放浪の魔女

 例の食事会の後、俺は魔女がよみがえらせた大浴場で疲れを癒していた。

 熱めのお湯に全身を浸らせ、体を温めながらリラックスだ。


「しかし……すげえよな、これ……」

 浴室が広すぎて、独り言はほとんど反響しない。

 こんなに広い風呂、今まで見たことがないぞ。

 もうこれがあるおかげで、俺はますます人間に戻りたくなくなった。できるならずっと冬の城で過ごしたい。


 念願の温かい風呂に入れて、俺は満足していた。

 ちなみにソフィア姫はとっく寝室に案内されている。今頃はきっと夢の中だろう。


 ふと、濡れた石畳の上を歩く人の気配がした。

 湯気で姿ははっきりと見えないが、この浴場に来る相手は限られる。その正体は見るまでもなく魔女だと分かった。


「……何か用か?」

 俺はそちらに顔を向けないで声をかけた。


 視界の端に金髪の幼女――肌色の占める割合が妙に大きい人影が映るが、俺は残念なことにロリコンではないのだ。サービスシーンにはなりえない。

「なに、ちょっと話をしようと思っただけじゃ」

 予想通り、魔女の声だった。

 せめて、その貧相な体を隠す素振りくらいはしろと思った。


 うつ伏せで湯に浸かっている俺の隣に魔女は座る。

 そのけっぴろげで堂々とした振る舞いはなんというか……とてもババ臭い。

 少なくとも、花も恥じらう年頃の乙女だったら、絶対にしない振る舞いだろう。


 仮にも、女の子と一緒にお風呂に入っている――普通ならそんな嬉し恥ずかしのシチュエーションであるはずなのに、自分でもびっくりするほど嬉しくなかった。

 むしろ、ただただ残念である。

 メリハリのないツルペタすっぽんで、しかも中身が恥じらいの欠片カケラもないババアって……そもそもロリババアとは、いったいどの層に需要があるジャンルなのだ?


 そんなことを思っていると、ぴしゃりと俺の顔をめがけて湯がかけられた。

「なんだよ? いきなり」

 湯が飛んで来たほうを見ると、魔女がすこぶる不機嫌な顔で俺をにらんでいた。

「お主……今、だいぶ失礼なことを考えんかったか?」

 ……勘のいいババアは嫌いだよ。

冤罪えんざいだ。言いがかりはよせ。何も考えちゃいねぇよ」

「……そうか。なら良いわい」

 よし。どうやら上手く誤魔化せたようだ。


 そうホッとしたのもつかの間、となりで半身浴していた魔女が俺の横に近づいてくる。そして無遠慮に、俺の背中をペタペタと触ってきた。

「……今度はなんだ?」

 身じろぎしながら俺は問う。

「いや、特に理由はないのじゃが……お主、こうして毛が濡れてぺったりしておると、どうも獣には見えんのう。むしろ沼地で日光浴するトカゲじゃな」

「……とりあえず撫でながら毛を逆立てるのはヤメロ」

 ただでさえ他人に触れられるのは苦手なのだ。俺は魔女の手を尻尾で払い除けながら言葉を返した。


「おお、すまんすまん。お主が意外といい毛並みしとるもんじゃから……」

「くすぐったいんだよ……でもまあ、確かに。言われてみれば、イグアナに見えないことも、ないかな」

 太い尻尾があるため、特に後ろ脚のつき方などは哺乳類とは明らかに異なっている。

 ただ、トカゲのように極端な股という感じでもなく、骨盤の形はラプトルとか、そっち系の恐竜に近い気がする。

 そのおかげか、俺はその気になれば二足歩行することもできた。

 まあ、短距離ならともかく、長距離を全力疾走しようと思ったら四足歩行のほうが効率良いのだがな。


「しかし、よくそんな変な体勢で平気じゃの? それでは肺が圧迫されんか?」

「尻尾が長くて邪魔なんだ。この体勢が一番楽なんだよ」

 俺は湯の中でゆらゆら尻尾を揺らしながら答えた。仰向けになるとどうしてもこの尻尾が邪魔になってリラックスできないのだ。


「……それで、要件は? まさか、わざわざこんな世間話するために入ってきたわけじゃないだろ?」

「半分はそのまさかなんじゃがな」

 俺は面倒臭い話題になる予感を察知した。

「どうじゃった、お主の花嫁候補は? なかなか可愛い娘だったじゃろ」

 ……やっぱり、その話か。

 なんとなく、親から興味もないお見合いを勧められるアラサー女子に親近感が湧く。俺はため息をいた。


「いい加減しつこいな。何回でも言うが、人間に戻るつもりはないぞ」

「想像以上に反応が薄いの……戯曲ぎきょくで例えるならヒロイン登場の場面じゃぞ? もう少し盛り上げるべき場面じゃろうが」

 魔女の言葉に、俺は鼻で笑った。

「それはない。可愛さにめんじて贔屓目ひいきめに見ても、面倒事が転がり込んできただけじゃないか。常識的に考えて、手を出すわけにもいかないし」


 むしろ逆に考えてみろ。

 もしここで俺が「ウヒョー、美少女がキター」とか言って舞い上がっていたらどうする?

