命の重さなんて知らないけど
解体途中の小動物の脇にうずくまったまま、少年は俺を見上げた。
大人に現場を見つかったというのに、焦った様子もない。
そして俺も同類として、それを改めて止める気もない。小動物は――ネズミだろうか。それは既に生命活動を停止して、物体と化していた。
少年は光を反射しない目でまばたきをし、そして言う。
「おじさん、誰? ケーサツの人?」
「おじさん……」
地味に傷ついた。
こう見えても俺はまだ二十四なのだ。おじさん呼ばわりされる年齢ではない。
少年も自分で言って、警察関係者ではないと判断したのだろう。それはそうだ。猟奇的行動をする少年に、私服でにこやかに話しかけるやつなんてまともな人間ではない。
俺は、化け物だ。
この少年と同じ。
「
「……なんで?」
「俺も昔、きみと同じことをやっていたから」
「ほんと?」
その一言に興味を持ったようだ。多少警戒していた少年は、先ほどまで自分が行っていた作業を再開した。
ネズミの小さな腹から、細い腸を出してきれいに並べる。
「おじさん、なにかわかった? 僕にはわからないんだ」
作業を続けながら、少年は口を開いた。
「みんなが『いのちはたいせつだ』って言うんだ。でも僕には、いのちがどういうものかわからないんだ」
肝臓、肺、胃――それらを並べても、いくら並べても。
少年には、わからないことがあった。
昔の俺と一緒だ。だから先輩として、俺は少年に言った。
「いや。なにもわからなかった」
「そう……」
ひどく残念そうに、少年は肩を落とした。
理解したくて仕方がないのに、答えはどうしても見つからないのだ。
周囲のニンゲンは生まれついて感じているものを。
俺とこの少年は理解できていない。
「なんとなくわかったのは――自分はやっぱり、周りの人間とは違うイキモノなんだってことくらいかな」
「そっか」
選民思想とかそういう、驕ったものではなく。
ああそうか、俺ってやっぱり化け物だったんだなと、あきらめたような、そんな気持ちだった。
「命の大切さなんてわからないよ。わかる人間とわからない化け物がいる。俺たちは後者だ」
「そっか……やっぱり、そうなんだ」
長らく求めていたものは見つからなかったが、しっくりする答えは身近にあった。
そんな疲れた笑顔でもって、少年は息をついた。
少しは安心できただろうか。
「僕さ、昔から変なやつって言われててさ」
ぽつり、と少年は言った。
「手とか足とかを見てると、すごい違和感があって。変な形だなあ、気持ち悪いなあって思ってたんだ。
けど、みんなそうじゃないんだって。そんなの気にするほうが変で、気持ち悪くて、おかしいんだって。
そっか。やっぱり僕、おかしかったんだ」
そっか。そうつぶやいて、少年はぽろり、と涙を流した。
そんな少年へと、俺は言った。
「……どこかで座って話すか。同じおかしいやつ同士、話せることもあるだろう」
「……うん」
涙を拭いて、少年はうなずいた。
その場を移動する前に、ネズミの死骸は土に埋めた。
***
「おじさんはさ」
「お兄さんだ」
そこだけは断固訂正しておく。俺はニンゲンではないがそこだけは譲れない。
少年は首をかしげて俺の買ってやったサイダーを一口飲み、再び口を開いた。
「オニイサンはさ。不安じゃなかったの? みんなが自分と違うことを言っててさ。それが正しいって――それがわからないやつは信じられないって、そんな風に言われることが」
「もう慣れたよ」
俺も缶コーヒーを飲みながら、少年に応じた。
「俺も小さいときから、周りの生き物は全部動いてる物体にしか見えなかった。命の大切さとか言われても、よくわからなかった。今でもそうだ」
「へー……」
ベンチに腰掛けると少年の足は地面に着かなかった。
違和感を覚えるという足をプラプラと動かしている少年に、俺は言う。
「周りのやつらはモノにしか見えなくて、生きてるニンゲンは俺だけなんじゃないかって思ってた。
ひとりで不安で、普通のふりをしながら生きていた。でもやっぱり、普通じゃなかった」
「おんなじだ。よかった」
俺の言葉を聞いて、少年は足を動かすのを止め、嬉しそうに微笑んだ。
よかった。それでこそ、ここに来た甲斐があったというものだ。
「そう。同じなんだ。俺も君も、化け物だ。それでいいんだ」
「うん」
「命の重さなど知ったことではない。でも、人のフリをしなさい、少年」
「なんで?」
少年は無邪気に聞いてきた。
俺は昔の自分に言うように、隣にいる小さな同類に語りかけた。
「身を守るためだよ。この世界は俺たちみたいな化け物には、とても生きにくいところなんだ。少ない異物は攻撃される。排除される。だから、人のフリをするのがいい。
どれだけ違和感をもっても、そうしていたほうがこの世界では生きやすいんだ。そうして紛れていれば――こうして、たまに同類に会うことができるからな」
この少年がそのうち行為をエスカレートさせて殺人までしてしまったら、ことは今のようには済まない。
児童相談所、家庭裁判所だけではない。
親、学校、周囲のニンゲンが全て、敵に回る。
精神鑑定でおかしな子だと言われ、その後の生活にも影響を及ぼす。
理解できない価値観を聞かされるだけでなく、矯正プログラムを課され、わかったふりができなければ忌避され、こうして自由に出歩くこともできなくなる。
仲間にも天使にも会えなくなる。
それはイキモノとして、見過ごせなかった。
「君はひとりじゃない。俺みたいな仲間に出会うこともある」
「うん」
年相応に素直に、少年はうなずいた。
これなら、きっと。そう思って俺は続きを言った。
「それに天使に会うことだって、きっとあるさ」
「天使?」
「そうだ」
妹は天使である。
彼女は、俺にとっての天使なのである。
クラスの女の子を殺して解剖してみたいと思っていた俺の前に、年の離れた妹はやってきた。
白い布にくるまれて眠る小さな赤ん坊を見たとき、俺は驚いて目をしばたたかせた。
妹だけは、俺にはモノには見えなかったのだ。
まとう色に輝きがあった。声がちゃんと耳に入ってきた。
存在に厚みがあって重さがあるのだとそのとき初めて知った。親も先生もクラスの人間も、そんなものは感じられなかったというのに。
妹だけは、『生きている』のだと感じられた。
天使が来たのだと思った。
それ以来、俺は生き物を解剖するのをやめた。
生きているということがわかったのだ。もうやる必要もなかった。
夢中になって妹に構っていると、親に褒められた。それで、なるほど、こうしていればこの世界は生きやすくなるのかと知った。
生きていることはわかったけど、命の重さはわからない。
俺は、そんな化け物だけど。
人のフリをしていればこの天使と一緒にいてもいいのだと、そう言われた気分だった。
化け物でも、生きていていいんだ。
それだけは、この少年に言っておきたかった。
「ごくまれにだと思うが、そういう存在に会うことがある。違和感もなく受け入れられる、そういう存在に。
だからそのときまでがんばってほしい。今日はお兄さんは、それを言いにきたんだ」
「そっか。僕がんばるよ、おじさん!」
「お兄さんだ」
最後までそこだけは噛み合わぬまま、俺は少年と別れた。
彼の最後の笑顔を見れば、もう「確認」の必要もなかった。
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