*20* 思ってたのとは違ったよ。


 本日は“七月二十二日”。


 待ちに待った……と、二日前まですっかり忘れていた身としては言って良いのか分からないけれど、今日は推しメンの誕生日だ。


 場所は放課後のカフェ・テリアで、私はラシードに昨日見た光景を説明している途中だったのだけれど――……あんなに望んだ展開であったはずなのに、どうにも気分が乗らない。


 アイスティーの中身を火山活動かというくらいストローでボコボコさせていたら「行儀の悪い真似は止めなさい」と、横からラシードにグラスを取り上げられてしまった。大体何においても大らかなオネエさんは、こと行儀作法にだけは口うるさいのだ。


「ま、良かったんじゃないの? 少なくともアンタの目論見通りに事が運んでヒロインちゃんがスティルマンの方を向いたわけでしょう。それとも何か不満があるのかしら?」


 どこか含みのある声音と意地の悪い微笑みに、そう言われてみれば何が悪いのかと自問自答する。推しメンがヒロインちゃんと歩み寄っていることは喜ばしい。歓迎すべきイベントで待ち望んでいたルート分岐点だ。


「ん……ラシードの言うみたいに、何も不満はないはずなんだよ。毎日が平和で日々穏やか。領地の皆も元気で、勉強も上手くいってる。ヒロインちゃんだってようやく推しメンを意識してくれるようになってきた。人生のプレイがこんなに順風満帆なことは初めてだよ」


 ――だというのに、私はおかしい。


「何かあれだ。プレイヤーとして欲張りになっちゃったのかなぁ?」


 私は前世で“アリシア・ティンバース”の視点でこの人生ゲームを生きた。だけど今回はそうではなくて、私はルシアという人格を持ってこの世界を生きている。テーブルの上に頬を張り付けてぼんやりとそう呟く私の髪を、ラシードの指が優しく撫でた。


「アタシはね、ルシア。手が届かないと思っていたものが、もう少し手を伸ばせば届く場所に降りてきたら欲しくなるのは、別におかしなことじゃないと思うわよ?」


 その言葉が何を指しているのか分からないつもりはない。だけど、それを分かってしまえば私は推しメンの傍にいてはいけない人材になる。


 ここへ来て急に自分のやってきた行動を見直す? それは今日までヒロインちゃんの持つ可能性フラグを叩き折って来た癖に、身勝手極まることではないのだろうか。二年生も半分が過ぎた今になって“惜しくなった”は罷り通らない。


 これまでにヒロインちゃんに多々用意されていた“もしかしたら”や“もしかすると”といったイベントは殆ど終わっている。それを今更になって、全部なかったことにする――? 


「それは確かに魅力的かもしれないけどさ、馬鹿だなぁ、ラシードってば」


 ああ、馬鹿だなぁ。


 本当に、本当に、私は馬鹿だなぁ。


「私は推しメンを幸せにするために、家族と領民を置いてここまで来たんだ。自分を愛してくれる場所を離れて“私が幸せになって欲しいと勝手に願った相手”の元へ。ここへ来たのはそれだけの理由だよ」


 ――――■■きだ。


 日毎夜毎に大きくなる、その声に、想いに耳を塞ぐ。最近どうしようもないことをよく考える。もしも前世の記憶が全くなくて、まっさらな“ルシア”であれば、真っ直ぐに推しメンに言えたのだろうか、と。


 乙女ゲームの予備知識と勉強しただけの付け焼き刃の恋愛観が、こんなに祟るとは思わなかった。こんなのはヒヨコの刷り込みだ。


 こんな物は恋じゃない。


 こんな物は愛でもない。


 気に入られる選択肢を、私は最初から知っていた。傷付いた懐に潜り込む術を、癒す術を、私だけは最初から知っていたのだ。


 公平さもなければ、ようやく他者に心を“開けるようになった”と思っている推しメンが可哀想だ。私の行動は最初から全部、推しメンに依存されたいが故の“雁字搦めの親切”で。絶対に選ばれることがないからこそ、忘れられない友人という場所に居座りたかっただけの汚い打算。


 ああ、だけど――……。


「ただあの人が笑ってくれるだけで良い。これだけは間違いなく、前世からの私の感情だ」


 私が最初に王都まで持って来た物は正真正銘この気持ちだけ。今が幸せならそれで良い。実にシンプルで素晴らしいことだ。


「楽しい今に難しいことは考えたくないんだ。だから、お願いラシード。揺さぶらないで。卒業するまでも、してからも、ずっと内緒にしておいて」


 コップの縁ギリギリまで一杯になったこの気持ちは、波紋の一滴も許せないほど張り詰めているから。揺らされてしまうと一溜まりもなくなってしまうから。


「そうは言ってもねぇ、アンタの推しメンだってガキじゃないのよ。自分の幸せくらい自分で決めるわ。それにアンタは難しく考え過ぎなの。自己犠牲の精神か何かに酔ってるなら改めなさい」


 しかしそんな悲壮な私の言い分を、ばっさりと切って捨てるような発言をするところが如何にもラシードらしい。もうね、この格好良いオネエ様にとって空気は吸うものだよ。


「ええ……こっちは結構真剣だってのに、言葉の暴力だぁ」


「はん、何が“言葉の暴力だぁ”よ。アンタは恋愛観が重いの。この世界は乙女ゲーム何でしょう? だったらもっと甘くて軽い恋愛を楽しみなさいよね。第一、大抵のゲームって学生生活だけで終わるけどねぇ、その後の人生の方が圧倒的に長いのよ。アンタはもっとスイーツ脳になるべきなの」


