第3話:私は悪役令嬢らしく振舞ってみることにしました。
翌日から、ようやく学生らしい生活が始まった。
私は魔法学園の校舎の窓から、「書の精」が鎮座していると言われている神殿の方角を見つめていた。
魔法学園──正式名称「魔術司書育成学校」はこの世界の神「書の精」に仕え、この世界を護る者「司書」を育成するための学校だ。
そもそも「書の精」とは何なのか? この世界は書の精が「世界設計図」と呼ばれる世界の仕組みを記していると言われる書物を読み上げることで、安定が保たれているらしい。「書の精」は自分が読み上げたものを現実化させる力があるそうだ。「世界設計図」はいわば世界の成分表のようなもので、この世界の各地で生み出され、書の精が鎮座する神殿へと集められている。
私やリデルはその書の精を護る「司書」となる為に、この学園に入学したというわけだ。
とはいいつつも、昨日の話を聞いてしまった以上、既に書の精に対しては若干の不信感があるのだが……
「ゲルダ様、おはようございます! 昨日は色々とご迷惑をおかけしました。立派な司書を目指して、今日からがんばっていきましょうね!」
当のリデルは太陽のような笑顔を浮かべながら、平然とこのようなことを言うのだった。そうはいっても、まずはこの学園に馴染み、この世界で生きていく為の力と知恵を身に付けなければ何も始まらない。気を取り直して、私は教室へと足を踏み入れた。
教室では、既にある程度生徒同士のグループが出来上がりつつあった。その中でも、一際大きな人だかりが二つできている。二人の美男子の周囲に女子生徒が群がっていた。
二人のうちの一人は勿論、私の執事でもあるハンス・アンデルシアだ。
実は、ハンスも私と同い年であり、今年からこの学園に入学することになった。前世の記憶によると、ハンスは元々中産階級の生まれだが、生まれつき高い魔力を持っていたことがきっかけで私の父・アナスン侯爵に目を付けられ、執事として屋敷に務めることになったそうだ。悪役令嬢ゲルダの我儘さには辟易しているが、一方でアナスン侯爵に対しては深い恩を感じており、忠誠を誓っている──という設定だった。
もう一方の美男子は、攻略対象の一人でもあるエンデ・フィルズィヒだ。
フィルズィヒ伯爵家の長男であり、「時」に関わる特殊な力を持っているらしい。その力は「書の守り人」を務めるグリム公爵家──つまりルードヴィヒの実家からも高く評価されており、優秀な司書としての将来を期待されている。どうやらルードヴィヒとは親交があるようで、今世の私の記憶にも、何度か二人が一緒に話している場面があった。
どうやらエンデは寡黙で一人を好む性格なのか、群がってくる女子を煙たがり、どうにかして逃げようとしているようだった。
ちなみに、私の婚約者であるルードヴィヒ・グリムは一つ上の学年だ。
「書の守り人」の役割を担っているグリム公爵家の三男。長男のジェイク、次男のヴィリアムは書の精の側近とも呼べるほどの高い地位に就いており、ルードヴィヒは二人の兄に強い劣等感を持っている──という設定だった。だが、実際のところ本当にルードヴィヒが劣等感に苛まれているだけの男なのかは私にもわからない。現世のゲームでは所謂「俺様キャラ」のような描かれ方をされていたが、今世の自分の記憶を振り返ってみると、どちらかというと掴みどころの無い性格で、どこかミステリアスさを感じる振る舞いが多かった。
最後の攻略対象はライマン・ウィゾルデ。
この人は、私たちのクラスの担任の先生だ。実は私は前世でライマンルートをプレイしたことがないため、彼についてはあまり詳しくない。元のゲームを勧められた時、友達から「個別ルートのライマンはね、ヤッバイよ!」と聞かされたが、共通ルートのライマンしか知らない私はには彼のヤバさはよくわからなかった。共通ルートでは、基本的に優しくて頼り甲斐のある先生だったと思う。
「ちなみになんですけど……」
私はリデルにこっそり尋ねた。
「リデルさんはこれまでに誰のルートに入ったことがありますの?」
リデルは笑顔を崩さずに、低く小さな声で答えた。
「全員ありますよ。……トゥルーエンドには行けてないですけど」
