*28* 花の祈りと、星々のダンス。〈1〉


 本日はついにやってきました“十月二十五日”の天恵祭当日。


 二週間前から毎晩一人で星詠みをしていたから、この二日ほど小雨続きだった間に油断したご令嬢達を出し抜き、開場直後の朝八時に入場して無事に観覧場所をもぎ取った。


 とはいえ私には勿論コネがないから立ち見だけど、それでもかなり前の方の良い場所だ。後からやってきたご令嬢達の視線が背中に刺さるのなんて、ここから推しメンの活躍を見られるだけでお釣りが出るってもんだよ。


 でもそのお陰で推しメン達と一緒に入場することは出来なかったんだから、その分はマイナスかなとは思わなくもない。


 あの衣装に身を包んだ三人を間近に見られなかったのは滅茶苦茶残念だったけど。うん、滅茶苦茶残念だったわぁ……。


 何でこの世界にはポートレート技術が発展していないんだ? 今年は髪の短くなったカーサがいるから、三人が並べばさぞかし美々しいスチルが手に入っただろうにと思うと、本気で制作班が憎らしい。


 そんな風に心で血涙を流しながら朝食兼、昼食用に持ってきたパンを千切って頬張る。入口からは続々とご令嬢達が群をなして入場してくるけど、これって本当に応援したい人間がいなかったら絶対に来ようと思わない場所だなぁ。


 出場しない男子生徒はその気迫に圧されて、端からほとんどが争うことなく黙って立ち見に徹するみたいだ。


 何せご令嬢達の熱気が凄い。この感じが何に似ているかを例えるなら、前世であったオタクの祭典だろうか?


 どこから仕入れた知識だったか忘れたけど、二次創作ものなら作中出番の少ない脇役も日の目を見られると聞いたから、このゲームが全盛期の頃に一度覗いて見たかったんだけど、総動員人数の多さに“これは死ぬな”と思ったからネットで見るだけに留めたんだっけ。


 入場してくる時は鬼の形相でありながら、お目当ての席に着席した途端に天使の微笑みを見せるご令嬢達には感服してしまう。常の我儘で傲慢な姿を知らなければこの一瞬で恋に落ちれそうだ。


 そういえばあの会場に出かける女の子達を休日出勤の時に見かけたことがあるけれど、割合として“君が乙女ゲームのキャラクターかな?”と言ってしまいたくなる美人さんもかなり多かったように思う。


「ん。もうそろそろ、開場の時間かな」


 指の腹を舐めながら持っていたパンの最後の一欠けを口に詰め込んで、カフェテリアで買っておいたコーヒーに口を付ける。


 このほぼ美形しかいない世界と違って、素ではなく擬態していたにしてもあれは素晴らしい。例えるならばイラスト集の着色前、着色後を見ている気分。私のようにグレー、紺、黒のスーツ(後は家用のスウェット)しか持っていなかった私からすれば、彼女達の色彩感覚は神っていた。


「おおぅ……まだ入場してくるんだ。もう席なんてほとんど残ってないのに」


 観客席の縁から見下ろす会場の入口には、可愛い、可愛い、綺麗な花達。


 私には持ち得ない鮮やかな色と香りに包まれた世界だなぁ……と柄にもない感傷に浸りつつも、しっかりとパンを完食した私の背中に「あの!」という声がかけられて。その声がまたちょっぴり聞き覚えのあるものだなと身構えながら振り返れば、そこに立っていたのは……。


「後ろ姿だったから声をかけようか一瞬迷ったのだけど、やっぱりリンクスさんだったのね。知っている方がいて良かったわ。立ち見の方に知り合いの姿がないから、どうしようかと思っていたところなの。良かったら一緒に観戦させてもらっても構わないかしら?」



 そう言ってふんわりと微笑むその姿。


 これだけ数ある花の中でも、君は特別。


 これだけ数ある花の中で、君だけが本物。



「勿論だよティンバースさん。私も一人で心細かったところだから、知り合いが見つけてくれてちょうど良かったよ」


 明るく返事を返して隣にヒロインちゃんを招きながらも、私の心の中は黒く汚れて嫌になるなぁ。だってさ、隣に君がいてくれたなら、きっと推しメンはすぐに私を見つけてくれる。


 ヒロインちゃんのお目当てが別人エルネストだって関係ないんだ。彼女を幸せにしてくれるのは、彼女が幸せにしてくれるのは、推しメンでないと駄目なんだから。そんな狂気じみた想いを胸に、馬鹿みたいに弾んだ声で呼びかける。


「あ、ほら見てティンバースさん。開場の挨拶が始まるみたいだよ!」


 清らかな【星女神の乙女】を決める為の、楽しいお祭りが幕を開けた。



***



「もうっ、今の試合の選手は何をやっているのよ! あそこで追撃せずに引き下がるだなんて男らしくないわ! そう思わないリンクスさん?」


「あ、はい、ソウデスネ~……」


「あの場面だったらもう一歩深く踏み込めば、胸の紋章にも届いたかもしれないのに。それを潔く棄権だなんて情けない! いいえ、潔いだなんて美しい言葉で濁してはいけないわね。あれではただ打ち込まれて負けたくないから諦めただけだわ」


「全くもってソウデスネ~……情けないゾ~、やる気見せろヤ~」


 私の仄暗い感情を吹き飛ばす勢いでそう憤っているヒロインちゃんに、若干どころかかなりドン引き気味に相槌を打ち始めてからかれこれ二時間。


 試合の残り選手もだいぶ篩にかけられて、残すところ学年別では二組。個人の部では後一組にまで絞られている。


 私が対戦者表の負けた選手の名前の上に斜線を引きながらそう答えたら、ヒロインちゃんは「まあ、リンクスさんたら」と可笑しそうに笑うけど、どう考えても意外性で言うならそっちが一枚も二枚も上手だからね?


