第2話:ヒロインと学園生活を送ることになりました。
薄く微笑む白髪の少女の顔と、鈍く歪な音が頭にこびりついて離れなかった──
「どうなさったのですか、ゲルダ様」
「ほぇ? ……あー、ここは……?」
私は馬車の窓ガラスに頭をぶつけて、目を覚ました。私の正面では、ハンスが呆れ切った表情を浮かべている。窓の外を覗くと、遠くに魔法学園の校舎が見えた。
この景色には覚えがある。私が前世の記憶を取り戻した直後の光景だ。これから私は魔法学園の入学式に行き、乙女ゲーム「恋と運命のFairy Tale」のヒロインと出会うことになっている。
「この状況……つまりアレよね。ヒロインがバッドエンドになったから、最初からやり直しになったってことよね……」
私はヒロイン・リデルのことを思い出す。ガニ股で両腕を広げながら、攻略対象の顎のテクスチャについてマシンガントークをかますヒロインのことを忘れられるはずがない。
彼女は既にこのゲームを何十回も繰り返しているといった。もしかすると、私があの屋上から馬車の中へと意識を引き戻されたように、リデルもバッドエンドになるたびに入学初日へと時間を戻されているのかもしれない。私自身はまだ死んでいないにもかかわらず、こうして時間が巻き戻ったことを考えると、この「巻き戻り」はリデルを中心に行われているのかもしれない。
……まあ、そりゃそうよね。彼女はヒロイン。私は端役の悪役令嬢だもの。
「ゲ、ゲルダ様。何をぶつぶつ仰っているのですか」
「えっ。その、変な夢を見たのよ。それでちょっと気分が優れないだけ。ごめんね、心配かけて」
「ご、ごめんね……!? 本当に大丈夫ですか。お医者様に行きましょうか?」
ハンスは眉間に皺を寄せながら驚愕していた。元の私、人望無かったんだなあ……。
とにかく、問題はヒロイン・リデルだ。彼女がバッドエンドになったことがきっかけで時間が巻き戻った。すると、今後もリデルがバッドエンドになる度に同じことが起こる可能性がある。この時間の巻き戻りは悪役令嬢・ゲルダの未来の破滅に直接関係は無いものの、今後私がどれほど未来の破滅を避ける為の努力を重ねたとしても、この巻き戻りによって全てリセットされてしまういうことだ。
ここまで状況を整理したところで、私は絶望的な事実に気づいた。ヒロインが攻略対象との恋愛ルートに突入すると、悪役令嬢・ゲルダはヒロインがハッピーエンドでもバッドエンドでも最悪の結末を迎える。
しかし、ヒロインが恋愛ルートに入らずバッドエンドを迎えれば、時間が巻き戻る。それはつまり、ヒロインが恋愛ルートに入って私が死亡フラグを回収しないと、この時間の巻き戻りループは終わらないということなのでは?
「うが、うががが、ががが……」
私が頭を抑えて奇声をあげていると、ハンスが再び声をかけてきた。
「ど、どうかなさいましたか。やはりご気分が優れないのであれば、学校に到着し次第、保健室で休ませていただきましょうか」
「い、いや、大丈夫……大丈夫の、はず……」
それでも、ハンスは私に水を勧めたり、少しだけ馬車を止めて休ませたりしてくれた。元のゲームでは、ハンスは傲慢なゲルダの我儘にいつも振り回され、幼い頃から酷い扱いを受けていたという設定がある。今、目の前で自分の介抱をしてくれているハンスも内心では傲慢なゲルダへの不満を沢山抱いているはずだ。にもかかわらず、仕事とはいえハンスは私を邪険に扱うことなく接してくれた。リデルに対してもそうだったように、ハンスは元々心優しい性格だった。
「タイプじゃないけど、不幸にはしたくない……かぁ……」
リデルとは違い、私は若くて顔立ちの整った少年少女が大好きだ。だが仮にハンスが醜くて筋骨隆々のおじさんだったとしても、これほど自分の身を案じてくれたのなら、さすがに死んだり不幸な目には遭ってほしくないと考えているだろう。
「どうかいたしました?」
「ううん、なんでもない。こんな我儘令嬢にも、優しくしてくれてありがとう」
「……今日のゲルダ様は、何かおかしいですよ。僕はアナスン侯爵にお仕えする者として、当然のことをしたまでです」
「それでも、ありがと。あと、これまで我儘ばっかり言ってごめんね」
ハンスは眉を潜めていたが、これだけは、伝えずにはいられなかった。
