたのかもしれない。

 もちろん、今までの覚悟だって間違いなく本物だったが、それ以上に強い覚悟って意味だ。


「目が覚めるまで、アレックスをてやってくれ。こいつは俺のことを“友”と呼んでくれた……こんなところで、死なせたくはない」


 それこそが、俺の導き出した結論だった。


 たとえ世界が残酷であろうと、愛し合う二人は、ちゃんと幸せになるべきなのだ。

 そして、この若い二人の未来を守るのは……きっと、何者にも為れなかった俺が果たすべき役目なのだろう。


 ならば、何時いつまでもこうしていられない。

 黒騎士はすでに、次の戦場に居る。


 追わなくては。


 俺は奴を追うために、ソフィア達に背を向ける。


「魔獣さん……?」

「少年は十分頑張った。あとは――俺が、全て終わらせよう」


 アレックスたちと共に戦うこの戦場は、とても悲惨なのに、俺にとってはなぜか、とても居心地が良かった。

 しかし当たり前だが、この戦いは、終わらせなくてはならないのだ。


 黒騎士が弱り始めたこの機会チャンスを、逃すわけにはいかない。


「ソフィア」

 最後に一度だけ、俺は振り向かないまま彼女に言う。

「……アレックスを、頼んだぞ」


 そして、末永く、お幸せにな。


 たとえ童話でなくても、この素敵なお姫様と王子様は――ちゃんとしたハッピーエンドを迎えるべきなのだから。


「…………はい」

 ソフィアはささやくような声で、しかしながらしっかりと答えた。


 彼女の返答に満足した俺は、急いで黒騎士たちのあとを追った。

 その場所には、毛皮からがれ落ちた霜の欠片だけが残った。




 ……言うまでもないことだが、それは精一杯に見栄みえを張って、本当の気持ちを隠した台詞せりふだった。


 彼女にとっての俺は、冬に呪われた地に生息する不死身の魔獣。

 ただ、それだけで良いのだから。



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