 何でそんなに武術大会で熱くなってるんだヒロインちゃん。もしや見た目の割に格闘系とか好きな人だったりするのか? 


 だとしたらもうその時点で推しメンがちょっと不利だぞ。それとも着痩せするタイプなんだと説明すれば良いのだろうか? いやいや、それだとおかしな誤解を生むだけだ。


 私は斜線だらけになった対戦者表を見つめて、最後に残った中にある三名の名前をなぞる。どの名前も皆応援したいのに……まさか星詠み同好会メンバーが三人とも残るとは思ってなかったんだよなぁ。


 特に個人の部で出場している推しメンは最終一組とあって、何だか私まで緊張する。それに何よりこれが乙女ゲーム効果というやつなのかと呪いたくなるのは、推しメンの最終対戦者として残った相手の名前だ。


 ラシードはこの国で主流のものでない、ダンスのような独特の踏み込みと間合いの取り方で他の出場者を翻弄して勝ちを重ね。カーサは持ち前の素早さとここ数週間、毎日見せてくれたあの精密で峻烈な突きの一撃で勝ち上がった。


 ところが華々しい戦果を上げる二人とは対照的に、推しメンはいつもギリギリの戦いをしているように見えた。もっと余裕のある戦い方だって出来そうな場面でも、まるで力を温存するみたいに、静かに堪えた。


 それがもしもこの最終戦を見越してのことだったとしたら――……きっと推しメンはどんなに脚の古傷が痛んでも、途中棄権なんてしないだろう。


 こっちはその身体スレスレを模擬剣の切っ先が引っかけそうになる度に、踏み込んだ一歩の大きさに、剣戟を正面から受けて押し返される度に。心臓が身体を突き破りそうなほど大きく打って、途中で緊張しすぎて過呼吸を起こしそうになった。


「エルネスト先生って、こういうのには出ない人だと思ってたんだけどな」


 初めて図書館で出会った時から、私の中で彼は“穏やかそうな熊”の印象そのままで。いつも周囲を覆う空気には争いごとの欠片も匂わなかったから、全然こんなところで起こるイベントの人だと思っていなかったのに。


 裏切られたような気分になってポツリと私がそう呟けば、不意に隣に立つヒロインちゃんが「わたしも、よく他の人からそんな風に言われるの。だけど本当はこう見えてお転婆なのよ?」とどこか影のある笑顔を見せた。


 そうして「だからかしら。わたし、簡単に勝負を投げる人は苦手なの」とやたらと男らしい発言を続ける。


 一瞬その表情に魅入って言葉を失った私に、ヒロインちゃんはいつもの温かい笑みを浮かべて「あら、もう始まるみたいだわ。一緒に二人を応援しましょうね」と楽しげに手摺りに華奢な身体を預けた。


 そんなヒロインちゃんの声に、視線に、推しメンの立つ舞台に散らばる星のエフェクトを見たくなくて俯きかけた。しかし当然のことながら私が舞台の方を見なくても、容赦なく試合開始を告げる鐘の音が打ち鳴らされ、それを合図に開場の歓声が膨れ上がる。


 こうなってしまっては、もう腹を決めて結果を見届けないことには親友失格だろう。そう気を引き締めて観戦することにしたものの……圧倒的な力量の差と、残酷すぎるエフェクトの輝きの差に目を覆いたくなった。


 元が噛ませ犬でしかない推しメンに、この乙女ゲームの世界で受けられる恩恵なんて物は、元から星持ちのキャラクターほど介入してくれなくて。


 試合開始から十五分もすると、推しメンの胴着を何度もエルネスト先生の剣先が掠めて傷を付けていく。


 身体の大きさの割にスピードがあるエルネスト先生の攻撃は、一撃で勝敗を決められる胸の紋章を狙って何度も突きと払いを繰り返してくる。


 私はいつ推しメンの胸元が赤く染まるかと気が気でなくて、途中で何度も目を逸らそうかと思ったけれど、その度に推しメンが果敢に攻めに出る勇姿が見たくて出来ないのだ。


 舞台の上をクルクルと舞う真珠色の星と、巨峰色の星のダンス。そのダンスも徐々に双方の濃さを如実に広げて、ヒロインちゃんの心模様を物語る。


 観客席はまさかここまで推しメンが粘るとは思ってもみなかったらしく、大盛り上がりを見せていたが、ついに推しメンの爆弾を抱えた脚に限界がやってきた。


 重心がブレて半身を制御出来なくなった推しメンの隙を、エルネスト先生が見逃す訳がない。それまで互いに牽制と一撃を狙った緩急のある攻撃を仕掛けていたはずなのに、エルネスト先生が一気に踏み込んだ。元より身長差がある二人だから、一度接近を許したら凌ぎきれない。


 そう思ったのだろう推しメンが、ほんの少し後ろにたたらを踏んで間合いを広げようとしたのが分かったけれど。隣にいるヒロインちゃんのさっきの言葉を思い出した私は、その姿を見て咄嗟に叫ぶ。



「――引いちゃ駄目っ!! 下がらないで、踏み込んでクラウス!!!」



 お願い、一歩も下がらないで。


 どれだけ脚の古傷が痛んだとしても崩れないで。


 君が心に決めていたように、今だけは彼女の思うような姿で戦って。


 喉が戦慄くような大声を上げたのは、前世でも今世でも初めての経験だったけれど、エルネスト先生への歓声にかき消されないように張り上げた私の精一杯の声は、それでも大衆の声に敵うはずもない。


 だけどその時、まるで私の声が届いたのかと錯覚するくらいのタイミングで、下がろうとしていたはずの推しメンが、大きく前へと地面を蹴った。

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