灰と砂と花弁と(下)

 鎖の魔女は妖艶ようえんで、言葉を交わせばミステリアスかつ老獪ろうかいな印象を受ける傾国の美女……もとい、建国の美女である。

 しかし、その実はかなり情の深い女でもあった。

 具体的に言えば、とっくに天寿を迎えた愛娘の子孫……特に彼女に生き写しであるソフィア姫をメアリス教国の魔の手から救うため、魔獣化の術式に色々な仕掛けをほどこしていたくらいだ。


 何を隠そう、魔獣が『故郷』を失った時、彼がこの世界へ流れ着くよう誘導したのは彼女だ。

 ついでに『ぬくもり』の解釈も拡大して、冬に呪われた地――ソフィアの住む町に一番近い異界へと魔獣を押し込めた。


 そう。何もかも偶然ではない。全てはソフィア姫がための必然。

 要は初めから、鎖の魔女は見ず知らずの魔獣にソフィア姫の守護者をつとめさせる心算つもりだったのだ。

 仮に魔獣が別の何かを失っていたとしても、それは変わらなかっただろう。鎖の魔女がそう望んだ時点で、最終的に彼がこの世界へ辿り着くことは確定事項だったのである。

 ――あるいは、それも含めて、魔獣とソフィア姫の出会いは運命だったのかもしれない。


 そして、多少の想定外はあったものの、ソフィアを守るという目的からすれば、魔獣は見事にやってのけた。

 確かに、まだ危機は去っていない。しかし、既に連合国側がソフィアを保護しているのだ。もはや部外者となった魔獣にこれ以上の責任を求めるのは酷だろう。


 鎖の魔女にとって、魔獣は決して悪い印象ではなかった。むしろ彼女の中では、魔獣に対する恩義も負い目もあった。

 とはいえ、それとこれとは話が別である。


「だって、私にとって、貴女も、大切な友達だから……」

 鎖の魔女のその言葉には、確かな思いがもっていた。


 彼女の情は、血のつながった肉親にのみ向けられるわけではない。

 単純に、放浪の魔女が掛け替えのない親友だった。だから、鎖の魔女の中で天秤が彼女にかたむいた。それは仕方がないことのはずだ。


 さらに加えて……これは結果的にだが、魔獣はチカラを手に入れてしまった。永遠の命を手に入れてしまった。


 どれほど連なっていようと、誓約ゲッシュには相違ない。その本質は代償と対価。決して理不尽な奇跡なんかではないのだ。


 たとえ本人が望んでなくても、彼は自分にとって必要だったものを手に入れた。

 差し出された代償に相応しいものを手に入れた。


 それはつまり、天秤が釣り合い、誓約ゲッシュが成立したことを意味する。


 釣り合いがとれて、かつ完結してしまった天秤は、非常に強固な摂理となるのだ。本来なら手を触れるべきではない。

 ましてや、そこに手を加えることなど、誓約ゲッシュを得意とする鎖の魔女でもなければまず不可能だろう。

 さらに、そのために放浪の魔女を差し出す必要があるともなれば……鎖の魔女はその依頼に対して、どうしても肯定的になれなかった。


「どれだけ絶望と孤独、苦しみのなかにあっても、彼はまだ、死んでいないわ……何時いつの日か、救われる時代ときが訪れるかもしれない……」

「……あ奴が手に入れたのは、じゃ。永遠の命なんかではない」

 放浪の魔女は静かな口調で否定した。

「それでも……貴女が命を差し出すのは、その結末を見届けてからでいいと思うの……それにまだ、他の道だって、あるかもしれない……そうでしょ?」

 それでもなお説得をこころみて、鎖の魔女は途切れ途切れの言葉で放浪の魔女にたずねる。

 その彼女の心情は、放浪の魔女にも痛いほど理解できた。


 もし、取り返しのつかないことになっていれば、鎖の魔女は放浪の魔女の頼みを聞き入れただろう。

 しかし幸か不幸か、まだ彼には薄氷のような希望は存在していて……それならば、まだ放浪の魔女に居なくなってほしくないと、鎖の魔女は願ってしまうのだ。

「……儂は、良縁に恵まれておるのう」

 放浪の魔女はどこかさびしげに微笑ほほえんで、しみじみと友情の重さを感じていた。


