◆三年生◆

*1* 最初で最後の始まり、始まり。


 本年度もどか雪の異常気象で無事にお亡くなりになった二月さんと、王都に戻るのが予定より二日遅れて無断外泊扱いになったせいで、授業以外は禁固刑に処されて潰れた三月さんはお亡くなりになりました。


 しかし皆さん、そのことを悲しんではいけません。


 何故なら春はもうここに来ているからです。


 ――と、唐突に頭の中で語りを入れてしまう本日は“四月一日”。


 天気は文句の付けようがない晴天。さっき通りかかった裏庭には、最早恒例とばかりに花期の遅れた薄桃色のアーモンドの花が咲いているのが見えた。勿論つまらなさそうな新二年生と共にね。


 そして今私が立つのは、去年煮え湯を飲まされたクラス替えの用紙の前である。能力が低い順から順に張り出されるその用紙を睨み付ける私の一歩後ろには、三月を療養とリハビリで潰した推しメン。


 実際にあの犬ゾリ小屋で過ごした一件以来、きちんと顔を合わせるのは久しぶりだったりする。だからどことなく私達の間には微妙な距離があり、さっきからお互いに視線が合うたび、ぎこちない微笑みを交わしていた。


 ああ、まだ若干引きずっている脚の補助に持った、ローズウッド製の艶やかな紳士用ステッキが良く似合う――は、あまりに不謹慎だから自分の頬を思い切りつねったら、推しメンが心配そうにこちらを見ていた。


 どうやらクラス替え結果を目の当たりにする緊張に我を失ったと誤解されたらしい。……余計な心配かけてごめんよ。


 それにしても、ローズウッド製の雅な艶のある全体に反してその持ち手には、銀で出来た厳つい鳥がついていた。身体を沈み込ませて羽根を広げかけている姿は、今まさに飛び立とうとしているようにも見える。推しメンに訊ねたら猛禽類のハヤブサなのだそうだ。


 なんでも病床の推しメンにそれを贈ってくれたのは、以前屋敷に勤めていた使用人達だという。照れ臭そうに笑ったはずの推しメンの表情が、光の加減かどこか翳って見える。


 けれどそんな疑問も「ほら、張り出され始めたぞ」という推しメンの声で中断され、私の集中力はそちらに持って行かれてしまった。


 さて、Dクラスには……勿論両者共に名前はない。


 次いでCクラス……心配していた私の名前も、推しメンの名前もない。


 お次はBクラス……実際一番可能性が高いのはこのクラスだけど、薄目で見つめる用紙に推しメンの名前は当然だが、私の名前も――ない、ぞ?


 あれ、ということは……まさか、もしかして、ようやく、やっと……?


「Aクラスに昇格おめでとうルシア。これで今年の一年間はどこで声をかけようが、きちんと返事をしてくれるんだろうな?」


 少しはにかんだようにそう言う推しメンと、張り出されたAクラスの名簿に載っている自分の名前を交互に見やり、言葉にならない声が喉の奥につまって目頭が熱くなる。



 ――――Aクラス、アリシア・ティンバース。


 ――――Aクラス、クラウス・スティルマン。


 ――――Aクラス、ルシア・リンクス。



 在学中にこの三つの名前が同じ用紙内に記載されるところを見られるとは、万が一にも思わなかった。そこで背後を振り返って「これさ、印刷間違いとかだったらどうしよう?」と情けない声を上げた私に、推しメンは「有り得んことだが、仮にそうだとしても撤回させるものか」と笑ってくれる。


 その柔らかな微笑みに思わず人目を憚らず、合格発表でよく見る一場面のように抱きつきそうになったじゃないか。一瞬感情が高ぶって飛び出しかけた足をすんでのところで踏み留めて、その場で足踏みする。


 こんなところで抱きついたりしたら、ヒロインちゃんや新しいクラスメイトにあらぬ誤解をされてしまう。ヒロインちゃんがこの一年の間にフリーにならないとも限らないのだ。


 この年頃の子達はまだ恋多きお年頃。もしもこの一年で先生と破局すれば、まだ推しメンにもチャンスはある。それにシナリオの分岐点がもうさっぱり予測出来ないから、こうなったら気立ての良さそうなお嬢さんであれば誰でもウェルカムだ。


 そう思い直し、冷静さを取り戻そうと、振り返りかけていた身体をまたクラス替えの用紙が張り出された壁に向けたんだけれど――。


「嘘よ、こんなの何かの間違いだわ!! どうして去年AクラスだったこのわたくしがBクラスで、貴女みたいな田舎者がAクラスなのよ! 貴女何か不正でもしたのではなくて?」


