第3話 悩む妹を心配する目

 


 とある春の午前中。


 丁度10時を回った頃、とある伯爵家の庭では芝生の上に置かれたティーテーブルにお茶やお菓子などが並んでいた。


 今日の空は清々しい程の快晴である。

 その陽気も相まって、笑顔と話し声が絶えない場に――なる筈だった。




 オルトガン伯爵家では毎日、午前と午後に1度ずつ、計2回のティータイムが催される。

 これはこの家の夫人であるクレアリンゼが無類の紅茶好きであることが、大きな要因だろう。



 今日のティータイムの出席者は、母・クレアリンゼとセシリア、そしてセシリアの兄・キリルの3人だった。


 大抵その場の話の主導権を握る事になる子供達が、今日は3人中2人も参加しているのだ。

 さぞかし賑やかなティータイムになるだろうと思われたのだが、その予想に反して二人は今、それぞれが静かに椅子に座っている。


 セシリアの様子がおかしい事は、いつもの彼女を知っている者が見ればすぐに分かっただろう。

 いつもなら、何かしら話しているか、ティータイムに用意されたお菓子達を頬張っているか。

 どちらにしても、彼女の楽し気な表情がティータイムに花を添えている事には変わりない。


 だというのに、今日の彼女は珍しく黙りこくったままで上の空だった。

 一応用意された紅茶をチビチビと飲んではいるものの、視線は何もない虚空に固定されたまま動かない。

 まるで紅茶を飲む事だけを使命とする、ブリキ人形の様になってしまっている。



 そしてそんな彼女の様子に心配そうな眼差しを向けているのが、彼女の兄・キリルだ。



 (どうしたんだろう、セシリア。なんか変だ)


 見た所、今正に思考の海に深く潜っている様子だという事は、少し彼女を観察していればすぐに分かる事だ。


 忙しそうな彼女に「どうしたの?」と口を挟んで思考を止める事は、彼女の邪魔にならないだろうか。

 そう危惧して一度は尻込みしてみるものの、やはり気になるものは気になる。


「……セシリー、どうしたの? なんか今日、元気が無いみたいだけど」


 意を決して掛けてきたその声に、セシリアの視線がゆっくりと上がった。



 そんな彼女の行動に、「反応してくれた」と兄は少しだけホッとする。

 首を傾げる様にしてセシリアの顔を覗き込めば、僅かにオレンジ掛かった金色の髪がサラリと揺れて陽光に煌めいた。

「心配だ」と訴える空色の瞳が、包み込む様な優しい色でセシリアを映した。


 流石は兄妹というべきだろうか。

 目鼻立ちが似通ったその顔は、きっと母親に似たのだろう。

 男子にしては中性的な顔立ちで、着るものが変わればショートヘアーの女の子に間違われても仕方が無いかもしれない。


 それがセシリア達兄妹の最年長、妹思いで少し心配性な、オルトガン家の嫡男・キリルという人だった。



 5つ離れた彼の心配そうな瞳と視線がかち合って、セシリアは此処で初めて自分がずっと考え込んでしまっていた事に気が付いた。

 そして同時に彼に心配を掛けてしまっていた事を自覚すると、「これ以上心配させてはいけない」と作り笑顔を浮かべる努力をする。


「ううん、何でも無いの。ちょっと『どうしたらいいのかな』って、思ってるだけ」


 しかしその努力は、キリルを一層心配させるだけだった。

 少なくとも兄にとっては、大丈夫な顔には見えなかったのだ。


(何か、悩みでもあるのかな?)


 そんな事を思いながら、キリルはチラリと目の前で優雅に紅茶を楽しむ母を見た。


 クレアリンゼは『悩む事も時には大切である』と思っている節がある。

 だからなのだろうか。

 問われた事にはきちんと答えてくれるが、問われなければただ静かに見守る所がある。


 それが駄目だとは言わないが、キリルはセシリアの兄なのだ。

 妹が困ったり悩んだりしているのなら、少しでも助けになってあげたいと思う。


「話してみてよ、もしかしたら僕もちょっとは力になれるかもしれない。それに一人で悩むより、2人で悩んだ方がきっと楽しいよ」


 一人で抱える悩みは、悩む者をただ思考の奈落へと沈ませる。

 しかし2人なら、ソレは討論に成り得る。

 活発に議論すればそれだけ沢山の考え方が生まれるし、悩んで陰鬱になってしまっていた気だって幾分か晴れる。


 そんな兄からの説得に、セシリアはまた紅茶の湖面に落ちかけていた視線を上げた。



 彼の申し出を断ったのは、兄に心配を掛けたくなかったからだ。

 悲し気な、困った様な顔をしてほしくは無かったからだ。


 しかしその一方で、思考が煮詰まっていた事も事実で。

 本当は「誰かに相談したい」と思ってもいた。


 対になる葛藤の中で、セシリアは逡巡した。

 そして結果、おずおずと口を開く。


「あのね、マリーお姉さまは『おべんきょう』が『大変』そうなの。私は『大変』になりたくないの。でもね、『おべんきょう』は『貴族の義務』だからしないとダメなの」


 セシリアはキリルに悩み事を打ち明けると、シューンという効果音が付くくらいに萎んでしまった。




 一方でキリルは、すっかり元気の無くなってしまった妹を観察しながら、とある疑問を抱いていた。


(まだ始めてさえいない勉強を、なぜこんなにも嫌っているのだろう)


 そんな疑問である。

 


 キリルは、心中でそう呟くと黙々とその疑問について思案し始めた。


 そしてすぐに思考を終える。


「なるほど、確かにあれが原因なら……」


 そんな風に、彼は口の中でブツブツと言葉を紡ぐ。

 

 そしてその要因へと思いを馳せた。

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