*2* 君と私で二人ぼっち。


 一日の授業の終了を告げる鐘が鳴り、生徒達がバラバラと席を立つ。そこでようやく前のめりになっていた姿勢を正して正面を向ける。


 本日は“四月十一日”。春先に窓側の席は心地良いけれど、午後からの授業で眠らないようにするのはなかなか骨が折れる今日この頃である。


 しかも初日のクラス替え事件が祟ったのか、教室内で私と推しメンの二人は完璧にハブられていた。そりゃあ、あれだけ目立てば当然か。ほとんど私のせいだけに、推しメンには申し訳なくて仕方ない。


 私はCクラスの時からだから少しも気にならないのだけれど、推しメンは去年連んでいたメンバーからすっかり無視されている。貴族社会は横の繋がりが凄まじい上に、平気で人を蹴落とそうとする輩も多い。


 クラス替え事件が後々のシナリオにどう影響してくるのか全く分からない分、今更すぎるのは承知だけれどここ数日は大人しくしている。何度かクラスメイトとの和解の場を持たせようと試みてくれた、正義感の強いヒロインちゃんは、二日前女子トイレに連れ込んで釘を刺しておいた。


 内容は“一緒にいると飛び火する”という程度の警告だけれど、元が平民でその手の人の機微に聡い彼女は、自分の【恋人】を慮ってそれだけで引き下がってくれたのだ。きっと一人なら手を貸してくれたんだろうと思うと、彼女のヒロイン力に脱帽してしまう。


 とはいえ、目下は格上のクラスになった私の一番の敵は【学問】だ。何このラスボス。滅茶苦茶強いんですけど。


 授業内容が一気に難しくなったから絶対に眠れない……どころか“瞬き厳禁なんじゃないの?”というレベルの授業にタジタジである。板書しようと思ったらすでに消されている、なんていうことはザラ。


 これが去年までいたCクラスだったら、授業が終わるギリギリまで先生が板書を残してくれていたりするんだけどね。流石は王都にある学園のAクラス。授業の内容も速度も圧倒的に違うんだよなぁ。今のところノートを取るのについて行くのがやっとだ。


 自室に戻って以前よりしっかり予習復習をして毎日の授業に備えないと、前世同様あっという間に落ちぶれるぞ。それだけは何としても避けたい。瞬きをする暇を惜しんでノートを取っていたせいで、すっかり渇いた眼球を欠伸の涙で潤していると、コンッと机の端を銀色のハヤブサがつついた。


「いい加減に授業中の姿勢をどうにかしろ。体幹が悪くなるぞ」


「あー……分かってるんだけどねぇ。先生達が板書消す速度が速いから、どうしてもノートを取ってると前のめりになっちゃうんだ」


「そんなに必死に取らなくても、どうせ温室で俺のノートを見るだろう?」


「それはそうだけどさ、最初からクラウスのノートを当てにするのは何か違うでしょう? やっと頑張ってAクラスに上がったんだから、自分の力で慣れないと駄目じゃない。人間は一回努力を忘れると取り戻すのが大変なんだから」


 フンと鼻息も荒くそう説明すれば、推しメンは僅かに目を見開いた後、ゆっくりと目を細めて「確かにそうだな。ルシアの言う通りだ」と同意してくれた。


 そんな些細なことが嬉しくて「見習ってくれても良いよ」と薄い胸を反らした直後「調子に乗るな」との一言と共に、さっき机の端をつついたハヤブサの嘴が今度は私の眉間に刺さった。自重で思ったより勢い良く刺さったのか、結構どころじゃなく痛いぞ。


「……これ、銀製だよね? 物取りに狙われるよ?」


 眉間をダンディなオジサマのような仕草で揉みながらそう言うと、推しメンは謝罪をしようとは更々思わないのか、涼しい顔で「銀? 馬鹿を言うな。これは鉄製だぞ。勿論石突きもだ」と言う。


 ――おいおい、どれだけ無駄に手の込んだ造りの鈍器だ。振りかぶって相手の頭部を狙えば私でもかなりの威力を発揮しそうだぞ。武術の心得がある推しメンが振るえば相手の頭が大変なことになりそうだ。


 イワン雷帝でも目指す気か推しメン。その場合私が息子の役割を振られるのか、冗談じゃないぞ。


「はっはっは……馬鹿はお前だ。何て物で乙女の眉間を強襲するんだよ。そもそもステッキにその重量感いらないでしょ。そんな物騒な物で何とやり合うつもりなの」


「別に今のところやり合うものは決まっていないが、この姿を見て襲ってくる輩なら正当防衛になるだろう?」


「過剰ですぅ。下手したら相手が死ぬから。悪いことは言わないから、せめて持ち手だけでもデザインは同じで木彫りか何かで作り直したらどう?」


 しかし正論を言ったはずの私を見つめた推しメンの表情が、やや不機嫌なものに変わる。何だ何だ、そんな玩具を取り上げようとする母親相手に子供が見せるような顔をして。ほだされな――……。