 私が少し今後の展望に思いを馳せていたら、いつの間にそこに立っていたのか“意地悪そうだけど美人”という乙女ゲームではお約束な女子生徒が真っ正面からこちらを罵倒してくるではありませんか。


 “ドキッ、新年早々私にイベントが?”とか思ってませんよ、ええ。たとえ両側に組立体操の“扇”を思わせる形に侍るお友達がいたところで、まるで乙女ゲームのキャラクターになったみたいだとか思いませんとも。


 この手の下らないやっかみは割と良くあることなので、いつもなら適当に聞き流すところだけど、今回は別。せっかく推しメンとの新しい一年に胸をときめかせていた気分に水を差されたのだ――許すまじ、である。精々この場で恥をかかせてやろうじゃないか。


 生まれが良いと気位が高い。気位が高いと煽り耐性が低い。これは前世だとか今世だとかの区別のないことなので、ここは一発大衆の面前で平手打ちでもくらってあげれば気が済むかな? 


 それで体面が悪くなるのは目の前の彼女とその取り巻き達だし、一度平手打ちをされるだけで片が付くなら一瞬の痛みなど安いものだ。どれもう一押しとばかりに「“教えて下さい”と言えば思い出せます?」と微笑めば、短絡的なお嬢様はあっさりと手を振りかぶった。


 けれど次の瞬間、私の顔の横からスッとステッキの石突きが割り込んできたかと思うと、直後に後頭部を強烈なデコピンが襲う。


 痛みに思わず舌打ちしそうになった口を押さえていたら、隣に並んだ推しメンに“わざわざ煽るな”と視線で釘を刺される。それに私が視線で答えるよりも早く、推しメンが口を開いた。


「貴女とは去年同じクラスだったが、特筆すべき努力をしたようには見受けられなかった。それに生まれが才だと言うのであれば、貴女は衆目のある場所でご自分の価値を下げるのが随分とお好きなようだ。それとも……田舎者と同レベルで言い合える懐の深さだと讃えれば良いか?」


 聞く者が凍り付きそうな冷たい声音と、まさしく高みから落とされる侮蔑の言葉。チラリと推しメンの表情を見上げたけれど、あまりの視線の冷たさにすぐに目を逸らしてしまった。前世ぶりに見る懐かしの悪役顔だ。


 可哀想にその視線と何かしら不穏な気配に当てられたご令嬢が「ひっ」と息を飲んで半泣きになったところを、両側に侍っていたお友達が抱えて退散して行く。お前、この重苦しいオーラを放つ悪役を置いていくなよ……。


 どす黒さ満点の気配を漂わせる私達の周囲から、生徒達が潮が引くようにいなくなる。明るく楽しい新学期感がこの一瞬でどこかに失せたみたいだ。


 視線を走らせて周囲を探るものの、ヒロインちゃんの姿はない。良かった、最悪の事態は免れたか。


 けれど私が周囲の反応を気にして視線を彷徨わせている間に、すでにご令嬢に向かって突き出されていた石突きは地面に下ろされ、一歩後ろにいたはずの推しメンが隣に並んでいた。漂っていたどす黒いオーラも収納済み。


 それどころか何事もなかったかのような表情で「今日はこの後ラシード達のところへ行くのだろう?」と問いかけて来る。その切り替えの早さは何なんだ。サイコパスか? ああ……サイコパスか。


 だけどその変貌ぶりに突っ込むことなく「先に取りに戻りたい物があるから温室に寄っても良い?」と訊ねる私の方も、端から見れば同類なんだろうなぁ。



***



「あっははは!! やぁだ、新学期早々に面白いことしでかしたわね~!」


 待ち合わせ場所のカフェで落ち合ったラシードの開口一番がこれだ。以前言っていた雑貨店に就職して一月になるけれど、接客業をしていても相変わらず人の苦労話を笑い飛ばしてくれるいい性格のままだね。


 むしろお客さん達も、ラシードの歯切れが良すぎる物言いを気に入って来てくれてるみたいだし。まあ似合わない物を勧めてくる店員よりは、多少無礼でも正直に言ってくれる店員の方が信頼出来るのが人情か。


「いやいや、笑い事じゃないってばラシード。あの彼女の表情ったらなかったよ? 言いがかり付けてきたのは向こうなのに、まるでこっちが虐めたみたいな感じになっちゃったんだから」


 チッと今度は我慢せずに舌打ちすれば、隣に座っていた推しメンが「仮にも子女が舌打ちをするな」と言うけどさ、するよ、普通。何ことここに至って一般人みたいな反応してるんだよ。


