*22* 懐かしいような、切ないような。


 本日は“八月一日”。


 もう改めて言うのも馬鹿らしくなるように、今日も今日とてガンガン真夏の日差しが降り注ぐ中を、道行く人達が日陰に沿って歩いている。


 この世界に蝉がいないことと湿度が前世ほどある国ではないせいか、毎年周囲の人達よりはやや夏に強い私でも流石に暑さを感じる晴天ぶりだ。


「ルシア、本当に三日しかない休暇の最終日に、あの二人を待たずに俺と二人で出かけて良いのか?」


 さっきまでそんな日差しの下でラシードとカーサを待っていたのだけれど、どういうわけなのか、約束の待ち合わせ時間になっても現れなかったラシードとカーサを待つことを諦めて、広場の日陰にジュース屋さんで一服している最中に、ふと推しメンがそんなことを口走った。


 一番人気のピーチジュースを飲みながらその美味しさに感動していた私は、その発言に思わず苦笑してしまう。ここで“良いに決まってるだろう! こっちは内心ウッキウキだよ!”と、叫べたらどんなに良いだろうか。叫ばないけど。


「うーん、そうなんだけどさ。もう約束の時間から四十分も経ってるし、これ以上待ってたって時間が勿体ないでしょ。昨日と一昨日とで連日遊んだから疲れが出たのかも。だとしたらカーサは明日領地に帰っちゃうわけだから、あんまり無理させるのもねぇ……」


 そう……たった三日しかない自由時間とあって、昨日と一昨日は幼い子供のように電池切れまで遊んだ。


 体力自慢のラシードカーサも鍛錬中はきちんと休みを挟むタイプだから、馬鹿みたいに休むことなく動き回ることなどなかったらしく、田舎者の私や“耐える”以外の選択肢を持たない推しメンの体力についてこられなかったのだろう。


 ちなみに夏期休暇中は朝食の時間は個人に任せるところが多いので、私達はここ二日ほぼ寮から出られる時間と同時に遊びに出かけていた。大体時間にして七時半から門限の六時半までの十一時間だ。


 どうやらこの感じだと“王都一筆描きの旅”と銘打って、三日で城下町を回りきろうぜ! というコンセプトのもと始まった悪乗り企画は、二日で終了らしい。ということは今日は普通の街歩きかな。


 ピーチジュースを一口飲んで指摘したら「それはそうだが」と少し苦笑を漏らす。たぶん私と同じようなことを考えていたのだろう。


「それに早く出発しないと、門限があるから色んなところに行けないよ?」


 そう言いながら唇の周りについたピーチジュースの上澄みを舌で舐めとったら、推しメンはさらに呆れた表情をした後で「仮にも貴族の子女が舐めとるな。卑しく見られる。ハンカチがあるだろう」と叱られてしまった。


 だがな、推しメンよ、それは違うぞ。その思い上がった間違いを正そうと「こんなに美味しいものをハンカチに吸わせるなんてとんでもないよ!」と力説すれば、満面の笑みを浮かべた店員さんから、タダでオマケの一杯を頂いてしまった。


 気前の良い店員さんにお礼を言って、推しメンの飲み終えた素焼きのコップに半分ずつ分けてから、再度飲み干す。勿論二杯目であろうが唇は舐めるけど。この世において美味しいと可愛いは大正義だ。


 流石に推しメンも二度目は何も言わずに、むしろ躊躇いがちに唇についたピーチジュースを舐めとっていた。この人はやることなすことが私にとって可愛くて美味しいなぁ。


 そんな痴女じみた感性でじっくりとその姿を堪能したいところだけど、チラ見で我慢。お行儀の悪いことに慣れてない感じがたまりませんね。お昼になったら私イチ押しの串焼きの露店に連れて行こう。


 あのお店も串を摘まんだ指先を舐めたくなる美味しさなので、もう一枚くらいスチルが増やせそうだ。


 けれど現在はまだ八時半にもなっていないので、まだまだ遊ぶ猶予がある。とはいえ前世と足したところでデートなんてあまり経験がないし、学園に来てから一対一の異性で遊びに行ったのも推しメンとラシードくらいだ。


 それだってラシードは頼れるオネエさんポジションだから、異性にカウントし辛い。推しメンだってこう、意識が前とは違うから緊張感の度合いが以前とは違うのだ。卒業する時に告白するという決意をしてからだと、妙に意識してしま――……わないな。これが開き直りの境地だろうか?


 だから以前なら逃げ出したであろうこの状況も、ある意味好機と言えなくもない。けれどそもそもの問題として、私は一人で街歩きをする時は、どうしても食べ歩きが中心になる。


 それだと食の細そうな推しメンにはつまらないかもしれない、というのが目下の悩みどころなのだ。


 いやいや、しかし考えてもみれば何を話せば良いのか分からなくて黙りよりは“美味しいね”を連発している方がデートっぽいかもしれないぞ? それに学生の食べ歩きだからあまり高額な物は食べられないけれど、縛りがある方が断然オススメを選ぶ上で燃える。


 だとしたら甘い物としょっぱい物を交互に攻めるべきだろう。でも冷たい氷菓は高いから除外する。今飲んだジュースだって、冷えていた物を購入したから少し割高だったし。まあ、この季節に飲み物を主力にしている露店で常温の物を売るお馬鹿はいないだろうけど。


 電気がないファンタジー世界で氷を作ったり、保温をしたりというのは一般家庭では難しい。画面越しにゲームをしていた頃には気付かなかったような設定が色々あるのは、面白いけど大変だ。


