第7話:悪役令嬢は世界の仕組みを変えることにしました。
リデルの頭痛は暫く引かなかった。この頭痛は書の精霊と何かあるのだろうか。疑問を解明したいところだったが、リデルの意識は安定せず、移動することも難しかった。
「ほんとに大丈夫? ベッドを用意してもらって、横になったほうがよろしいのではなくて?」
「大丈夫……それに、ここであの兄弟の世話になるのは……少し怖いので……」
あの兄弟とは、ジェイクとヴィリアムのことだろうか。たしかに少し癪に触る物言いはあったが、書の精について丁寧に説明してくれたはずだ。それに、一応ヒロインの攻略対象・ルードヴィヒの身内だ。そこまで警戒するものだろうか……そう思った時、不思議なことが起こった。
リデルの額に歯車の印が浮かび、周囲に光が渦巻いた。意識が朦朧としているのか、こちらが呼びかけてもあまり反応が無かった。
「リデル、リデル!?」
肩を掴んでゆっさゆっさと揺らしてみたところ……突然リデルの態度が豹変した。
「うル、さイ」
言葉遣い、性格、姿勢、全てがリデルとは思えなかった。世俗離れした雰囲気、何も恐れるものなど存在しないかのような高圧的な視線──私はおそるおそる尋ねた。
「まさか、書の精?」
リデルは深く頷いた。私は開いた口が塞がらなかった。リデルには書の精の声が聞こえるということは知っていたが、これは「声が聞こえる」ではなく「憑依されている」と表現すべきだ。私は憑依状態のリデルをげんこつでぽかぽか叩いた。
「何ですのよ何ですのよ、リデルを返しやがれですわ!」
だが、書の精に取り憑かれたリデルはぼうっと虚空を見つめるだけだった。リデルの頬を引っ張ったり、髪の毛をバサバサ揺らしたりしてみたが、全く反応しなかった。暫く時間が経ったところで、私はこの状況を最大限に活用する方向に切り替えるべきだと思った。これは書の精の意思を直接聞くことができるまたとないチャンスだ。
「では書の精! あなたに頼みたいことがありますわ!」
書の精はリデルの姿のまま、カクンと頷いた。
「今年の冬、私とリデルの友情を『真実の愛』として認め、このゲームをクリアさせなさい!」
「ヤだ」
一秒と経たずに断られ、私は「キィーッ」と声をあげながらハンカチを噛んだ。……この振る舞いも、段々と板に付いてきた気がする。
「男女の恋愛じゃないと認めないってことですの?」
書の精は縦に頷いた。
「冗談じゃありませんわ! それがあなたの価値観だというのなら、そもそも直接力を行使せず、全員黙って見守ればいいんですわ! 一方的に力を行使してゲームのクリア条件にするのは、価値観の押し付けですわよ!」
書の精は全く反応しなかった。
「そっちがその気なら、私はリデルとの友情を勝手に『真実の愛』認定して、セルフ祝福してやりますわ。パーティー開いてイケイケですわ! ですから、それでゲームクリアと認め、リデルを自由にしてくださいまし」
書の精は首を横に振った。
「少しは譲歩しやがれですわぁ!」
私はまた「キィーッ」と声をあげてハンカチを噛んだ。この問答で得た情報は「書の精は全くこちらの要望に答える気が無い」ということだけだった。ここまで交渉する気が無いのならば、ひとまずはリデルの身体を返してもらうことのほうが先決かもしれない。私が指をボキボキと鳴らしながら書の精を睨みつけていると、書の精はカタコトで呟いた。
「しンジつノ、アイハ、ダんじョノ、コい。ソぅ、キまっテるカラ、ソゥいうモの。ワたシに、シんジツノ、あイヲ、ミせナさイ」
その言葉を最後に、リデルは意識を失った。
「んん……あれ、ゲルダ。どうかしましたか?」
数秒後に目を覚ました時のリデルは、普段どおりのリデルだった。
「あなた、今、完全に書の精に取り憑かれてましたわよ」
「え? そんなこと……? おかしいですね、たしかに書の精の声は聞こえましたけど、そんなことは今まで無かったのに」
リデルには書の精に取り憑かれていた自覚が無いようだった。突然の憑依状態、全く話を聞く気が無い書の精──今後の課題は積み上がる一方だったが、一つだけ良いこともあった。リデルの顔色が先程よりもかなり良くなったことだった。
「色々と心配なことはありますけど、頭痛のほうは大分よくなったみたいですわね?」
「はい。もう全然痛くないし、大丈夫です。ご迷惑おかけしました」
「念の為、早く寮に戻って安静にしたほうがいいですわ。それにしても、ハンス、遅いですわね……」
その時、休憩室の扉をノックする音が聞こえた。ハンスとルードヴィヒが並んで中に入ってきた。早速ハンスは真新しい上着をリデルの肩にかけると、水と薬を差し出した。
