*19* イベント企画は不要でしたか。


 六月の半ばからラシード達の怒濤のようなお見合いラッシュに巻き込まれ、日付の感覚があやふやになり始めてからは、夏休み目前のテスト期間が近付いたために勉強と星詠み実習も加算という、それまで以上に多忙になるという恐ろしい日々を送っていた。


 しかも一度目にあったラシードのお見合い以降、とにかく推しメンの様子が美味しい……じゃなかった、おかしい。いきなり距離感がラシード化した上に、やることなすこと乙女ゲームの住人なのだ。主要キャラ入りしたことを機にガンガン攻める方へ転向したのだろうか?


 いや、確かにここはそういう世界観なんだから、当然といえば当然なんだけど、向ける相手が違う。すでに充分効いている私相手にフェロモンを振りまかないでくれ! 鼻血を我慢しようと摘まみすぎた鼻の粘膜がもうヒリヒリしてるんで!


 それに悪乗り便乗したラシードも、お見合いのたびに余計なフェロモン・フェスティバルを開催するし……カーサも庇うように見せかけて○塚みたいな真似をしてからかってくる。思わず新シリーズになって百合ルートもあるのかと勘ぐってしまったくらいだ。


 まぁ、ラシードはいつものことだけど、カーサと推しメンに至っては夏休み前だというのが少なからず影響しているんだろう。二人とも領地に帰るのはあまり気が進まないようだしね。


 ――しかし、だ。この頃はただのモブには上等過ぎるイベントの数々に、正直情報の整理が追い付いていない。この頃はラシード達の分も記憶しなければならないので、これだけスチルを豊富に取り揃えてしまうと、もうパンクしそうだ。


 モブ……それはすなわちNPC。それに人格が宿ったようなものだと考えれば、元より大したリソースを持っているわけではないのだから。


 そんな感じで体力的にも精神的にも負荷がかかりすぎるため、現在深夜の星詠みは中止している。推しメンに至っては、普通に星詠みの時にまであの距離感だから心臓が壊れるわ……。


 とはいえ、テスト期間中の一夜漬けにならないように予習復習を重ねていたら、睡眠時間は深夜の星詠みをしている日よりも短いくらいである。


 そこでふとテストまでの残り日数を確認しようと、寝ぼけ眼をこすって卓上のカレンダーを見た瞬間、私はある恐ろしいミスに気付いてしまった。


「……あ、え? ちょ、これ私が書いたんだよね?」


 深夜の混乱した頭で思わずそう突っ込むくらいに動揺はしたけれど、普通に考えて一人部屋の卓上カレンダーに予定を書き込めるのは、この部屋の主たる私だけだ。目頭を押さえて疲れ目を刺激した後、再度その部分を確認してみたところで現実が変わるはずもなく……。


 気付けばもう本日は“七月二十日”であるということをつい今し方理解し、カレンダーで確認した二日後の“二十二日”には大きく華丸が描かれている。


 そういえば華丸の花弁の枚数が多ければ多いほど良いという、前世の低学年ルールは一体誰が言い出したことなのだろうか?


 何て……あまりのことに一瞬思考が全く関係のない場所にお出かけしそうになっていたが、待て、諦めるな私の脳。公式と歴史と神話がスチルを圧縮しそうになるほど押し合いをしている最中に、さらにニトログリセリンをぶち込むような真似をする自分が恐ろしい。


 ――だが敢えて言おう。


 たった今、私の中での優先順位は書き換えられた。この際テストの二日目までは平均点にギリギリ届けば良いことにする。はい、もう参考書とノートは閉じることに決めます。


 変わりに制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出し、時間割と推しメンが移動教室に使うルートを確認する。本来なら移動教室中にハンティングすることは避けたいところだけれど、今はそんなことを言っていられる時ではないのだ!


「お、早速朝の二限目に接点発見! 推しメンは階段を上る時にクラスメイトより四、五段遅れて上るから……狙うならこの時だな」


 一年の時からチマチマと書き込んだ校内マップの中にある、実習棟へと向かう階段の踊場をトンと人差し指で叩く。


 時折移動中の推しメンを遠目から観察していると、ほんの一瞬でも一人になりたいのか、時々わざと数拍クラスメイトより遅れることがあるのだ。


 最初は後遺症のせいかと思って冷や冷やしながら観察していたのだけれど、どうにも違うように思えて。そのうちに自分の判断が正しかったことに気付いた。


 彼はいつも決まって、平坦な廊下の時には五歩ほど、階段で最高七段ほどの差をつけてわざと一人になりたがる。


 あの一瞬推しメンに世界はどう見えているのだろうかと、フッと考えてしまう。わざと遅れて一瞬の余白に収まる自分を、彼はどんな気分で傍観するのだろうか。


 だけど最近、そんな彼を二歩先で待ってくれている人がいる。だから私は上手くやらなきゃいけない。そうでなければ推しメンは、真珠色のエフェクトのまま夏休みに入ってしまう。一度領地に引っ込まれてしまっては、長期休暇の間に手を打つことは出来なくなる。


