*38* 卵の雛は大空の夢を見るか。


 場所の移動を提案してみたものの、この時間帯に寮の食堂に行ってもベルジアン先輩のファンの子達に会話を邪魔されるのは目に見えている。だから先輩には一旦女子寮の裏口で待ってもらい、私はその間に食堂でポットにお湯を一杯もらってからこっそりと部室である温室へと向かった。


 しかし五日ぶりに見た部室はこんもりとした真っ白の小山になっていて、あの二人が私がいない間あまりここへやってきていなかったことが分かる。何だかんだと年末の行事や帰省を前に二人とも忙しかったんだろうね。


 だから私が先輩を招き入れるためにまずやったことといえば、ベコリと真ん中の窪んだ銀色のトレイで雪かきをして温室までの道を作ることだった。足首辺りまでしか積もっていないとはいえ、相手はきちんとしたところのお嬢様だから、ブーツが汚れるのは嫌だろうし。


 ベルジアン先輩には少しの間だけ渡り廊下の端でポットを預かって待っていてもらうことにして、私は中腰のまま手にしたトレイをドジョウすくいの要領で動かして道を作る。今のこの姿を推しメンに見られたら死ねるな。


 それにしてもこのトレイも良い感じに変形してくれたもので、雪かきをするために作られたような使い勝手の良さだった。


 けれど手袋もはめずに雪かきをしたものだから、温室の入口に辿り着く頃には両手の感覚がなくなってしまう。それでもこんなことは今の季節の領地では当たり前のことなので慣れっこだ。


「先輩、もうこちらにいらして下さって大丈夫ですよ。ただ、足許が滑りやすいですから気をつけて下さいね」


 そう振り返ってベルジアン先輩を手招けば、彼女はどこかぼうっとしながら頷く。ふむ、寒すぎて眠いのかもしれないな?


「寒いから早く中に入って、お茶でも飲みながら話しましょう。……って、ああ」


 温室のドアを開けた私は、中の暗さに思わず溜息をつく。積もった雪がここまで光を通さないとは考えていなかった。制服の上から下に隠してある星火石の首飾りに触れて気を紛らわせ、ざわついた内心を整える。これは中で会話するにしても多少上の雪を下ろす必要があるだろう。


 まだ高所作業をするのは若干不安があるけれど、致し方ない。お嬢様をお待たせして風邪などひかせてはことだ。


「先輩は少しこの中で待っていてくれますか? ちょっと暗いですけど、寒いよりはその方がマシだと思いますし。すぐに上の雪を退けて明かりを――」


 “入れますから”と私が言葉を終わらせるよりも早く、麗しい先輩は「いや、その任務はワタシに任せてくれたまえ」とどこか嬉しそうな顔をして近付いてきた。



***



「雪下ろしをするのは本当に天井部分だけで良かったのか? こうして招いてもらっているんだ。側面もやってくるが」


 ぽっかりと空が見えるようになった天井を見上げて、ベルジアン先輩がそう言ってくれる。普通のご令嬢なら絶対に言えないことだし、お高そうな乗馬用ブーツは結局ぐっしょり濡れてしまった。


 先ほどそのことに対して申し訳ないと謝罪したら、真っ赤になって「女性の扱い方が上手いな、キミは」という同性としては微妙なお褒めの言葉を頂戴したのは、きっとラシードのお陰だと思う。女子力を失って男子力(?)を手に入れてしまうとは複雑な気分だ……。


「いえいえ、天井の雪さえ落としていただければ温室が倒壊することもないですし、明かり取りが出来れば充分ですから。それに側面に雪を残しておいた方が中は暖かいんですよ」


「ほう、そうなのか? キミは物知りだな」


「ええ、まぁ。田舎の方では雪も資材の一つと考えることがあるんです。昼間のうちに好きな形に積んでおいて、夕方の日差しがなくなる頃に水をかけておけば、翌朝にはカチコチに固まって結構長い間残りますから、暖房をかける家の中に置いておくと傷む食材の保管に便利です」


 ちょっとだけ細かく説明すると、向かいで緑と黄のマグカップに口を付けながら話を聞いていたベルジアン先輩が、やや大袈裟に感心してくれる。


 私はラシードのマグカップを借りてブラックコーヒーを飲みながら、そんな彼女を微笑ましく思う。何だかこちらに転生してきて、初めてお姉さんぶることが出来る相手に出会ってしまったかも……。