「大変お待たせいたしました。具合はいかがですか。こちら、鎮痛剤です」
「え? そ、そんな、買いに行ってくださったんですか。ありがとうございます」
リデルは肩を竦めながら鎮痛剤を受け取り、水と共に飲み込んだ。ハンスはリデルの顔色がさほど悪くないことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。
「お礼ならば、ルードヴィヒ様にお伝えください。咄嗟にこのあたりの薬屋さんの場所を教えてくださったおかげです」
私は暫く黙り込んだあと、ルードヴィヒを横目で睨みつけながら尋ねた。
「ありがとうございます、ルードヴィヒ様。随分とタイミング良く、薬屋さんの場所を知っていたんですのねえ?」
「礼には及ばないぜ、婚約者。このへんはグリム家とは縁の深い場所なんでね。詳しいんだ」
前世の記憶を取り戻した当初は、ルードヴィヒは恋愛対象としてリデルに興味を持っているのだと思っていた。だが最近、ルードヴィヒは別の理由で私とリデルのところにやってきているように感じるため、ついつい警戒してしまうのだった。
帰り支度の途中で、ハンスがポツリと呟いた。
「それにしても、今朝のリデルさんは元気だったのに、なぜ突然体調を崩されたのでしょうか?」
「リデルが書の精の声が聞けることは知ってますわよね。やっぱりこうも書の精との距離が近い場所だと、悪い影響もあるんだと思いますわよ」
一応、嘘は言っていないつもりだ。私とハンスがリデルの体調を気遣っていたところ、ルードヴィヒがぽつりと呟いた。
「『この世界は、書の精が読みたい書物である』──って言葉があるそうだ。お嬢さんに書の精の影響が強いのは、書の精がお嬢さんの物語をとびきり読みたがってるってことじゃないか?」
もしその言葉が事実だとすれば、書の精はとびきり意地の悪いサディストだろう。リデルの趣向や性格はこの世界に全く向いていない。リデルがこの世界の仕組みに適合できず、心身が擦り切れていく様子を、もしも書の精が楽しんで傍観していたのだとしたら……必ずこの世界の仕組みを変えてやらなければならない。
そう、私は誓うのだった。
学園の寮に戻った後、私はリデルの部屋に遊びに行った。リデルは今日購入した本を整理しているところだった。
「何の用ですか」
リデルは冷めた口調で言う。私は胸を貼って宣言した。
「何って、作戦会議ですわ!」
「こちらは体調を崩したばかりなんですが」
「わ、わかってますわよう。三秒で終わらせますわ、終わらせますから!」
私がリデルの背に飛びつくと、リデルの手から今日購入した本と、本とほぼ同じサイズの花柄の布が滑り落ちた。
「わあ、ごめん。ところでなにしてますの?」
リデルは本を抱えながら、もじもじと照れくさそうに口籠った。
「その、ブックカバーを付けておこうと……。と、友達と一緒に本を買いに行ったの……転生してから、初めてだったので……」
私は目を輝かせ、ますますべったりとリデルにしがみついた。
「まあまあ、可愛いとこあるじゃありませんのぅ!」
「ちょっと、離れてください! というか作戦会議。三秒で終わらせるんじゃなかったんですか!」
「そうでしたわ」
私はパチンと手を叩く。今回の会議の目的は、早速暗礁に乗り上げた友情エンド作戦のことだ。私は、リデルが書の精に憑依されている間のことを紙に書いて伝えた。友情エンド作戦は書の精直々に「やダ」と断言されてしまった。
「だから私は考えましたのよ。ここから私たちが取れる手は二つしかありませんわ。一つはなんとかして書の精に友情エンドを認めさせる。二つ目は、真実の愛を誓うこと以外でゲームをクリアする方法を私達の手で生み出す」
「後者は不可能ですよ。そんなことができるなら、私はゲルダと出会う前にゲームクリアできています」
「そのとおりですわ。つまり、私たちの道は前者のみ! あらゆる手段を使って、私達は書の精を男女の恋愛以外の愛の沼に落とさなければいけませんのよ。よって、作戦はこうですわ!」
私は自分が購入した本を机に並べた。そして両腕を挙げてガニ股の姿勢になり、高らかに宣言した。
「ありとあらゆる愛の小説を書の精に読ませる!そして様々な種類の愛を理解させる!名付けて、『書の精・性癖開拓作戦』。開幕ですわ!」
リデルは死んだ魚のような目で三十秒ほど黙り込んだ。
「あの、ゲルダ」
「なんですの? 質問は何でも受け付けますわ」
自信満々で瞳を煌めかせながら、私はリデルの質問を待った。
「それは開発していいんですか?」
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