魔法学園に到着すると、私は早速中庭へと向かった。ゲームと同じ展開になるのなら、リデルはこの場所に再びやってくるはずだ。私がベンチに腰掛けながら、中庭の白薔薇を観察していると、予想通り小さな足音が聞こえてきた。
リデルは前回と同じように、手に傷ができた状態で庭園に駆けこんできた。
「あなたは……」
リデルは私の顔を見た瞬間、表情を強張らせた。やっぱり、リデルはあのバッドエンドのことを覚えている──私は表情を見た瞬間にそう確信したのだが、リデルはにっこりと微笑んだ後、スカートの裾を摘まみながら頭を下げてお辞儀をした。
「これは、お邪魔してしまい、大変失礼いたしました。私、リデル・キャロラインと申します」
「え? わ、私はゲルダ・アナスン……って、そうじゃないわ! リデル、あれは一体どういうことだったの? ちゃんと説明して。どうしてあんな無茶を……」
「ええ、何のことですか。私は、ゲルダ様とはこれが初対面ですよ。夢でもご覧になられたのではありませんか」
リデルはなぜか惚けきったまま、一向にこちらの話に耳を貸そうとはしなかった。その時、再び足音が聞こえてきた。リデルはその音にいち早く反応し、中庭にやってきたハンスにお辞儀をした。
「おや……こんなところで何をしているのですか。って、ゲルダ様。保健室にはまだ行っていらっしゃらなかったのですか」
「え? ああ、大丈夫よ。そこまでするほどじゃないって言ったでしょ」
ハンスの登場。これは前回のループと同じイベントだ。ハンスはゲルダの体調を気遣った後、リデルへと視線を向けた。
「ゲルダ様。こちらの方は?」
「リデル・キャロラインさんよ。ここで偶々知り合ったの。リデルさん。こちら、私の執事を勤めているハンス・アンデルシアよ」
リデルは先程と同じようにスカートの裾を摘まみ、お辞儀をした。ハンスもお辞儀を返した後、リデルの手を見つめた。
「ところで、先程から気になっていたのですが、その手の怪我はどうなさったのですか」
出た。本来のゲームならばこれはハンスルートへの分岐に関わる出来事だが、前回のループではリデルはここでハンスが差し出したハンカチを受け取ることなく立ち去っていた。
「なんでもありません。不注意で怪我をしてしまっただけですので。私よりもゲルダ様の方が心配です。なんだか具合が悪そうでしたので……」
あっ、ずるい。リデルめ、ハンカチを受け取らないために話を逸らしたな。
「本当ですか。馬車の中で悪い夢でも見たようでして、ここに来る途中でも様子がおかしかったのです。……ゲルダ様、どのような夢を見たのですか。もし、僕が話を聞くことで少しでも気が楽になるようでしたら、話してみてください」
すると、狙いどおり話を逸らすことができたはずのリデルの表情が硬くなった。
「大丈夫よ。ちょっとだけ、変な夢だっただけ。この校舎の屋上から……」
屋上から、リデルが飛び降りて、死ぬ夢。
私がそう言葉にしようとした瞬間、強い眩暈と吐き気が襲い、思わず座り込んでしまった。リデルの身体が地面にぶつかった時の鈍い音が何度も脳内で響いている。目の前で人が死んだ。「大したことない出来事」ではない。思い出しただけで、胸が引き裂かれそうな気分になった。
「ゲルダ様!? しっかりしてください。ほら、やはり保健室に行くべきです」
「うぅ……そ、そうみたい。私、ほんとに具合が悪かったのね。気づかなかった……」
よろよろと立ち上がる私を、リデルは真っ青な顔で見つめていた。
「あ、あの、ゲルダ様。申し訳ございませんでした。私……失礼します」
「お待ちください」
私が引き留めるよりも先に、ハンスがリデルを止め、ハンカチを差し出した。
「保健室に行くべきなのはあなたも同じです。これで出血部分を抑えてください。二人共、僕がお送りします」
リデルは歯を食いしばって震えたまま黙り込んだ。数十秒後、彼女はとうとう根負けしてハンカチを受け取った。
「はい……ありがとうございます」
本来のゲームではこれから始まるイケメン達との学園生活に胸を高鳴らせる場面だったはずなのに、今のリデルは苦しそうにしか見えなかった。
