第4話:悪役令嬢はヒロインと友情エンドを目指すことにしました。
一年の終わりに、書の精が鎮座する神殿で、愛し合う男女は互いの「記憶の栞」を持って、真実の愛を誓う。これが、乙女ゲーム「恋と運命のFairy Tale」のラストシーン。それは、悪役令嬢・ゲルダにとっても、ヒロイン・リデルにとっても、いつか必ず乗り越えなければならない試練でもあった。
「どうしようかなあ……」
私は校舎の窓から神殿のほうを見つめながら、これからのことを考えていた。
ヒロインが恋愛ルートに入れば、悪役令嬢はどう足掻いても死。ヒロインが恋愛ルートに入らず、バッドエンドになればその度時間が巻き戻る。そして、恋愛ルートの最後には真実の愛を試す試練が待ち構えている。おそらく、リデルが言っていた「途中で本当の意味で攻略対象を愛していないことがバレた時」というのは、このラストシーンのことだろう。
自分の死亡フラグのことはもちろん怖い。だが、私はもはや自分のことだけではなく、リデルのことも見捨てたくはないと思うようになっていた。
「現状、私は恋愛ルートに入って死ぬしかないし、リデルだって最終的に好きでもない相手に愛を誓って結ばれるしかないっていうのが最ッ悪よねえ……しかも、それすら失敗しているし」
今日の授業で、リデルが自分の栞に込めた願いについて話した時のことを思い出してみる。誰だって、自分が好きなものを堂々と愛して、自分らしく生きていきたい。私だってそうだ。リデルを助けるために妙なお嬢様口調で話したり、変な高笑いをしてみた。あの時の私が本当に「私」と言えるのか、今はまだわからない。
私もリデルも、二人共自由に生きていく道は無いのだろうか?
「やあ、婚約者。エンデから聞いたよ。あの書の精の声が聞こえるお嬢さんを護るために、随分と威勢のいいことをしたそうじゃないか」
背後からルードヴィヒの声がした。
「こんにちは、ルードヴィヒ様。もうそのことを知られていたなんて、少し恥ずかしいです」
「いや? 俺はむしろ面白いと思ったけどね。少し前のお前は正直我儘でクソつまんねえ奴だと思っていたが、これならもう少し婚約という関係を続けていてもいいかもな」
まあ、ゲームではヒロインに惚れこんで婚約解消するもんね……。
「しかし、お前があの『書の精』の声が聞こえるお嬢さんを気に入るとは思わなかった」
そういえば、ルードヴィヒの実家は書の精と関わりが深い一族だった。リデルの話をする際に、やけに「書の精の声が聞こえる」という点を強調するあたり、彼なりに何か思うところがあるのかもしれない。
「はい。なんだかあの子、放っておけないんですよ。『書の精』の声が聞こえるというのも、良いことばかりではないみたいですし。ルードヴィヒ様、あなたは書の精のことには詳しいんですよね。書の精がリデルさんに語りかけるのをやめさせることとかはできないんですか?」
「はは、そりゃあ無理だ。書の精はいわば『世界の仕組み』だ。書の精が語りかけるのをやめさせるってことは、世界の仕組みに逆らうってことだ」
ルードヴィヒは不適に微笑みながら、指で銃の形を作り、私に向けた。
「なあ、ゲルダ。お前は世界の仕組みに逆らうのか?」
「さあ、まだわかりません」
「そうか。ならやめとけ。世界の仕組みを敵に回すってことは、自分が立ってる地面を壊しながら進むようなもんだ」
思わず眉を潜めた。まるで、世界の仕組みに逆らったことがあるかのような口ぶりだった。その時、遠くからハンスが手を振りながらこちらにやってくるのが見えた。
「おやおや。じゃあ俺はそろそろ失礼するか」
ルードヴィヒはその場を立ち去り、入れ替わりでハンスが私の傍にやってきた。
「ゲルダ様、お疲れ様です」
「ハンスもおつかれさま。あれだけの女の子に囲まれて、大変だったでしょ」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、ゲルダ様。昼間の授業の際の出来事、感心いたしました。ゲルダ様はここ最近、とても成長なさいましたね」
昼間の授業のこととは、リデルとペアを組んだ時のことだろう。
「うーん、そうね……たしかに陰口をやめさせて、リデルとペアを組めたのはよかったんだけど……ちょっと複雑に思うところもあるのよね」
「なぜですか?」
「うーん、なんというか……」
リデルがいじめられている様子を見てはいられなかったし、助けたいという気持ちは本心だった。自分が思うがまま止めようとすると、それは「悪役令嬢として相応しくない」と世界の仕組みに判断される。そのことがとても窮屈に感じたのだ。そして、私に対する縛りはまだまだ軽いものであり、リデルは私よりもさらに強い制約を受けながら日々を過ごしているのだろう。
「ねえ、ハンスが思ったことをそのまま教えてほしいんだけど。私が、ゲルダが、いじめられている子を助けたいと思うのは、『ゲルダらしくない』と思う?」