「一人も……」
「ひ、一言余計です。ゲルダ様もそのうち、私がどうしてクリアできなかったのかわかりますよ」
その時、担任のライマン先生が教室に入ってきた。さすが乙女ゲームの攻略対象。長身で顔立ちが整っており、深い枯草色の髪を後ろで一つに束ねていた。
「皆さん、おはよう。昨日は休んでいた人もいるから、改めて挨拶するね。私は、ライマン・ウィゾルデ。君たちの担任の先生だ。これからよろしくね。じゃあ、今日の授業を始めるよ」
どうやら一限目の授業はライマン先生が担当教諭のようだ。最初の授業の内容はこれから学んでいく「魔法」の基礎についてだった。
「君たちはこの学園で魔法を学び、立派な司書になる為に入学してきたと思うけど、まずはなぜ司書に魔法が必要なのかから確認していこうか」
司書の役割は「書の精を護ること」だ。仕事内容は大きく二つ。一つは書の精本体の護衛。これは司書の中でも特に地位の高い者たちが担当している。特に「書の守り人」の役目を担っているグリム家が中心となって仕事にあたっている。もう一つは、書の精が読み上げる「世界設計図」の管理と守護。魔法学園を卒業したての新入りの司書は主にこちらの仕事から始めることになる。世界設計図が蝕まれることがないように、魔法を使って戦い、外敵を排除する。
「そして、いずれ君たちが戦うことになる外敵がこれだ」
ライマン先生は小さな小瓶を取り出し、蓋を開けた。中から、黒い虫のような生き物が出てきた。
「これは、
ライマン先生は文書が書かれた紙を黒紙魚に与えると、黒紙魚はその紙の文章が書かれた部分を食べ始めた。
「もし僕が与えた紙がただの紙ではなくて世界設計図だった場合……書の精の活動に甚大な被害が出てしまうね。だから君たちは魔法を学び、黒紙魚を倒さなければならない。このようにね」
すると、ライマン先生はポケットから若草色の栞を一つ取り出した。栞には金色のインクで文字が描かれており、珊瑚色のリボンが付いていた。先生がパチンと指を鳴らすと栞が光り輝き、黒紙魚の身体に火が点いた。そのまま、黒紙魚は焼け焦げて消えてしまった。
「そして、これが君達が魔法を使っていく上で必要不可欠な『
そう言うと、先生は一人に一セットずつ、台紙とリボンとインクを手渡した。
「じゃあみんな席を立って」
私は首を傾げた。なぜ、栞を作るのに立つ必要がある?
「みんな、今から二人組を作ってください」
私はがぼんと口を大きく開いた。学校生活の登竜門、二人組戦争を転生先でも体験することになるとは思わなかった。教師側は「早く同級生と打ち解けて親しい友人を作ってほしい」という想いでペアを作らせているのだろうが、生徒にとってはサバイバルだ。
この二人組戦争は事前の根回しがものを言う。それまでに一度でも話した相手がいれば早く相手が見つかりやすい。だが私は大変不運なことに、前日は体調を崩して保健室にいた。周りの生徒が次々とペアを作っていく中、私はオロオロとその場に立ち尽くすことしかできなかった。
話したことがある人──と思い、ハンスのほうを見ると、ハンスは早速大勢の女子に囲まれていた。ハンスがこの状況ならばおそらく──と思い、エンデの方を見ると、こちらも大勢の女子に囲まれていた。
「乙女ゲームのモブ女子生徒、すごいわね……」
ハンスに助けを求めることは諦め、私は女子の中からペアの相手を探すことにした。すると、突然どこかからヒソヒソと話し声が聞こえてきた。
「ほら、あれ……書の精の声が聞こえるっていう庶民の女」
「誰か声かけてあげたら。一人でかわいそー。クスクス……」
「やあよ、あんなアバズレ。聞いた? 昨日、ハンス様やルードヴィヒ様に色目使ってたらしいよ」
女子生徒の視線の先には、一人ぽつんと立ち尽くすリデルの姿があった。貴族出身ではないのはハンスも同じだというのに、リデルは冷たい視線を向けられ、孤立していた。
声をかけようとしたところ、女子生徒たちの陰口が聞こえたのか、ハンスとエンデが同時にリデルに視線を向けた。私はピンと閃いた。これもルート分岐に関わるイベントだ。きっと、リデルを哀れんだハンスとエンデが順に声をかける。リデルがどちらかを選んだ場合、選んだ相手のルートに分岐するフラグが立つ。どちらも選ばなかった場合、おそらくライマン先生と組むことになり、ライマンルートへの分岐フラグが立つ。
