◆幕間◇先輩達は心配です。


「ちょっとスティルマン……アンタねぇ、ここ連日三年生が通る廊下でアタシを待つの止めなさいよ。わざわざ迎えに来なくても逃げやしないわよ。どうせ鍛錬場で一緒になるんだから、先に行って待ってたら良いじゃないの」


 普段はあまり出さないようなアタシの苛立った声に、横を通り抜けるクラスメイトのうち、数人がこちらを振り返って「喧嘩か?」と怪訝な表情で訊いてくる。


 その声にアタシが「心配してくれてありがと。でも部活の後輩だから大丈夫よ」と軽く答える間も、部活動以外ではほとんど表情を変えない後輩は知らん顔。本当に可愛げのない子だわ。ルシアが夢中でなかったら自分から進んで友達付き合いしないタイプ。


 ちょうど付き合いを始めて一年くらい経ったから、今はもう悪い子じゃないことは分かっているんだけどね。


 でもどこかふてくされたように「俺だけで先に稽古をしていると、ルシア達がラシードを待って居座るから嫌だ」と言う姿は、確かに年相応で少しからかいたくなる憎めなさがあるわ。だけどここでからかったりしたら、せっかく素直になりかけたのに台無しになっちゃうから駄目ね。


「あっそ。なら仕方がないわね。お望み通り一緒に行ってあげるわ」


 それでも一応わざと勘に障りそうな言葉を返して反応を見ようと思ったのに、スティルマンは「世話をかける」と短く答えただけだった。そのまま二人で鍛錬場に向かう道すがら今日の鍛錬内容を考える訳だけど――。


 今日は十月九日。ことの発端は二週間前に“天恵祭”の話を振ったせいだけど、話の直後は気乗りしていなかったスティルマンが急に出場すると言い出して、前回同様アタシを稽古役に選んだまでは良かった。


 ただ問題は、スティルマンが前回とは違ってルシア込みでの鍛錬を嫌がったことにあるのよね。しかも“天恵祭”に出る理由と、稽古を覗かれたくない理由がスティルマン本人もまだ無自覚で苛つくというか……。


 お陰でアタシはルシアから『脚の後遺症が心配だから、あんまり無茶をさせないでね!?』と、それこそ無茶なお願いをされたのよ。剣の鍛錬をするのに脚が楽な内容なんて、そうそうあるわけないじゃない。


 それに去年通りに鍛錬をしようにも、目指す高みが去年と違うのも大問題だわ。


 というのも、前回の目標はカイン・アップルトンという実力が伯仲した相手だったのに対して、今回撃破を目標にしたのがルシアの星詠み授業担当であるエルネスト・ホーンスだということ。


 パッと見ただけで体格も膂力りょりょくも、去年のカイン・アップルトンとは比べものにならないと分かる。オマケに――。



『もしもあの男が天恵祭を勝ち抜きでもすれば、恐らく深く考えずに今一番距離の近い教え子であるルシアを【星女神の乙女】に指名するはずだ。そうなれば後々辛い思いをするのはルシアだ。俺はそれを看過出来ない。それはラシードやカーサにしてもそうだろう?』



 ……一体何をどう勘違いをすれば、ルシアがあの昼行灯っぽい男に惚れているなどという臆測が生まれるのか知らないけれど、スティルマンの頭の中ではそういう不思議な公式が出来上がってしまっているらしい。


 面白いといえば面白いけど、まさかアタシから“ルシアの好きな男はアンタよ”と言うわけにもいかないし……。むしろ何でそれを阻止しようとして鍛錬するという思考に至るのか、その事実の方をもっと考えて欲しいものだわ。


 何というのか、たまにルシアから聞かされる前世のゲームキャラクターとしてのクラウス・スティルマンと、ここにいる鈍感野郎は別人物じゃないのかと思うことがあるわね。お馬鹿はルシア一人で充分なのよ。