「まあ、そう言ってやるなルシア。スティルマンはルシアが衆目の集まる場所で、相手から一方的にいわれのない中傷をされたことが腹に据えかねたのだろう」


 正面からこの四月より王城の女性近衛隊に入隊したカーサが、優しい助け船を出してくれる。あれだけ家名と家族に雁字搦めにされていたカーサが、たった一人で王城の女性近衛隊に入隊する試験に行ってしまうとは、この場の私達ですら思ってもみなかった。


 しかもこのメンバーの誰にも相談せずに挑んだカーサは、学園の女子寮を退寮してから先週初めて顔を見せてくれた時にそんな重大発表をしてくれたのだ。


 私達が驚いて水臭いと怒れば『宣言して落ちたら恥ずかしいじゃないか』と頬を染めていた。そんな成長した部分と乙女な部分の兼ね合いが非常に萌える友人だ。


「ベルジアン嬢、勝手な解釈は止めてもらえないか。そう甘やかすと、ルシアが調子付いてまた余計な喧嘩を買いかねない」


「そうよね、いつも今回みたいにスティルマンが傍にいるとは限らない訳だし。当然だけどいない時には庇えないもの」


「そういうことだ」


 何故か急に男同士で分かり合った風なラシードと推しメンに舌を出せば、私ほど恥じらいを捨てきれないカーサもお上品に舌を出した。この新米女性騎士、可愛過ぎかよ。


 席順的に私の正面にカーサ、隣に推しメン、推しメンの正面にラシードなのだけど……カーサのそんな貴重な表情に「勿論、アンタもよ?」と苦笑するラシードと、その言葉にぽうっと頬を染めるカーサ。傍目には顔面偏差値の高い二人の世界だ。


 何というのか――……仲の良い従兄弟が、近所のお姉さんと良い雰囲気になっている現場に居合わせたような感じ。走り出せラブワゴン。


 とはいえ、まだラシードの天然ジゴロぶりにお育ちの良いカーサが憧れてる感じだけど。


 それにしたってラシードは強い上に今はフリーで、おまけに面倒な家族との縁が切れたから婿入りが出来る。その場合は家名の釣り合いで一旦どこかに養子入りしないとだけど、ラシードほどの美丈夫で剣の才能もある奴なら引っ張りだこだろう。


 対するカーサは可愛くて強いし、実家は腕っ節の強い婿養子をご所望なのだから良いことづくめなのでは? 


 こういう時に自然と脳内カップリングしてしまうのは、乙女ゲームの弊害だな。でも自分の大事な人と大事な人が家族になれれば最高じゃないかと思ってしまうのは仕方がない。


 チラッと隣の推しメンに視線を向ければ、いつからこっちを見ていたのか、そのダークブラウンの視線とかち合う。思わず“お似合いだよね”と視線で問えば“余計なことはするなよ?”と釘を刺す厳しい視線が返って来た。すること前提かよ。否定はしないけどさ。


 その後はラシードとカーサから進級祝いだからと言われ、夕食が入らなくなるほど食事を奢ってもらった。


 帰り際にラシード達が学園の前まで送ると言ってくれたけれど、私達はそれを断り、会える頻度は減ってしまうけれど同じ王都にいるのだから、この一年の間に会えるだけ会おうと約束して別れる。


 暗くなり始めた道を灯り始めた街灯の光を辿って、推しメンと二人、並んで歩く。コツコツとリズミカルに石畳を叩くステッキの音に耳を傾けていたら、ふと大切なことを思い出し、慌ててたすき掛けにした鞄の中を漁る。


 そうして急に脚を止めた私を訝しむ推しメンの目の前に、去年と同じ柄の包装を施した細長い箱を差し出す。


「代わり映えしないで悪いけど、好物なんでしょう?」


 自分の口から飛び出した言葉に、何故これくらい素直に渡せないのかと内心溜息が出る。けれど無言でその箱を受け取った推しメンが、自分の上着のポケットから円形の箱を取り出して私の手に乗せた。


 しばらく持っていろということだろうと思ってジッと待っていたら、呆れた表情になった推しメンに「去年のお返しだ」と言われる。


 何を言われているのか分からず、馬鹿みたいに口を開けた私の手から箱を取り上げた推しメンは、中から花の形をあしらったチョコレートを摘まみ上げてそれを私の口へと放り込む。


 ダークブラウンの瞳に促されるまま、カリッと歯を立てたチョコレートからは、甘い花のリキュールが溢れて。


 推しメンの「今年は近くで見張れると思うと安心だ」という言葉と一緒に、春の夕闇にふわりと香った。

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