◆二年生◆

*1* 無事に進級はしたけれど……。


 本日は“四月一日”。春と呼ぶにはまだ少々肌寒いものの、天気自体は非常に恵まれている。さっき通りかかった裏庭には、前月の天候で花期のずれ込んだ薄桃色の桜に似たアーモンドの花が咲いているのが見えた。


 その木の下では新しくエスカレーター式で上がってきた中等部の学生達が、大した感慨もなさそうに仲良しグループで固まってお喋りをしている。その子達がなんとなく眠たそうなのは、高等部の説明会のような入学式の帰りだからだろうか?


 確かに同じ学園の一端である高等部はつまらないのかもしれないなぁ。前世でもエスカレーター式の学校の途中編入組だった私には、その感覚が良く分からないけれど、いつも失敗することが怖かったのだけは憶えている。


 そんな臆病な私は三月にあった部室での新年度の挨拶から今日まで、教室ではそれまで通り目立たず、ただひたすらに空気になることに徹したまま一年生の残り一月を過ごした。


 ――なんて格好をつけてはみたけれど、実際はその分を連日温室で遊ぶことと、再び始まった推しメンとの夜の星詠みで発散していたわけだけど。進級さえ決まればこっちのもんだ! 推しメンの言うところの節度さえ守っていれば大人しくする暇も必要もない!


 あの日、散々遊んだ温室内の証拠隠滅かたづけをしている最中に突然肩を掴んできたラシードが「アンタに言うのすっかり忘れてたわ。ゴメンねルシア」と哀れな者を見る目で言ってきた時は何かと思ったんだけれど……。


 その理由がたったいま目の前の人集りの中、廊下に張り出されたクラス替えの用紙を見た時点で判明した。これを伝え忘れていたことをラシードは気にしていたんだな。だが心配するなラシード、私はこんなことで落ち込んだりしない!


 でもまぁ、端から端まで流し読んでいた名前の羅列に隠されたある一定の法則に気付いた時は、もう思わず“ですよね。分かってた!”と叫びたくなる衝動にかられたね。


 クラス替えの用紙に記された私の名前はCクラス。水色カインはBクラスで、推しメンとヒロインちゃんはAクラスだ。ちなみにクラス自体はDクラスまである。



 《ここで唐突ですが問題です。このクラス替えに働く力を答えなさい》


 《ヒント・一年生の時はランダムにクラスを決めています》



 ――と、ゲームっぽく言うとこんな感じだろうか。これで分からないほどお目出たい頭をしているとは流石に思えないので、結論は秒速で決まる。


「……総合能力値順かぁ……ゲーム内とはいえ、酷な真似をしてくれる」


 これを思い出して気遣ってくれたラシードは、たぶん常にAクラスなのだろう。私には勿体ないくらいの友人だなぁ。


 まさかとは思わないけれど、それでも水色カインより下だったのか。通常のテストでは五分五分の成績だったから、恐らく差が付いたとすれば星詠みの授業だろう。推しメンのライバルキャラに負けるとか正直面白くないけれど、今の私の実力がその程度だということだ。


 でもあれか……スティルマン君はヒロインちゃんと同クラスだし、これはこれでイベントが起こりやすそうだから有りだなぁ。むしろロマンスの神様良い仕事をして下さる。ただ監視……じゃない、世話の焼きやすさ加減では隣のクラスが理想的だったけれど致し方あるまい。これはある意味最高のストーリー展開だ。


 しかしそんな感慨に浸っていると、隣から押し退けられるように目の前に割り込まれる。何かと思ったら同学年の女子生徒達だった。


 彼女達は楽しげに、興奮と期待を滲ませてクラス替えの用紙を見ようと私を押し退けたのだ。誰かを押し退けたことにも気付かずに張り出された用紙の中から“誰か”の名前を探そうとする姿は微笑ましくて可愛らしい。


 進級のクラス替えにざわめくこの場所の方が、さっき裏庭で見た無感動な新一年生の子達より賑わっているのがなんとも皮肉なことに思えて、あの子達にもこの楽しみが早く見つかる日が来れば良いのにと思う。


 そもそも学力的な余裕が出てくるのって、もう伸びしろを感じなくなる高校二年生あたりからなんだよねぇ。それまではただただ必死に親の期待に応えようとする。そして伸びしろがなくなっていることから目を背けて、高校三年生あたりで“学歴社会”最後の壁を越えられなくて心が死ぬ。


 ――今回は、そうならないだけでもとっても幸せなんだ。


 私はだいぶ後ろの方に弾き出されてしまった場所から、もう一度張り出された用紙のAクラスに記載された二名の名前を見てそのスチルを脳内に焼き付ける。


 元のゲームの世界では決して同じクラスにならなかったはずのその名前が、私の目の前に並んでいるから嬉しくて。ちょっとくらいは何かの役に立てたのだろうかと自惚れてしまう。


 そもそもゲーム内ではどうして推しメンほどの能力がありながら二年、三年とBクラスだったんだ。どう考えたって設定のミスだろう。悪役は主人公達より手強い方が燃えるもんでしょうが。


 そんなことを考えながらクラス替えに一喜一憂している周囲の同級生達をぼんやりと見回していると、生徒達の中に推しメンを見つけた。この人数の中からピックアップ出来るとは……自分でもちょっと引くなぁ。


 今までもヒロインちゃん以外の前で声をかけることはしないことに決めていたので、ジッとその様子を遠目に窺うことにする。推しメンはクラス替えの用紙を真剣に見つめて、少しだけ驚いた表情になった。


 ――お、きっとヒロインちゃんと自分の名前を見つけたんだね。さぞや嬉しかろうと一人でうんうんと頷いていたら、推しメンは急にキョロキョロと周囲を見回し始めた。……もしや嬉しくてヒロインちゃんを探している? 何それ、萌えるわぁ。