「それにこうして上だけが開いた状態だと、卵から孵化する前の雛鳥の気分になりませんか? 何となくですけど、私なんかは“外の世界はどんなところだろう?”って期待しちゃいますね」


 すると彼女は「キミはなかなか面白い物の考え方をするのだな」と山吹色の切れ長の目を色っぽく細めた。あ、さっきの前言撤回。お姉さんぶるのはやっぱりまだ早かったね。


 ――とは、まだ諦めんぞ。最初からぶった切って本題に入っても良いのだけれど、ここは何となく関係のなさそうな他愛のない会話で緊張を解しながら外堀を埋めていく。ベルジアン先輩はその見た目の割に随分と繊細な人のようだからね。


 そのまま会話を緩やかに私の入学したての馬鹿な失敗談を話したりして、相手の中での自分の立場を下げる。というのも、格下相手に人間いつまでも緊張してはいないのだ。先輩は貴族にしては良い人そうだが、それでもやはり“貴族的な良い人”感はついて回る。


 徐々に警戒心を解いた先輩が自身の失敗談や、経験談を踏まえて助言してくれるのをウンウンと聞きながら、私は前世の“私”になっていく。ごめんね、先輩? トレイのことがある以上、私もこちらの明るくお馬鹿な甘やかされっ子の“私”ではいられない。


 私個人の失敗ならどれだけ繰り返しても笑えるけれど、推しメンの明るい未来を見るまではイベント上でのつまらない失敗をしたくないんだよ。


 そこから三十分ほど先輩の鍛練場での話や、ファンの子達の話、私のお気に入りの雑貨屋の話や、町に出た時には絶対に食べる露店のクレープの話をした。途中のテスト勉強のしかたはかなり為になったので、絶対に冬期休暇の間に勉強法をマスターしようっと。


 先輩に微笑ではなく笑顔が増えた辺りで、もう良い頃合いだと“私”が言う。そんな“私”の声に頷いて、ついに私も口火を切った。


「そうそう……田舎から出てきたから天恵祭の規模と熱気に驚いたりして。あの中に先輩もいらしたんですよね? 見てみたかったなぁ。きっと格好良かったのに。でもそうはいっても私に武術の覚えはないから、行事の中でだったら昨夜の聖星祭の方が、私の故郷の収穫祭みたいで馴染みやすかったです。もっとも故郷の収穫祭なんかよりずっと賑やかでしたけどね」


 気が逸ったので“少々無理があったかな?”と思ったけれど、先輩はそうは思わなかったようで、少し困った風に微笑んでから頷いた。


「そうか……キミのそんな故郷を懐かしむ大切な時間を汚してしまって済まなかった。実は昨夜キミが殴った男は、ワタシの婚約者でな。五年前に親同士が決めた相手だったが、全く反りが合わなくて……あちらは男勝りなワタシを嫌い、ワタシは女性にだらしないあの男を好ましく思えないでいた」


 そう話始めた先輩の表情にフッと影が差す。厳しく見える顔立ちの彼女からやや儚い印象を抱いたのは、これが初めてだ。私はその表情の変化を眺めながら、小さく頷いて先を促した。


 先輩も頷き返してくれ、その視線が温室の入口に立てかけた銀色のトレイに注がれる。ともすれば泣き出しそうにも見えるその表情に、私は彼女が傷付いていることを知った。


「……しかしそれでも家の為だ。あの男と結婚して子供を産み家の存続に努める。それこそがワタシに求められた仕事だと理解はしていたのだ。だが――」


「失礼ながら相手が予想を上回る馬鹿だった、と」


 話の腰を折ってはいけないと思いつつ思わずそう口を挟んだのは、彼女の凛とした空気が揺らいだからだ。下級生の、それも下級貴族相手に涙を零すのは彼女のプライドに反するだろう。


 先輩は一瞬だけハッとした表情になり、次いで雰囲気をキリリと引き締める。マグカップのコーヒーに口をつけて「済まないな」と苦笑する先輩に「何がです?」と微笑み返せば、彼女はそれ以上謝罪を重ねなかった。


「ああ……その通りだ。昨夜はドレス姿のワタシを見て“こんな可愛げのない身長の女と踊れるか”と言われてしまってな。慣れないなりに結構頑張ったつもりだったから、少しその場で呆然としてしまって――その間にあの男が他の女子生徒を毒牙にかけようとしていることに気付くのが遅れた。彼女はあの男の言うところの“可愛い女”だったのだろうが、キミの友人相手に非道な真似をさせるところだった」


 ギリッとマグカップを持つ手に力がこもるのを見て、思わずその手からマグカップを救出する。だって私のマグカップが割られたら困るからな!