 この世界では“魔石”なるアイテムがあるらしいけれど、それも物を冷やしたり、煮炊きを簡単にしたりする程度の物だそうで、前世のように生活出来るようになる代物ではないらしい。その点、流石は王都。ただの露店でも魔石を使った商いがあるのだから凄いことだ。その分お高いけどね。


 さて、これからどうしようか……などと一瞬この後の探索ルートに悩んで黙り込んでいたら、痺れを切らした推しメンが「悩む間に行くぞ。時間が勿体ないのだろう?」といつの間にコップを返したのか、私の手を取る。


 何も考えずに握り返して歩き出した私達の背中に、店員さんから「デート楽しんでおいで」と声をかけられて送り出された。私が“勘違いだけど嬉しいなぁ”と小さな幸せを感じた僅か一時間後に“それ”は視界に現れたのだ。


 その気配に気付く直前まで、量り売りされていたドライフルーツを暢気に頬張っていた私達は、次に何を食べようかと盛り上がって(主に私が)いたところだった。しかし、ふと何気なく道行く人達へと視線を滑らせた中に“それ”がちらつく。



 ――――“それ”すなわち【巨峰色ホーンスのエフェクト】である。



 何やらテスト期間中見ない間に、巨峰色のエフェクトはかなり輪郭のはっきりした星形になっていた。私は一瞬無視しようとかという誘惑にかられたものの、それも一緒に歩いている人物を見るまでのことだった。


 “これは今すぐ声をかけなければ拙い”と直感ではなく、視覚で分かるありがたい設定がなされた私の目が黒い内は、そのエフェクトをそれ以上放っておくことは出来ないぞ!?


 次の目的地はこの通りを真っ直ぐ行くルートだったけれど、そんなことを言っていられようか? 答えは当然否だ。急に手を繋いでいた私が方向転換したことに驚いた推しメンが「どこに行くんだ?」と訊ねてくるけれど、まさか“君のライバルのところだよ”とは言えまい。


 あのエフェクトは、本来攻略対象キャラクターからヒロインに向けられる物だ。これは私が観測者プレイヤー的な立ち位置だからそう見えるのであって、他の誰にも見えていない、いわば個人情報。


 けれどこの世界で観察してきて分かったことの一つに、どうやらヒロインが現状で一番好意を持っている人間に対してもその輝きを増す作用があるらしい。まだ検証出来ていないのだが、もしかすると片想い相手に対してでも光る可能性があるかもしれない。


 なので「ちょっと知り合いの姿が見えた気がして」と適当にごまかしつつ、足早に建物の角を曲がった“二人”を追いかける。さっきまでは自分の手汗を気にしていたのに、今は嘘のように冷たい。


 角を曲がった先は道の両側に古書の露店が並ぶ、その名も通称【古書通り】で捻りもなにもあったものじゃない名前だ。直射日光に弱い古書を売る通りだけあって、真夏の昼間でも薄暗い。


 従ってここで知り合いを見失ったら結構探し出すのが大変なため、またの名を【迷子通り】とも言う。しかし普通は探すのが難しいこの通りでも、エフェクト持ちのキャラであれば、私から逃げ切るのは不可能だと心得よ。


「おい、ルシアの知り合いは本当にこの通りに入ったのか? だとしたら捜すのは少し骨だぞ?」


 案の定、不安を覚えた推しメンがここへ来て初めてその声に否定的な色を滲ませた。その発言にうっかり「普通はそうだよねぇ」と相槌を打ってしまったところ「普通はとは……そんなに奇抜な格好をした知り合いなのか?」とまた別の不安を植え付けてしまったようだ。


 しかし今はそんなことを気にしている時ではない。早くあの二人を捜し出してことの次第によっては、今日の楽しいデートを中断してでも邪魔をしなければ。卒業時に告白はしたいけど、その後に推しメンとヒロインちゃんが結ばれるルートも確保しておかなくちゃ駄目だ。


 真面目ぶってみたところでちゃっかり手は握ったままだけれど、これくらいの役得は許して欲しい。だが安心してくれ推しメン。二人を見つけたらバレる前に離すからね。


 心の中で気合いを入れて周囲の気配を探ると、元から片方の身長がずば抜けて高いせいであっという間に見つかった。店の前で堆く陳列された本の塔から容易く一番上の本に手を伸ばす人物に、他の人に見えないのがいっそ不思議なくらい派手派手しくてちょっと面白い。


 ちょうどヒロインちゃんと二人して、最上段に積まれた本に気を取られてこちらに背中を向けているから、偶然を装って声をかけるために近付くなら今だ。そう思って一歩を踏み出そうとしたら、不意に後ろに引っ張られるような感覚。


 驚いて振り向けば、そこには何だか怖い顔をした推しメンの姿が……。これはもしやあれなのか。“何であの二人が一緒にいるんだ!”という前世のヤンデレな一面を発露しちゃう系イベントなの?


 だとしたら拙い。ここでその感情を抱いて負の方面に堕ちてしまっては、せっかく今日まで頑張って築き上げた“不器用だけど優しい人”認定が崩れ去ってしまう。それだけは何としても避けなければ!


「あ、や、ほら、待って。あの二人も私達と同じで偶然一緒になっただけかもしれないじゃない? だから――……」


 頭の中でもっともらしい偶然出会ってしまった的な言い訳を考えようとするが、咄嗟のことなので上手く組み立てられずにあわあわしている私に向かい、怖い表情をしたまま推しメンは言った。



「まさか……あの教師見習いを追いかけてここまで来たのか?」



 そう問いかけてくる声があまりに冷たくて。私は前世の画面越しぶりに見た仄暗い彼の瞳に、一種の懐かしさを憶えて言葉を失った。

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