 でもエルネスト・ホーンスを警戒しているのは、目の付け所としては間違っていないわ。あのヌボーッっとした昼行灯っぽい男は、以前の試合でも見かけたけれど意外なことに結構腕が立つのよね。


 まああれだけの恵まれた身長と体格があって、家と学園で剣術の授業を真面目に受けていたら、通常よりやや上くらいになるのは自明の理だわ。


 それにエルネスト・ホーンスはもう院生とあって、出場枠はスティルマンと同じ個人の部。


 級友からの挑戦を受けての単発戦になるから、通常の試合より楽なのよね。勝ち上がり戦の学年別と違って、個人の部は次の試合に挑戦者が現れないか、負けるか以外にも、負傷していなくても途中棄権が認められる。


 だけどその代わり勝ち上がれば最終戦に残った相手に対戦の申し込みも出来るから……エルネスト・ホーンスが万が一スティルマンの言うようにルシアを気に入っていたら、その可能性もなくはないのよね。


 そんなことをされたら今度はあの子、院生の女子に目を付けられちゃうだろうし、次は前回よりも狡猾な手口を使う子が増えそうだわ。そうなったら卒業までは面倒を見られても、卒業してからのことが……。


「あ~……もう、本当に面倒くさいわねぇ。学園生活最後の“天恵祭”でこんな面倒ごとに巻き込まれるなんて。オマケにこーんなにヒョロイくせに、あんな熊みたいな奴に勝ちたいだなんて無理難題を言うし?」


 思わずわざと不機嫌に聞こえるようにそう言えば、スティルマンが苦虫を噛み潰したような顔になる。その表情を「不細工ねぇ」とからかえば「元からこんな顔だ」とムスッとした声が返って。


 出会った頃より格段に人間らしい表情を見せるようになったこの男を、かつての自分に似ていると笑った、前世では出会うことも、今世でだって前世の名前も知らない友人ルシア。


 正直なところ“面白そうだから”程度で付き合い始めたこの関係がこんなに深く、長く続くとはアタシ自身思ってもみなかったわけだし。だったらあの子もアタシも前世でろくでもない目に合った仲間同士、今世でくらい幸せになろうと足掻くのも悪くわないわ。


 でもね、スティルマン。やっぱり付き合わされる身としては、好奇心からくる言葉の一つも言いたいのよ。


「別にアンタが勝ち進まなくても、最初からアタシに勝ち進んでくれって頼めば良くないかしら? こう言っては何だけど、その方が勝率もあるし、アタシが優勝してルシアを指名すれば話は済むんだもの。……それとも万が一にもアンタが勝ち進んだら、誰かご指名したい相手でもいるの?」


 アタシが「ねぇ?」とおどけて声をかければ、スティルマンの眉間に面白いくらい深い皺が刻まれる。


 だけどあんまり苛めすぎると、ルシアが勘ずくかもしれないから「どうしても駄目そうだったらアタシが何とかしてあげるわよ」と助け船を用意してあげるわ。


 だから、ほら。もっと悩みなさいよ、青少年。


 いつでもアンタのことしか考えていない、アタシの友人の為にもね?



***



 放課後の鍛錬場にある、秘密の一角。


 元は去年“天恵祭”の前にラシードがスティルマンに訓練を付けた場所だという。一日の授業を終えて教室から応援してくれるファンクラブの女の子達を撒きながら辿り着くと、すでに待ってくれていたルシアが笑って出迎えてくれた。


 ベンチに座るルシアの隣には、差し入れの入った大きな紙袋が置いてあって、中身は何かと訊ねれば「後でのお楽しみだよ」とはぐらかされる。


 鍛錬前にほんの五分ほど他愛のない会話を交わして、その後はワタシが一通りの型をなぞり、架空の対戦者への突きを繰り出す鍛錬をひたすら続けた。


 空気を穿つワタシのレイピアの“ヒュンッ”という鋭い音と、細く吐き出す息の音しか聞こえない。


 ファンクラブの子達の黄色い声援も、ワタシのことを良く思わない男子生徒達からの冷たい視線も感じないせいか、それともあれだけ長かった髪を切り落としてしまったせいか……何にしても、以前より各段に調子が良いと感じる。