保健室に連れ込まれた私は、しばらくベッドで休むことになった。気分は先程よりだいぶ落ち着いてきたが、まだ少し眩暈と吐き気が残っていた。一方、リデルは無事に保健室の先生に手の怪我を治癒してもらったようだった。ハンスはリデルの手を見て、安堵したようだった。
「よかった。跡が残るようなことはなさそうですね。ハンカチはまた後日返していただければ大丈夫ですよ。では、僕はゲルダ様にもう少し付いておりますので、また後で会いましょう」
「あの、少しお願いがあるのですけど、よろしいですか」
リデルはハンスに少し意外な提案をした。
「私に、ゲルダ様の看病をさせてもらえませんか。もうすぐ入学式が始まります。先生方からも様々な連絡事項があるでしょうし、ゲルダ様が入学式に出られない分、ハンス様は先生方のお話を聞いて、後程ゲルダ様に伝えなければならないと思いますので……是非、私にやらせてください」
「そ、それはたしかにそのとおりですが……よろしいのですか?」
「はい。ですから、ハンス様は入学式に急いでください」
リデルがそう言うと、ハンスは薄く微笑みながら礼を言った。
「そうですか、ありがとうございます。後程、連絡事項をリデルさんにもお伝えしますね」
ハンスは背景に白薔薇の花が咲きそうなほどに爽やかな笑顔を浮かべながら、その場を去っていった。ハンスを見送りながら、私は思わずぼそりと呟いた。
「なんか、悪役令嬢には勿体ないくらいの良い奴なのよねえ……」
すると、リデルは俯きながら、ぼそりと呟いた。
「だから苦手です」
その時のリデルの横顔は、あの屋上へと続く階段で出会った時の顔とよく似ていた。
リデルはガラスのコップに水を汲んでくると、微笑みながら私にそれを差し出した。
「どうぞ。吐き気が酷くなった場合は、すぐ仰ってください」
私はコップの水面を見つめながら呟いた。
「あなたは、体調は大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。ほら、手も治してもらいましたし」
自殺を目撃した私が体調を崩して横になっているというのに、当の自殺者は百合の花のように愛らしく微笑んでいた。私は二、三口、その水を飲んだ。
「やっぱり、アレは夢なんかじゃないわよ。あなた、どうして……」
「夢です」
リデルは即座に断言した。
「……こちらにも事情があるんです。ゲルダ様が見た『夢』は夢ということにしてください」
「だったら、夢でなくてはいけない理由くらいは教えてもらいたいんだけど?」
すると、リデルは数秒ほど視線を上にずらして考え込んだ。
「……そうですね。わざとではないとはいえ、巻き込んでしまいましたし。うまくいくかはわかりませんけど、お詫びの意味も込めて説明しましょう。ただし……」
「ただし?」
「ゲルダ様の具合が良くなってからにしましょう。何が起こるかわかりませんので」
ただ事情を説明することが、そんなに大変なの?
私が首を傾げていると、ゲルダはメモ帳に何かを書き留め、私に差し出してきた。
「では、ゲルダ様。後でちょっとだけ小芝居に付き合ってください」
眩暈と吐き気が治まった後、私はリデルと共に再び中庭に戻ってきた。白薔薇が咲き誇る温室へと入ると、扉を堅く閉ざし、リデルから手渡されたメモを手に取った。メモには、芝居の台本のような台詞と、いくつかの注意事項が書かれていた。
①このメモに書かれた台詞を「悪役令嬢らしく」私に言ってください
②私とゲルダ様は今日初めて出会ったことになっています。明らかにその状況と矛盾するような言葉は極力口にしないようにお願いします
メモに一通り目を通し終えると、リデルはにっこりと微笑んだ。
「では、始めましょうか」
私は早速、台本の第一文を読み上げた。
「えっと……『よくもハンスに色目を使ってくれたわね。書の精の声が聞けるからって、自分が特別だとでも思っているの?』」
え、なにこれ。私、そんなこと思ってないんだけど。そこに書かれている台詞は、まるで前回のループで女子生徒たちがリデルに浴びせていた暴言に近い内容だった。すると、私の台詞に合わせて、リデルはこう答えた。
「そんなつもりはありません。書の精の声が聞こえることも、決して良いことばかりではありません」
「『だったら、どうしてハンスの前では自殺のことについて事情を明かさず、本心を隠して良い子ぶっちゃっているのかしら?』」