ハンスはしばらく考え込み、ゆっくりと自分の考えを話し始めた。
「そうですね。たしかに以前のゲルダ様はいじめられている女の子を助けるような方ではありませんでしたし、むしろいじめる側でした。正直に申し上げますと、僕はそのような身勝手な行為はアナスン侯爵のご令嬢として相応しくない行いだと思っておりましたし、ゲルダ様の行いに落胆したこともございます。ですが……」
ハンスは窓から中庭のほうへと視線を向けた。私も同じ方向を見ていると、昨日と同じ白薔薇園で一人佇んでいるリデルが見えた。
「ここ数日、ゲルダ様がリデルさんを気遣って行ったことが『ゲルダ様らしくない』とは思いません」
「それは、あれよね……『オーッホッホッホ』とか、『ですわますわ』とか言ってたからよね……」
「いいえ、そういう表面的なことではありませんよ」
ハンスは私の服の襟を直し、スカートに付いた埃を払った。
「ゲルダ様は昔から、自分の望んだことははっきりと口に出し、実現しようと行動なさる方でした。昔の我儘だったゲルダ様は悪意によって行動し、今のゲルダ様は友達の為を想って行動しました。自分が決めたことは必ず実行するという点において、ゲルダ様は昔も今も『ゲルダ様らしい』と思います」
なんだか、面と向かってそう言われると、少し照れてしまう。ゲームでは悪い点ばかりが描かれ、悲惨な最期を遂げる悪役令嬢にも長所があったのだ。
「今日のゲルダ様は、特にゲルダ様らしかったと思いますよ。ご自身では、自分らしくないことをしていたと思いますか?」
「それは……」
妙な高笑いやお嬢様口調は、取って付けたものだった。だがあの時、陰口を叩く女子生徒からリデルを護った時の自分に「苦しい」という感覚は無かった。むしろ身体が軽く、自然と言葉が出てきた。もしかすると、あの時の自分には前世の記憶を取り戻す前の「悪役令嬢ゲルダ」と通じる部分があったのかもしれない。
「そうね。確かに、あの時はちょっとスカっとしたし、自分が言ってやりたかったことをはっきり言えたから後悔はないわ」
「そうですか。なら、よかったです」
「話を聞いてくれてありがと。あなた、やっぱ良い奴ね」
「僕としても、昔は自分勝手だったゲルダ様が、友達の為に堂々と誰かに立ち向かうような高潔な方に成長してくださってうれしいですよ。リデルさんとこれからも仲良くしてくださいね」
ハンスの言葉に頷きながらも、私は少し困って頭を掻いた。自分のしたことに後悔は無いし、リデルと友達になれたらいいとも思っている。だが、乙女ゲームをクリアするために必要な物は異性との愛情だ。友情では今陥っている状況は変えられない。
「ん、いや待って……」
私はふと思いついた。本当に友情で乙女ゲームはクリアできないのか?
乙女ゲームには、稀に友人枠として登場する女性キャラクターと親交を深めた際に発声する「友情エンド」が存在する。全ての乙女ゲームにそのルートが存在するわけではないが、このゲームにそれが存在しないと聞いた覚えは無い。もしも友情でこのゲームがクリアできれば、私は死なずに済むし、リデルも望まない相手を愛を誓わずに済む。……試してみる価値はある。
「ハンス。私、ちょっとリデルに用事があるから。行ってくるわね!」
「わかりました。どうぞ、行ってらっしゃいませ」
私はリデルがいる中庭に向けて駆けだした。前世から転生した私と、悪役令嬢ゲルダとして生きてきた今世の私。二つの私に共通している想いを確かめて、何を、どのように伝えるか、頭の中でイメージした。
中庭へと続く扉の前で、一度大きく深呼吸し、しっかりと息を吐く。中庭への扉は、まるで舞台袖から舞台上へと続く道のようだった。
「リデル! 私、思いついたことがあるの!」
リデルは薔薇園のベンチに座り、書の精がいる神殿の方角を見つめていた。私が来たことに気づくと、ヒロインらしく暖かく微笑んだ。
「わあ、ゲルダ様。どうしたんですか?」
「リデル。私と友達になって!」
「何を言っているんですか。私とゲルダ様は、もうとっくにお友達じゃないですか」
私は書の精が鎮座する神殿に指をさして叫んだ。
「そうじゃなくて。書の精の神殿で、互いの記憶の栞を持って、友達としてこのゲームをクリアするのよ!」
その瞬間、リデルの顔からハリボテの微笑みが消え去った。
「お気遣いありがとうございます。でも、それは無理です。書の精が求めているのは男女の恋愛による『真実の愛』です。友達同士でクリアはできませんよ」
「なに、やったことあるの?」
「実行したことはありませんけど……」
「じゃあ、試してみる価値はあるでしょ?」
リデルは俯きながら呟いた。
「ほんと、無謀な人。どうして黙って普通に生活してくれないんですか。私に攻略対象を攻略する気が無ければ、あなたに死亡フラグは立たないでしょ。放っておけばいいじゃないですか」
