第15話:黒い痣の少女と出会いました。
「あなたたち、何をしにきたの?」
黒い痣の少女だけは、なぜか私たちの言葉が通じた。
「わ、私たちは探し物をしにきただけですわ」
その時、なぜか飛び散ったはずの黒い煙が少女の周りに群がっていった。
「その黒いの……」
「ああ、大丈夫。『
「『絵物語』という物ですわ」
すると、少女は怪訝な表情でリデルを指した。
「『絵物語』なら、さっきその人が描いてたじゃない。棒人間のやつ」
どうやら、リデルが描いた漫画のことを言っているようだ。
「漫画のことを『絵物語』と呼んでいるってこと?」
「『マンガ』って何? 見たところ、あなたたちは貴族か何かみたいだけど……貴族は絵物語なんて使わないんじゃない?」
「うーん……」
その時、ハンスが私と少女の間に入ってきた。
「失礼いたします。お互い疑問は多々あるかと思いますが……そちらのお嬢様。まずは落ち着いて話ができる場所を案内してはいただけませんか。こちらの事情もご説明いたしますので、よろしければ詳しいお話を聞かせていただけないでしょうか」
「なに、この人。まあ、私を排除しにきたわけではなさそうだし、かまわないけど……」
「ありがとうございます。もちろん、お礼もさせていただきます」
ハンスはこうして人の間に立つことが上手い。瞬時に黒痣の少女の協力を得てしまった。
「よろしければ、お名前を伺ってもよろしいですか」
おそらく、ハンスのような曇り一つ無い美青年に慣れていないのだろう。黒痣の少女は視線を泳がせながらぼそりと呟いた。
「ド……ドロティアよ」
私たちはドロティアの家にお邪魔することになった。「家」はヒビだらけの土壁に布を被せただけの簡素なものだった。木箱を並べて薄い布を敷いただけのベッド、口元が割れた水瓶。……厳しい暮らしをしていることは一目瞭然だった。
こちらの事情をドロティアに伝えたところ、彼女はリデルが描いた漫画を見ながら話し始めた。
「なるほど、この『マンガ』というものを広めようとしているのね。たしかに、絵物語とそっくり……というか、ほぼ同じだわ。違いといえば、マンガには文字が入ることくらいね」
「絵物語って、どういう時に使われますの?」
「さっきあなたたちがやったとおりよ。意思疎通の為。ここの人たちは字が読めないの。会話は、同じ集落の人同士ならできるけど、別の集落や壁の向こうの人相手だと通じないのよね。訛りがありすぎて」
「なるほど、それで絵を使ってコミュニケーションをするわけですわね」
「そういうこと。第四地区の人は世界設計図の発掘作業に時々駆り出されるんだけど、その時の作業指示とかにも使われるらしいわよ」
すると、ドロティアは小さな箱の中から数枚の紙を取り出した。ドロティアと思われる小さな少女と背の高い青年が、共に食事をしたり、手を繋いで散歩をする様子が描かれていた。
「よかったら、コレいくつか持ってく? 全部はダメだけど、数枚ならいいよ」
私はその「絵物語」に飛びついた。数本の線によって区切られた画面。各コマにドロティアと青年が描かれており、順に読んでいくことで、ドロティアと青年が二人仲良く生活している様子を読み解くことができる。……台詞は無いものの、形式は漫画と近かった。
「是非、いただきたいですわ! これは今後の参考になるかも。ハンス、早速5000兆円を差し上げなさい!」
「ゲルダ様。以前から思っていたのですが、5000兆エンとは換算すると何ゴートなのでしょうか」
「…………何もなかったことにしておいてちょうだい」
「かしこまいりました……? とはいえ、お礼は必要ですね。こちらをどうぞ」
そう言って、ハンスは金貨を一枚手渡した。ドロティアは目を丸くして慌てふためいた。
「ちょ、金貨って、そんな価値のある物じゃないわよ! こんなの、ただのメモと同じようなものだし、世間的にはゴミみたいなものなんだから!」