あっ。それは少しだけ思ったかもしれない。
「それには理由があるんです。私はハンス様のようなこの学園に通う四人の殿方から慕われ、応援されるような振る舞いをするように強制されているからなのです」
思わず、次の台詞を言い出すのが遅れてしまった。「四人の殿方」とはこの乙女ゲームの攻略対象のことだろう。乙女ゲームの攻略対象から慕われ、応援されるような女の子……それは正に、乙女ゲームのヒロインのことだ。ヒロインならばヒロインらしく振る舞え。それが、リデルに付けられた枷のようだった。
「……誰がそんなことを?」
「それは私にもわかりません。ただ、私の振る舞いが不適切だったり、ハンス様たちに冷たく接すると、その度に頭の中でおかしな声が響いて、頭が痛くなります」
「その声は、書の精?」
「それもわかりません。私が不適切な振る舞いをした時に聞こえる声と、書の精が語りかけてくる時に聞こえる声は違う声です。でも、もしかしたら……全く関係が無いとは言えないかもしれません」
たしかに。私にはそのような声は聞こえなかった。私とリデルの間にある、声にまつわる設定の差は「書の精の声が聞こえるかどうか」だ。
「あと、ゲルダ様。一応、注意事項のとおりにお願いします。下手をすると、悪い夢が繰り返すこともありえますから」
私はぎくりと震えあがった。つまり私も私で、悪役令嬢らしい振る舞いを求められているということだ。この先の台本は特に用意されていない。しばらく頭を捻って、質問したいことと、それをどう「悪役令嬢らしく」伝えるか考えた後、私は少し大げさに胸を張って声をあげた。
「オーホホホ、おっかしいですわねえ。あなたの言っていることが正しいとしたら、どうしてあなたはハンスの前では猫を被っていたのに、私の前では大股開いてべらべらと自分の性癖を語ったりできていたのかしら?」
「突然口調が変わりましたね」
「いや、だって……」
私の中の悪役令嬢って、こんなイメージなんだもん……。リデルは小さく溜息をつくと、話を続けた。
「まあ、いいですけど。質問の答えですが、それは私もわかりません。今、まさに私が知りたいことです。私が『夢』の中でゲルダ様に怒鳴ったり、55歳以上のナイスミドルの素晴らしさを語ったりしても、特に頭痛は起きませんでした。他の方の前だと、すぐに頭痛で立てなくなり、喋ることもできなくなっていたのに……」
ハンスたちの前で、ナイスミドルの素晴らしさ、語ったのね……。
「ふぅん、結局、あなたにもわからないことがたくさんありますのね。残念ですわ!」
「お役に立てず、申し訳ございません。他に、聞いておきたいことはありますか?」
この茶番のおかげで、自分とリデルが置かれた状況は概ね掴めてきた。この乙女ゲームの世界では、リデルはヒロイン、私は悪役令嬢らしい振る舞いをしていかなければならない。与えられた配役らしく振る舞えなければ、前回のループの時のような唐突なバッドエンドになることもありえるということだ。ここまで振り返ったところで、私は眉間に皺を寄せながら尋ねた。
「でも……『悪い夢が繰り返すかも』とは言ったけど、あの時、あなた自分で屋上から飛び降りましたわよね。たしかにとんでもない人数の女子生徒がいましたけど、死に物狂いで逃げようとすれば、バッドエンドにはならなかったかもしれないですわよね?」
「私の経験からすると、あのような状況になったらその日じゅうにバッドエンドになっていたと思いますよ。だったらまだ一日目でしたし、リスタートするほうがいいかなと思ったんです」
「でも、状況は悪くても、足掻いてみたら死ぬよりはマシなバッドエンドだったかもしれませんわよね? ハンスやルードヴィヒたちとのやり取りの時もそう。あなたなりに彼等を気遣っていたのかもしれませんけれど、あなたのやり方はひたすら自分からバッドエンドに突き進んでいるようにしか見えませんわ!」
リデルは少し眉をひそめた。
「つまり、何が言いたいんですか?」
「誰との恋愛フラグも立てず、バッドエンドを繰り返して、それであなたは何が得られるといいますの!?」
リデルは深い溜息をついた。私に背中を向け、庭園の石畳に落ちている萎れた白薔薇を拾い上げ、花弁を一枚ずつ毟り取っては散らした。