「ふざけんじゃないわよ。放っておけば、あなたまたいじめられたり屋上から飛び降りたりするんでしょ。そしてその度に時間が巻き戻るわけでしょ。どこが普通の生活なのよ。『悪役令嬢なんて蹴落として私がハッピーエンドを掴んでやるわ』くらいの気概で挑んでくれないと、居心地悪いのよ」
「ああもう!」
リデルの大声は薔薇園中に響き渡った。威勢よくこちらを睨みつけていたが、目だけは今にも泣きだしそうに見えた。
「何も知らないくせに、その自信はどっから来るんですか! なんでそう、私は好きなことも言いたいこともずっと我慢してきたのに、あなたは言いたい放題好き勝手できるんですか!?」
その答えは、転生してから15年間生きてきた今世の自分と、先程のハンスとのやりとりの中にあった。手に腰を当て、少し大げさに胸を張りながらニヤリと笑った。
「オーッホッホッホ! リデルさん、私を誰だと思っていますの? 強欲傲慢、全てが自分の思い通りにならなきゃ気が済まない。悪役令嬢のゲルダ・アナスンですわよ?」
「……ずるい。そんな身勝手を通しても、そういうキャラクターだから許されるっていうの」
「そうは言いますけど、私と話している時のリデルさんは、結構言いたい放題言っていると思いますわよ?」
リデルは口ごもり、頭を掻きながら呟いた。
「たしかに……どうしてあなたの前でだけ、言動の縛りが無いんでしょうね。愚痴って怒ってばっかり。ほんと、私って嫌な人」
「ちょっと思ったんですけど、それもまたヒロインらしさの一つってことなのではありませんの?」
乙女ゲームはイケメンを攻略するゲームだ。イケメンの見せ場を作らなければならないし、その為にはヒロインはイケメンと結ばれるに相応しい善良な女性でなければならないのかもしれない。
だが一方で、乙女ゲームのヒロインは物語の主人公でもある。意地悪な悪人に対して、はっきりと怒りを表せる強さも……またヒロインに必要な素質なのではないだろうか。
「モブ生徒に悪口言われて俯いていた時よりも、今みたいに言いたい放題してるほうが、ヒロインらしいですわよ」
「そういうものですか?」
「少女マンガとかだと、突然の出来事に動揺して、ちょっとした小言を言うヒロインは珍しくないと思いますわよ?」
「でも怒りと愚痴ばかりって友人としてどうなんです?」
「嬉しいことも楽しいことも好きに話せばいいだけではなくて? 悪役令嬢も友人として迎え入れて日々の喜びを分かち合う器の大きいヒロイン! 実にそれっぽいじゃありませんの」
「なんて都合のいい解釈。私が好きに話したら、ナイスミドルの髭と胸毛と脇毛の縮れ具合の話だけで三時間潰すことになると思いますけど?」
私はニヤリと笑った。そして、前世の自分の後悔と今の自分の望みを込めて、思い切り笑ってやった。
「オーッホッホッホ! 私の前世の友人たちがどれだけ奇人変人ばかりだったと思ってますの? 鉛筆と鉛筆削りの擬人化でBL本作るような方もいるのに、今更おじ様好きくらい、ただの一般人ですわよ一般人!」
そして私はリデルに手を差し出した。
「だから、悪役令嬢のこの私が、あなたを友人として攻略してやりますわ。せいぜい覚悟なさい?」
ヒロインらしくない趣味も日々の喜びも、友人として分かち合おう。
ヒロインとして相応しくない不満も苦しみも怒りも、悪役令嬢として受け止めてあげる。
だから、私と、友達になってほしい。
「全く……傲慢な人」
リデルは白い髪をさらりとかき上げて溜息をついた。だが、その時のリデルは喉につかえていた物が取れたかのように軽い笑みを浮かべていた。
「でも、退屈はしなさそうですね。友達になってくるのなら、ゲルダ様じゃなくて、ゲルダと呼んでいいですか?」
「勿論ですわ。あなたのことも、リデルと呼んでもよろしくて?」
「いいですよ。あぁ、そうだ」
リデルはポケットから何かを取り出し、私の掌に乗せた。それは、昨日ハンスがリデルに手渡した白いハンカチだった。
「早速ですけど……一つ頼りたいことがあるんです。これをハンス様に返してもらえませんか。私が直接返すと、また分岐フラグが立ってしまうので」
「勿論、その程度構わなくってよ」
「ハンス様に、『ありがとうございます』と伝えてください」
私は深く頷き、ハンカチをポケットにしまった。そして、両手でリデルの手を握りしめ、思ったことをありのまま伝えた。
「わかったわ。じゃあ、これからよろしくね! 二人でこのクソゲーを面白可笑しくクリアしてやろうじゃないの!」
夕焼けがスポットライトのように二人の姿を照らしていた。書の精がいる神殿が二人の行く手を阻むように聳え立っていた。
悪役令嬢は悪役令嬢らしく、ヒロインはヒロインらしく。そんなクソッタレな「世界の仕組み」の中で自分らしく生きるために。
乙女ゲームの悪役令嬢に転生した私は、ヒロインを攻略することにしました。
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