「ですが、ドロティアさんはそちらの『絵物語』を小箱に大切にしまっておりました。世間一般での価値は無くともドロティアさん個人にとっては大切な品ではございませんか?」
「う……っ、それは」
「ですから、譲り受けるからにはしっかりとしたお礼が必要だと判断いたしました。むしろ、金銭という形でしかお礼をすることができず、申し訳ございません」
ハンスがお詫びのお辞儀をする。私もハンスに合わせて頭を下げた。
「へ、変な人たちね……壁の向こうの貴族なのに」
ドロティアは貴族に対して何か敵対心を持っているようだった。彼女は手元に残った絵物語を小箱に大切にしまいこんだ。ドロティアの背中を見つめながら、私はおそるおそるこう尋ねた。
「あの……言いづらいことだったら申し訳ないのですけど。どうしてドロティアは私たちと同じように話せますの?」
「…………私は、壁の向こうに知人がいるからよ。悪いけど、それ以上は話せないわ」
言葉のことだけではない。全身の黒い痣。ドロティアの周りに漂う黒い煙。まだ聞きたいことがたくさんあったが……きっと、これ以上踏み込めば、ドロティアは私たちを敵とみなすだろう。
その時、家の外からモモの声がした。
「おーい、ドロティアちゃーん! 聞きたいことがあるんだけど、ちょっといいかーい!?」
私たちが外に出ると、モモたちは巨大な土壁の前で待ち構えていた。
「ねえねえ、ストリートアートってアレのことかい?」
ドロティアが来るなり、モモは壁に描かれた落書きを指した。朱色、深緑、黄土色。様々な色の絵具を乱暴に塗りたくった抽象的な絵だったが、思わず目が話せなくなるような魅力があった。その他にも、人々が踊っている絵や、犬や猫などの動物の絵などが描かれていた。この村に来るまでに見かけた落書きは悪意に満ちたものが多かったが、この絵は純粋に「絵を描くことを楽しむ」ために描かれたようだった。
ドロティアは溜息をつきながらモモに言った。
「ストリートアート? そんな洒落た名前のもの、知らないけど。どう見てもただの落書きでしょ」
「おっかしいなあ。たしか、ストリートアートはこういうふうに壁に自由に描かれた作品のことだって聞いたんだけど」
「じゃあ、壁の向こうの貴族たちが勝手に名前を付けたんじゃない? 『
「そっかあ。でも、この絵はスゴイって思うよ。こんなに自由でのびのびとした絵、あたくし見たことない! すっごく素敵だと思う! 来てよかったな!」
満面の笑みを浮かべるモモとは対照的に、ドロティアは頭を掻きながら呆れ果てていた。
私は、ドロティアから貰った絵物語とストリートアートを見比べて考え込んだ。モモが言うとおり、この絵には第一地区で出展される作品には無い魅力がある。巨大な画面に力いっぱい描かれた線、屋外という特殊な展示環境。誰もが自由に描く「落書き」。私は、先程リデルが描いた漫画を手に取った。
そして──ピンと、閃いた。
「リデル、思いつきましたわ!!!」
「ゲルダ? どうしたんですか」
私は即座にリデルの傍に向かい、土壁を指して叫んだ。
「漫画の宣伝方法ですわ。壁に直接漫画を描きますのよ! 第一地区だけではなく、第二から第四地区まで、全世界の壁に!」
「えっ、ええええええっ!?!?!?」
「私、わかりましたわ! 世界を変える書物を作るなら、文字通り、世界中を巻き込むべきですわ!」
一つ。壁に直接描けば、身近に書店が無い地域の人の目にも触れる。二つ。人々を漫画という表現方法に慣れさせるならば、身近な場所に漫画を置いておくのが一番手っ取り早い。この方法ならば、近所を偶々通りかかっただけの人の目にも触れる。
すると、リデルはこう尋ねた。
「わ、悪いアイディアではないと思いますが……その、本を作り、更に壁にも描くとなると……作業量が更に膨れ上がりますよ」
ごもっともだ。本を二冊作るだけでもリデルがキャパオーバーを起こしそうな状態だったというのに、更に壁にも描くとなると単純に作業が追いつかない。
すると、私たちの話を聞いていたモモとエンデが話に混ざってきた。