「強いていえば、安寧です。誰も巻き込まずに、穏やかに日々を繰り返していければそれでいい。もう、そうすることに決めたんです」
「バッドエンドのどこが安寧ですの!?」
私は即座にそう怒鳴った。前世でも今世でも、私に演劇の経験は無い。この取って付けたようなお嬢様口調で話すのはこれが初めてだったが、なぜかこの時は身体が軽く感じ、次から次へと言葉が沸いて出てきた。
「性癖云々よりも、あなたのその後ろ向きな姿勢こそが、ヒロインとして失格なのではなくって?」
自分でも驚くほど意地悪な言葉だった。例えその言葉がどれほど正論だったとしても、度重なるループとヒロインらしさを強制されて精神が擦り切れかかっている人に対して、この一言は暴力にしかなりえない。実際、リデルは唇を噛みしめ、怒りに満ちた瞳でこちらを睨みつけていた。
「あなたに何が……!」
「いい目ですわ。そうやって立ち向かってくるほうが、似合ってますわよ」
意地悪な悪役令嬢に対して、屈せぬよう、負けぬようにこちらを睨みつけるリデルの瞳には、ヒロインに相応しい「強さ」があった。あの屋上から飛び降りた時のリデルよりも、今のほうがずっと魅力的だった。
「……わかりました。でしたら、質問時間も、この茶番もここまでです。ゲルダ様、そのお嬢様口調ももうやめていいですよ」
リデルはパチンと両手を叩き、小芝居の終わりを告げた。
「へっ。ちょっと、まだ話は……」
「後ろ。婚約者の方がお迎えに来てますよ」
振り向くと、少し離れた場所でルードヴィヒがこちらに手を振っていた。
「ちょっと、どうしてここに!?」
「ハンスから、保健室にお前がいないと聞いてな。俺が婚約者を捜して、何かおかしいか?」
「おかしくはないけど……さっき、私たちが話してたこと、聞いてないわよね?」
ルードヴィヒは軽く笑いながら答えた。
「いや? 俺は何も聞いてないが。あ、『オーホホホ』って高笑いなら聞こえたな。それでこの場所を見つけた」
「うっ、一番聞かれたくないところを……」
「ん? いつもそんな感じで笑っているだろうが」
今世の私、そんな笑い方をしていたのか……。いや、していたかもしれない……。
私が頭を抱えていると、ルードヴィヒは早速私を押しのけてリデルに近寄った。
「それよりも……こんにちは、お嬢さん。お名前を伺っても?」
「……リデル・キャロラインです」
早速、ルードヴィヒとの出会いイベントが始まってしまった。こうして攻略対象とのフラグが積み重なっていくたびに、私の死亡フラグが積み重なっていくのだが、今となってはこのフラグを避けていくことが得策かどうかもわからなかった。その時、もう一人来客が現れた。
「ゲルダ様、リデルさん。捜しましたよ!」
私たちの声を聞きつけたのか、ハンスも中庭にやってきた。
「ゲルダ様、具合は本当に大丈夫なのですか。ああ、リデルさん。こちら配布物になります」
「ハンス……あなたが出てくると、なんか気が抜けるわね……」
つい数分前までの緊迫感は、ハンスの爽やかな微笑みによって有耶無耶にされてしまった。リデルは既に控えめなヒロインを演じる姿勢に突入しており、ハンスから配布物を受け取ると、笑顔で礼を言った。
「ありがとうございます。私、ゲルダ様やハンス様のような方と同じ学園に入学できて嬉しいです。明日から、よろしくお願いします!」
ほ、ほんとにそう思ってるのぉ!? ……と、余程声に出してやろうかと思った。リデルの本性については黙っておく代わりに、私は「悪役令嬢らしく」こう返してやった。
「こちらこそ、リデルさんのような方と共に学ぶことができるなんて光栄ですわ。明日からは……『悪い夢』とは無縁な、楽しい学園生活を送っていこうじゃありませんの! オーッホッホッホ!」
口調は取って付けた演技だが、嘘を言っているつもりはない。……もう二度と、屋上から人が飛び降りる光景なんて見てたまるか。
前世の記憶を取り戻してから二回目の初日。私は、自分の死亡フラグを回避するためにも、このヒロインらしからぬヒロインと向き合っていこうと決めた。
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