 放浪の魔女は、空間を操る魔女だ。その能力はこの世界に留まらず、異世界にすら転移できる。

 ただし、放浪の魔女はその能力の代償として、誰からも“しばられること”ができない。


 どんな人物であっても、彼女を永遠に繋ぎとめることはできない。


 どんな場所であっても、彼女を永遠に閉じ込めることはできない。


 どんな世界であっても、彼女を永遠に捕らえ続けることはできない。


 そして同時に、彼女は誰の心にも留まり続けることができない。


 彼女が誰かを繋ぎとめることは叶わない。

 足繁あししげく親交を重ね続けなければ、誰かの記憶に残ることもさえできない。


 絶対的過ぎる自由の代償。

 何を隠そう、すでに彼女は世界からも忘れられ、幼い姿のまま歳を取ることすらできなくなっているのだ。


 だからこそ彼女は“縁”を大切にするし――自分を含めた全てを憎み、みずから世界との縁を断ち切り始めた魔獣を救いたいと思った。


 それは、もしかしたら『居場所』が無い者同士で、同類相あわれんだ結果なのかもしれない。


「ままならぬものじゃの。魔女だなんて持てはやされたところで、たった一人の心を救うこともできん……」

 あの男を助けてやりたかった。だが、すぐに忘れられてしまう自分では意味が無かった。

 だから運命的な“誰か”との出会いを演出した。

「あと、悪戯心いたずらごころを起こしたのもよくなかったのう。あの童話のような、都合の良いことは早々起きるものじゃない……我ながら、浮かれすぎじゃったか……」

「そんなに卑下しないで……私は、あのお話、好きよ?」

 鎖の魔女が、どこかズレたなぐさめ方をする。

 どれだけチカラがあっても、たった一人に執着してしまう……そんな放浪の魔女の愚かさを、鎖の魔女は笑えなかった。


「ならば、儂の最期の頼みを、聞き届けてくれんか? この物語を、失意と絶望のまま終わらせないためにも」


 ――失意と絶望のまま、終わらせないために。

 放浪の魔女にわれて、ふと、鎖の魔女の脳裏には遠い昔の情景が浮かんだ。


 誰かの幸福をこいねがう気持ち。それを知っている鎖の魔女。

 彼女は無意識に自分の左手を――薬指の指輪を見て、かつて死に損なった自分のことを思い出す。


「………………分かったわ」


 もはや、彼女には、断る口実が無かった。


「でも、そうなると……さびしく、なるわね」

「……なーに。お主も、儂のことなど、すぐに忘れるさね」

 二人の魔女は、静かに別れの言葉を交わした。




 そして、儀式は始まった。

 儀式のため、あらゆる光は抑えられる。そのため、部屋の中は薄暗い。

 いくつかの蝋燭ろうそくの灯りだけが、あやしく周囲を照らしていた。


 静寂のなか、鎖の魔女の一挙一動に、巻き付いた鎖が音をかなでる。

 最初に鎖の魔女は銀製の盆を用意して、その上に黒ずんでしなびたバラの花弁を取り出した。

 放浪の魔女は何も言わず、その様子を見守っていた。


 硝子ガラスのケースから取り出された花弁は、大抵の者から見れば無価値なゴミにしか見えないだろう。

 しかし、鎖の魔女はそれらを、とても丁重にあつかう。


「大切なのはね、この花弁なのよ。花を咲かせることじゃないわ。この散ってしまった花弁こそが、彼の心の欠片カケラなの……」


 鎖の魔女が花弁にそっと触れる。すると、銀製の盆の上を、静かに炎が広がっていく。

 その炎は幻想的に揺らめいた。


「だから、他所よそから、別の花を持って来るのも駄目。たとえ、どんなに綺麗な花でも、それはもう“彼”じゃ、なくなるから……」


 そして、炎は消える。燃え尽きた銀の盆に残っていたのは、真っ白な灰だけであった。


「本当は、どっちが正しいのかしらね? その刺々とげとげしいくきを、もう一度大切に育て直して、また新しい花を咲かせるまで見守ってあげるのと……」


 鎖の魔女は思案するように目を閉じる。