 そっちのほうがよっぽど頭おかしいと思うのだが。


 そもそもの話、『真実の愛』という言葉自体が俺には似合わない。

 伊達だてにこの歳まで童貞でやっているわけじゃないのだ。

 現実問題として、俺には婦女子に好かれる要素はないし、女の子をやしなってやれるようなふところの広さもない。ついでに金もない。

 さらに言えば、今さら自分以外の他人と共に過ごす日々など、ストレスばかりが溜まりそうで前向きに考えられない。


 つまるところ、ありえないの一言である。

 愛するどころか、それ以前の前提からして、俺には土台無理なのだ。


 確かにソフィア姫は美人だ。

 それこそ、黒髪ロングストレートが好みであると豪語する俺の性癖を軽く突破して、可愛いと思わせてくるぐらいには規格外の超美人。

 遠巻きに見ている分には眼福である。


 しかし、それだけである。

 彼女をどうこうしようとは思えない。


 ……もちろん俺にだって、可愛い女の子とイチャイチャしたいといった欲望はあるし、そういうことに興味がないと言ったら嘘になる。

 だが悲しいかな。

 ブラックな社会の荒波に揉まれた俺にはもう、サカったサルのような……もとい、若々しい元気ハツラツさは残っていないのだ。


 世間で言うところの男子というやつで今日まで通してきたツケだな。

 おぜん立てされたところで悪いが、そういった色恋沙汰の優先順位はかなり低かった。


 今や俺が最も欲しいのは、誰にも邪魔されない孤独の静寂と、安らかな眠りの時間だけ。

 言葉を飾らずに表現すれば、独りでダラダラ過ごしているほうが楽なのだ。


 ――それに、俺はもう決めたのである。

 これからの俺は一人で、のんびりと、自分のために、好きな事だけをして生きていくのだと。

 俺の周りに、わずらわしいだけの他人なんて必要ない。


「自分のことばかり考えるのはいかんぞ。あんないたいけな少女が困っておるのに、お主は助けてあげようと思わんのか?」

「それは遠まわしにあの娘をにしろって言っているのか?」

 ソフィア姫のためを考えるなら、なおさら俺の態度が正解だと思うのですがねえ。

「どう考えてもありえないな。下手すりゃ、親子ほど歳が離れてるぞ? まあ、必要なら最低限の手助けはしてやるさ」

 そして彼女には、どこか遠くの、俺の知らない場所で幸せになってもらおう。

「……問答無用で見捨てないだけ、脈ありと思っておこうかの」

 魔女は納得していない物言いだったが、とりあえず俺の答えを良しとしたようだった。


 話のついでに、俺は思っていた疑問を投げかけてみる。

「真面目な話、俺なんかより彼女の心配をしたほうがいいんじゃないか? 正直、俺みたいな素人が迂闊うかつに手を出していい話ではない気がするが……」

 彼女の境遇は非常にデリケートだ。他人が不用意に踏み荒らすことなど、到底許されるとは思えない。


 実際問題として、俺には国際政治に干渉してレヴィオール王国を解放することも、戦火による彼女の心の傷をカウンセリングして癒すこともできやしない。

 この冬の城にいることが一番の安全だと言うならば、それこそ俺は一緒に引きこもるだけだ。


 横目で見ると、魔女は困った様子で眉をひそめていた。

「実のところ、儂も何が起こっておるのか、完全には把握しとらんのじゃ。お主にかけた魔法は、その基礎を『鎖の魔女』が手掛けたものなのじゃが……」

「鎖の魔女? また新しい魔女が出たな」

 まるで魔女のバーゲンセールだな。


 目の前にいる幼女が放浪の魔女で、あの不気味な仮面ゴーレム執事を作ったのは仮面の魔女だったっけか。

「魔女だらけじゃないか。多すぎだろ。魔女って全部で何人いるんだ?」

「そうじゃの……末端まで含めば、少なくとも百は超えとったと思うが、正確な数は覚えとらん。儂の知らん魔女も増えとるじゃろうしの」

 驚くほど適当だな。

 まあ要するに、それほど珍しい称号じゃないのね。


「鎖の魔女は、儂らの中でも誓約ゲッシュや条件を課した呪術を得意としておる魔女じゃ」

「ほうほう、それで?」

「そしてバフォメットの王家出身でもある……もしかしたら、お主にかける魔法を作るついでに、ソフィーの境遇を救うよう仕組んだのかもしれん」

「なるほどな。そういう繋がりがあったのか」

 魔女の言っていた『知り合いの身内』。その意味がやっと分かった。

「やっぱ、あの娘が来たのは、あんたにとっても想定外だったんだな」

「もちろん、ただの偶然かもしれんがの。だが、それにしてはあまりにもよくでき過ぎておる。鎖の魔女はああ見えて、意外と情が深いからのう」

 つまりソフィア姫を助けるため、俺にかけられた魔法を利用して冬の城に誘導したのかもしれないと。


