第2話 『効率主義』を目指した日




 子供達に何かを問われた時、クレアリンゼは必ず自分にルールを課す。


 ――必ず、大人の話し言葉で答える事。

 子供にはまだ理解できない様な言い回しも、子供相手だからと敢えてかみ砕くような事はしない。

 そうする事で自発的に言葉の意味を訪ねさせ、学ばせて理解する場を与える。

 

 日々の生活の中で常に考えさせる。

 クレアリンゼが一種の『効率』を追求した結果が、この処置だ。


 だからこういう話をする時、クレアリンゼは必ず「それはつまりどういう事?」と聞かれる事を前提として話している。

 そしてそれは、今日も例外ではなかった。


「お母さま」

「何?」

「……『義務』は、『しないといけない』っていうことでしょう?」

「そうね」


 クレアリンゼが短くそう頷くと、セシリアは「うーん……」と唸りながらもクレアリンゼの難解な言葉を頭の中でかみ砕いていく。


「『領民』はお父さまがお世話してるところに住む人たちで、『知識と教養』は……『おべんきょう』をして分かること?」

「えぇ、両方とも合っているわ」

「……『税金をもらう』って、なに?」


 日々の中で言葉を学ぶ癖は彼女に根付いているから、以前聞いた言葉の意味は頭に既に入っている。

 それは質問事項から除外して、ゆっくりと地道にしかし確実に、文章を脳内で噛んで思考の中へと落とし込んでいく。


 そうしてやっと新出単語を炙り出せば、クレアリンゼは「そうねぇ」と言いながらセシリアの両手を自分の両手で包み込んだ。

 

「それはね、領民の方がお父様に『お世話してくれてありがとう』っていう気持ちで食べ物やお金をちょっとずつお父様に渡す事。それが税金を貰うという事よ」


 これは貴族の彼女たちにとって、とても重要で重責だ。

 だからこそ、きちんと齟齬なく覚えておいてもらわねばならない。

 そんな気持ちを肌から肌へ、目から目へ、口から耳へとクレアリンゼがまっすぐ伝える。


「私達は、そのお金や食べ物のお陰で毎日ご飯が食べられてフカフカの布団で眠れるの。だから私達は『そういう生活をさせてくれてありがとう』という気持ちを持たねばならない。そして領民にきちんと返さなくてはならないのよ」


 そう告げると、セシリアの口がむーんと寄った。

 考えている時の顔だ。

 少し唸って、シンキングタイム。

 その後再び、母に問う。


「わたしたちは、『領民』にお返しをしないとダメ。そのために『おべんきょう』はしないといけない……?」


 セシリアのペリドットの瞳が「合ってる?」と言外に聞いてくる。

 そんな彼女にクレアリンゼはニコリと笑った。


「正解。良く出来ました」


 そう言って柔らかい娘の髪をクシャリと撫でると、セシリアは少しくすぐったそうにはにかんだ。

 しかし次の瞬間、ハッと大切な事を思い出す。


「じゃぁわたしもマリーお姉さまと同じように『おべんきょう』が『たいへん』になる……」


 自分の言葉が正しいという事は、つまり自分に逃げ道がないという事。

 そう気が付いてしまった彼女は、またズーンと落ち込んだ。


 頑張って、成果が出て褒められた。

 にも関わらず、結局のところ分かったのは「自分の願いは叶わない」という事実。

 こんな世知辛い事も、この年の子には中々ない。

 

 案の定、まるでこの世の全ての絶望を纏めて背負ってしまったかの様な娘の落胆具合に、クレアリンゼは思わず苦笑した。

 

(確かに嫌なのは分かるけど、何もそんなに絶望しなくても)


 そんな風に思いもするが、すぐに「子供の頃には誰だって、大人になってから考えると大したこと無い様な事にも一喜一憂していたな」と思い出す。


 多分これは、きっと誰もが通る道だ。

 そう思えば、これもおそらく彼女の成長の証なのだろう。


 そう思えば、ここで親心が働いた。

 せっかく頑張って難しい言葉を読み解いた。

 それ自体は素晴らしい事だというのに、その先にあったのが絶望だけだったなんて少し可哀想過ぎるような気がする。


 しかしそれでもセシリアが『おべんきょう』に向き合わねばならないという現実は、クレアリンゼがどんなに頑張っても決して覆せることではない。


 となれば結局クレアリンゼに出来る事は、そういうモノにぶち当たった時の心の持ちようを少し『助言』する事くらいだ。


「したくない事を、それでもしなければならない。生きていればそんな事は往々にしてあることよ? そんな時には上手く気持ちを切り替えなければね」

「きりかえる?」

「そう。こういう時に一番楽なのはおそらく、その嫌な事を『効率的』に終わらせる事よ」


 そう伝えると、セシリアは身を乗り出してこう言った。


「っ!『効率的』!! お母さまの好きなことばね!」


 クレアリンゼが時折使うこの言葉を、セシリアもきっと耳馴染んでいるだろう。

 しかしそれにしても謎のハイテンションで「効率的、効率的♪」とはしゃぐ娘を不思議に思い、クレアリンゼは「どうしたの?」と聞いてみる。

 するとすぐさまこんな声が帰って来た。 


「お母さまの好きなことばでわたしの嫌なことがどうにかできるって、なんかとっても嬉しいでしょ?」


 正直言って、クレアリンゼにとってそれは斜め上の言葉だった。

 しかし同時にくすぐったくて嬉しくもなる。



 思わず口から「ふふふっ」という笑い声が出てしまった。


「確かにそれは、『なんかとっても嬉しい』わ」


 しかもそれでいて、そう言う他にどう形容していいか分からない。

 そんな絶妙な言葉選びで笑わされた母親と、母親に笑顔の同意を貰えて嬉しい娘。

 

 それはとても幸せで素敵な空間だった。




 もしもセシリアの人生で明確に『効率』への道を歩み始めた日があるとしたら、間違いなくこの日だった。


 数十年後。

 きっとこの日の娘の成長を明確に覚えているだろうクレアリンゼは、そんな風にこの日の事を振り返るだろう。



 この物語の主人公は、このセシリア・オルトガン。

 そしてこれは、その彼女が『効率主義の権化』として国内外にその名を広く轟かせるまでの、軌跡の描くお話である。


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