*37* 銀色トレイは乙女の騎士の夢を見るか。


 本日は聖星祭から一夜明けた“十二月二十五日”。


 外は昨夜あれからさらに降り積もった雪が弱い冬の日差しを浴びてキラキラと輝いている。これだけ積もっているとなると、後で部室の様子も見に行ってみないと駄目かなぁ。古い温室だから大切に使わないと、天井なんかが雪の重みで落ちたりしないか心配だ。


 学園側はもう明日から冬期休暇ということもあって、今日は一日授業免除という実質的な一日前倒しの冬期休暇。昨夜の今日では学生の姿もまばらだ。たぶん昨夜のお酒が残っていたり、ダンスで疲れてまだ夢の中にいるのだろう。


 昨夜は結構サボってしまったので、朝一番で自主的に……といえば格好良いけれど、実際は凶器トレイの回収にきたのだ。お仕着せを返しに行ったらまだどこからも返却されていないということなので、誰にも見つかっていない可能性がある。


 私はお酒を飲む暇がなかったし、ダンスもラシードとの一曲を含めても四曲しか踊っていないので体力的に余裕があった。もとが田舎領地の娘であるから、あれくらいでは疲労感も心地の良い程度。


 どちらかといえば推しメンのスチル管理に脳が熱暴走をおこしかけたくらいで。床に視線を落として光を反射する物がないかを注意しながらも、昨夜のダンスを思い出して頬が緩んだ。


 しかしそんな降って湧いた幸運にいつまでもニヤケてはいられない。何故ならこの建物は通路も込みで普段入り込めない場所だから、今は無理を言ってここに立ち入ることを許可してもらっている。


 あと二時間ほどで業者の清掃が入るそうなので、邪魔にならない為にもそれより前に出て行かなければならない。だから迅速にトレイを発見し、例えどんな姿になっていても強い心で“これはトレイです”と言う準備を怠ってはならないのだ。


 けれど中腰になりながら昨夜ヒロインちゃんを助けた辺りの廊下を、グルグルと怪しく彷徨いていた時だった。


「そこのキミ、少し良いか――な!?」


 背後からそう声をかけられて振り返った先には、凛とした声と立ち姿の女子生徒……だよね。制服ではなくて乗馬服にキリリと結い上げた髪型が印象的な艶やかな美女が立っていた。


 何やら驚いた姿で固まっているけれど、パッと見た感じ的には石膏で造られたアテネ像というか、宝○で男役をしていた真矢○キの若い頃という見た目で、この学園の令嬢としてはちょっと異彩を放つが華があることに変わりはないだろう。


 そんな人物が片手を少しだけ挙げて呼び止めるような人物がどんな人なのか気になって、一瞬周囲に視線を巡らせる。しかし巡らせてみたところでどこにも人の気配はなく、昨夜と違い人気のないことでやや冷える廊下が続いているだけだ。


「……あの、もしも違ったら申し訳ないんですけど、もしかして私のことをお呼びですか?」


 彼女に第六感でもない限りどう考えてもそうだろうけれど、人間最初から決めつけるのは良くないからね! でも全くの初対面の相手に呼び止められるようなことをした記憶はないんだけどなぁ……?


 けれど相手は戸惑いつつもしっかり頷いた。いやいや、正直頷く方に戸惑われると私も戸惑ってしまうんですけど――とはおくびにも出さずに、近付いてきた彼女の前に背筋を伸ばして立つ。


 ――まずその身長の高さとスタイルの良さに驚いた。百七十五はあるんじゃないのかな? それなのにしっかり腰はくびれているから、無骨な印象は微塵もない。胸は身長に持って行かれたのか同士感を感じてしまうものがあるけれど、その上についている顔が圧倒的に仲間ではないことを告げている。


 遠目では分かりにくかったけれど、紫がかった紺色の癖のない髪をカッチリとお団子に結い上げ、乗馬服に包み込まれた肢体はキュッと引き締まって無駄がない。キラキラと日に輝く山吹色の切れ長な瞳が印象的なクールビューティーだ。


 化粧をしていないのか、白粉や香水の香りは一切しない。私と違って元が良いから必要ないだけだとは思うけれど、好感が持てた。清潔感というか清涼感があるというか……綺麗な女性だ。


 しかし不意にどこかで見かけたことのある顔立ちな気がして、失礼だとは思ったけれど、じっくりとその顔を見つめる。相手も私をがっつり見下ろして観察しているからおあいこだよね? 