 そんな萌えの凝縮された推しメンのスチルをあらゆる角度から撮り溜めようと凝視していると、不意に目があった……ような気がする。けれどすぐに外された視線と、その後ろから現れた納得のお相手に、私はその場から離れることにした。


 そそくさと人集りの中から退避する間際に振り返った方角に、推しメンとヒロインちゃんのツーショットが見えたけれど、あっという間に他の生徒達に紛れて見えなくなってしまう。


「……良かったねぇ、スティルマン君」


 ホームルームが始まる前に張り出されていたCクラスに向かおうと足早に歩くその途中にポツリと呟いた声はどこか平坦で、思わず自分でも「下手くそかよ」と笑ってしまった。


 ――そうだ、よく考えれば嬉しくないわけがない。何といってもこれからが本番だといっても過言ではないのだ。私が、私の為に、元のゲーム世界シナリオを丸っと無視してプレイする乙女ゲームの真の始まりなんだから!


「よし! 今日のお祝いにあのチョコレート、ラシードと一緒に食べちゃうかな」


 このゲームに巻き込んでしまった前世仲間の顔を思い浮かべながら、私はさっきよりも幾分軽くなった足取りで教室へと向かう。少しだけお酒をきかせた渡す宛のないチョコレートは、きっと新しい門出の景気付けにちょうど良いに違いない。



***



 そして放課後。


 私は全く知り合いのいない教室から終業のチャイムが鳴り終わる前に飛び出し、パパッと女子寮の自室に帰って今日もらったばかりの教科書類を机の上に積み重ね、机のひきだしから綺麗にラッピングされたままのチョコレートを持って食堂に向かい、持参したポットにお湯をもらう。


 所要時間は帰り際に走ったこともあって、終業後から僅かに二十五分。


 当然私が一番乗りだった温室内はガランと寂しく、まだ日差しだけでは充分に温まりきらない温室内は肌寒かった。次に来るのはラシードかカーサだろう。推しメンはいつも、同級生達と鉢合わせないように最後にやってくるし、今日はきっと教室で話をしたい相手もいるだろうから。


 私はチョコレートの入った細長い箱をミニテーブルの上に置き、手早くストーブに火を入れた。それから食堂でお湯を分けてもらったポットの中身を、直火にかけられるポットへと移し替えてストーブの上で温め直す。


 ぶわりと膨らんだ湯気が額にかかった前髪を湿気らせ、その下にある傷跡を潤すような気がした。冬の間は寒さで縮んだ肌の傷跡が引きつりやすい。だからなのか、湯気を浴びたことでほんの少しだけ傷跡も柔らかくなったように感じる。


 湯気の温かさが心地良かったので、わざとポットの蓋を開けて手で顔面に当たるように風を起こす。せっかくした化粧が剥がれるだろうけれど、それを気にする気分ではなかった。


「……そろそろ止めないとラシードに怒られるな……」


 頭ではそう分かっていても温かさになかなか止めることが出来ない。絶対に化粧崩れしているだろうけど、私は朝に化粧をしたら基本的に一日中そのままだ。途中で化粧直しなんて一切しないから、当然化粧品を持ち歩いてはいない!


 そこでキリッと表情を引き締めて湯気の中から私が顔を上げるのと、背後で温室のドアが開いたのはほぼ同時だった。


「ラシードちょうど良いところに来たね! いま私の化粧崩れを直してくれたら何と、オレンジピールのチョコレート分けてあげ――……」


 無理やり声のトーンを上げて振り向いた先に立っていた人物を見て“るよ!”と続くはずだった言葉を飲み込む。


「ラシードでなくてすまなかったな。だが……オレンジピールのチョコは少し心惹かれる。好物なんだ」


 思わず“知ってますとも!”と心の中で叫んだけれど、表情が上手く切り替えられない。推しメンは温室のドアを閉めると、ストーブの傍に立つ私の方へやってきて「また何を馬鹿なことをしているんだ」と呆れたように笑いながら額に張り付いた前髪に触れる。


「さっきクラス替えの紙を見に来ていた時に目があったと思ったんだが……気付かなかったのか?」


 その指先が湯気で膨らんで絡まった私の前髪を摘まんで解す。チョロいよなぁ、私って。それだけで何だか“まぁ、良いや”って気分になってしまうのだから。


「いや~……あれだけ人数がいたらねぇ。でもスティルマン君の名前がAクラスにあるのは見たよ。私はCクラスだったから離れちゃったねぇ」


 “成績順だから仕方がないね”とは悔しくて、格好悪くて、どうしても言い出せない。それを誤魔化そうとグッとお腹に力を込めた。


「ああ。俺もルシアの名前を探したから知っている。いつも視界の中にいたのに今年は同じ教室にいないのかと思うと、お互い調子が狂うな」


 そんな簡単な言葉一つで嬉しかったり。


「ルシアは目を離すと何をしでかしているか分からないから困る」


 そんな簡単な言葉一つが心を震わせる。


「そう言えばスティルマン君がこんなに早く部室に来るのなんて初めてじゃないの? さてはあれか、教室に私がいなくて早速寂しくなったのか?」


 内心の動揺を悟らせないようにわざと勘に障る聞き方をしたのに「そうかもな」と軽く大人な返しをされてしまう。こっちはこんなにドギマギしているのに、まったく相手にされていないこの温度差よ。




「……仕方がないな。そんな正直者には、あのチョコレートを全部あげるよ」




 そんな余裕がほんの少しだけ悔しいから、時期の過ぎたチョコだけど、素直になんて渡してやらない。

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