第6話


 次の日。お昼下がりの2時を過ぎた頃、由芽は毎週本屋が家に届けてくれる雑誌を読んでいた。今週は坂口真琴の特集が10ページほど掲載されていたので、由芽は心を躍らせて楽しみにしていた。

「わぁ!やっぱ可愛いな、坂口真琴は」

1ページ1ページ、細部まで見渡してから次のページに進む。様々なポーズをとった大好きなモデルの姿に、由芽はうっとりしていた。

最終ページにはサイン入りチェキの応募方法が載っていた。応募はウェブから行えると書いてある。

「チェキ!?欲しい!携帯、携帯っと」

ブラウザを開こうとした瞬間、着信が来た。夏目理愛と表示されていた。

「もしもし?」

「あ、もしもし。由芽、ちょっと聞いてほしい話があるんだけどさ」

「なに?今ちょっと急いでるから、用件があるならはやく言って!」

「急いでる?用件?何かあるの?まぁ、いいやそんなことは。それでさ。ねぇ、私、ひとつどうしてもやりたいことがあるんだよね」

由芽がはやく伝えて欲しいと思う反面、理愛は、すうっと深呼吸をして間を開けた後に、願いを言い放った。

「私、夜の学校に侵入してみたい!」


 2人が正門前に集合したのは、その日の夜中の3時頃だった。チェキを応募する時間は充分すぎるほどあったのでその点は良かったが、まさかこんな夜中に呼び出されるとは思わなかった。

「なんでこんな時間なの?やるにしても、日付越える前で良かったんじゃない?」

「居残りの先生がいるかもしれないでしょ?確実に誰もいない時間にしたかったの。まぁ、警備員のおじさんはいるかもしれないけど、いたとしてそのひとりだけにしたかったってことよ。1人相手だったら流石に見つからないでしょ」

「こんな寒い時間に集まらされるこっちの身にもなってよね」

「文句は後から聞くから。はい、行くよ!」

門の手前で、理愛は私に肩車をする。私が彼女の足がある位置に挙げた手にそれを乗せ、門の上端を掴みながら、せーの、の合図で飛箱を飛ぶみたいに門を飛び越えた。ダンッ!勢いがいい着地音が響き渡る。理愛に続き、私もジャンプして上端ににしがみつき、所々にある門の出っ張りに足をかけ、1人でも何とか向こう側まで降りることができた。

「やるじゃん。1人でこっち側に来るなんて大変だと思ったけど」

「いや、実際大変だったよ。だけど、置いてかれるのも嫌だし、必死で登ってったって感じ」

「何それ、うける。まぁいいや、教室まで行こう」

教室でなければできないことなのか、理愛はまっすぐ教室に向かっていった。なんとなく理愛の背中が寂しく見えたが、置いて行かれないように付いていった。


携帯のライトをオンにし、校内に侵入してから2組を探す。警備員にすれ違わないかびくびくしながら足を進めていく。階段を上り、手前から2つ目の教室。目的地に近づくほど、早く着いてほしいという思いから鼓動が速くなった。

「到着!」

教室に入るや否や、理愛は体操選手が着地に成功したことを示すようなY字のポーズになり、達成感を露わにした。由芽は正直そんなことをしている精神的余裕はなく、教室まで無事に着けてただただほっとしていた。

「で、一体なんの目的があってこんなところまで来たの?」

ずっと頭に引っかかっていた疑問を理愛にぶつける。

「ん?由芽とここでお話がしたかったのです」

「ここで?別に話ならここじゃなくてもできるじゃん」

「それじゃ緊張感がないでしょ?日常で体験している空間で話しても、ね?こういう静かで、異様な空間で話したかったの。今私たちがいる真っ暗な教室のような場所で」

理愛は机を避けて歩きながら私に語りかけてくる。暗いせいで理愛がどこにいるか見当がつかず、ひたすら声だけを追っていた。

理愛の姿が確認できたのは、ちょうど影になっている部分から理愛が移動し、グラウンドに立っている巨大な照明塔から発せられる光が理愛と合致した時だった。理愛の端正な顔が半分露わになる。もう半分は影で見えない。まるで舞台の主役を明示するかのように、光は理愛を照らし続けた。