「でも、アイディアとしては面白いとおもうよ? みんな絶対ビックリするだろうしな」
こう言ってくれる以上、作業量を理由にこの案を却下するのは惜しかった。すると、これまで黙り込んでいたエンデが口を出した。
「……提案。転写したら?」
「……どうやって?」
「……わかんない」
私ががっくりと肩を落としていると、エンデはモモが持ってきたお菓子入りの本を取り出した。
「でも……物を『呪文化』して本に貼り付けたりできる。ならマンガを壁に転写するような魔法も、探せばあるんじゃないか?」
「あればいいですけど、そんな魔法が存在したら、それこそ出版技術の必要性が無くなってしまいますわよ……」
ぼそりとそう呟いた時、私はふと考えた。この世界は書物と関係が深く、出版技術に関してだけが他の技術よりも一時代先を行っているようだった。そうなると……
「もしかして、逆の可能性はありますかしら。物を転写するような魔法が存在したから、出版技術が発達した……?」
ありえるかも……。私は手をパチンと叩き、ハンスに指示した。
「ハンス。戻ったら、お父様の出版社に連絡を。転写の魔法があるかどうか調べるように頼んでくださる?」
「かしこまいりました」
ハンスは快く了承した。転写の手段が確保できれば、父からの課題をクリアできる。リデルの漫画が、様々な人々の協力を得て、形になる。私は胸を張って、リデルに視線を向けた。「どうよ、私だってやればできるんだから」──そんな気分。すると、リデルはクスッと笑った。
「ゲルダってば、子供みたい。でも、まあ、いいんじゃないですか。みんなが協力して一つの目標に向かって進んでいく……こんなことが、起こりえるなんて」
私はリデルの手を取ってハイタッチした。いつもどこか冷めた表情を浮かべているリデルが、今日は素直にハイタッチに応じてくれた。
私たちが盛り上がっている様子を、ドロティアは離れた場所で見つめていた。
「一体なにがそんなに楽しいんだか……」
ドロティアの傍に駆け寄ると、私はドロティアの手を取って何度も礼を言った。
「あなたのおかげで、とってもとっても助かりましたわ。感謝いたしますわ!」
「いや、別に、たいしたことしてないんだけど……」
「そうだ、第四地区の人々って、『鏡の国の女王』の話はご存知?」
ドロティアは「えっ」と声をあげて、少し考え込んだ。
「えーっと、みんなとまではいかないけど、知ってる人は知ってるんじゃない? 本は読めなくても、子供の頃に親から聞かされたりしてると思う……」
「素晴らしいですわ! じゃあじゃあ、このあたりで買い取れるような壁はありますかしら?」
「買い……!? このへんの壁に持ち主なんていないわよ。誰の物でもないから、みんな勝手に落書きしてるの」
「なるほどなるほど……」
私が今後の計画を考えていると、ドロティアはスカートの裾をぎゅっと握りながら、私に問いかけた。
「変な人たち。貴族のくせに、こんな僻地までやってきて、落書きやメモ書きにキャアキャア言って。何がしたいの?」
黒い痣だらけの顔の中で、きらりと輝く橙の瞳が私を捉えた。周囲の黒い煙はドロティアを護るかのように渦巻いた。
「私たちはね、この世界を変えてやりますのよ!」
胸を張ってそう言った瞬間、黒い煙の切れ間から白い頬が見えた。
「世界を? 本気で?」
「本気の本気ですわ。オーッホッホッホッホ!」
自分が「悪役令嬢でよかった」と思うのはこんな時だ。世界の仕組みに反逆し、変えてみせる。そんな無謀としか思えない野望を、胸を張って叫ぶための自信が欲しいとき。
ドロティアの瞳からは、驚愕と困惑の色が見えた。心に鎧を纏って、根拠の無い自信を胸に、私は笑う。
「転写の方法を見つけて、漫画が完成したら。またここに来ますわね!」
そう言って、私はドロティアに手を振った。書の精とは真逆の方角へと沈む陽が、ドロティアの頬を静かに照らしていた。
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