 キョトンとしている彼女に何でもない風を装って小首を傾げれば、またも頬を染めた先輩。本当に大丈夫か、熱でもあるの?


「正直、ワタシはこの五年間で男に幻滅しきっていたんだ。そこへ昨夜の不埒な行い。物陰で揉めている姿を見た時には、もう破談になっても良いから一撃食らわせてやろうと――。でも結局は靴とドレスが邪魔で思うように走れなかった。そこへキミが現れて、体格差を物ともせずに躍り掛かってあの一撃を食らわせてくれたのだ! あの時は本当に感動して……初めて男にときめいた自分がいたんだが……」


 ――あ……これは……流石に察したよ?


「いや、だが……キミには失礼なことだな。忘れてくれ。それに昨夜のキミの行動のお陰であの男との婚約はお流れになってな。ワタシはたぶん、嬉しかったのだ。自分では納得しているつもりだったのに、結局納得など全く出来ていなかった。だから……今日はトレイを探しにくるであろうキミに、礼を言いたかったのだ」


 しかも想像以上に気まずくて居たたまれないやつだ。本当に申し訳ないというか、私が悪いのか、この珍事件は。あと薄々感じてたけど、もしかしてラシードが言っていた美少女ってまさか……だよね? 私がちょっと昨夜のラシードとの会話を思い出しかけたその時――。


「やっぱり昨夜あのクズ野郎の“ナニ”を潰しておいた方が良かったわ~。オハヨ、ルシア。……それと、そっちのお嬢さんは昨夜ぶりね? もう気分は大丈夫なのかしら?」


「――お早うルシア。まったく同意だな。下らん男だ。そこの貴女もいつまでもそんなクズの言葉に落ち込むのは建設的ではない。即刻止めるべきだ」


「あ、おはよう二人とも……じゃなくて、何なの、急に現れるなり話に割り込んでくるの止めて下さる? 私の人権はどこにあるんだよぉ」


 唐突にラシードと推しメンが入ってきたことで、一瞬思考が鈍って普通に返事しかけた自分が怖い。


 二人とも今のは明らかに流しては駄目な登場のしかただからな? しかしそんな私の当然ともいえる抗議の声に、ラシードは盛大に眉をしかめた。


「はあ……何を言ってんの。ずっと外で気配を殺して待っててあげたのに、アンタが話を引き延ばしてなかなか本題に入らないのが悪いんでしょう? もう本当に寒かったわぁ~、ほら」


「冷たぁっ!? いきなり首筋に手を入れるな馬鹿、殺す気か!」


 そういきなり首筋にあてられたラシードの大きな冷たい掌に、体温をごっそりと奪われて震え上がる。手に持っていたマグカップの中身を振り向きざまにぶっかけなかった私は偉いと思う。


 目の前で私達のやり取りを見ていたベルジアン先輩は、切れ長の目をまん丸にしている。それはそうだよね、真面目な話をしていた途中に乱入された挙げ句こんなに煩くしたら――って……。


「ひぃ、鎖骨に触るな! 寒いんだから手を抜いてってば!」


「良いじゃないのよ。勝手にアタシのマグカップ使って温かいもん飲んでたんでしょう? おあいこよ、おあいこ。はぁ……あったかい」


「……そんな訳があるか。程々で止めてやれ」


 最早ベルジアン先輩の前だとかそういうことを一切かなぐり捨てて必死の抵抗を試みるも、ラシードの馬鹿力でがっちりと身体を固定されて動けない上に、推しメンはまさかの敵だと……!? 


 半泣きになりながら「スティルマン君も今すぐ止めてよ!?」と叫んだ私に対し、推しメンは無情にも首を横に振った。くっ、何たる裏切り!


「無謀な真似を一人でした罰だ。それと……一応訊いておくが、何故ラシードのマグカップを使ったんだ?」


「それはだって、スティルマン君は絶対自分の物を他人に使われるのは嫌だろうなって。違った?」


「……いいや、その通りだ。ラシードはあと二、三分で止めてやれ」


「ですって。残念ね~。ついでに乙女心を弄んだ罪も加算よ」


「嘘でしょう、正解したのに二人そろって何その理不尽!?」


 二人がかりのとんでもない理不尽な謎かけに、悲鳴を上げる私を見つめていたベルジアン先輩が正気を取り戻して声を立てて笑ったのは、それから五分ほど経った頃だった。

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