*27* もうそんな時季だっけ。
本日は“九月二十五日”。
ここ数日の朝晩の気温差で学園内の木々の葉も少しずつ色付いて、段々と秋らしくなってきた。
真夏の暑さが過ぎた今なら学園の温室前にある木陰の下でも充分過ごせるので、思い思いに足を崩して寛いだ格好でダラダラと過ごす放課後。
傍らにはそれぞれのイメージで選んだグラスに、少しいつもと気分を変えて新鮮なオレンジジュースが注がれている。気泡を多く含んだガラスもこうやって見ると、涼しげでなかなか良い。
先日私の誕生日プレゼントを買いに行こうと、放課後に三人に連れられて出かけた先で購入した物だ。
今年の誕生日プレゼントにもらったのは、ラシードから貝殻で造られた小物入れ、カーサからは花のレリーフを彫り込んだ手鏡を。そして推しメンからは、いつか言っていたように星火石の首飾りに良さそうな、細く編まれた銀製のチェーンを贈ってもらった。
きっと私のこれから先の人生の中で、どれもとても大切な物になるに違いない。
ただし今回は皆のグラスの形までは揃えられなかったから、マグカップの時のような統一感はあまりなかったりする。
琥珀色のグラス部分に、濃いカラメル色の足がついたスレンダーなデザインはラシード。
スグリの実のような透明感のある紅いぽってりとしたグラスに、薄い緑色の短い足がついている丈の短いチューリップのようなデザインがカーサ。
グラスの縁の始まりは薄い青なのに、足に向かうにつれ徐々に濃い青へと変化していくちょっと角張ったデザインは推しメン。
淡い黄色の混じった地に濃紺のガラスを細く練り込んだグラス部分に、持ち手のない足が直接底についた逆台形っぽいデザインが私。
唯一統一感があるとすれば、前回皆にあげた刺し子の布と同じ模様で新たに作ったコースターか。それを中古雑貨店で手に入れた木製のトレイに載せて、他愛のないお喋りの合間にグラスのジュースで喉を潤す。
私はカーサと一緒にこの分ならもう少しすれば、夜に温室内で星詠みが出来る日も近そうだね……なんていうお喋りをしていたのだけれど、隣に座っていたラシードがふと思い出したように「そういえばもうすぐ天恵祭ねぇ。スティルマンは今年も出場するの?」と推しメンに訊ねた。
そういえばもうそんな時季だったなと思いつつ、ラシードのその発言に推しメンが何と答えるのか気になってそちらに視線を向けると、同じくこちらに視線を向ける推しメンと目が合う。
けれどその表情が一瞬だけ苦々しく歪むのを見た私は、咄嗟に去年負った傷痕を隠すように前髪を弄った。ただその行為が上手く作用しなかったのは、推しメンのダークブラウンの目が細められたことでも分かる。
瞬間、何とも言えない気まずさがその場を占めた。しかしそれでも私から視線を外さず、ラシードの問いに対して「いや、今年は出場しない。ルシアと一緒に観戦でもするさ」と答える。
思わず“え、何その可愛い発言。もう一回聞きたい”とか口走りそうになってしまった。しかしそんな推しメンからのご指名が嬉しい反面、内心私はこの回答に大いに焦る。
今の今まですっかり忘れていたくせに、こんなことを感じる資格がないのは分かっているけど、プレイヤーとしての自覚と緊張感が足りていなかった。でもそんなことには目を瞑らせてくれ。
それというのも君が出場してくれないと、たぶんこのゲームのシナリオ、今のままだとこれ以上先に進まないんだよ!
ヒロインちゃんがなかなか動かないから、このままだと手詰まりなのだ。推しメンの脚の後遺症は心配だけど、ヒロインちゃんの記憶の扉を開かないと、もう時間があんまりないんだってば。
きっと乙女ゲームのご都合シナリオなら、出場して良いところまで勝ち進んだ辺りで脚の後遺症が出たり、それで何やかんやあって別に救護班でも何でもないヒロインちゃんが付き添いに選ばれたりして、こう、いい感じに記憶が蘇ったりすると思うんだよね!
