第6話:神様とお話しました。

 ルードヴィヒお勧めの喫茶店でふわふわのパンケーキとミルクティーをいただいた後、私たちは少し足を伸ばして「書の精」がいる神殿へと向かった。「神殿」と聞いた時、私はキリスト教の礼拝堂のような建物を想像していた。だが意外ななことに、書の精の神殿はこれまでのどの建築物よりも多くの機械を組み合わせてできており、近代的な造りになっていた。


「たしかに大きくて立派だった記憶はあるのですけど……し、神殿ってこんな歯車だらけの場所でしたっけ……」


 私は思わずそう呟く。ゲームで書の精が出てくるのはほんの数場面だったため、神殿についてあまり詳しく覚えてはいなかった。

 ルードヴィヒは私たちを神殿の内部に連れていくと、前方上方を指した。


「そういや、お前が実際にここに来るのは初めてだったか? 歯車が多いのは当然だ。だって書の精は、機械でできているんだからな」


 ルードヴィヒの指す先には無数の歯車と蒸気機関でできた巨大な女性像があった。「女性像」とはいっても、直立した姿勢と二本の腕などどことなく人形に近い形をしており、胸部や臀部の膨らみなどから男性よりは女性に近い形状に見えただけだ。頭髪は無く、頭には角が生えており、更にヴェールを被っている。書の精の視線の先では巨大な巻物のような書物が左から右へと巻き取られていた。……おそらく、あの書物が世界設計図だろう。


「でっかいですわねえ。もうちょっと近くで見てみましょう」


 私はリデルを連れて書の精に近づいた。私たちの他にも神殿内には多数の見物客がおり、興味深そうに書の精を見つめる人もいれば、祈るような姿勢で手を組み、目を瞑っている人もいた。


「リデルはこの人の声が聞こえるんですわよね……」


「はい。たまに……ですけど」


 私とリデルは立ち入り禁止の境界線の外側からじっと書の精の顔を見つめた。書の精は人間たちには目もくれずに、淡々と世界設計図を読み上げるだけだった。


「今、ここで、書の精に友情エンドを認めるように頼み込むことはできませんの?」


「無理です。書の精は私に一方的に語りかけるだけで、私から書の精に語りかける力は無いんですよ」


「なにそれ。一方的に語りかけてきて、こっちから語りかける資格は無いなんて、理不尽すぎますわ」


「ほんとですよね」


 リデルは心底迷惑そうな顔をしていたが、不満を吐いた瞬間、少しだけ表情が柔らかくなった。これまで、こうした愚痴を吐ける相手がいなかったのだろう。まるで、舞台から降りることができないアイドルだ。常に誰からも愛され、応援されるような人格を求めれる。しかも、アイドルは自分の意思でなるものだが、ヒロインの役割は半ば事故のように押し付けれたものなのだから、尚更辛いだろう。


「リデル。前から思ってたんですけど、タメ口でいいんですのよ?」


「ああ、すみません。これだけはご理解ください。元々、このゲームのヒロインが所謂敬語口調で話すキャラだったみたいなんです。たまに崩れることもあるんですけど」


「そうなんですの。つまりフラグ対策ってことですのね」


「そうです。ゲルダのお嬢様口調や高笑いと同じ予防線です。意外とこれ便利なんですよ? 口調をキャラに合わせておけば、結構何言っても許されるところありますから」


「たしかに、私もとりあえず『ですわますわ』と『オーッホッホッホ』って言っておけば、悪役令嬢に見えるところありますものね……」


「そうですよ。今日のゲルダがずっとお嬢様口調なのも、そういう理由ですよね?」


 私は小さく頷いた。今日は学園にいる時よりも書の精との距離が近いので、一応警戒していた。


「悪役令嬢らしい自分も嫌いではないですけど、いずれ誰の目も気にせずに自由に振る舞えるようになりたいですわよね」


 リデルも頷いた。誰が与えられた配役らしさを強制しているのかはまだわからないが、これは私たちがこの世界で自分らしく生きていくために、越えなければならない壁だった。

 その時、神官のような服装をした青年が二人、私たちに声をかけてきた。


「もしや……ゲルダ・アナスン様ですか?」


 二人の青年は背が高く、顔立ちが整っており一際美しかった。どこかで見覚えのある顔だが、なかなか思い出せない。


「はは、以前会った時はまだゲルダ様は幼かったですからね。ルードヴィヒがいつもお世話になっております。ジェイク・グリムです。コチラはヴィリアム・グリム」


「ああ、ルードヴィヒ様のお兄様方ですのね! こちらこそ、いつもお世話になっておりますわ。あ、今日はルードヴィヒ様もいらしてますのよ。ほら……って、あれ?」


 私はルードヴィヒたちがいた方向を指したが、ルードヴィヒの姿は無かった。ハンスが入り口付近でこちらの様子を見守っているだけだ。


「弟のことはいいのですよ。それより、折角いらしたのですから、神殿をご案内します。そちらのお嬢さんも一緒にどうぞ」


 そう言って、ジェイクとヴィリアムはそれ以上弟のことには触れなかった。そういえば、ルードヴィヒにはたしか二人の兄を妬んでいるという設定があった。やはり、兄たちのほうもあまり弟のことには触れたくないのかもしれない。