誰も攻略したくないリデルにとっては絶体絶命の状況だろう。私は、すぐにリデルの傍に向かった。
「こんにちは。私とペア、組まない?」
私がそう言うと、リデルは少し困った顔で周囲を見回した。周囲の女子生徒の声が大きくなった。
「あれは、アナスン侯爵家のご令嬢、ゲルダ様……なぜあんな女に声をかけるの?」
「ハンス様がお仕えするほどのお方が、あんな女を相手にするはずがないわ。何かおかしいわよ」
「あの女がなにかしたのかも……洗脳とか……」
背筋がぞわりとした。リデルが屋上から飛び降りた日のことが頭を過ぎる。あの日も、女子生徒たちは勝手にリデルが怪しげな術で私を洗脳したのだと勘違いしていた。どうやら私がリデルを助けようとすると、強制バッドエンドの引き金になるようだった。とはいえ、この状況を黙って見過ごすわけにはいかない。たとえ私が悪役令嬢でも、困っているヒロインを助けたかった。
悩みに悩んだ末に、私は大きく息を吸って、笑ってみた。
「オーッホッホッホ!」
昨日のリデルとの小芝居の時のように、私は少し大袈裟な身振りを付けてくるりと回る。
「どうやらこのクラスには私のことを魔法で洗脳なんてされるような愚か者だと思っていらっしゃる、間抜けなお方がいらっしゃるようですわねえ!」
本当はこんな自信無いんだけど、悪役令嬢って多分こんなかんじだと思う……多分。
「影でひそひそと陰口を叩くなんて、なんて恥知らずな方たちなのかしら! 将来素晴らしい司書として名を馳せる予定のこのわたくしに、文句があるお方がいるのなら、正面に立って、はっきりと仰ったらどう?」
私はギロリと周囲の女子生徒たちを睨みつけた。一瞬のどよめきの後、辺りはしんと静まり返った。数秒後、女子生徒のうちの一人が私の前に立った。前回のループで、リデルをいじめていた生徒だった。
「ち、違うんです。ゲルダ様に文句があるのではなく、心配しているんです。庶民でこの学園に入り、しかも『書の精』の声が聞こえるなんて前代未聞のこと。そんな得体の知れない人、怖いじゃないですか!」
「でしたら、隠れずに私の前でそう言えばよいのです。陰でひそひそと悪口を言うなんて、そんなご自分の品位を貶めるようなことをする必要はなくってよ?」
不思議なことに、台本も無いのにすらすらと次から次へと言葉が出てきた。前世の私は、これほど堂々と物を言える人ではなかったはずなのに。
「そして、私はリデルさんが庶民の生まれで、書の精の声が聞こえるということは百も承知の上でお誘いしましたわ。それでも、私の選択に文句がありまして?」
「怖くは……ないのですか?」
「ありませんわ。だって私は侯爵令嬢ゲルダ・アナスンですもの! オーッホッホッホ!」
私が甲高い声で高笑いすると、辺りはしんと静まり返り、誰も陰口を叩かなくなった。教室内全員の注目が集まる中、私は改めてリデルに手を差し伸べた。
「ようやく静かになりましたわね。それで、リデルさん。私とペアを組んでくださるかしら?」
リデルは目を見開き、唇を噛み……周囲の人には聞こえない程の声で呟いた。
「全く……無茶をする」
そして、顔を上げて太陽のように暖かく微笑んだ。
「はい、私でよければ。……ありがとうございます!」
この時のリデルの笑顔が本心だったのか、それともヒロインらしさを演出するための芝居だったのか。それは私にはわからなかった。
早速、二人一組で互いに相談しながら栞を作っていくことになった。
「栞は基本的に数回作ったら消えてしまう消耗品だけど、今日作る栞はちょっと特別だ。『記憶の
作り方は、特殊な液体で好きな色に染めた紙に、リボンを通し、魔力が籠もったインクで名前を書く。楽勝楽勝……と思って作業を進めていたが、最後の名前を書く作業の段階で、思わぬトラブルが起こった。
「あ、あれ。このインク……色が付いていないわよ?」
配布されたインクは無色透明で、とても名前が書けるような代物ではなかった。私が困っていると、ライマン先生が優しく声をかけた。