あとこれは完全に私個人の問題だけど、去年は観客席を取るのに失敗したから今年こそは観客席から推しメンを応援してみたい。この目に推しメンの勇姿を焼き付けて置きたいのだ。
「え……っと、それはまた何で? 去年は良いところまで行けたんだし、今年も出てみたら良いところまで残れると思うんだけど。それに去年は遠くからしか応援出来なかったけど、遠くからでも凄く格好良かったし、きっと近くで見たらもっと格好良いと思うんだけどなぁ……」
笑顔が引きつらないように細心の注意をはらいながらそう訊ねれば、推しメンは一度私の顔をジッと見つめてから、急に興味を失ったように視線を逸らした。
その反応に傷付かないといえば嘘になるけれど、よくよく考えれば私が勝手に応援したいだけだし、あの舞台に立つまでに努力をしなければならないのは推しメンなのだから、無責任な発言に呆れられたのかもしれない。
私が身勝手にもシュンとしていたら、隣から細い腕が伸びてきて、ムギュウウっと頭から抱きしめられた。たちまち爽やかな柑橘系の香りが私を包み込む。んんんんん……これはこれで役得。
「ワタシも去年のスティルマンの試合を見ていたが、確かにルシアの言うように良い試合だった。けれど今年出場したくないと言うのであれば、それは本人の決めることだ。気が乗らなければ刃の切っ先も踏み込みも鈍り、対戦相手まで届かないばかりか、無用な怪我も増える。無理強いをするものではないぞ」
優しい中にも騎士階級の子女らしい物言いで私を諭してくれるカーサに、同性なのに思わず新しい扉が開いてしまいそうだ。ゲームの内容が変わってしまうぞ。
「そうだな……ルシアが応援したいというのなら、スティルマンの代わりにワタシが頑張るぞ。当日試合を観戦しに来たルシアが【星女神の乙女】に選ばれないとも限らないしな」
甘く微笑んでウインクをしてくれるカーサは、髪を短くしてからさらに格好良い。男装の麗人というのがぴったりだ。なのでこういう台詞を面と向かって言われると滅茶苦茶照れるんだけど――……。
「あの、ごめんねカーサ。たぶんここでその単語知らないのって私だけだと思うんだけどさ、その【星女神の乙女】って何?」
確かに私はこのゲームに生前鬼のようにはまった。しかし推しメンのいないシーンはほぼスキップかボタン乱打で読み飛ばしていたので、あまりゲームの細かい単語が頭に残っていない。
だから今カーサの口から出た【星女神の乙女】というのも“単語的に乙女ゲームっぽくときめくイベントがあるんだろうな~”程度の認識で、詳しいことは何一つ憶えていなかったりする。
そんな私の問いが予想外だったのか、カーサは目を丸くしている。こんな顔のカーサを見たのは初めてだったから、騎士のお家の子を相手に訊くのは失礼だったかもしれない。
フリーズしてしまったカーサの代わりにラシードが「そんなことも知らないでこの学園で一年過ごすとか、ある意味大物よねぇ」と、絶対良い意味ではないお言葉を頂いてしまった。
だって鼻で嗤ったんだぜ? 同じゲーム仲間がそんな顔するってことは、絶対何かゲーム内で大事なイベントだってことでしょう?
逆に推しメンはそんな二人とは対照的に「ルシアなら知らないだろうと思っていたし、別に知らなくても良いような下らんことだ」と返してくれた。
いや、だが待て、それもおかしいぞ?
推しメンはいつも知らないことを、知らないままではいさせないタイプのはず。その推しメンが教える前から“知らなくても良い”とは――ええぇ……これってどっちの言い分が正しいんだ?
誰の方向を向いて訊ねれば良いのか困惑しながら三人の顔を見回していると、フリーズ状態から解凍されたカーサがコホンと咳払いを一つ挟んで苦笑する。
その音に意識を向ければ、困ったように微笑んだカーサが「考えてみれば武術一辺倒なワタシの家と違って、ルシアのいる辺りではあまり武術大会などないのだろうに、てっきり知っているものだとばかり……。驚いてしまってすまなかったな」と謝罪してくれる。
説明しないで鼻で嗤ったり、説明する気がそもそもない野郎二人に比べて何て良い子なんだ。私が男なら放っておかないのに。
そうしてそんな優しいカーサから、オレンジジュースを片手に聞いた説明の内容に私が“乙女ゲームかよ!!”と叫びそうになった。いや、そうだよ。
曰く【星女神の乙女】とは“天恵祭”を勝ち抜いた騎士候補生や貴族の子息への恋人からのご褒美のキスを指すらしい。
勿論勝ち抜きさえすれば子女にもその権利はあるらしいのだが、これが代を重ねる毎に変化して行って、今では自分の好きな子を【星女神の乙女】として指名することが出来るようになっているそうだ。
流石に相手が嫌だと断りを入れたら諦めなきゃ駄目らしいけど、全校生徒の中で勝ち抜いた強者が自分を指名するのだから、女の子は盛り上がらない訳がないよ。ましてここは乙女ゲームの世界だからそこまで不細工がいる訳でもないし、モブはそもそも弱いから出場しない。
そんなもんだから、まあ男女問わず燃えるだろうね。去年もちゃんと優勝者へのキスはあったそうだけど、私があんなことになっていたせいで誰が去年の乙女だったのか知らない。せっかくそんな乙女ゲームイベントを見られるチャンスだったのに残念だ。
「へぇ、それはそれは……何て言うかちょっと憧れるよね」
「ふふ、そうだろう? だからどちらかというと“天恵祭”の本来の意味よりも、そちらの方で盛り上がっていたりするのだ。何せあの観客席の中から剣を掲げて想い人を指名するのだからな。女子生徒は憧れている子が多いぞ」
「そうそう、そのせいで結構熱烈なファンの子達なんかは盛り上がっちゃって困るのよねぇ」
そう言って苦笑するカーサやラシードは、たぶんファンクラブの子達関係で苦労しているんだろうなぁ。
だけど私達がその話題で盛り上がる間、一人だけムスリとしていた推しメンが何故そのことを教えてくれなかったのかは、グラスの中にあるオレンジジュースがすっかりなくなっても分からず終いだった。
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