 そして何処どこからか、綺麗な硝子ガラスビンを取り出した。


「でも、そうしたら……憎しみと絶望をかてにして、今度はきっと、ゆがんだ花を咲かせるでしょう……それはそれで、悲しい結末だわ」


 そのビンかたむけると、銀の盆に純白の砂がさらさらと注がれた。

 蝋燭ろうそくの灯りを受けてキラキラと輝くそれは、粉々に砕かれた水晶クリスタルのようだった。


「彼の性格は、そうね……かわいて、凝り固まっていて、とってもかたくなで難儀。だから、またえて、愛を遠ざけるかもしれない……」


 ビンが空になると、鎖の魔女はそれをテーブルの上に置き、今度は人差し指をおどらせる。

 すると、彼女の指の動きに従うように、砂と灰は銀の盆の上で螺旋らせんを描きながら混ざり合う。


「それならば、今度はいっそ、枯れない花を咲かせましょうか……貴女の望みが叶うように、命がある限り、彼の希望が絶えてしまわないように……」


 もう一度、愛の奇跡をやり直すため。思いやりと幸福の物語をつむぐため。

 やがて砂と灰は、透き通って、再び徐々に、形を成していき――。


「……考え直すなら、これが、最期さいごの機会よ?」


 いつの間にか、放浪の魔女の首回りに、鎖がゆるく巻き付いていた。

 鎖の魔女は、最後にもう一度、少女の覚悟をいた。


「お主もいい加減、くどいわ」


 椅子の上にちょこんと座った放浪の魔女。彼女は巻き付いた鎖にも一切動じず、鎖の魔女の問い掛けを一蹴した。


「じゃが、ありがとうな。お主の気持ちは、素直に嬉しい。それと……儂の我がままに突き合わせて、すまんかった」

「……いいのよ、このくらい。だって、私たち、友達でしょ?」


 何度も別れを経験した魔女たちは、そう簡単に涙を流したりしない。心の整理は既についているのだ。


 二人の間には、ただ静寂が流れる。

 そして、その瞬間は訪れようとしていた。






「その儀式、ちょっとだけ待ってくれませんか!?」


 重々しい雰囲気にそぐわない底抜けに明るい声が、儀式中の部屋に響いた。


「あら、貴女は……?」

 予期せぬ客人に、鎖の魔女は手を止める。

 いつの間にか閉め切っていたはずの扉は開かれ、そこには踊り子のような衣装を着た少女が立っていた。


 星屑を散りばめたように輝くつややかな深い紺色の髪は、明け方の空のような瑠璃るり色に染まりながら腰の下まで伸びている。

 そして、彼女の藍色の瞳の奥にはキラキラと、満天の星屑が輝いていた。


 訪れた魔女の二つ名は“星詠み”――ある意味で全ての元凶、予言をもたらす星詠みの魔女だ。


「……なぜ、お主がここに居る?」

 放浪の魔女がたずねると、星詠みの魔女はにっこりと笑った。

「なぜって言われましても。そんなの、用があるからに決まっているじゃないですか。ドロシーちゃん♪」

 星詠みの魔女は悪びれた様子も無く言った。


「用事じゃと? 今更儂らに、何を話すことがあるのじゃ?」

 そのふざけた態度に、放浪の魔女が突っかかる。

 だが、はっきり言って、星詠みの魔女の用事など、どうでもよい。とにかく今はっきりしているのは……彼女が意図して、この大切な儀式の邪魔をした、それだけだ。

 放浪の魔女はそのまま殺せてしまいそうな視線で、星詠みの魔女をにらみつけた。


 しかし、そんな険悪な空気の中でさえも、星空の化身のような少女は何一つ物怖じした様子を見せない。

 むしろ放浪の魔女に向けられた殺意すら、彼女は楽しんでいるように見えた。


「いえ。別に大した用事ではないのですが……ドロシーちゃんの、その役目。ステラちゃんにゆずってほしいなーって♪」


 星詠みの魔女が言っている意味を理解できず、唖然あぜんとする放浪の魔女と鎖の魔女。

 そんな二人を眺めながら、常に星空を瞳に映す魔女は不敵に微笑ほほえんだ。



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