 しばらく睨めっこのように向かい合って、脳内にひしめく推しメンのスチルを丁寧に横に避けていく。ざっと五分ほどかかって目当ての“日常その他”に分類されている記憶の中からこの人物を発見することが出来た。どれだけ推しメンに割いているんだ私の脳は……。


 ともかく彼女を以前見かけたのは、天恵祭の前に通いつめた鍛錬場だ。女性騎士候補生の中でも一際キレのある動きと黄色い声援をもらっていた彼女。名前は知らないけれどかなりな有名人であるはずだ。そんな雲の上の人物に目を付けられるような失態を犯した記憶は断じてないぞ。


「ええと……私は一年のルシア・リンクスと申しますが……よろしければそちらのお名前も聞かせて頂いてよろしいですか?」


 拙い……緊張しすぎて久々に鉄仮面になりそうだ。笑わないと相手に喧嘩を売っていると思われてしまうでしょうが。さぁ、働け私の表情筋! ひくつく頬の肉を総動員して微笑みのような物を浮かべた私に対し、彼女はハッとした様子になって居住まいを正した。


「こちらから声をかけたというのに、そちらから名乗らせるとは失礼した。ワタシは二年のカサンドラ・ベルジアン。ベルジアン伯爵家のものだ」


 ううむ……家名だけでなく爵位まで名乗って下さるのは都会では当然の礼儀で、たぶん彼女は間違いなくお嬢様なのだろうけれど……貴族名鑑とかを知らない田舎貴族からしてみれば、彼女のお家がどれほど大きなものかあまりピンとこない。


 名乗ってくれた相手に“は?”という態度も取れないので、当たり障りなく「一学年先輩なんですね」と答えておいた。最近気配り上手なラシードに甘やかされすぎて、会話が下手になっている気がするなぁ。


 さて、私の内面のグダグダ感に気付いていない様子のベルジアン先輩は、何か聞きたいことがあるのだろうけれど、なかなか聞けない――という空気を発散している。クールビューティーで物事をハキハキ言いそうなな見た目の割に、意外と気遣い屋さんなのだろうか?


「それでベルジアン先輩はどういったご用件で私を呼び止めたんですか?」


 かく言う私はもう全く見当もつかないし、この先の学園生活の中で接点があるとも思えないのでズバリ聞いてしまおうと思って直接切り込んだ。まだ凶器トレイの回収が出来ていないうちに余計な時間を使いたくないもんね。


 けれど肝心のベルジアン先輩は、その長身をもじもじとさせながら私の顔を見つめ、ほんのりと頬を赤らめている。美人さんのそんな姿にちょっとした胸の高鳴りを覚えたけれど、ゲームのジャンルが違いますから。


 しかしそんな暢気なことを考えていた次の瞬間、意を決して口を開いたベルジアン先輩の一言に私は凍り付いた。


「キミには……女装趣味が?」


 ――――ん? 


「あの……私に女装趣味はないですよ?」


「そ、そうか、そうだな! あんなに勇敢だったキミに対して失礼なことを聞いてすまない。では今日はお忍びの護衛任務か何かなのだな! 昨夜の姿は格好良かったが、今日のその姿も……あ、愛らしいぞ」


 ――――――んん?


「いいえ、そんな大それた特殊任務は請け負っておりませんし、どちらかと言えば昨夜の格好が男装と言いますか……」


「で、では女子生徒なのか?」


「ええと……まぁ、そうですが。ははっ、やっぱりこんなチンチクリンだと女子生徒に見えませんよね?」


 おや――遠回しでも嫌がらせでもないとしたら、私はこの美人さんにいったい何の忍耐を試されているのだろうか? とりあえず彼女から男らしく見えたのが髪型のせいだけではないということはよく分かったけれども。


 分かったところで母様のお腹の中からやり直せるわけでもないから、打てる手がもうない。さようなら女子力。


「いや、その、違う!! 断じてそういうわけでは! 決してキミの気分を害させたかったわけではないんだ。……ないんだが……」


 段々と尻すぼみになっていく言葉と、ちょっぴり涙目になっている姿のギャップが新鮮で申し訳ない気分にさせた。会話の内容からだと泣きたいのは私の方なんだけどね?


 けれどまぁ何だか可愛らしい人だし、悪意もなさそうだから少しくらいなら話を聞いてみても良いか。


「失礼ながら昨夜どこかでお会いしましたか? 先輩みたいな美人さんに出逢っていれば、絶対に見忘れないと思うんですけど」


 私の言葉に「そ、そんな……世辞は良いぞ」とポソポソと呟いた先輩は、背中側に回していた手に持った“あるもの”をスッと差し出してきた。その“あるもの”こそ、私がこれから見つけ出そうとしていたもの……。ベコリと真ん中が無惨に歪んだ銀色のトレイだった。


「――先輩、ちょっと私と場所を変えてお話しませんか?」

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