「それだともしもの時にルシアを逃がせないだろう」


「……よし分かった、そういうことならほだされてあげよう。だけどその時は私が振り回すからそれ貸してね」


 言い分があっさり根底から覆り過ぎだろう? いえいえ、自衛の手段を残しておくのはとても大事なことだから何の問題もない。大事なことだからもう一回。何の、問題も、ない。


「後ね、勘違いしないで欲しいんだけどさ。どんなに危ない時だって、逃げる時は二人一緒だからね? 私はクラウスのお荷物になる為に一緒に行動してる訳じゃないよ」


 ガタッと椅子を引いて立ち上がった私のことを、心底不思議な生き物を見る目で眺める推しメン。何だ、やっぱり分かってなかったのか。とはいえ元々は言葉足らずな人だから仕方がない。


「どっちか一方が我慢したりするよりさ、護ったり護られたりする仲の方が私達っぽくて良いでしょう?」


 机の横から取った鞄を肩にかけながらそう言うと、推しメンは素直に頷いた。本当にどれだけ分かっているのやら。教室から温室を目指す間に会話らしい会話はないけれど、それくらいがちょうど良い。


 窓からは微睡みを誘う日差しが廊下を照らして、教室では我慢していた欠伸が立て続けに漏れる。隣を歩く推しメンがそんな私に呆れているのか、軽く空気を揺らすような笑みを零す。



 ――その静かに溜息を吐くみたいな笑い方が好き。


 ――日差しが眩しくて少しだけ細められる目許が好き。


 ――私の視線に気付いて皮肉っぽくつり上がる口許が好き。


 ――こっちが微笑めば応えようとぎこちなく浮かべる微笑みが好き。



 この一年で後どれくらい推しメンの好きな部分が増えるのか、考えただけでも怖くなる。一年後に失うならば、見つけなければ良い。一年後に別れるならば見つめなければ良い。そう心では分かっているのに、その一挙手一投足を全部憶えておきたくて。


 人はきっと、これを【恋】と呼ぶけれど。


 弱った推しメンにつけ込む打算にまみれたこの想いは、そんなに綺麗な言葉で飾れるはずもない。


 クラスメイトから推しメンが孤立した時に、はっきりと【嬉しい】と感じた自分の浅ましさに吐き気を通り越して殺意が湧いた。助ける為に来たはずの自分が、窮地に立たせてしまったようなものなのに。


「どうしたルシア。眉間に皺が寄っているぞ」


 不意にそう言った推しメンの指先が眉間に押し付けられて、皺を伸ばすように揉み混んだ少しカサついた指先が、額から離れる寸前に傷跡を掠める。その時一つだけ開いていた窓から風が強く吹き込んで、四日ほど前に散りきってしまったはずのアーモンドの花弁を一枚運んできた。


 それを追いかけて掴んだ私を見た推しメンが「まるで子犬だな」と笑ったけれど。掌に収まるこの花の花言葉は、今の私にぴったりなんだよ。


「ふふ、駄目だな風流さを感じられない男子は。このアーモンドの花言葉はね、希望なんだよ。せっかくだから、この後裏庭に行って綺麗な花弁を拾わない? 押し花にして栞にしようよ」


 ――たとえばこれは君に足りないもので。


「まったく……花言葉の暗記にそこまで割けるなら、星詠みの仕方の一つでも憶えれば良いだろうに」


 皮肉混じりに呆れたような溜息を吐いても。それでも嫌だとは言わない推しメンには、薄桃色の花弁に込められた柔らかい花言葉が良く似合う。教えなかった花言葉に含まれる“真心の愛”と“永久の優しさ”は君の為にあるような言葉だ。


「まあまあ、良いじゃない。そういう正論は授業だけでお腹一杯。ほら、明るいうちに早く行こうよ」


 胸の内を誤魔化すように強引に誘う私の掌に視線を落とした推しメンは「仕方がないな」と薄く微笑む。それを見て心の芯がざわつく私に足りすぎるアーモンドの花言葉はね。



 ――“無分別、軽率、愚かさ”――。



 この薄桃色の花弁に込められた相反する花言葉は、まるで、自分の役目を忘れた私のことみたいだと思わない?

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