 それにしても――エフェクトが発生してから結構経っているはずなのに、あまり推しメンがヒロインちゃんと積極的に話しているところを見ない気がするぞ? このゲームの記憶もかなりあやふやになってきたけれど、それでも前作の推しメンはもっと自分からアピールしていたはずなのになぁ。


 何か見落としたイベントがあるのだろうか? 今からでも学園内を探せばその鍵が落ちている? 一応ヒロインちゃんの動向は見守っているけど……この辺でそろそろルート分岐がないとおかしいのに。


 ラシードはヒロインちゃんと顔を合わせないことに協力的だし、エルネスト先生には極力近付けないようにしている。気になるのは最近放置しっぱなしの水色カインだけど、この頃は全然一緒にいるところを見ないから、個人的な希望も込めてヨシュア同様自然消滅ルートに入ったんだろうと思う。


 新シリーズの情報を公式のサイトで見ていなかった前世の自分を呪ったところで、もうどうすることも出来ないけど、正解の読めないルート分岐を手探りで探す気分は非常によろしくない。


 ただ、今もっとも重要なのは後二日に迫った推しメンの“誕生日”なのだ。これは公式サイトにもなかったから(モブだからなぁ)正真正銘こちらで手に入れた情報だ。いわばこれは、この世界に存在している推しメンの生誕を祝える祭り。


「うーん……エフェクトに少しでも色が付かない限りは、友人としてプレゼントを考えるのは後回しだよね」


 今の私は推しメンを操作して正解に導くためのプレイヤー。だとしたら、イベントを発生させて推しメンの星を染め上げるのが私の役目。


「明日の一限目は終業と同時にダッシュ。Aクラスからここの階段まではうちの教室より近いから、エルネスト先生に教わった道をショートカットするでしょ、それでこの物陰で待って――……と」


 テスト勉強よりも集中力も考察も圧倒的にはかどる。気分は乙女ゲームのキャラクターというよりも、獣道に罠を仕掛ける猟師だ。ワクワクしながらものの一時間ほどで仕上げた工程表を、ベッドの中でしっかりと復習して眠りについた。



***



 本日は“七月二十一日”。天気は真夏らしい申し分のない青空だ。


 気温は一限目を終えた時点ですでに結構高いけれど、私は昨夜の計画通り推しメンの先回りをして階段に向かって走っている。今からのミッションの流れはこうだ。


 一、先回りした階段の近くの柱の陰で推しメンが通りかかるのを待つ。


 二、ポイントに現れた推しメンがわざとクラスメイトより遅れる。


 三、そこで推しメンを捕まえ、二段ほど先の階段で待っているヒロインちゃんにも聞こえるようにお誕生日アピールをする。


 題して【ヒロインちゃんにお誕生日おめでとうって言わせ隊!】だ。


 ――……ああ、うん、凄い馬鹿っぽい。


 こうやって頭の中で項目にして並べてみたらより一層。一晩で考えただけあって、待ち伏せポイントまでの移動経由や時間を計算した以外は穴だらけで稚拙な、作戦とも呼べない作戦に自分でも若干引いた。


 だけど本当に直前まで忘れていたから、明日の本番前にヒロインちゃんに憶えていてもらわないといけないのだ。ひょっとしたら聞いてしまった手前、無視出来なくてプレゼントの一つくらい用意してくれるかもしれない。


 そこでプレゼントを受け渡したり、受け取ったりでエフェクトに微弱な変化があれば良いな~、程度の行き当たりばったり企画。駄目元で上等だ。


 上がりきった呼吸を整えるために柱に預けた背中から、ひんやりとした石材の感触が伝わってきてホッとする。うっすら汗をかいた額にハンカチを当てたら、化粧が少し落ちてしまったので、慌てて右の額側に前髪を総動員してカーサからもらったヘアピンで留めて傷口を隠す。


 そうこうするうちに、一組、二組と小さなグループに分かれたAクラスの生徒達が階段に現れては階上に消えていく。足音と話し声に耳を澄ませて待ち受けていたら、さざめく声の中にその声を聞きつける。


 そっと柱の陰から覗けば、いつも推しメンと一緒に行動している数人が現れて「先に行くぞー」と声をかけながら階上へと消えていく。よしよし、思った通りだ。それからほんの少し遅れてヒロインちゃんが現れ、後ろを気にしながら階段を上がる。


 一段、二段、と。


 そこで止まって――……彼を待つ。


 また遅れて一歩、二歩、と。


 推しメンの足音が近付いてくる。


 階段の手摺りに見知った手が添わされたその時を見計らって“スティルマン君ちょうど良いところに! 明日って誕生日だったよね?”と強引に呼び止めようと飛び出しかけた所で。


「ああ、そういえば……クラウスは明日が誕生日だったかしら?」


 二段上から降る声に、私の飛び出しかけた足はピタリと止まる。


 その声に「そんなに昔のことを良く憶えていたものだな」と苦笑しつつ、満更でもなさそうな推しメンの横顔が、二段上のヒロインちゃんに向けられて。当然のことだけれど、推しメンはこちらに気付かずに階上へと姿を消した。




「――余計な心配だったかなぁ」


 ぽつりと呟いた自分の言葉に、胸が痛むのは気のせいだから。

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