いのちの確認

 家の外に出ると、ぶわりとした熱気に包まれた。

 既にあたりは暗いのだが、昼間の蒸し暑さがまだ残っている。

 俺はその空気の中を歩き出した。コンビニにアイスを買いに行くような、そんな気軽さを装って。

 だが今から探すのは、この町で住民が頭の片隅で不安を抱いている化け物である。


 ***


 小動物を殺傷し、中身を出して並べる。

 理科の解剖実験のようなことをこの数週間で何件も行っているその人物と、俺は会って話をしてみたかった。

 なぜなら、気が合いそうだからだ。

 妹が生まれてからは止めたのだが、俺も昔は何回か、野良の小動物を殺して中身を覗いたことがある。

 なぜかと訊かれると、はっきりとこうだとは言えないのだが。

 ムシャクシャしてたとか、小さなものを殺して優越感を得たかったとか、そういうことではない。


 ただ単に――やってみたかった、のだ。


 興味があったというか、不安からの行動だった。

 本当に生き物というのは、内臓があって血を循環させて、それで生きてるのものなのだろうか――? という。

 道を歩く若い男性とすれ違う。昔からそうなのだ。俺にはそれが、生き物には見えなかった。

 単なる、モノに見えた。


 物心ついたときからもう、そうだった。

 自分以外の人間が『生きてる』ようには感じられなかった。

 単なる舞台のセットが、勝手に動いているように見えた。

 しゃべって呼吸をする物体相手に、自分自身ひどく滑稽さを感じながらも演技をして過ごしていた。

 なにを言われても現実感がなく作り物めいていて、俺だけこの世界に閉じ込められていて、みんなで俺をだましているんじゃないかと思った。

 生き物の中には内臓があるなんて嘘で、腹を割ったら黒い靄が出てきて、俺を嗤いながら消えるんじゃないかと思っていた。

 ずっと、不安だった。

 この世界中を探しても、『生きてる』モノなんて俺以外いないんじゃないかって。

 ずっとひとりで、こうしていかなきゃいけないのかと思っていた。

 そう思うと、とても怖かった。

 だから、確かめるために手近にいたイキモノ、野良猫の腹の中を覗いてみた。

 本で見た通り内臓が出てきて、ひどくほっとしたのを覚えている。

 黒い靄なんてなかった。みんなは俺に嘘をついていなかった。

 血は赤くて温かい。俺と同じだ。

 同じだった。

 よかった。

 そう思って、とても安心した。


 次の日、解体した猫を見つけた人々が、ひどく騒いでいるのを見た。

 大人たちがみな揃って、「こんなことをするなんて信じられない」「なんて残酷なんだ」「気持ち悪い」と言った。

 不思議だった。

 生きていることを確かめたかったから中を覗いたのに、それは「命をなんとも思ってない行為だ」とみな言うのだ。

 だとしたらみなはどうやって、周囲の物体が生きているのを確かめているのだろうか。

 それがわからなくて、やはりみなは嘘をついているのではないかと思った。


 せっかく安心できたのに、俺はまた疑いの心を持ってしまった。

 猫だったのがいけなかったのだろうかと思って、鳥や、蛙や、狸や小型犬などでも確認してみた。

 結果は全部猫と同じだった。動物は全て同じだろうという結論に至った。

 では人間はどうなのだろう、と思った。

 俺の周りで動いている物体は、俺と同じ『イキモノ』なのだろうか。

 今から思えば、それがいわゆる「人を殺してみたかった」ということなのだろうかと思う。

 罪悪感などあろうはずもない。当時小学生だった俺の目には、周りの人間は全て『モノ』にしか見えなかったのだから。

 命の大切さなんて感じられるはずもなかった。

 むしろそれを確かめるために俺は行動していた。


 その頃にはこの一連の流れは、町内でちょっとした騒ぎになっていた。

 今回と同じように地方テレビのニュースや、新聞の片隅で取り上げられるようなことになっていた。

 それで知ったのが、野良の生物の殺傷は刑法上の犯罪にはならないということだ。

 ちゃんと調べてみれば、それは本当だった。ペットは『飼い主の財産』、野良は『モノ』。

 俺が今まで見て安心してきたものは、この世界ではやはり『物体』だったのだ。

 学校では「いのちのたいせつさ」という特別授業が行われた。先生は熱心に生徒たちに向かって話していたが、俺にはいまいちピンとこなかった。

 むしろそれに聞き入って、自分の意見を発表していた同じクラスの活発な女の子のほうに目がいった。

 彼女を解体してみたらその「いのちのたいせつさ」がわかるのだろうかと思った。

 俺にないものを周りの人間は知っていて、なぜ俺だけわからないのだろうと思った。



 ……通りの向こうから自転車が一台、こちらに向かってきている。

 見覚えがある。交番勤務の警察官用の、自転車だ。

 頻発する野良動物殺傷事件(前述の通り、厳密には「事件」ではないのだが)があって、住民の要請もありパトロールを強化しているのだ。

 人通りの少ない夜道で、男の一人歩きは不審な目を向けられる。俺は疑われて面倒になる前に、警察官に会釈をした。こちらを見ていた警察官も、それを見てぺこりと会釈をして通り過ぎていった。

 警察官に目をつけられるような犯罪者では、俺はない。

 そう、俺は結局クラスの女の子を殺さなかったのだ。


 なぜかと言われれば、それは現在この町を騒がせている、俺の同類と話をするときに一緒に説明させてもらいたい。

 二度手間をかけたくはないのだ。まあ、今夜その加害者が見つかるかはわからないのだが。

 しかし頻度的に、今夜それが起こっても不思議ではない。

 昔の俺の行動パターンを思い出せば、なんとなくの見当はつく。

 この事件の首謀者は、おそらく子どもだ。

 まだこの世界の恐ろしさを知らない。

 自分が化け物であると自覚がない。

 そしてそんな未熟な仲間だからこそ、俺が見つけなければならない。

 行動する場所は、人気のない公園や、地元の人間も近寄りたがらない雑木林。

 そこの小さな茂みの中にいても、気づかれないほどの体格。あとはなんとなく直感で――小中学生だろうと思う。

 俺は、夜の公園に足を踏み入れた。地元では大きな公園で自然が多く、昼間は町民の多くが散歩に訪れるスポットである。

 しかし今ここは、ぽつりぽつりと街灯があるだけの、暗闇が多くを占める空間になっていた。

 その暗さに加え今回の件もあり、人気はまったくない。

 だがそのほうが都合がいい。

 二人でゆっくりと話ができる。

 俺はゆっくりと公園を散策して回った。植木の陰やベンチの裏。そこに誰かがいないかと――


「……いた」


 俺は口の中だけでつぶやいた。植え込みの中に、小さな黒い影が潜んでいるのがわかった。

 夜気に乗ってかすかに血の臭いがする。それの元へと俺は歩み寄った。


「やあ。少年」


 俺はそこにいた少年に気軽に話しかけた。

 どこにでもいそうなTシャツを着た、普通の少年だった。

 だが振り返ったその彼の目は、光を反射せず真っ黒に染まっていた。


 やはり、俺と同じだ。

 同類だ。『物体』でない生き物が見つかって、俺はとても嬉しかった。

 俺はこの世界に、ひとりではなかったのだ。


 そうだ。俺がこれをやっているのは、きっと子どもだろうと思った理由が、もうひとつある。

 本格的に暑くなってから、この数週間のうちに同じようなことを繰り返している。

 つまり、ああきっと、夏休みに入ったんだろうなと――そんな風に予想できたからだ。

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