 ジェイクとヴィリアムは、書の精の真下まで私とリデルを連れていき、説明をしてくれた。


「私たちは書の精の側近として、常に書の精の活動をお守りしております。書の精は、ここで世界設計図を読み上げ、私たちの世界を支えてくださっているのですよ」


「へえ。前から気になっていたのですけど、書の精は世界設計図以外の書物は読みませんの?」


「基本的には。書の精には人の心を見通す力や、世界のあらゆる場所の景色を透視する目など、特別な力なあります。単純に物事を学んだり楽しんだりする為の読書は必要ありません」


勿体無い話だ。書物と深い関わりがあり、沢山の本に恵まれた世界に生まれた神なのに、自分の世界の本を読む機会が無いなんて。


「ですが、例外もあります。稀に人々に大きな影響を与えた歴史書や小説を読んでいただくこともあります。神は大地の歴史や事象についてはすぐに知ることができるのですが、人々の関わりによる影響を把握することは難しいのです」


「でも、さっき心を読めるとか言ってませんでした? その超人的な力で把握できませんの」


「個人の心を読めることは、歴史や世論の理解には繋がりません。ですから、時々世の中で注目されている書物を読んでいただくこともあるのですよ」


「なるほど……。でも、書の精は読んだものを現実化させるのですよね? 大丈夫ですの?」


「現実化は書の精の力によってのみ起こるわけではないのです。世界設計図に秘められた特殊な魔力が必要なのです。書の精がただの書物を読んだとしても、世の中に悪影響はありませんよ」


「なるほど……」


 私もリデルも深く頷きながら二人の話を聞いていた。書の精について詳しい人は限られている。せっかくの機会なので、私は続けてこう尋ねてみた。


「そういえば、この神殿で愛し合う男女が記憶の互いの栞を持って『真実の愛』を誓うと、書の精が祝福してくださるという言い伝えがありますわよね。あれは本当ですの?」


「本当ですよ。書の精は『真実の愛』に関わる物語を求めておられるようです。毎年、冬の生誕祭になると多くの男女が書の精に誓いを捧げ、祝福をいただいてますよ」


 どうやら、『真実の愛』の誓いは男女のカップルにとってメジャーなイベントであるようだった。神殿側がそうしたミーハーな民衆を快く受け入れているあたり、書の精は人に対して寛容な神なのかもしれない。

 ジェイクとウィリアムが非常に丁寧に説明してくれるため、私は思い切ってこう尋ねてみた。


「そのイベント、男女の恋人以外で誓いを立てる人はいませんの? たとえば、友達同士とか!」


 しん、とジェイクとヴィリアムが黙り込んだ。リデルが肘で「ちょっと!」と私をつついた。どうやら私は失言をしたようだった。


「おかしなことを仰る。恋愛感情と友情は別物ですよ」


 ヴィリアムが鼻で嗤いながらそう言うものだから、私は少し腹が立った。


「ええ、別物ですわ。そこを混同してはならないことは認めます。けれど、どちらも相手のことを想い、慕うという点で共通しておりますし、それぞれ『愛情』のうちの一分類として認め、祝福してもよいのではなくって?」


「そこは個人の解釈次第でしょう。あなたは認めていても、書の精は男女の恋愛感情以外を『真実の愛』と認めていなかった。というだけの話ですよ」


 「個人の解釈」という言葉を出されると反論しづらくなる。私に他人の価値観を否定する資格は無い。実際には私は書の精の価値観を否定したいのではなく、このゲームのクリア条件の改正を求めている。だが、私とリデル以外の人はこの世界がゲームだということを知らないため、傍から見ると「私が独自の価値観を書の精に押し付けている」ようにしか見えない点が厄介だった。


「なんだか勿体無いですわ。もっと基準を緩くすればより多くの人がこの言い伝えを楽しめますのに」


「そう言われましても、これはイベントではなく書の精の御心ですので……」


「御心だというのであれば、男女の恋愛だけ選別して直接祝福するのではなく、黙って見守っていればよろしいのに。書の精にとっては自分の心でも、こちらにとっては世界の仕組みなんですのよ……もう」


「よくわかりませんが、私どもに、書の精の御心を操作することはできませんから……」


 友情エンドでゲームをクリアするという計画は早速暗礁に乗り上げてしまった。私たちは友情エンドでゲームをクリアしたい。書の精は認めようとしない。ならば、ここからできることは「なんとかして友情エンドを認めさせる」か「真実の愛の誓い以外のクリア条件を創り出す」かの二択になるわけだが……私もリデルもこのゲームのルールに関与する資格はないので、後者の実現は難しい。どうしようかしら……そう考えていると、リデルが私の服の袖を引っ張った。


「すみません……ちょっと頭が痛くて……どこかで休ませてもらえますか……」


 リデルは頭を抑えたままふらふらしており、足元もおぼつかなかった。


「リデル!? すみません、お二人共、説明をしてくださったところ申し訳無いのですけど、どこか休める場所はございます?」


「もちろんです。どうぞこちらへ……」


「あと、近くにハンスがおりますわ。呼んできてくださる?」


 ジェイクとヴィリアムはすぐに私達を神殿の奥の休憩室に案内し、ベンチに二人を座らせた。リデルを連れて移動する最中、人混みの中から誰かがこちらを見ているような気がした。

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