「それは特別なインクでね、書き手の想いに反応するんだよ。この学園で何をしていきたいか、どんな自分になりたいか。自分の願いを込めて、書いてみてね」
自分の願い……唐突にそう言われてもなかなかピンとこない。
「ねえ、これ、何かコツとかあるの……」
そう思ってリデルを見てみると、リデルも私と同じように透明なままのインクで自分の名前を書こうとしていた。
「そ、それがー、私もなかなかうまくできなくて困っていて……」
困り方が嘘っぽく見えるのは気のせいだろうか。そうは思うものの、まずは自分の栞を作ることに手一杯で、リデルの嘘を指摘する余裕は無かった。
前世の記憶を取り戻した直後の私は、前向きな願い事なんて考えつかなかった。まずはバッドエンドは嫌だ。とはいえヒロインがバッドエンドになり、ループを繰り返すのも嫌だ。嫌だ嫌だの消極的な願望ばかりだ。リデルに偉そうなことを言える立場ではなかった。
授業終了十分前。二人共まだ栞は完成していなかった。だが、ここにきてリデルは突然ぼそりと呟いた。
「そろそろですかね……」
そう呟いた時、リデルのインクが淡く輝き、牡丹色に染まった。そして、リデルはそのインクで台紙に名前を書き、瞬く間に栞を完成させた。
「ゲルダ様、私、できました!」
「いやいや、絶対これまで手を抜いてたでしょ。 絶対授業開始からすぐにでも完成させられたでしょ!」
すると、リデルは周囲には聞こえないようにボソボソと呟いた。
「当たり前です。私がこのゲームをどれだけ周回したと思っているんですか。完成させるのが早すぎても遅すぎても余計なバッドエンドフラグが立つんです。最適な完成のタイミングがこのくらいなんですよ」
なんだか、窮屈な世界ね……。
「じゃ、じゃあ、コツとか教えてくれない?」
「先生が言ったとおりですよ。しっかりと願いを込めて書くんです」
「リデルさんはどんな願い事を?」
「もちろん、ダンディで表情筋の皺がチャーミングなおじ様とお爺様ばかりの世界で自由に暮らしたいと願いました」
少子化が進んでいそうな世界だわ……。ダンディなおじ様・お爺様の話をした時のリデルは生き生きとした表情を浮かべていた。
「願いをはっきりと思い浮かべればいいだけですよ。大丈夫、これは簡単です」
私は頭を抱えた。リデルにとってのダンディなおじ様天国のようなものが、私にあるだろうか? 自分が一番好きな物、やりたいことって何?
ふと、前世の記憶が頭に浮かんだ。春休み明けのこと、大好きなゲームやアニメについて友達と語り合うことを楽しみにしていたのに、突然の事故でその機会を失った。
「よし、決めた」
私はペンを手に取り、インクを付けた。インクは淡く輝き、濃紺色に染まった。
互いの大好きなものについて語り合える友達が欲しい。そう願いながら、名前を書いた。
「うん、いいじゃないか。よくできたね」
急にライマン先生が後ろから声をかけてきた。ちょうど、授業終了数分前だ。そろそろ全体のまとめに入る時間だった。
「よし、じゃあみんな自分の『記憶の栞』は作れたかな? 栞には様々な種類があって、特別な言い伝えがあるものもあるから、気になる人は図書室で調べてみてね。じゃあ、今日はここまで」
終業の合図と共に、またキャアキャアと周囲から話し声が聞こえてきた。誰かの噂話かと思ったが、今回は少し違うようだった。
「記憶の栞といえば……ねえ、知ってる? 書の精のいる神殿でね、男女が互いの記憶の栞を持って真実の愛を誓うと、不思議なことが起こるらしいわよ。書の精は二人を祝福し、永遠に幸せに暮らすことができるの」
そんな話がちらりと耳に入ってきた。その時、私は前世でのゲームの物語の結末を思い出した。
「私がクリアできなかった理由、なんとなくわかりましたか?」
隣でリデルが少し寂しそうに笑った。
そうだ、このゲームはどの攻略対象のルートでも最後に必ずある試練が訪れる。それが、書の精の神殿で、互いの記憶の栞を手にして、攻略対象と「真実の愛」を誓うことだった。
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