「ラシードさんや。スイーツって、もうその表現古くないかい?」


「お黙り。こっちではまだ流行ったことがない言葉なんだから、アタシは流行の最先端よ――って、お馬鹿。そんなことは良いのよ。この世界は今のアタシ達にとっては“現実”なの。前世でも学生の頃に付き合ってた子達で、その後結婚する子の方が珍しかったでしょう?」


「――そりゃまあ、確かにそうですけど。今それって関係あるの?」


 学生婚だ何だというのは一応存在したのだろうけれど、大抵はその場凌ぎのイベント要員みたいなものだ。そも真剣に将来を見越しての恋愛を、十代後半から二十代前半で視野に入れている若者がどれほどいるのか。恐らくそんなに多くはないはずだ。


 たまに“授かり婚”という、どちらのご家庭にしても一大イベントに発展してしまうものもあるけれど、あれは結婚を視野に入れてことだったのか微妙だから省く。でも出来れば入れておいて欲しいなぁ。


「あるわよ。だってアンタが今悩んでるのはその規模でしょうが。どんだけ長い期間で覚悟決めるつもりなの? そんなんじゃ初恋拗らせて、前世に引き続き今世でも結婚出来っこないわ。ご両親に迷惑かけるんじゃないわよ」


 ……最後の一言にカッチーンときた。カッチーンもスイーツ並に古いけど、今のラシードの言い分だとセーフだろう。良いぜ、同年代の言葉ノリで殴り合おうか?


「ほほぉう……そこまで言うからには、どうすれば良いのかご教授下さいますよね?」


 こめかみがひくつくのを指先で押さえながらそう訊ねれば、ラシードはあっけらかんと「借りるのよ」と言った。そこで思わず「お金を?」と反射的に口をついて出てしまうところが駄目なのは、自分でも良く分かっているんだけど。


 あ、これは駄目だわ。一方的に言葉でやりこめられるパターン。


 案の定「何で乙女ゲームで金貸し案件が出るのよ。頭おかしいの?」と本気で言われてしまった。面目ない。頭を掻いてへらりと笑って誤魔化したら「ま、アンタからまともにロマンスを引き出すのは無理だと思ってたわ」とまた鼻で嗤われた。


 私もこれ以上無駄に労力を使いたくないので視線だけで話の先を促せば、ラシードは微笑んで「青春の一頁ってやつをよ」とお寒い一言を恥ずかしげもなく言い放つ。瞬間ゾワワワっと鳥肌が立ってしまう発言だ。


 そんな私の引きっぷりを見たラシードは「語彙の少ないアンタに分かりやすく喩えた優しさを返しなさいよ」と睨まれたけど、絶対嘘だ。それって同年代だけに私と語彙が似ているんだと思うよ?


 とはいえ、相談に乗ってくれる相手にドン引きしたままだと感じが悪いので、一応「どうやって?」と訊ねてみると、オネエ様は「お馬鹿。乙女ゲームの醍醐味と言えば何よ?」と笑う。


 これまた反射的に「そんなの当然恋ですが」と返せばラシードは「そう、それよ」と色気たっぷりに言いながら、私の頬にその長い指を這わせる。


「……アンタだって、この世界の“プレイヤー”なんだから。どうせここが乙女ゲームなら、焦がれるような恋をしてから田舎に引っ込んだって良いでしょう? 命短し恋せよ乙女って言うじゃない」


 そうどこかおかしそうに私の決心を揺るがす発言をしたラシードが、不意に私の後ろに向かって片手を挙げる。その動きにつられて後ろを振り返れば、そこにはカーサと推しメンが並んでこちらにやってくるところだった。


 てっきり推しメンにイベントが発生したと思っていたのに、エフェクトは依然そのままで、向こうからやってくる推しメンは「誕生日を訊いたからには祝うのが筋だろう」とふてくされた声と表情でそう言うから。


 コップ一杯の気持ちを揺らすのが他ならぬ本人なのは非常に分が悪い。理性が……そう、理性が保たないだろうよ? 魔性の男だな!? 思わずその尊さに、この鬱々とした気持ちを飲み干してしまいそうになるじゃないか。


「アンタの覚悟を聞いた後に言うのも何だけど、推しメンはせっかくの誕生日にアタシ達と遊びたいみたいね?」


 呆れたように鼻で嗤うラシードを肘で突つきながら、顔がにやけるのを抑えられない自分がいる。この子供っぽい独占欲を何と評したら良いのだろうか?


「どのタイミングで教えてやったら面白いかと思ってたんだけど、ちょうど良いから今言うわ。アンタの頭の上にあった不細工な三角錐。なんか最初にあった時からだいぶ形が変わってるわよ」


 最後の最後でとんでもなく重要そうな内容の発言をサラーッと残して、二人を迎えに席を立つラシードの背中に「ちょっと何それ詳しく!?」と飛び付いたけれど、そんな私を引きずるように歩き出したラシードが、再び説明をしてくれることはなかった。

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