★23★ 何がそんなに。


 夏期休暇を利用したルシアの学力向上を目指した学習会を開いて、今日で既に五日目。場所は夏期休暇でも開放されている図書館の一角だが、利用する生徒がほとんど学園内に残っていないため、連日貸切の状態だ。


 鍛錬場での稽古が終わり次第合流してくるラシードを待つ間は、向かいに座るルシアと俺の二人だけ。


 それが良いことなのか、悪いことなのか……ただ一つだけ言えるのは今のこの状態が通常時とは異なる状態であるということだろう。原因が自分なだけに居心地の悪さを覚えるものの、あの時は苛立ちを抑えられなかった。



『あ、や、ほら、待って。あの二人も私達と同じで偶然一緒になっただけかもしれないじゃない? だから――……』



 街で偶然見かければ後を追って、誰か他の異性と一緒にいる姿を見れば自身に言い聞かせるように言い淀むあの日の姿は、かつての俺に良く似て。報われないかもしれない相手に淡い好意を抱く友人に、お門違いな苛立ちを感じて責めるような口調になった。


 少し前からアリシアがあの教師見習いと親しくしているのは知っていたせいもあるが、以前にチラリと話題に上がった頃にあの教師見習いの出自を調べてみたところ、アリシアが惹かれる要素は充分に揃っていたからだ。


 元々が急に貴族階級に放り込まれた平民出身者のアリシアと、星詠みの才があるからと取り立てられた下級文官の息子。特にあの男は下町などにも頓着せずに顔を出す研究者肌だ。会話も家名を振りかざす同級生達より合ったのだろう。


 確かに人格者で人間的な魅力のある男だ。しかし敢えて問題を一つだけ挙げるとすれば、あの男の善人ぶりだろうか? 人の好意に鈍感で、そのくせ本人に自覚がなかろうがかなりな人誑しだ。


 現にアリシアからの好意に気付いている風はない。そして恐らくあの男を慕っている令嬢は、アリシアだけではないはずだ。大学院にはあの男と同じ階級の娘も少なからずいる。


 そんな中から自分の学問に対する熱意を汲んでくれる伴侶を探そうと、躍起になっている女性は多いだろう。その中にお人好しのルシアが参戦したところで、残酷なようだが勝ち目は薄い。


 ループを繰り返す中で“アリシアを何度も殺した男が、今更どの口で言うのだ”と内側から声がするが、今回はアリシアの幸せになる為の手助けをしたいのだ。


 しかも今度のループではアリシアに対しての執着心が、どこか今までの病的な物とは異なっているように感じるのだ。それがルシアの存在のお陰なのだとすれば、彼女が傷つく姿を見たくはない。


 だからこそこの五日間、どうやって傷付く前に諦める方向へ持って行ってやるべきかを考えているが、答えが出ない。しかしあの日ルシアに向けた苛立ちは、果たして本当にそんな感情から出たものだっただろうか?


「……ああ、ルシア。この部分の解釈が少し違う。星の軌道と性質をもう一度しっかり考えてみるんだ」


 結局のところ何がそんなに癇に障ったのか分からないまま、それでも勉強を見ると言い出したのはこちらなので、ルシアからおずおずと差し出されたノートを添削して返す作業をひたすら繰り返している。


 それまで違う問題集を解いていたルシアが「あ、うん」と答えてこちらを見ずに手を伸ばした。その指先がノートを探して彷徨い、ノートを差し出していた俺の指先を撫でる。


 視線を合わせることすらあの日から少なくなっているのに、無意識とはいえ指先に触れる友人を放置してみた。すると爪に触れたところで、ようやく気付いたルシアが「おわ、ごめん!!」と子女らしからぬ声を上げたことに、喉の奥から笑いが込み上げる。


 それに気付いたルシアがムッとした表情で睨み付けて来るものの、少しも迫力がないためにさらに新たな笑いが込み上げた。


「おう……ちょっと笑いすぎやしませんかね?」


 若干低い声でそう言うルシアに「すまん」と形だけの謝罪をすれば、悔しそうな視線と共に「口だけの謝罪は結構ですけど?」と言われてしまう。


 無表情で声の抑揚に欠ける以前の自分であれば、こんなに易々と嘘を見抜かれずに済んだのに。それがまたおかしくて、そして同時に気付いた暗い感情の正体に嫌気がさす。


 この疼くようで、ひび割れそうな渇きを知っている。かつて何度も味わった感覚に近いその捻れに内心動揺を覚えたが、即座に気のせいだと自分に言い聞かせた。


「その、だ……五日前は暑さで虫の居所が悪くてだな……そのせいで少々言葉が足りずに怖がらせてしまった。本当にすまん」


 その後ろめたさからの謝罪が自分でも意外なほど沈んだ声となり、それまで拗ねたような表情だったルシアが「いや、そこまで気にしてないけどさ。むしろスティルマン君こそ大丈夫?」と心配してくる。


 そんなお人好しが過ぎて心配になる“友人”に、ふと思い立って「俺の留守中に簡単に他人について行くなよ?」と釘を刺せば「ふはは、何それ友達取られたくない系のヤキモチですかな? この寂しがり屋さんめ」といつの間にか通常運転に戻ったルシアがへらりと笑った。


 するとその表情を見た途端、思わずスルリと「そうかもな」と言葉が零れ出る。自分で自分の意外な言葉に目を丸くしていると、向かいに座っていたルシアの頬にみるみる赤みが差していく。


 ああ、ほら、だから――……お人好しで心配だと思ってしまうのだ。


 こちらは今回のループで最後になるかもしれないと身勝手な希望を見出した中で、それでもたった一人でこの残った記憶を消化するのが苦しいからその存在に甘えているだけに過ぎないのに。


 こんなに容易く絆されてくれる単純で柔らかい感性が、どれだけ汚れた心を安らがせるか。きっと分かってはいないのだろうこの“友人”の傍は離れがたく、朧気な過去の自分が目を醒ますような気がして恐ろしい。


 “友人で良い”のだと言い聞かせるものの、“友人で良いのか”と内側から声がする。自分の物でありながら自分の物ではないような声の真偽を確かめようと、意を決して目の前に座るルシアから視線を逸らさずに口を開く。


「友人の座を脅かす存在が現れて不安な俺のために、今後はクラウスと呼んでくれないか?」


 そう告げた直後のルシアの表情と、自分の内側から聞こえる声に思わず天を仰ぎそうになった。ことごとく、自分は色恋沙汰に向かない質なようだと苦い気持ちが込み上げる。


 唇を堅く閉ざしたまま目だけをパチパチとさせるルシアに「嫌か?」と訊ねれば「い、嫌なわけないじゃない。私とク、クラ、クラウスは一年生からの“親友”だからね!?」と動揺で裏返った返事が返ってきた。


 さり気なく“友人”から“親友”へと格上げしてくれたこの関係を、このループの間だけでも壊してしまわないように。業のように幾度と巡るループの中で、血肉に溶け込んだ醜い執着心を、深く沈める。


「えっと、あれだ、本当に仕方がない奴だなぁ……クラウスは」


 ――今度こそ、この笑顔を歪ませないように。

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