「わかったわかった。それで、話って?」

由芽が急かすように話題を聞き出す。理愛の解答を待っていたが、理愛の返事は聞こえなかった。不自然な間が教室内を包み込む。

「理愛?聞いてる?」

机にぶつからないよう気を付けつつ、由芽が理愛に近づき顔を覗き込むと、理愛の目から透明な液体が流れていた。

「理愛、泣いてるの?」

理愛は目から止め処なく押し寄せる液体を気にも留めず、口を緩ませた。そして、由芽に向かって語りかけていた。

理愛が口を動かして何かを伝えようとしていたことは、由芽にも分かった。だが何を言っているのかまでは分からなかった。

目を細め、口元に視線を注目させて何を言っているか読み取ろうとしている時、理愛が異様に輝いているような気がした。おかしい。グラウンドからのライトが理愛を照らしてはいたが、こんなに眩しくはなかったはずである。なぜ光量が増しているように感じるのだろう。

由芽の感覚は、実は気のせいなどではなかった。時刻は4時をとうに過ぎていた。窓から映る朝日の光が、由芽には逆光として映り、理愛を激しく照らしていたのだ。さっきまで朝日はちょうど山に隠れていたが、だんだんその輪郭をはっきりしていくと同時に、理愛に当たる光量を増やしていったのだ。

眩しすぎる逆光に、つい由芽は手で日光を遮る。理愛の口元が動いていることだけは、感覚として分かった。しかし何を言っているのかは依然として分からない。

「何?なんて言ってるの?ねぇ、理愛ってば!」

相変わらず返答がわからなかった。しかし、理愛が何を言っているのかを聞き取れないからではなかった。由芽は光に当たる理愛に近づこうと、手を伸ばした。

その空間には柔らかい感触などなく、既に何もなかった。約6兆個の細胞によって完成された見事な芸術を、由芽が触覚を通して感じることは叶わなかった。太陽がまるで理愛が存在した空間ごと吸い込んでしまったかのように、突如として彼女は姿を消していた。何故?由芽には分からなかった。分からなかったが、このまま手を伸ばし続ければ、光の中に入ることができ、連れ去った理愛に会えるような気がした。

「…理愛、待ってて。今行くから」

ダンッ、という鈍い音がした。由芽の手の甲が、窓ガラスにぶつかった。

「理愛、理愛!」

痛みが頭を支配したが、それでも諦めずに手を伸ばす。ダンッ!ダンッ!手の甲を何回もぶつけた。

結局、当たり前だが手の甲を窓ガラスにぶつけ続けただけで、理愛の元へ行くことなど不可能だった。

まるで一生目の前に立ちはだかり邪魔をし続けるかのようなとても長い時間、陽の光が由芽の視界を遮っていた。教室にある窓の全空間を太陽光が支配しており、例え教室の端から端に移動しても、光からは逃れることができないと思わせられるほどの、今まで浴びたことがない大量の光量に包まれた。やがて太陽が視界から外れ、手の甲の赤いあざをはっきりと映し出していた。由芽にとってはとてつもなく長い時間に感じられた。


「理愛…」

少女は酸素マスクの中から、名前を呟いた。その目から流れた一粒の涙は、反射した外の景色を映していた。

「わ、わた、し、の文句、ま、まだ…聞いて、もらって…な……」

甲が赤くなった手を懸命に伸ばしたが、その手は重力に沿うように勢いよく下に落ちた。心拍数が0になり、ピーッという音が治療室中を支配していた。その音は、治療室の空気と由芽だけを包んでいた。看護師が勢いよく扉を開けたのは、それから5分程経った後だった。

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