 大きく踏み込んで身体を逸らし、極限まで引き絞った弓弦が矢を放つ様を脳裏に思い浮かべながら、勢い良く突きを繰り出す。この一撃が貫けぬものは何もない。そう信じて放つ突きは、見えない対戦者の手応えまで感じられそうなほどだ。


 時々呼吸を整える為に顔を上げれば、ジッとワタシの鍛錬を見つめるルシアの真剣な眼差しと視線がぶつかる。こちらが軽く微笑めば彼女の方も声をかけてくるでもなく頷くだけで。何となくだがその姿は、いつものルシアではないような妙に大人びたものに見えた。


 けれど二時間ほど汗を流して休憩の為にベンチに戻れば、いつものように「凄い格好良かったよ! こんなに近くで見られるだなんて得した気分!」と笑ってタオルを差し出してくれる姿を見たら、やはりさっき感じた違和感は気のせいだったのだと思えてくる。


 内緒にされていた紙袋の中から現れたのは、蜂蜜のたっぷり入ったレモネードと、チーズサブレにジャム入りのクッキー。それからそれだけでは小腹の足しにならないだろうからと、ベーコンとトマト入りのマフィンまで。


 次々と出てくる差し入れの内容はどれも鍛錬後には嬉しいもので、ワタシは出される端から食べてしまう。そのせいで少し身体が重くなったと冗談を口にすると、ルシアは急に“しまった”といった表情になった直後にある結論に達した。


「はっ、それだ!? 去年は普通に鍛錬中の見学させてくれたのに、今回は駄目な理由ってさ、もしかして私の差し入れが多すぎたせいかな?」


 斜め上の閃きに一人で納得しているルシアを微笑ましく思いながら、やはりさっき感じた大人びたルシアの気配は気のせいだったのだと結論付け、ここにいない二人の名誉の為に「いや、それは違うと思うぞ?」とだけ言っておく。


 閃きの内容を即座に否定されたルシアは「ええ? だったら何でだよぉ」と悔しげに唇を尖らせる。そんな可愛いけれど心配になってしまう友人を見つめていたら、不意にルシアが「私があげた髪飾り、付けられなくなっちゃったね」とワタシの短くなった髪を指して言う。


「ああ、本当だな。そこまで考えていなかった。せっかく可愛らしい物を選んで贈ってくれたのに……すまない」


 ほんの少しだけ落ち込んで短くなった髪を指で梳いていると、ルシアは慌てたように首を横に振る。


「ああ、違うって。そうじゃなくてさ、髪飾りのままだと今年の聖星祭に付けられないでしょ? だから髪飾りの金具をドレスに付けられるブローチピンに付け替えて、コサージュにしようよって言いたくて」


 そう言いながら目を眇め、ドレスどころか汗塗れの鍛錬着に身を包んだワタシを見てそんなことを言うのは、きっとルシアだけだろう。


 だからワタシも、この自分の気持ちに鈍感なふりをする友人の為に力になりたいなどと、烏滸がましいことを思ってしまうのだ。


「ふふっ、そうか、ありがとう。ならばもしも天恵祭でスティルマンが負けたなら、ワタシとラシードでルシアの唇を守ってみせると約束しよう」


「あっはは!! 何そのカーサらしくない冗談。確かに【星女神の乙女】とかいうのには憧れるけどさ、せっかく勝ち抜けたのに私を選ぶ物好きな奴なんていないし、そんな当てもないから!」


 一瞬ポカンとした直後にそう涙を浮かべて笑うルシアを見ていたら、まだはっきりと確信している訳ではないのだが、何となくスティルマンのこれから先の苦労が忍ばれた。

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