 鎖の魔女とやらも、こんな遠まわしなことをせず、直接ソフィア姫を助けてやればいいのに。

 巻き込まれた側からすれば迷惑な話だ。

「まあ、どっちでもいいがな。たとえ仕組まれた出会いだったとしても、俺の方針は変わらないさ」

 俺になんとかできる問題なら、鎖の魔女の望み通りどうにかしてやろう。

 そしてその対価として、俺は魔獣の力と永遠の自由を手に入れる。

 結局は、そういうことだ。


「悪い意味でブレない男じゃのう、お主。あんな可愛い娘に頼られておるのに……普通の男なら甲斐性を見せようとするものじゃぞ」

「……知っているか? 近頃はそういうの、ジェンダー・ハラスメントだつって訴えることができるんだってよ」

 またぴしゃりと、俺の肩にお湯がかかった。

「そんな小賢こざかしい言葉は知らん。ここはお主のいた世界ではない」

 魔女は小さくため息をいた。


「まったく、どうしてそうも無関心でいられるのじゃ。お主はもう少し、他人に関心を持つように心掛けるべきじゃ」


 ふと、小さい手が俺の背中を撫でる。

 偶然なのか、そこにはちょうど俺の心臓があった。


「不思議なもんじゃな。お主は一見普通に他愛のない雑談で笑い合い、表向きには相手を思いやることができておる。なのに、その本質は徹底した無関心じゃ。どうしてこうも心の芯が凍りついてしまっているのか……」

「……これが普通だろ。現代人は、他人に不要な干渉をしないんだよ」

「なんとも冷たい言葉じゃて。平和なお主の故郷でさえも、その考え方が珍しくないなんて……それが人類のさがなのか……」

 魔女の声音は悲しげだった。


「願わくば、お主の心に『真実の愛』を……その凍りついた心を溶かす愛の炎を……今や儂が望むのは、それだけじゃよ」

 その言葉は鳥肌が立つほど偽善的な綺麗事だった。

 なのに――俺には魔女が心の底からそう思っているように聞こえた。


「……なあ。いい加減教えてくれないか。あんたはなぜ、こうも俺に構ってくる?」

 俺は再び、魔女が俺にこだわる理由を尋ねた。

 未だに俺は、このお節介焼きな魔女のことを、何一つ知らない。


 どうして、こんなどこにでもいる、つまらないIT土方の男に、どうしてここまで干渉するのか。

 ここまでくると、老婆心なんて言葉では、もう納得できない。

「さて、なんでじゃろうな。今となっては儂にもよく分からん」

 魔女は惚けた調子だったが、その眼は何かを懐かしむように遠くを見ていた。


 俺には彼女と会った記憶なんてない。異世界の魔女である彼女と俺の間に接点は存在しないはずだ。

 しかし、理由がないなんてことは、流石にありえないだろう。

「それともまさか、ただの気まぐれだなんて言うつもりじゃないだろうな?」

 俺は魔女にすごんでみた。

「……そうじゃな。言葉にしてみれば意外と、それが一番まとを射ているのかもしれん」

 だが、またのらりくらりとお茶をにごされる。


「ふざけるな。そんなことは絶対にありえない」


 俺は牙をいて威嚇いかくした。

 魔女の真意を引きずり出すためだ。


「何か、あんたが得をしていることが、必ずあるはずだ。何もメリットなしにこんな手間暇をかけているなんて思えない。そろそろ本当のことを言ったらどうなんだ?」


 しかし、俺の敵意を間近で受けているにもかかわらず、魔女は全く動じていなかった。


 ……やっぱり、武術も学んでいない俺じゃ、威圧とか殺気みないなものは飛ばせんか。

 殺す気のない猛獣にえられたところで、恐ろしくもなんともないだろう。

 俺はあほらしくなって威嚇の真似事を止めた。

「もういい。まったく、掴みどころのないババアだ」

 こんなのに構っている暇があったら、せっかくの温泉を楽しむほうが有意義である。


「そりゃそうじゃ。お主が儂を脅して情報を聞き出そうだなんて、あと百年は早いわ」

 そして結局、魔女から本当の目的を聞き出すことはできなかった。


 ……その言いぶりから察するに、本当は何かしらあるんだろうな。

 残念なことに、聞くだけ無駄だったが。

 俺の実力じゃ無理やり聞き出すこともできないし、素直に諦めるしかない。


「そうふて腐れることはないぞ。お主でなくとも、儂のことを捕らえられる者なんて、この世に誰一人としておらん――儂は数多の世界を渡り歩き、好き勝手しているだけの『放浪の魔女』じゃからな」


 ふと魔女を見ると、彼女は幼い外見年齢に似合わない、自虐的で淋しそうな笑みを浮かべていた……ように見えた。



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