吹雪く氷の世界の怪物(上)
――そこは、
永遠に終わらない冬に閉ざされた、呪われし大地。
その地に枯れ果てた草木は、春の訪れを知らない。
冷たき
凍りついた街の跡は、かつて滅びた王国を儚む墓標のように。
年中止まない吹雪の音は、まるで
それらは詩人たちが誇張した詩歌の一節だ。しかし、その内容は
夜の闇に吹雪く世界。季節の恵み無き弱肉強食の王国。
その南側の境界となっている枯れ木の森は、
その原因は、一頭の
まるで
そして、その身体は冬に呪われた地であってさえも、毛皮の上からさらに霜が凍りつくほど冷たい。
毛皮の下や鱗の隙間からは、
その姿は、まさに魔獣と呼ぶに
そして、彼の頭部を飾るは、輝く氷の王冠。
もちろん本物の王冠などではなく、張り付いた氷の
だが、もし吟遊詩人たちがその恐ろしくも
しかし、その背中には
その痛々しい姿は、王と呼ぶにはあまりにも哀し過ぎた。
冬を
その正体は“死”を失った人間の末路。
自分を憎み、他人を憎み、そして世界の全てを憎んで、冷たき獣の王へと身を落とした男の成れの果て。
紅いバラを散らし、
救済の未来を拒絶し、真実の愛の代わりに
心の一部を
――そして今、冬の王は、その身を
枯れ木の森を、気でも狂ったかのように駆け回る冬の王。
何もかも、今さらながら気がついた。
しかし、彼にはもう、どうしようもない。
憤怒、憎悪、不安、恐怖、焦燥……それらも全て、
それ
抑えられない
本来的に魔獣は、その存在を維持するための食事を必要としない。
しかし、相手の爪や牙が
そして、魔力で満たされた魔獣の血肉は、実体のない
だが、その興奮も至福も、獲物と殺し合って、その血肉を
戦いの熱が引いてしまえば、再び思考は孤独な
再び森に響く悲鳴。
地に伏すは、
赤い鮮血が純白の世界を一部
結局、いくら食べても、いくら殺しても満たされない。
もっと強い魔獣を、魔力を含む肉を殺して
凍りついた血に
より強い獲物を求めて。より満たしてくれる相手を求めて。
空腹の幻影を誤魔化すため、わざと痛みを覚えるように、傷付きながら獲物と殺し合う。
不死の肉体によって損傷は修復されてしまうが、その上からさらに痛みの証を刻み付ける。
その姿は皮肉にも、失ってしまった『死』を取り戻そうと、必死に
* * *
……衝動に駆られて冬の城を飛び出してから、どれだけの時間が経過しただろう。
食い荒らされたイノシシの死体に背を向けながら、俺はふと考える。
少なくとも何度か昼が来ていたから、今宵は何日目かの夜になるはずだ。
一週間ぐらい? それとも半月?
一ヶ月は……流石に経っていないと思う。
そもそもよく考えたら、この世界の月が満月になるのは何日周期なのだろうか?
まあ、どれだけの月日が流れていようと、もはや何も関係ない。
きっと俺は、これからの孤独な永遠を、ずっとこうして生きていくのだろうから。
俺は毛皮にこびり付いた血のシャーベットを乱暴に
放浪の魔女が冬の城の玉座の間から居なくなり、取り残された俺を襲ったのは……胸の中が一部、空っぽになったような感覚だった。
腹が減っているわけでもないのに、
胸が虚無で詰まるような気分なのに、空っぽになってしまった場所に何かを詰め込まなければ、そのまま自分が壊れてしまいそうな不安感。
皮肉にも、この感覚を俺は知っていた。
むしろ、人間だった時は、ずっとこんな気分だった気がする。
ただ幸か不幸か、地球では何かに追われるような毎日の暮らしで、心が
果たしてどっちが幸せなのだろうか。
この虚無感と
この絶望という名の毒に救いは無い。
しかし、幸いにも魔獣となった今の俺には、その空白を埋め合わせる手段が存在した。
基本的に、魔獣は食事を必要としない。それは俺とて例外ではない。
それなのに魔獣は――特に肉食獣が元となった魔獣の多くは獲物を
それは
ずっと疑問だったが……完全に魔獣になったおかげで、その理由が今なら分かる。
狩りと捕食。
それらは魔獣にとって本能の
誰かと殺し合っている間だけは、余計なことを考えなくて済む。
魔力を多分に含む魔獣の肉は、中毒的な麻薬のような快楽を与えてくれる。
やり場のない怒りと憎しみ、その他
それに、どうせ俺は死なない強靭不死身の怪物なのだから、何をするのも自由だ。やっと俺は、自由を得たんだ……明らかに自暴自棄になっていることが、自分自身にすら理解できた。
かつての俺は無力な人間だった。
容姿は優れておらず、才能には恵まれず、財力は持てず、当然権力なんてものも無く。
そんな俺が世の中の間違いを声高々に主張しようものなら……試したことは無いが、世間は俺に冷ややかな嘲笑を向けただろう。
なぜなら俺は無力だったから。
持たざる者の叫びを、世の中の連中は聞いてなんかくれない。
弱者の言葉に価値はない。
無力な虫ケラをぞんざいに扱っても、どうせ奴らに報復なんてできっこないし、何も怖がることはない。こんなの、当たり前の話だ。
そして、もしこんな内心を
だが俺は、それならそれでよかった。
綺麗事ばかり言いやがって、気に食わない。
お前らだって、大して世の中に貢献していないくせに。俺を馬鹿にできるほど、立派な存在じゃないくせに。
そもそも人間自体が下らない。今の俺からすれば、ただの貧弱なサルの延長だ。
せいぜい勝手に殺し合って滅んでしまえ。
どうせ奪い合い、
……それとも、やっぱり俺が間違っているのだろうか?
たとえ
愛さえあれば、奪い合わずとも、誰もが幸せになれるのだろうか。
なあ。もしそうならば、証明してくれ。
俺の魂にこびり付いた、この未来に対する閉塞感と絶望を否定してくれよ。
――いったい俺は、どうすれば良かったんだ?
いっそ、『答え』を魔女に教えてもらいたかった。
だが、再び彼女が冬の城を訪れることはありえるのだろうか。
「……ありえないだろうな」
俺は小さな声でひとりごちた。
すでにバラは散った。
物語はもう、今度こそ本当に、終わってしまったのである。
とりあえず、あの大量に作らされたブラッドソーセージは無駄になってしまうのだろう。
もう二度と戻らない日々の忘れ形見が、凍りついた胸にちくりと刺さった。
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